52. 飲み込んだ言葉
「上層階…って」
「ここ70階層より更に上の階層だ」
目を瞬かせるエレインに対して、天井を指差しながらあっけからんと答えてみせるホムラ。その答えを聞いてエレインは戸惑いを隠せない。
「え、ええ?!でも、私ホムラさんを倒したわけじゃないし、冒険者が未踏の70階層の先に踏み込んでもいいのか…」
「いいんだよ。お前は70階層を守護する俺に認められたんだ。その資格は十分にあると思うがな」
そう言って、ホムラはチラリとドリューンに視線をやる。ドリューンは困ったように眉根を顰めたが、小さく頷いた。
「そうねぇ、70階層の守護者がそう言うのなら…私に止めることはできないわね」
「ってこった、後はお前がどうしたいかだ。因みに俺も70階層の先はほとんど足を踏み入れたことがない。お前がこの先に向かうと言うなら、一応付き添いで着いていくつもりだ。攻略の手出しはしないがな。命だけは守ってやる」
「楽しそうですね。その時はボクも行きますよ。新しい素材や食材が手に入りそうですし」
トントン拍子に話が進んでいるが、エレインは戸惑うばかりである。
「そ、そりゃ、私も一端の冒険者でしたし、70階層より先を知りたいです。でも…」
今日も昼間に2組ホムラに挑んできた冒険者がいたが、いつものようにホムラに圧倒されて地上へと帰還していった。
人類が70階層に到達してから十余年、誰も足を踏み入れることが叶っていない領域に、自分が踏み込んでもいいのか、エレインは引け目を感じているのだ。
「ふ、心配すんな。お前は十分強い。俺に認められるなんざ、倒すよりも難しいことだぜ?自信を持て」
ホムラは、俯くエレインの頭を優しく撫でる。エレインは、ホムラの温もりを感じて竦んだ心が溶かされるような感覚に包まれた。
いつもホムラはエレインの背中を押してくれる。そのことに、これまでどれだけ救われてきただろうか。
誰にも見えないように、エレインは小さく笑みを溢す。
「分かりました!せっかくの機会なので挑みたいと思います…!」
「よっしゃ!よく言った。早速明日から上階層の攻略開始だ!」
「おー!」
こうしてエレインは、上階層へ挑む覚悟を決めたのだった。
◇◇◇
翌日の夕方ーーー
「心の準備はいいかァ?」
「は、ははははいっ!」
ホムラの問いに対し、ポーションや帰還用の魔法陣、軽食が詰まったリュックを背負い、緊張した面持ちでエレインが返事をした。
ホムラがボスの間の壁に手を添えると、立つのもやっとなぐらいの激しい地響きがした。そして、壁がふたつに割れ、荘厳な階段が姿を現した。
「ここから71階層に登る」
「ほわー…すごい……」
「ふむ、ボクも初めて見ました」
階段の先が、人類未踏の階層、そう思うとエレインは武者震いがする思いであった。
「行くぞ」
ホムラに続き、エレインとアグニは階段を登る。ダンジョンの階段は、当然ながら階層を跨いで伸びている。各階層の魔物やモンスターは自ら他の階層に移動することはできない。そのため、各階層で魔物やモンスターに追われたとしても、階段にさえ逃げ込めれば何とか逃げ切ることができるのだ。
エレインは久々の未踏の階層に、緊張と不安だけでなく、少し弾んだ気持ちを覚えていた。元来ビビりで泣き虫であるが、エレインは幼い頃からダンジョンを攻略する冒険者に憧れてきたのだ。やはり冒険を前にすると胸が高鳴ってしまう。
ギュウっと杖を握りしめて、一段一段足を踏み出す。
「ホムラさん、71階層はどんな階層なんですか?」
「あ?んー、久々に行くからなァ…おぼえてねぇな」
「そうですか…」
緊張を紛らわすためにホムラに問いかけてみたが、有力な情報は得られなかった。ホムラはニヤッと笑みを浮かべると、肩を落とすエレインに尋ねた。
「ビビってんのか?」
「ななっ!?び、ビビって…ません。多分」
「なんだよハッキリしねぇな」
「うう…ちょっとビビってます」
「素直でよろしい。ま、万一のことがあったら俺が守ってやるから安心しな」
ホムラは楽しそうな笑みを浮かべると、優しくエレインの頭を撫でた。
その温かさに目を細めていたエレインだが、無意識のうちに小さく口を開いていた。
「ど、どうして…」
「ん?なんだァ?」
「…あ、いや。なんでもないです!さ!行きましょう!」
「あ、おい」
エレインは思わず口から出かかった言葉を慌てて飲み込み、ズンズンと階段を登って行った。ホムラは後に続きながらも、訝しげに首を傾げている。
『どうして、そんなに優しくしてくれるんですか?』
その問いに何を期待し、どんな返事を求めているのか。エレイン自身にも分からなかった。
ホムラは乱暴だが、義理深くて優しい。それは一緒に過ごす中で十分過ぎるほど伝わって来た。だが、自分に優しくしてくれるのは、その性格からなのか、自分が特別なのではなく誰にでも等しく接するのだろうか。
そんなことを考えていると、何だか胸の奥でモヤリと知らない感情が蠢く。
『どうして、そんなに優しくしてくれるんですか?』
先程飲み込んだ問いを反芻する。
何故そんなことを聞きたいのか。自分の中で答えが出るまでは、口にしてはいけない気がした。




