番外編①ロマンスには程遠い
50話の後日譚。おバカな日常です。
連休のお供になれば幸いです。
一通りの騒動の後、エレインが70階層に戻って、早くも1ヶ月が経過していた。
「むぐむぐ、んー!このビスケットすっごく美味しい!」
「うふふ、そうでしょう?今ウィルダリアで人気のお店なんですよ」
場所はボスの間の裏、ホムラやアグニ、そしてエレインの居住空間である。
エレインは目の前に並ぶ多様な菓子に舌鼓を打っていた。これらを持ち込んだ人物は、エレインの対面に座り、ニコニコと笑顔を見せている。
「リリスは流行りにも詳しいんだね」
「まあ、それなりにですね」
その人物は、かつてエレインを虐げていたパーティの元メンバーのリリスであった。
エレインとアレクの決闘の際、ギルドの手を借りようと奔走してくれたリリス。エレインが捕まった時も、証言を買って出てくれていた。エレインは、自らがウィルダリアへ降り立つことが出来なくなったため、せっかく仲良くなってきたリリスとの交流も、絶えてしまうと残念に思っていた。
エレインがダンジョンへ追放となり、1週間を過ぎた頃、リリスが《転移門》の魔石で突然70階層に現れた時は驚いたものだ。
「むぐむぐ、ふむ、確かになかなか美味ですね」
「あら、アグニさん、こんにちは」
「こんにちは」
エレインに会うために時折遊びに来るようになったリリスは、すっかりアグニとも打ち解けた。アグニもいつも美味しいお土産を持って来てくれるリリスを気に入ったらしく、ホムラに呼び出されない限りは同席している。
その時、ドォンドォォンと激しい地響きがした。
「今日は久々の挑戦者だから、ホムラさん張り切ってるね」
「そうですね、またボスの間がボロボロに破壊されますね」
部屋が揺れる度にびくりと肩を縮こまらせるリリスは、エレインとアグニの会話に頬を引きつらせている。まだホムラへの恐怖心は拭えていないようだ。
エレインの唯一の友人であるリリスが訪れることは、ホムラも黙認している。というより我関せずと言うべきか、基本的には顔を出さない。エレインはホムラなりに気を遣ってくれているのだと解釈していた。
「さて、ボクは少し様子を見て来るとします。ごゆっくりどうぞ」
「ええ、ありがとう」
一応ホムラの様子が気になるアグニは、一言断りを入れると、絶賛戦闘中のボスの間へと消えて行った。
アグニが居なくなったことを確認すると。
「それで!!その後どうなんですか?ホムラ様とは!」
「ど、どうと言われましても…」
リリスはガタンと身を乗り出して、キラキラ輝く瞳でエレインに迫った。エレインはというと目を左右に激しく揺らして冷や汗をかいている。
リリスは、迷う事なくダンジョンから飛び出してエレインを救いに向かったホムラが、エレインに特別な感情を抱いているのではと色めき立っているのだ。
「ほ、ホムラさんにとって私は…弟子だし、その…妹みたいな扱いっていうか、ね?」
目を泳がせながらそれっぽいことで誤魔化すエレインであるが、実際のところは少し違っていた。
(でも地上に降りて以来…なんだか、妙に優しいんだよね…)
修行中はもちろんビシバシしごかれており、鬼のような師であるが(「ホムラ様は鬼神ですから〜」と脳内のアグニが口を挟む)、魔法が成功したり、模擬戦で善戦できた時などは、
『やるじゃねぇか』
そう言って、目元を和ませて優しく頭を撫でて来るのだ。今までは乱雑に頭を揉みくちゃにされていたが、最近は割れ物を扱うかのような触り方で、撫でられるエレインの方がどぎまぎしてしまう。
「そうですか…つまらないですわね」
期待した話が聞けずに、リリスは露骨に不満そうな顔をした。そして、ふと思い出したかのように鞄の中から1冊の本を取り出した。
「ん?それは?」
エレインが問いかけると、リリスはふすーと荒く鼻息を吐いて答えた。
「これは今、ウィルダリアでとっても人気の恋愛小説です!是非エレインにも読んで欲しくて持って来ました」
「れ、恋愛小説…」
一方のエレインはリリスの勢いにに圧倒されていた。
(恋愛なんて今までした事ないんだよね…人を好きになる感覚が分からないのに楽しめるのかな?)
「楽しめます」
「えっ、エスパーなの!?」
「口に出てましたよ」
エレインは考えを見透かされたと驚いたのだが、どうやら無意識のうちに口に出ていたようだ。慌てて両手で口元を押さえる。
「特に、最後の壁ドンのシーンが素敵で…」
リリスはそのシーンを回想するようにうっとりと目を細めている。心なしか頬も赤く染まっているようだ。
「壁、ドン?」
エレインは初めて聞く言葉に首を傾げる。
「ええ!!殿方がヒロインを壁際に追い詰め、壁に手をドンっとついて迫るのです…!はぁ、何と胸が高鳴ることでしょう。私もいつか素敵な殿方と…うふふふふ」
リリスは、空想の世界に旅立つと、自分の身体を抱きしめてクネクネと身体をしねらせて悶えている。対するエレインは、少し考え込むと、ポンっと手を叩いて笑顔で言った。
「そっかそっか、昔に宿で泣いてたら隣の部屋の人に壁をドンドンされたんだけど、それとは違うんだね」
ふむふむと頷くエレインを、リリスはとても不憫なものを見る目で見ていた。
「まあ、ダンジョンでそんなロマンスは起こらないよ」
とエレインは手を振りながら言い放ったのだった。
◇◇◇
その夜、エレインは39階層で蟲型モンスターと闘っていた。
「いやぁぁぁ!気持ち悪いぃぃ!来ないでェェェェ!!」
39階層は雑木林と草原の階層で、ホムラからは火属性魔法を禁じられていた。そのため、エレインは風魔法を駆使しているのだが、中々どうして小さな的を捉えることができない。
作り出した風刃の気流に乗って、小刻みに羽を震わせる蟲達はヒラリヒラリと回避する。
(風魔法は相性が悪いんだ…ど、どうしよう…焼き払いたい…)
群れで迫り来る蟲達の羽音が恐ろしく、両耳を手で押さえながら危険な思想を抱えて疾走するエレイン。そんな中だがエレインは、ダンジョンで暮らすようになってから絶対に足が速くなった気がするな、と考えていた。完全に現実逃避である。
エレインを追っている蟲型モンスターは、手のひらほどの大きさであるが、数十匹で群れて獲物を仕留める性質を持っている。角のように鋭く尖った触角が生えており、その触角を細かく振動させることで味方や敵との位置関係を把握しているのだ。
(ひぃぃ、あの触角に刺されたら痛そう…ん?触覚…あ、もしかしたら…)
触角を見てゾワッと全身鳥肌を立たせながら、エレインはあることに思い至る。そして、思い切り前方に踏み出して、振り返ると同時に呪文を唱えた。
「《雷の矢》!!」
エレインの杖先から矢を形取った雷が走り、蟲の触覚目掛けて撃ち放たれた。蟲達は回避しようとするが、アンテナのように尖った触角に向けて雷が追従する。そして群れ全てを雷が貫き、蟲達は焼け焦げてパタリと地面に臥した。
「よ、よかったぁぁ…」
ホムラに言われた通り、火属性魔法を使わずに倒すことができた。敵の特徴を捉え、的確な魔法を選択する。恐らくエレインの観察眼を鍛える修行だったのだろう。
「うっ、帰ろう…」
涙に濡れた頬を拭い、エレインは帰還用の魔法陣が描かれた布を開くと、地面に転写してその魔法陣に飛び乗った。
背中に1匹の蟲がしがみついていることには気付かずにーーー
◇◇◇
「おっ、戻ったか?」
70階層に転移して戻ると、エレインの帰りを待っていたらしいホムラが出迎えてくれた。
「うっ、気持ち悪かったです…」
ホムラの顔を見て安心したエレインは、再び涙腺が緩みべそをかく。
「ったく、泣き虫なのは相変わらずだなァ」
ホムラが笑みを零してエレインに歩み寄ろうとした時、一瞬にしてその気配が張り詰めた。
「おい、おチビ!」
「へぁ!?は、はいぃ!」
鋭く呼ばれて思わず敬礼するエレインであるが、鬼の形相でズンズン迫るホムラの気迫に圧倒され、ジリジリと後退る。
「待て!動くな!」
「だだだだってホムラさんめっちゃ顔怖い…!」
いよいよ壁際まで追い詰められたエレインは絶体絶命だ。すぐに眼前に迫ってきたホムラが、拳を勢いよく振り抜いた。思わずギュッと強く目を瞑って痛みに備えるエレイン。
ドォォォォン!!
ホムラの拳はそんなエレインの頬をかすめ、壁にめり込んだ。拳を中心に、壁がビキビキとひび割れて、破片が地面に降り積もる。エレインは恐怖のあまり震えながら壁に全体重を預けて呆然としていた。
見上げるすぐ頭上には、ホムラのやや焦りが浮かぶ顔が迫っており、エレインの前髪にその吐息がかかる。エレインはびくりと身体をこわばらせる。ホムラはというと、ホッと息を吐いて静かに拳を収めた。
「…ったく、変なもん連れて来てるんじゃねぇぞ」
ホムラの拳が打ち込まれた壁には、39階層でエレインが追われていた蟲型モンスターが1匹めり込んで息絶えていた。知らないうちに連れて来てしまったようだ。
「あ……」
ホムラは、エレインに牙を剥こうとしていた蟲にすぐに気付いて仕留めてくれたのだ。
「気ィ付けろよ」
ホムラはそう言って、ポンとエレインの頭に手を乗せると、やれやれと先にボスの間の裏へと消えていった。
取り残されたエレインはぼーっと今起きたことを回想する。壁際に追い詰められ、ホムラが壁についた腕に閉じ込められた形になっていた。ホムラの骨張った鎖骨が眼前に迫り、見上げると吐息が掛かるほどの距離に凛々しい端正な顔立ちがあった。
そこでエレインはハッと思い当たる。
(あ…さっきのって、壁ドン……?)
何と言うことか、昼間に話題に上がった壁ドンとやらを早速経験してしまったらしい。
だがーーー
(お、思ってたのと全然違う…!!)
壁ドンをされると胸がドキドキ高鳴るのと蕩けた顔でリリスは言っていた。確かに、今、エレインの鼓動はドドドドと忙しなく動いている。だがこれはトキメキに由来するものではなかった。
ホムラがドンした壁は、既にしゅわしゅわとダンジョンの修復が始まっている。
エレインは遅れてドッと全身から汗が吹き出し、力無くその場にへたり込んだのだった。




