47. 覚醒
「ぐ、ぅっ…ガハッ」
ボタボタっとホムラの口から血が溢れ出す。
目を見開くエレインの視界は、ホムラの朱色の髪でいっぱいになっていた。
エレインを庇うように抱きしめるその脇腹には、アレクが振り下ろした短剣が刺さっている。咄嗟にエレインとアレクの間に割り込んだホムラは、アレクの攻撃をモロに受けてしまったのだ。
「ホムラさんっ!!!」
エレインは悲鳴のような叫び声を上げた。
(チィッ…ただの短剣じゃねぇな…毒か…あるいは呪詛の類か…)
どうやら、ホムラの嫌な予感は的中していたようだ。
「ごほっ」
「いやっ…ホムラさん…しっかりして…!」
エレインを強く抱き締めていた力が弛み、エレインにもたれ掛かるように崩れ落ちるホムラ。
エレインの瞳からは、大粒の涙が溢れる。
ホムラは頬を引き攣らせながら笑みを浮かべると、震える手でエレインの涙を掬った。
「…ったく、泣くなよ…ぐっ」
ホムラは苦痛に顔を歪ませる。エレインの目からは次から次へと涙が溢れてくる。
「いや、いやっ…ホムラさん…いやぁぁぁぁっ!!!」
必死で短剣の刺さった患部を抑えるが、ドクドク真っ赤な血が溢れ出して止まらない。短剣を抜いていないのに異常な出血量であった。あっという間にエレインの手は、ホムラの血で真っ赤に染まってしまった。
「あはははは!護るべき者があると、どんな強者だって弱くなる!弱みを突けば隙だって生まれる!!何と愚かなんだ!!ははははは!!」
その様子を少し離れた位置で傍観しているアレクは、お腹を抱えて笑っている。
ホムラは浅く息をしながら、アレクを睨みつける。そして、エレインに視線を戻した。段々と瞼が重たくなっていくようで、次第に目が細められていく。
「ホムラさんっ、ねぇ…大丈夫だよね?ホムラさんが、しっ、死んじゃうなんてこと…ひっく、無いよね!?」
エレインは必死にホムラに声をかける。片手でホムラの身体を支え、もう一方の手で冷たくなっていく手を強く握る。
「ったく、当たり前だろォ?俺を、誰だと思ってんだ…本当に、世話が…焼ける、ぜ…」
「いやっ、いやいや!ホムラさん!しっかりしてっ!」
フッと笑みを浮かべたホムラは、静かに瞳を閉じていく。
アレクの不快な笑い声が響く中、エレインはホムラを抱えて泣き崩れた。
その時ーーー
ホムラを抱えるようにして泣き叫ぶエレインの脳裏に、突如祖母の手記が浮かび上がった。
現実から意識だけが切り離される感覚に包まれる。遠くでアレクの笑い声や、自身の泣き叫ぶ声が反響している。
パラパラと手記のページが捲られ、一番最後のページで止まる。そこに書かれている内容は、解読時にエレインには読むことが出来なかった所だ。
だが、まさに今この時、その言葉が浮かび上がるようにして脳の深くに刻まれた。
『我らの愛すべき子ども達よ。地上で大切な人を守りたいと強く願った時、汝らの内に眠る我らの魔力が解き放たれるだろう』
どくん
エレインの身体の奥深くで、遠い遠い血が騒いだ。心臓が激しく脈打つ。魔力の波が押し寄せる感覚がする。
(そうだ…あの手記に書いてあったあの文字は、呪文だったんだ)
繰り返し読んで脳内に刻まれた手記の文字。今では脳内でページを捲るように手記の内容を再現できる。
エレインはこれまで読めなかった箇所が、パズルのピースが嵌まるように読めるようになっていた。
エレインは鼻を啜り、腕で乱雑に涙を拭うと、脳内に浮かんだ呪文を口にした。
「《増幅魔法》」
エレインが呪文を口にしたと同時に、身体から黄金の光が溢れ出した。魔力が渦巻き、天に向かって勢いよく伸びていく。
「ぐ…エ、レイン…」
地に臥したホムラが、エレインを包み込む黄金の渦に手を伸ばす。
渦が天に吸い込まれ、次第に落ち着いていく。星空には螺旋状に雲の跡が残っている。
渦の中から静かに現れたエレインの姿は、ホムラが知るものではなかった。
少し伸びた髪は風になびき、鋭く尖った耳は、ダンジョン上層深くに隠れ住むと言う、とある種族のそれと酷似していた。
閉じた瞳がゆっくりと開く。開かれたエレインの瞳は、金色の輝きを放っていた。
「お前…」
ホムラは驚きのあまり言葉を失っている。
エレインは溢れた魔力が身体に馴染んでいくのを感じていた。
修行では、少ししか己の魔力を増幅できなかったが、今、エレインの魔力は通常の3倍以上にも膨れ上がっていた。上限値を超え、漏れ出た魔力が金色の光となりエレインを包み込んでいる。
エレインは金色の瞳でホムラを見つめ、傷口を抑える手に自らの手を添えた。
「《浄化》」
「お…おお?」
すると、ホムラが黄金の光に包まれ、傷口からは真っ黒などろりとした靄のようなものが浮かび上がった。どうやら短剣には対魔の呪詛が刻まれていたらしい。呪詛の靄は光の中に溶けて消えていく。短剣も浄化の光に包まれて消失した。
「なっ、何なんだ…その姿は…」
一連の出来事を目を見開き傍観していたアレクが、乾いた声で言った。
エレインの放つ光がホムラの傷口を塞ぎ、ホムラの顔色に血色が戻っていく。
一命を取り留めたと確認が出来ると、エレインは笑みを浮かべてそっとホムラの頬を撫でた。そして、ゆっくりと立ち上がるとアレクに対峙する。
「……護るべきものがあるから弱くなる?いいえ、違う。人は、護るべきものがあるからこそ強くなるのよ!!!」
エレインがカッと目を見開くと、溢れた魔力により生じた突風がアレクを襲った。
「くっ、な、何なんだ…!?」
アレクは両手を前にして風を凌ぎながら、両足を踏ん張って飛ばされまいとする。
エレインが右手を前に突き出すと、何も無い空間から杖が姿を現した。エレインはその杖を掴み取ると、天高く掲げた。
「私はアナタを許さない。私の大切な人を傷つけたアナタを、絶対に許さない!!」
エレインの杖の先から豪炎が噴き出し、巨大な球体を形作っていく。みるみるうちにその体積を増し、家1軒がすっぽり収まる程の大きさへと成長していく。
大気中だけでなく、地中からも水分が蒸発し、地表は乾いてひび割れを起こしている。
「そ、それは…その魔法は…!」
アレクの顔からは血の気が引き、恐怖の余りガクガクと膝が震えている。
エレインが作り出した太陽のような熱の塊には、見覚えがあった。あの日、100人の冒険者を連れて、敗北を期したあの日見たーーー
「そう、ホムラさんに教わった、私が知る最強の魔法。極大魔法《爆炎》よ」




