22話 【先手4】キャンプ二日目
温泉から上がると、邪神の本来の拠点にしていた、山と湖のほとりのコテージへと移動する。
360度透明のガラスのクリアドームテントのようなコテージは、湖と山々の眺望があり、例によって管理が行き届いておしゃれで清潔だった。
「邪神さんのこのコテージもめっちゃおしゃれです。星を見ながら寝られますね」
「邪神様ってリゾートホテルを経営したら絶対流行りますよね……泊まりたいですもん」
「邪神リゾートですよ」
「名前が微妙ね……」
邪神は寝ないのに、何で来るか来ないか分からない利用者のためにそんなところまで気遣いが行き届くんだ……とイリアは疑問だ。
何者かが見ている中で無防備な状態でコテージに泊まるのは危険だと判断した邪神は、アウロラとイリアらに添い寝をして認識阻害の結界の中に匿っていた。
邪神としては全く疚しい気持ちはないのだが、川の字というか小の字の就寝でアウロラとイリアが喜んだのは言うまでもない。
「邪神さん、私達と一緒に寝てくださるなんてどんな心境の変化ですか? 私達といちゃいちゃしたくなったんですよね?」
「そんなわけがあるか」
アウロラは邪神にあわよくば腕枕をしてもらおうと、邪神の腕に首を載せようと頑張っている。
イリアは控えめに、恥ずかしそうに寄り添っているだけだ。
「偵察を警戒して側にいるだけだ。それ以上でもそれ以下でもない」
照れ隠しなどではなく、それが本心だった。
邪神は勘違いさせるような行動をとるのに、その行動の裏に全く感情が働いていないのでずるいとアウロラは思う。
「偵察って、また神殿の誰かですか?」
「人間ではなさそうだ。今、正体探っているが……向こうも手練だ。一筋縄ではいかない」
「魔物ですか?」
「俺を欺ける魔物はいない」
この世に自分より強い者は存在しないと嘯いていた邪神だが、手こずっているとなると何者だろう。
アウロラは少し不安になって、彼に寄り添う。
「今夜は、いつもは言えないとっておきの打ち明け話をしましょう。皆で必ず一つずつ話題を持ち寄りますよ」
「アウロラほど面白いネタなんて多分ないよ」
イリアは先に降参する。
「では私からいきます。私、邪神さんが好きです」
「知っているが?」
邪神にたった一言興味なさそうに返されて、話は終わってしまった。
「アウロラ、バレバレだから打ち明け話にならないよ」
「イリアも告白しておいたほうがいいんじゃないの?」
「わ、私も邪神様のことお慕いしています」
イリアもついでに告白してしまった。
「それも知っている。どれだけ思われても、ただただ迷惑でしかない。あんたらだって昆虫に好かれて嬉しいか」
アウロラにそそのかされて思わず口を滑らせ、イリアも撃沈した。
邪神に感情がないので、恋愛が成立しない。
「昆虫によりますね。蜂なら嫌ですがカブトムシなら嬉しいです」
「あんたはまた、ずれてんな」
「毎日のように夢を見るんです。邪神さんが更生して、普通の神様として皆から慕われている姿を……」
アウロラの夢の中では、邪神は人々に愛され、慕われて、彼も幸福そうにしているのだった。
そういう世界線があればどんなによかっただろう。
「こんな素敵な邪神さんを私達だけで独占するの、勿体ないです。毎朝、今日は何が起きるんだろうって楽しくて仕方がないんです」
「俺は人間に好かれたいと思っていないし、人前にも出るべきでない」
「終末を引き起こす邪神さんなんですもんね。でも終末までは、人間と仲良くしたっていいじゃないですか。皆、きっと喜びますよ。ここ何千年も、神様が現れたことなんてないので」
邪神はひとつため息をついて、またいつもの蘊蓄を始める。
「宗教とは共同体や社会の結束を強化し、協力を引き出す。人間が手段生活をするうえで必要だったのだろう、殆どの大きな人類集団が宗教を持っている。死や疫病、飢饉や不運、不合理などの責任を、姿の見えない神に押し付け、ならず者には規範を強いることもできるしな。だから神は見えないほうが人間にとって都合がいい。神話は都合よくできている。俺は宗教上の神とは程遠い存在だ。あまり神格化するな。俺はもう疲れた。ただこの世界を管理し、滅ぼす。そういう役割を持った生物でありシステムなんだ」
目を閉じながら宗教を否定し自虐する神に、アウロラはどこか哀愁を感じる。
アウロラたちがいなくなったあとも、彼はそんなふうに誰にも頼らず、誰とも関わらず、ただ一人で、不死身の体で、何の価値があるともしれない仕事だけをしながら永遠に生きてゆくのだろうか。
朝に晩に、人々は思い思いの神々に祈る。
彼が一目でも姿を現してくれたら、それは人々にとって希望となるはずだ。
しかし、彼は人々にすがられることを負担に思っている。
「そんなお辛い仕事をしていらっしゃるのに、年単位でも終末を延長してくださってありがとうございます」
イリアは邪神が確約した、束の間の平安に感謝する。
「邪神さんが幸せになるにはどうすればいいのでしょうか」
アウロラはしみじみ思う。
感情を持たない、器用すぎる、不死身の彼にとっての幸せとは……?
「邪神様、窓の外にきれいな星が見えているので星の話を聞かせて下さい」
「長いがいいのか」
「構いません!」
「星座の神話がいいです」
邪神は宇宙の始まりから星の成り立ち、恒星の歴史などについて語る。
それは、宇宙創造の頃から生きている邪神の、長い長い昔話でもあった。
星座の神話に差し掛かった頃には、リクエストをしたアウロラが寝ていた。
「『神聖なる光の集会』で学んだ神話と全然違います」
イリアは衝撃を受けていた。
職能神たちは、あまりにも人間に都合よく神格化されすぎていた。
「俺の話のほうが正しい。何しろ今話した登場人物全員を俺は知っている」
「ですよね……」
受け入れがたい話だった。
神殿の教義の殆どが、神々の行いを都合よく解釈した人間による創作だったなどと。
神の怒りに触れて噴火したと聞いていた火山も、悪徳や頽廃によって滅んだ街も、ただ自然の振る舞いであり、職能神たちには何の意図もなく、関与すらもなかった、などとは。
「俺たちは人間に罰をくだしたりしない。世界には興味があるが、人間には興味がないんだ。ただの偶然の出来事だ」
「全ての現象に、神様のご意思があるのだと」
神の顔色を伺うことに意味はないと邪神は切って捨てる。
「あんたたちは、神を意識しすぎだ。神に媚びへつらわず、もっと気楽に自由に生きろ」
邪神が語り終える頃には、イリアもすでに穏やかな眠りについていた。
「……というわけだ。寝たか」
邪神の蘊蓄は必ず聞き流されてしまう呪いにかかっている。
邪神は無視されても不快になることもなく、二人に布団をかけて書き物をしながら夜を過ごした。
◆
二日目。
コテージのクリアガラスドームに爽やかな朝日が差し込む。
鏡のように青く穏やかな水をたたえた湖面に反射する夜明けの色は透き通って美しく、青からオレンジ、そしてピンクへと染まってゆく。
鳥たちは目覚め、さえずり、新しい一日の始まりを告げる。
邪神に優しく肩を叩かれて、プリズムのような光の中、アウロラとイリアは起こされる。
「おはようございます、邪神様」
「今朝は登山ですね!」
「ほら、顔をふけ」
アウロラとイリアに、アロマの香りのするホットタオルを差し出す。
「いい香り! 気持ちいいです」
邪神は外でチーズ入りのエッグホットサンドを焼いているところだ。
スモークサーモンのサラダも拵えている。
「朝ごはん、作ってくださったんですね」
「俺は寝ないし暇だからな」
邪神は先ほど切り出しておいた大きな丸太を持ってきて二人を座らせ、朝の美しい湖を眺望させながらホットサンドと挽きたてのコーヒーを渡す。
理想の眺望に、理想の朝食だ。
「体力がどれくらいあるか分からんうちは、登山というよりトレッキングにしておけ」
「トレッキングと登山て何が違います?」
「登山は山頂を目指すが、トレッキングは目指さない山歩きだ」
「折角なら見晴らしのいい山の山頂でお昼にしたいです」
登山は体力を要求するので、事前の体力向上が不可欠だ。
筋力もだが、持久力を身につけておかなければならない。
もし登山をするときは標高の低い山を選ぶべきだとか、ルートを計算して何時間で着くか登山計画を立てろだとか、色々説明をしている。
「あの標高800メートルの山にあんたらが登るのに何時間かかると思う?」
「1時間ですかね」
「あんたらの足なら3時間から5時間だ。下りの時間も、その半分以上かかる。休憩なしでだぞ。今日も工程が目白押しなのに、7時間以上も登山で使っていいのか?」
「登山なめてました」
「見通しが甘かったです」
ホットサンドを食べながら、二人は反省の弁を述べる。
アウロラがどうしても山頂にこだわるので、山の7合目ぐらいまで邪神が運び、山頂を目指すといったコースに切り替える。
これで往復二時間ほどのコースに短縮できる。
「あんたらが寝ている間に靴を作っておいた」
寝ている間に足のサイズを採寸し、寝ている間に靴を作る。
セクハラ寸前で若干気持ち悪さもあるが、まさに神技だ。
「勝手に採寸するなんてえっちですね……まさか私の下着もそうやって採寸しましたか?」
「ウェストは寝ている間に測った」
「邪神さんのえっち!」
邪神は一応アウロラに平手で叩かれておいた。
「アウロラ。あんたはバーベキューのときに21センチだと言っていたが、22センチだったぞ。次回から靴を選ぶ際に気をつけろ」
邪神は色々と細かった。
「登山用のトレッキングシューズを作った。登山の際には岩場や足場の不安定な場所を歩くことになる。足首までカバーするハイカットの靴にしておかなければ、足を捻挫する。ソールの柔らかい靴を履いて登山を行うと疲れやすいし、防水性能がなければ足が濡れて消耗することになる」
邪神はアウロラとイリア一人ひとりにトレッキングシューズ、防水服、バックパック、帽子、手袋、登山杖、地図、コンパス、飲料水、照明具まで一式揃えてくれている。
「何か、すみません……アウロラが登山したいと言ったばかりにこんなに用意してくださるなんて」
イリアは申し訳なさすぎて謝罪だ。
アウロラもここまで準備されるとは思っていなかった。
アウロラは手ぶらで登山する気満々だった。
これでは接待登山である。
「山をなめるなよ。一つの判断ミスで遭難するし、救助など来ないんだからな。さらに野生動物や魔物に遭ったらどうする」
過保護な邪神が同行してくれるので、むしろ救助隊つきで登山するようなものだ。
彼の献身のおかげで、いまいち山の恐ろしさが伝わらない。
こうして接待登山が始まった。




