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有子姫と真海姫を回収:身体編


 月日は遡って。

 一年前の八月三十一日の話。

 場所は長崎市陰洲鱒町。

 潮干ミドリが蛇轟の生贄にされた日の夜のこと。

 丑三つ時。

 ふか

 鰐恵わに めぐみ橦木朱美しゅもく あけみ野木切鱏子のこぎり えいこの三姉妹は、ミドリが生贄として海へと飛び込む様子を町の市街地にある三姉妹の自宅から、遠いながらもその姿を見届けたあと就寝していた。まるで我が娘を失ってしまったかのように“しばらく”はショックを受けていたが、いつものように翌朝には起きて出勤して仕事を始めなければと考えを切り換えて明日のために職場の皆のためにもと睡眠をとった。ここで、鰐恵の三人の娘たちであるが、長女の頬白ほほしろと次女の夢香ゆめかは蛇轟秘密教団施設内で生活を送っていて、そして三女の愛香あいかは未成年者であるがゆえに母のめぐみと一緒に生活をしていた。ここは二階建ての日本家屋で、鰐恵の生家でもあった。こうしてときたま三姉妹の都合がそろったときに、一緒に生活する日もある。これとは別に自宅を持つ鱏子えいこは、双子の娘たち鱶美ふかみ鱏美えいみと生活をしていて、肉屋の梶木に出勤するのを見送ったりしていた。同じく自宅を持つ朱美も、息子と娘の三人で生活をしていたが、成人を過ぎたときに子供二人は教団施設内で暮らすようになってしまった。そしてこれは、鱏子の双子の息子の鱏之助えいのすけ鱶蔵ふかぞうも例外ではなく、彼らも成人を過ぎたころには教団施設内での生活を送るようになっていた。朱美の息子の朱勇あけおと娘の朱火ああけびも、先の子供たちと同じく教団で生活をして、その仲間たちと用心棒稼業も続けていた。彼女ら三姉妹の子供たちは、それぞれの父親たちの強い遺伝を受けていたという前提もあるが、なによりも人魚としての強い洗脳教育を刷り込まれていたことが原因で、母親でもあるこの三姉妹となかなか反りも話しも考えも合わないままできていた。

 以上、このふか三姉妹の事情はこの辺にして。

 三姉妹は日常生活と本日のことも合わせたことからくる疲労により、いつも以上に熟睡していた。恵の末娘の愛香は別室で寝かせて、三人は布団を姉妹仲良く並べて川の字になっていた。庭の虫たちの羽音の鳴き声が響いているのみといった、夜の静寂の心地好さで、睡眠を促進していたわけだ。と、そんななか

 ポタ、ポタ、ポタ、ポタ。

 そう一定間隔と一拍を置いて落ちる水滴の音が。

 畳に当たって最小のしずくになって弾け飛ぶ。

 ポタ、ポタ、ポタ、ポタ。

 その落ちて砕け散る場所は決まっていた。

 めぐみの枕元である。

 枕元に立つ影が動いたのだろうか?

 滴の位置が移動して、恵の枕の横に落ちていく。

 そして水滴は、恵の頬に落ちて当たった。

「う……ん……?」

 頬を痙攣させて、夢の世界から引き戻されていく。

 瞼をピクピクさせながら、ゆっくりと開けていった。

 そのとき。

「ひっ……!」切れ長な黒眼が見開いた。

「しっ……!」

 息を飲んで悲鳴を必死に押し込んだ恵に、枕元の影が口もとに人差し指を立てた。それは水に濡れた、ウェーブのかかった長い黒髪の女。月の光を受けて、女の瞳は緑色に輝いていた。枕元の女が、口もとから人差し指を外していき、めぐみに話しかけていく。

 小さく息を吐きながら、挨拶してきた。

「おはようございます」

「ミっ……! ミドリ、ちゃん?」

 途端に、恐怖の中に安心感が入り交じってきた。

 この質問へ、枕元の女は笑みを見せて答えていく。

「はい、そうです。私です」

「どどどどどどう、いう、こと……?」

「まあまあ、とりあえず、起きてください」

 濡れた黒髪のまま、潮干ミドリは笑顔で頼んだ。

 次に、気持ち良さげに寝ている美女二人を指差して。

「あちらの美人たちも起こしてもらっていいですか?」

「別に……、いいけど……」

 と、いまだに目の前のミドリを受け入れ難いまま、めぐみは寝起きの渋い顔で了解した。


「ミドリちゃん? 化けて出てきたの?」

「早く幽霊になるほどに、想いが強かったのね……」

「いや。いやいやいやいや。生きてます生きてます。い、き、て、ま、す」

 朱美あけみ鱏子えいこの悲しげな表情から発せられた言葉に対して、ミドリは顔の前で手をブンブンと振って否定した。最後は、歯を剥いて生きていることを強調した。眠たげなまなこで、全裸の美しい娘と話し始めていく美人三姉妹。敷いている布団の足元で、丑三つ時に女四人が座布団に横座りしていた。改まったミドリは、正座をして太腿に軽く握った拳を乗せて、三姉妹に軽く会釈していく。

「えー、改めまして。潮干ミドリ、生きて帰ってきました。ーーーせっかく寝ていたところを叩き起こしてしまって、大変申し訳ありません」

「あのー、ミドリちゃん……。頭の“ソレ”、取ったら?」

「え? ああ。これね」

 恵から指摘されて、頭に被さっていた濡れた黒い物体を外したミドリは、ソレらを丁寧に三つ折りに畳んで座布団の隣に置いた。黒く長い物が取れたとき、黄金色の髪の毛が月明かりを反射して、キラキラと星のように光を放っていった。ミドリのこの一連の動きを見ていた恵たち姉妹は、笑いをこらえていた。潮干ミドリ、再び深三姉妹を見て。

「改めまして。寝ていたところを叩き起こしてしまって、申し訳ありません」

「いいえ」眠たいながらも、目じりが下がる恵。

「いいのよ」朱美も目の前の娘の可愛さに和む。

「いいよいいよ、そんなに気を遣わなくても」

 そして、鱏子えいこも気持ちが和らぐ。

 これらの反応に、ミドリは嬉しさと感動に沸き上がる涙を堪える表情を一緒に浮かべた。これを引っ込めたそのあと、軽い深呼吸をして。

「潮干ミドリ、私は生贄の儀式から無事生還してきました。なので、今後もいつもと変わらないよう付き合っていきたいので、よろしくお願いします」

「はい、よろしくお願いします」三姉妹が会釈。

「さっそく本題に入ります」

「どうぞ」と、鱏子。

「本日、あなた方三姉妹のもとに来たのは、折り入って重要な頼みごとがあったからです」

「なにかしら?」朱美の問いに。

「過去に生贄にされた、有子さんと真海の身体を回収して。今から一年間だけ彼女たちを匿ってほしいのです」

「へ? 有子ちゃんと真海ちゃん? 回収?」

 ミドリの言葉が飲み込めない恵。

 朱美と鱏子もこれに同じだった。

「あの子たち、生きてたの?」

「え? なんなん?」

 三連続してきた質問を、ミドリは落ち着いて返していく。

「そう。そうなんです。それが生きていたんですのよ、奥さま!」

「しっ!」恵から人差し指を立てられた。

「そうでした……」小声で会釈するミドリ。

「ごめんなさい。愛香が起きてしまうから」

「あらー。んじゃ愛香ちゃんの“きゃわいい”寝顔を見てから出ようかな」

「私の娘に手ぇ出さないでね?」

「娘さんのバージンは私が守ります」

「それもうエエから、よ本題に移って」

「それなんですが。ーーー六月に海中を泳いでいたらですね、有子さんと真海が渦の捕らわれていたので私はお祖父さんの手を借りてその中から助け出したんです。それから今まで彼の家に預かってもらっていたので、そろそろ引き取ろうかなと思っていたところでして」

「お祖父さんて、安兵衛さん?」鱏子の疑問に。

宮崇龍クスル

「は? え?」三姉妹仲良く目を見開く。

「預かってもらっていた家が、龍留家ルルイエ

「あのー」朱美が、ゆっくり挙手。

「ああ、手短に要件を伝えたいから、私の出生の件は後回しでお願い」

「さいですか」と、恵。

「というわけで。明日の都合が良い時間に引き上げて、二人の身体を匿ってほしいのです。どこかの隠し部屋か座敷牢か、なんか、こう、人様が入るには億劫になりそうな感じのところでお願いします」

「座敷牢はアカン」恵の突っ込み。

「じゃあ、余っている部屋で」

「結界を繋げば問題ないわね」朱美が答えた。

「できるんですか?」

「まあ、それほど重い難しいっていう妖術じゃないからね。ただ、一年間維持することを続けなきゃならないのは、決して軽いことではないのよ」

 重く難しい妖術ではないというのは、恵にとってはである。

 あと、この三姉妹にとっても難解ではないらしい。

 そして、最後のひと言で釘を刺しためぐみ

 これにミドリは。

「それなら、お三方でその負担を分ければどうでしょう?」

「せやな」と、鱏子が姉二人を見る。

「やってみようかしら。ね?」朱美は微笑んだ。

「まあ、悪いことじゃないし」恵も笑みを浮かべた。

 この三人の了承に、ミドリは緑色の瞳を潤ませていった。

 畳に手を突いて、深々と頭を下げていく。

「ありがとうございます……。ありがとうございます……!」

「ああ……! ミドリちゃん、そんなにしなくていいから」

「頭上げて。頭……!」

「ミドリちゃん、顔を上げて……!」

 感化された恵と朱美と鱏子も瞳を潤ませながら、目の前の娘の行為を制止していく。ゆっくりとおもてを上げていったミドリは、再び三姉妹の顔を真っ直ぐと見つめていった。次に、艶やかな唇に人差し指を立てて。

「このことは、しばらくは私たち四人の秘密に」

「え? 海馬みまうしおに知らせちゃいけないの? 聞いたら喜びそうなのに?」

「駄目です」

 恵の疑問を、ミドリは跳ね返した。

「世間一般と教団と院里学会には、私たち三人は死んだものと認知していてほしいから」

「大きく出たわね……。身内にも隠し通すくらいに」

 ミドリの計画に、恵は頼もしげな笑みになった。

 ところが。

「あ。えー、と。母さんたちには先に顔を出してきました」

 後ろ頭を申し訳なさげに掻いていくミドリ。

 これに三姉妹は。

「はあ?」

「えぇ……?」

「嘘やん……?」

 恵、朱美、鱏子。と、順にリアクションを見せた。

「いの一番に身内に会うのは当たり前じゃないですか」

「いや……。そう、だけど……」歯切れの悪い鱏子。

「あなた今、四人の秘密言うてなかった?」困る朱美。

「説明してくれないかな?」呆れる恵。

「いいですよ」微笑むミドリ。

 かくかくしかじか。

 これこれしかじか。

「ああ。ありがとう。それは会って当然よね」

 こう微笑んで納得した恵は、妹二人に顔を向けていった。

 その朱美と鱏子も、姉の顔を見て頷いた。

 ミドリが嬉しそうに、ピシャリと胸元で手を叩いた。

「あは。良かった」

 それもそうだが。

「あのさ、ミドリちゃん」

「はい?」

 恵の呼びかけに「ん?」という表情になる。

「ああ、もう。可愛ええな」

「本当にね」

「可愛ええなあ」

 恵と朱美と鱏子は、目じりを下げていった。

 というか軌道修正しないと、明け方になってしまう。

 恵たちは、咳払いして切り換えた。

「あのね、ミドリちゃん。あなた、どうして裸のままだったの? あと、頭に若布わかめ昆布こんぶを被っていたのはなんで?」

 代表して質問してきた恵に、ミドリは鈍色の尖った歯を見せた。

「いやあー。じんちゃんに会ったあと泳いで市内に渡ろうとして飛び込んでだいぶん進んだところで、恵さんたちに頼むことを思い出したんですよ。慌ててUターンしてきたときに着いちゃったの」

「へ、へー。それは思い出して良かったわね」ー甚ちゃんて誰や? ひょっとして、斑紋の甚兵衛君のことか? てか、お前他にもひとり会っとったんかい。ーー


 ということで。

「私の頼みを受け入れてくれて、ありがとうございます」

 再び、ミドリは深々と頭を下げていった。

「この行動には、大変お金がかかることは承知しています。だから、このお礼は必ずします」

「その必要はないのよ」と、恵。

「え? どうして?」

「私たちの友達の娘を助けるためだもの。これは銭勘定どうのこうのじゃないわ」

 と、こうお互いに顔を見合せて納得したいった三姉妹。

 この答えに、ミドリはついに目から涙を溢れ出させていった。

「ありがとう……! ありがとう、ございます……!」

「ああ、もう、ミドリちゃん。泣かないで」

「おばさんたち、こういうのに弱いのよ」

「ミドリちゃん。頑張ってきたのね……」


 このあと、ミドリを見送った三姉妹。

 そして翌日の夕方、鰐恵が有子と真海の身体を発見。

 玉蟲山の海岸線に流れ着いていたところを、恵は引き上げて、二人の身体を丁重に拭いてあげたあと愛車のトランクルームに乗せて、陰洲鱒フェリーに乗って市内に渡り、思案橋繁華街にある『CLUB LUNA LION FISH』の五階に上がって資材置き場の部屋に入った。肩と腕に担いでいた黒い大袋に入った娘二人を床に“そっと”下ろしたのちに、細く長い人差し指で壁を指していく。

「洞穴水域」

 そう呟き、恵の人差し指が壁に向けて長四角を描き終わったとき、壁の色と同じ色の扉が現れた。銀色のドアノブを回して引いたら、そこには資材置場部屋と同じアイボリーホワイト色の壁に囲まれた八畳分の部屋であった。黒い大袋を二つ入れたあと、周囲の人気ひとけを確かめてドアを閉めて入り、袋から娘二人を出して、とりあえずは壁に背中を預けさせて床にベタ座りしてもらった。用心して部屋から出入りしていきながら、恵は愛車に積んであった自宅では使わなくなった敷き布団と掛け布団を二セットを担いで運び、再び結界の部屋に入ってその真ん中に布団を二つ敷いていく。そして娘二人を丁重に寝かせて掛け布団を掛けてやり、基本的な準備は整った。冷蔵庫や流し台にトイレ、運動器具などの生活必需品は翌日か翌々日に仕入れて準備すれば良い。

 娘二人の愛らしい寝顔を見ながら、恵は微笑んだ。

「おかえりなさい。そして、今から一年間だけの辛抱よ。そうしたら、お母さんたちに会えるからね。待っていてね。その間は、おばさんたちと頑張ろうね」




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