事の顛末:摩魚姫、暗闇の青緑から生還する編
1
以下、事の顛末。
それは、八月を迎えた日まで遡る。
はじまりは、長崎大学の構内からだった。
海原摩魚は、その日は久しぶりに瀬川響子と榊雷蔵と会って話しができるということで、嬉しさに浮き足だっていた。そして実際、待ち合わせをしていた護衛人の二人の顔を見れて喜んだ摩魚が、先導するかたちで長崎大学の構内を二人に話しかけながら歩いていた矢先に、虹色の共鳴を感じて身体の変化に思わず足を止めた。己の身体に出現した虹色の鱗を確かめるために、二人にひと言断ったあと、摩魚は女子トイレに入って自身の肩を見ていった。それは、美しいまでに偏光と輝きを持った滑らかな虹色の鱗に、摩魚はこのときばかりは安心して気が抜けていたらしく、出入口のときに感じていた不快な二つの気配を忘れていた。摩魚が外れて二人になったところで、雷蔵と響子は大きく手を振る摩周ホタルと合流する。
大学校舎の出入口で背を預けて待っていたとき。
「お久しぶりです」
「久しぶりです、摩魚さん」
約束の時間通りにきた雷蔵と響子から声をかけられて、摩魚は思わず笑みがこぼれた。
「久しぶりです。こんにちは」
それから二人を先導して、摩魚は歩いていた。
「今日はね、響子ちゃんと雷蔵くんが来るのを楽しみに待っていたんだ」
「それはどうも、ありがとうございます」
と、足を進めながら会釈した雷蔵。
今の摩魚は、気分が乗って嬉しかった。
心なしか、足どりも軽い。
そんなウッキウキな“姫様”の背中に、セミロングの艶やかな黒髪をミドルのポニーテールにしている響子から話しかけられた。
「あたしたちが送った資料にあった、生贄になった女の子たちの中に、あなたと親しかった人たちがいると聞いたから」
「ええ。私の知っている限りのことは、全部話すよ。有子さんと真海ちゃんと、そして、ミドリちゃん」
最後の娘の名前を言ったとき、肩のあたりが再び疼いた。決して不快ではない痒み。だがこれは、出現が強く感じる。目の前の景色が、一瞬だけ虹色のフィルターがかかり、ややつり上がった切れ長な目をしばたいた。続いて、ちょっと痛みの走っていくのも覚えた。これはちょっと、“いつもと違う”ぞと思い、摩魚は足を止めて後ろの二人に振り向いた。
「ごめん。今から少しだけ御手洗いに行ってくるから、近くの壁で待っていてね」
「ええ、どうぞ。いってらっしゃい」
「いってらっしゃい」
好印象な男女二人から笑顔で見送られて、トイレを目指した。それから少し経って、その二人の目の前に車椅子でやってきたのは、長い黒髪の美しい女性であった。大きく手を振りながら車椅子を走らせてきた。
「響子さーん、雷蔵さーん」
「あらー。ホタルちゃん」
「おー。お疲れさん」
そう名前を呼ばれて、響子と雷蔵は笑顔で出迎えた。
構内一階女子トイレ内。
洗面台の鏡の前で、海原摩魚は自身の肩をはだけていた。
高校生になってから以後、摩魚の気持ちに合わせるかのように現れては消える虹色の鱗。だが、決して不快なものではなかった。それは、人のことを思ったり、人のためを思って行動を考えているとき、人のために己の身を使おうとしたとき、主なこの三つを基本にして巡らせたときに現れるのが虹色の鱗と虹色の光であった。そして、摩魚はこれを十六歳を迎えたときからなんとなく理解はしていた。己の身に起こる、これら虹色の出現を、摩魚は不可解なものではなく尊いものであるとも分かっていた。分かってはいたが、これが、現れる私は果たしてこれに値するほどに相応しい者であろうか? ひょっとしたら、これは人以上の存在の者に相応しいのではないか? などの思いも必ずついてきた。そうしてさらに、摩魚はこの虹色の光の力の使い方をほぼ知っていた。幼少のころから妹の“みなも”と一緒に母親に武道を学んでいたことも大きい。潮干ミドリと初めて知り合ったのは、お互いが高校生のときで、摩魚がチアリーディングの高校大会に応援にきていたときだった。はっきり言って一目惚れであった。それはミドリも同じ。二人は相思相愛になったのだ。以降、摩魚とミドリは連絡を取り合い、ときには保護者代理に付き添ってもらっての海水浴に一緒に行ったりなどの楽しい高校生時代を過ごした。そんな仲むつまじい二人が疎遠になった時期があり、それはすでに地元長崎市で芸能活動をしていたミドリが東京へと旅立って帰ってくるまでの三年以上関係が開いた。やがて、愛する人と再会したときには、摩魚は嬉しさのあまりに飛びついて泣いた。その彼女の様子はまるで、“女”のようであったという。再会してからの二人は、当然のように付き合いだしていったわけで。しかし、高校生のときとは変わって当たり前のように大人の付き合いになる。そうして、摩魚はミドリと初めて肉体的な関係を持った。ひと足早く“オトナ”になっていたミドリに、摩魚は遅れをとりながらも彼女に追いつき、対等な関係になった。摩魚は、以上のことを思い出したりしていた。それは、ミドリが生贄としてその身を消したあとも、摩魚の彼女に対する想いは決して変わることがなかった。
―ミドリちゃんを思い出すごとに、この鱗が出てきたりしているなあ。本当に、どこ行ったのかなー。私、あなたがいないと淋しいよ。――
そして、ここに隙が生まれた。
「このクソ女! 死ね!」
後ろの個室トイレの扉が音を立てて開いて、両手を突き出した片倉祐美が鬼の形相で飛び出してきて、摩魚を突き飛ばした。黒い感情の気配に気づいて振り向いたときはすでに遅く、肩と胸を両手で力強く突かれて吹き飛び、後頭部を洗面台の鏡に打ちつけて割ってしまい、その破片で頭の後ろを切って出血して倒れこんだ。
大きな破壊音を聞いた雷蔵と響子が駆けていったときに、トイレの出入口から片倉祐美と深沢文雄の逃走する姿を目撃した。同時に、出入口から飛び出してきた祐美と文雄をホタルも目撃。そして、この日、磯野フナこと鯉川鮒の許可を得て摩周ヒメは浜辺亜沙里を連れ出していた。それは、妹の摩周ホタルと一緒に三人で温泉プールへ泳ぎに行くためであった。そしてそのヒメと亜沙里が異変の音を聞きつけて、常人の筋力と瞬発力の数倍の身体能力を発揮して、構内を走ってきた女二人は女子トイレ前で待機していたホタルに案内されて小走りに室内に入っていく。するとそこには、頭の後ろから大量出血して横に倒れいた海原摩魚と、その彼女を介抱している雷蔵と響子の三人を発見。そんな摩魚の体位というのも、横向きで自身の右手を枕にして左脚をあげてその膝を直角に折って身体の支えにしているという形である。
「亜沙里ちゃん、ヒメさん」
二人に気づいた響子は、黒い瞳を潤ませていた。
介抱していたポニーテールの彼女の肩に、亜沙里がそっと手を置いた。
「響子ちゃん、榊の兄さん、ありがとう。摩魚は私が看ておくから、あなたたちは彼女に酷いことをした奴らを捕まえてほしい」
「二人とも立派な応急処置よ。ここは亜沙里ちゃんに任せて、私たちは犯人を捕まえましょう」
鋭い眼差しで、雷蔵と響子に指示を出したヒメ。
そして出入口のホタルからは。
「さっき救急車を呼んだわ。私は車両の到着を外で待つから、摩魚さんのことは心配しないで思い切り追っかけてちょうだい」
パールホワイトのスマホを見せて、四人に笑顔を向けた。
これらの様子を見た雷蔵が、口を開いた。
「よし。捕まえるぞ」
「うん!」
口を強く結んで、響子も同意して立ち上がった。
そして、女子トイレから飛び出してきた雷蔵と響子とヒメの目線の先には、ブロンドヘアーの黒いマントと黒いワンピース姿の娘がイカのような触手の右腕を真横に伸ばして、三人に声を投げた。
「犯人は二手に別れて逃げたよ! 私とヒメさんは“こっち”! そこの二人は“あっち”をお願い!」
と、その反対方向に腕を向けて、雷蔵と響子に頼んだ。
「誰? 可愛い」響子の問いに。
「タヱちゃん。ミドリちゃんの妹なの」
ヒメが簡潔に説明した。
それから、追跡人員が四人に増えて、各々がペアに別れて二班になり、片倉祐美と深沢文雄を現行犯逮捕するために構内とキャンパスを走り回った。
再び構内一階の女子トイレ内。
摩魚を介抱している亜沙里の横に、いつの間にか潮干ミドリが現れていた。
「ひえっ!」
蒼白になり声を上げた亜沙里。
これは当然の反応だった。
私が見ているのは、幻覚なのだろうか?
友達が大怪我している姿に、私はテンパっているのか?
「ミミミ、ミドリ」
「驚かして、ごめん。私は私だよ」
亜沙里に笑みを向けて、ミドリは声をかけた。
その姿は、外出着なのか、お洒落であり美しかった。
幽霊でも見るかの如く、亜沙里は頬を痙攣させて引きつった笑顔で言葉を返していく。
「生きて、いたの?」
「うん。私は死んでいない」
「良かった…………!」
なんか知らんが、生きていた友達の姿に、亜沙里は安心した。
「切ったけれど破片は刺さっていないみたい」
ミドリは、ひとつ呟いて。
「亜沙里。トイレットペーパーをできるだけたくさん巻き取ってきて、お願い」
「分かった」
目的を理解して頷き、出入口の一番手前の個室からトイレットペーパーをたくさん巻き取ってきて友達に手渡した。ミドリは「ありがとう」と微笑んで受け取り、摩魚の後ろ頭の傷口に当てていく。
「意識がない……」
声を震わせて、ミドリが呟いた。
僅かな沈黙をしたのち、再び話していく。
「彼女……。摩魚ちゃんはね、無限の光を持っていて、それを放ち続けているの。私には“それ”に限りがあるけれど、摩魚ちゃんには無いの。彼女と初めて知り合った高校生のときから、そのときから無限の光を感じていたんだ。とても眩しいんだけど、心地よい眩しさなんだ。しかし、半分人間じゃない私はね、光を受け続けないと本当に“ここ”から消えてしまう。だから、摩魚ちゃんや亜沙里たちの七人と一緒にいることで、私は力を強めたり使ったりできていたの。同じ年齢、近い年齢、このあたりが私にはとっても相性が良くて、あなたたち七人にも返すこともできていたんだ」
「ミドリ……。泣いているの……」
心配そうに、友達の横顔を見る亜沙里。
ミドリの語りは続く。
「摩魚ちゃん、亜沙里、真海ちゃん、有子さん、ホタルちゃん、タヱちゃん、玲子ちゃん。…………私にとって、みんな強くて尊い光なんだ。でもそれが、その光が次々と失われていって、弱まって崩れていってる……。それなのに、それなのに、私はなにもできなかった。そして今もまだなにもできていないの。そうしているうちに、今度は亜沙里、あなたの光が不安定に点滅し続けているんだ。そんな中で、今は摩魚ちゃんの光が消えはじめている。無限だった彼女の光が、暗闇に飲まれて消えはじめているんだ」
「それって、死にかけている。ということ?」
「そう」下唇を噛みしめていく。
「私たちにできることは、ない?」
「あなたは彼女に呼びかけ続けて。お願い。私もそうするから」
「分かったわ。ーーーひとついい?」
「どうしたの?」
「せっかくこうして会えたのに、いつか消え去るって本当?」
「本当よ」
「なんでだよ。ミドリと私は、小さなころからの仲だったじゃん。そんな仲が続けられなくなるってのが私嫌なんだけど。私と摩魚の前からいなくなったら許さないんだからね」
「うふふ。ありがとう。ーーーあなたが友達で良かった」
「こちらこそ」笑顔で返す。
猫のように愛らしい幼馴染みの友達に、ミドリもほほえんだ。
そして、いまだに瞼を開かない摩魚へ緑色の瞳を向けた。
「私は、“ただ”では消えない。なにもしないままで消えたくない。今の私にある分だけの光を注ぎ入れて、摩魚ちゃんを呼び戻してみせる」
そうして、緑色の瞳を金緑色の光から虹色にへと変化させていき強くさせて、頭を支えている腕からも虹色の光を生み出して、それは摩魚の全身を包んでいった。
ー私は、あなたが消えるのが嫌。私は本当は摩魚ちゃんの前から消えたくないけれども、あなたのためなら私の全てを使ってでも助けたい。摩魚ちゃんの代わりになら、私が消えても構わない。だから、お願い。みんなの前に還ってきて!ーー
それから、ミドリと亜沙里は摩魚へと呼びかけていった。
一方そのころ。
構内とキャンパス敷地内を逃走していた祐美と文雄。
摩周ヒメと潮干タヱのペアから追いかけられていた片倉祐美は、しまっていたシャツの襟元から院里学会の銀色の十字架を出して、同じ物を首にぶら下げている複数の在校生たちへと呼びかけていった。
「私の“同志”! “友達”! 後ろの不届き者から私を守ってちょうだい! お願い、協力して!」
この叫びにより、たちまち学会員の在校生たちからの通せんぼや群がりなどの、いわゆる肉の壁の妨害に遭いはじめたヒメとタヱ。これらの人集りに、稲穂色の瞳の目と鈍色の尖った歯を剥いていく女二人。
「あーー、もう! 邪魔!」
「どいてください! どけ!」
榊雷蔵と瀬川響子のペア。
成人男性では比較的小柄で細身の深沢文雄を追跡していたところ、逃走していた文雄が上着の襟元から銀色に輝く院里学会の十字架を取り出してかかげた。
「僕の“同志”と“友達”! 後ろから追っかけてくる汚れた二人の足止めに協力してほしい! 頼む!」
この呼びかけとともに、学会員の在校生たちやその教授たちの目の色が変わり、片倉祐美のときに見せた肉の壁がはじまっていった。急に人混みと往来が増える、といったもの。黒い瞳の目と白い歯を剥いていく雷蔵と響子。
「あーー、くそ! 邪魔!」
「どいてどいて! どけって!」
女子トイレ内に戻る。
潮干ミドリは、いまだに意識の回復をみせない海原摩魚へ浜辺亜沙里と一緒に呼びかけ続けていた。ガーゼやタオルの代わりに使用しているトイレットペーパーが、早い感じで赤く濡れて染まっていく。
「ごめん、亜沙里。個室に予備のナプキンない?」
「見てくる」
素早く立ち上がって、全ての個室を順に確かめていく。
いくらは予想していたものの。
「うそー。なんでないのー」
眉を寄せて、亜沙里が愚痴った。
そんなときである。
「私の使ってください」
様子を確認しに戻ってきた摩周ホタルから、三つばかりの女性用生理用品が差し出された。これに驚く亜沙里。しかし、ホタルにはミドリの姿が見えていないようだ。ナプキンを受け取りながら、亜沙里は礼を返していく。
「ありがとう、ホタルちゃん」
「どういたしまして。ーーー血の臭いが尋常ではなかったので、だから私、少しでも出血多量で彼女が死ぬのを防ぎたくてこれを」
「分かったわ。あなたの使わせてもらうよ」
「お願いします」
会釈したホタルは、再び玄関へとハイテク車椅子を走らせていった。車椅子の友達の背中を見送ったのちに、亜沙里はミドリへナプキンを手渡した。
「これ、ホタルちゃんから」
「ありがとう。助かったわ」
こう微笑んで受け取ったあと、ミドリは生理用品を広げて摩魚の後ろ頭の傷口に当てていく。そして再び、亜沙里にトイレットペーパーをできるだけたくさん巻き取るように頼んで、それをもらって傷口の上に重ねた。
鼻を啜りながら、ミドリは意を決した。
「摩魚ちゃんが今いるところに行って、引き戻してくる」
「できるの?」心配そうに聞いた亜沙里。
「できるわ」決意を込めた笑みを向けたミドリ。
2
暗い暗い青緑の世界。
海原摩魚は、今この世界をゆっくりと歩いていた。
終わりがあるとは思えない、どこまでも広がる暗い青緑。
地上と空を分ける地平線も見当たらない。
だいたい、丸いのか平面なのかも不明である。
それは、今まで摩魚が触れたことのなかった世界。
いったい、どのくらい歩いただろうか。
不思議と疲労やストレスを感じることがなかった。
眠気すら頭の中から生まれていない。
そのときであった。
まばゆい虹色の光とともに、潮干ミドリが現れた。
「やっと見つけた!」
「ミドリちゃん」
好きな人を見れて、摩魚は嬉しくなった。
しかも。
「あれ? 水着?」
「泳ごう!」
明るい笑顔で呼びかけたミドリの格好は、上下ビリジアングリーンのビキニ水着。嬉しそうに摩魚の手を取って、引いていく。これに戸惑っていく摩魚。
「泳ごうって……。私、“かなづち”なんだよ! だいいち、ここがどこなのかも分からないの」
「大丈夫。ここは今から海辺になるから」
好きな人の手を引いて駆けていきながら、ミドリは楽しそうに声をあげた。すると、瞬く間に、暗い暗い青緑の世界から一変して鮮やかな青緑の海がどこまでも広がる世界になった。景色が爽やかに変わったのと少しあとに、摩魚の姿も上下ロイヤルブルーのビキニ水着のなっていった。
鈴の鳴るような声を、横からかけられた。
「摩魚ちゃん、久しぶりね」
「真海ちゃん!」
横を向いた、そこには。
赤い瞳と艶やかな長い黒髪と、摩魚よりも高い身長が特徴的な美しい女性が、柔らかい笑顔で話しかけてきた。
「“ここ”は、あなたが来る所じゃないわ」
「そうだぞ、姫様」
と、次は反対側から大人びた声で話しかけられた。
声の方向に顔を回した摩魚は、またも驚く。
「有子さん!」
それは、黄緑色の瞳を持った三角白眼が特徴的な、稲穂色の長い髪をした長身の美人。
「だから、今から私たちが姫様を自力で“元の世界”に還れるように協力するんだよ」
ミドリが引いていた手を放して、摩魚も足を止めた。
黒い瞳が涙で潤みはじめたとき、金緑色に偏光して輝いていく。
やがてそれは、頬を伝い鮮やかな青緑色の海面に滴り落ちていった。伝い落ちる涙を、手の甲や手のひらまたは指で拭い、摩魚は声をあげていった。現実の世界ではないとはいえ、こうして泣いたのは高校生のとき以来だったかもしれない。
「私……、このまま、みんなと一緒に、いたい……! せっかく、こうして、会えた、んだもの……! 元の世界に、戻る、なんて、嫌だよ……!」
「ああ……、もう。摩魚ちゃん。あなたが“そんなこと”言っては駄目。私たち八人は、まだ生きている友達がいるのよ」
鈴の鳴るような声で、真海は眉を寄せて笑みを向けて“姫様”に話していく。
「私と有子さんは死んじゃったけれども、他の仲間は生きているのよ。泣かないで、お願い」
「いなくなったのは、あなたと有子さん、ミドリちゃん、なんだよ……! 玲子ちゃんと、亜沙里の光が、点滅している、し……。私が、好きな、人たちが……、次々と消えていっているん、だよ……!」
泣きじゃくる摩魚の頭を、有子は撫でて話していった。
「しょうがない姫様だなぁ。ーーーそんなあなたに、ひとつ教えてあげよう。目の前にいるミドリはね、まだ生きているんだよ」
「え…………?」
涙を伝わせながら、摩魚は顔をあげて前に立つ女を見た。
申し訳なさそうに、小さく手を振るミドリ。
「生き延びました」
「嘘……、本当……?」
やや吊りあがった目を見開き、流れる涙も止まっていく。
真っ直ぐと駆けて、ミドリに抱きついた。
「良かった! 本当に良かった!」
「ありがとう」
優しく微笑んで、摩魚の後ろ頭を愛おしそうに撫でていく。
ほどほどに撫でたあと二の腕を掴んで摩魚を優しく引き離し、ミドリは不敵な笑みを見せた。
「全員死なせない。死なせてたまるものか。ーーーそして、有子さんと真海ちゃんは生きているんだよ。生きていないけど生きている。深い深い海の底を漂っていた二人をね、私は見つけて神殿に確保してあるの。誰も近づけない場所だから、大丈夫」
「私と真海が、生きている?」
有子が不思議そうな顔を浮かべて、聞いた。
その真海も、有子の顔を見たあと、ミドリに向けた。
目の前の摩魚も、飲み込めない表情を見せていた。
「生きていないけど生きているから大丈夫。心配ないわ」
構わず説明を重ねていくミドリ。
「二人の魂と肉体が潮の流れによって分離してしまってね、その身体は今、親しい人たちに大切に確保されてお世話を受けているんだよ」
「は?」三角白眼を見開いた有子。
「じゃあ、今ここにいる私と有子さんは、なんなのかしら?」
困った感じで聞いてきた真海。
ミドリが疑問に答えていく。
「精神体」
「?」
「精神体」
「なにそれ?」
「私もよく分からないんだけど。魂とはまた別物みたいなんだ。しかし、有子さんと真海ちゃんがこうして現れる以上は、まだ“死んでいない”ということだと私は考えたから、行動しているの。だから、いずれかは二人も引き戻して、また友達を続けていきたい」
「あらあら。せっかく寝ていたところを叩き起こされそうね。ーーーねえ、有子さん」
稲穂色の髪の美人に、真海は笑顔を向けた。
「まだまだ私を引っ張り回すつもりかい? 困ったお嬢さんだ」
そう言いつつも、有子は照れくさそうに頭を掻いていく。
二人の言葉を受けたミドリが。
「そういうこと。だから私たち八人の光を絶やさないためにも、有子さんと真海ちゃんにはもっともっと生きてもらわないとね。ーーーそして、今一番危ないのは、あなた、摩魚ちゃんなの」
「え? 私?」
自身を指差す“姫様”。
「そう。あなたは今、頭に大きい怪我を受けて死にかけている、とっても危険な状態なんだ。だけど、私はそんなのは嫌だしもう見たくもないから、私の光を使って“あなた”を“元の世界”に還す。そのために、ここまで来たの」
「言いたいことは分かったけれど。どうやってするの?」
「そりゃもう、摩魚ちゃんに“ここ”で“かなづち”を克服してもらうしかないのよ」
「え?」
「腕っぷしとお酒は強いけど、泳ぎはてんで駄目。だから今から私たちの前で克服してもらって、自力で光の元に帰るんだよ。私の出す光は、あくまでもゴールの目印。あとは摩魚ちゃんしだい」
「ええーー!」
「大丈夫。あなたは私たちの中で一番無限の光を持っているから、飲まれた闇の中でも消えずに灯火として残っていたの。だから私は摩魚ちゃんを探し出すことができた。その素晴らしい光に、もっと自信を持って」
というわけで。
とりあえずは、まず練習から。
両手を取って、摩魚に泳ぎ方を教えていくミドリ。
「そうそう。無理せずに顔を上げて、息を吸って。手でこうして掻き分けて、足を互い違いに上下に動かして」
「ぶはあっ!」
鼻と喉に海水が入る。
視界も覆われて、ちょっとパニックになる。
「がはっ! げほ! うわあ!」
バランスを崩して、ミドリから手を放してしまって浅瀬の砂に腹と顔を打ちつけた。流れる海水と砂に顔を完全に覆われて、恐怖する。手を突いて起き上がった。
「うわあああ!」
「摩魚ちゃん!」
「摩魚!」
「姫様!」
驚愕していくミドリと真海と有子。
肩を貸して立たせて、両肩に手を乗せたミドリ。
「ごめん、摩魚ちゃん。怖かったね」
「いいの、ありがとう。ーーー私は最強……。私は最強……」
「…………え?」
「私は、できる……。私は、できる……。かなづちなんか、屁の河童よ……。克服してやるんだから……」
「そ、その意気。その意気だよ!」
「“かなづち”に負けてなるものか! 私は勝つ!」
「ゴーゴー、摩魚ちゃん! ファイトオー、摩魚ちゃん!」
それから、ミドリのコーチのもとで摩魚は泳ぎ方を学んでいった。
それから。
「はあ! はあ! はあ!」
目をギンギンに見開いて、摩魚は大きく呼吸をしていた。
ミドリが手を叩いて喜んでいく。
「凄い凄い! さっきより、かなり泳げるようになったよ!」
「えへへ。どう? 私も、やれば、できる、でしょ……!」
息も切れ切れで歯を見せた摩魚。
「あと、もう少し、練習すれば………………」
「よし! 準備オッケーね!」
ミドリからの無情なひと言。
歯を見せて得意気に笑っていた。
泳ぎの練習を手伝ってくれていた二人に会釈する。
「有子さん、真海ちゃん。ありがとうございます。助かります」
「いいってことよ。可愛い友人のため。当たり前だよ」
「そうね。友達の成長を手伝えるのと見守れるのだから、こんなに嬉しいことはないわ」
二人からの快諾を得て、ミドリは微笑んだ。
この三人のやり取りを見ていた摩魚は、驚きに口を“あんぐり”と開けてアホヅラになっていた。
「いやいや、いやいやいやいや。ちょっとタンマちょっとタンマ! 私まだ、じゅうぶんじゃないんだけど!」
戸惑い驚愕していく摩魚に、ミドリは眼差しを鋭くした。
「あなた、死にかけているんだよ。その『あと少し』というところが良い塩梅だと思ったから、今からが本番だと判断したんだ。ーーーだから、自力で泳いで“私たち”の元に帰るのは今しかないんだよ」
「…………ミドリちゃん…………」
この気持ちを受けた摩魚は、決意の眼差しを見せた。
「私、泳ぐよ」
この答えに、ミドリと真海と有子が頷いた。
そして。
「よーーし! 気持ちが出来しだい、はじめるよ!」
足の付け根まである海面に立っていたミドリが、嬉しそうに声と拳を上げて遠くに立つ“姫様”にへと呼びかけていった。ミドリの両側に立つ真海と有子も、“ここ”では当然のごとく水着姿になっていた。真海は、超ミニのフリルスカートが付いた赤紫のワンピース水着。有子は、ちょっとハイレグの入ったキャメルイエローのワンピース水着。摩魚の立ち位置はというと、砂浜から近い、足の付け根まで海面に浸かるほどの深さ。先に立つ女三人と変わらない深さである。距離的には、だいたい二十五メートルくらいか。
「私、摩魚ちゃんに戻ってきてほしいから、あなたのやる気をさらに出すようにギャラリーを増やすね!」
そう言ったミドリが、指を鳴らした途端。
三人の両側にさらに二人ずつ増えた。
「ああ! タヱちゃん! 玲子!」
と、有子の驚く反対側でも、真海も同じ驚きをしめしていた。
「あら! 亜沙里! ホタルちゃん!」
そう、ミドリが新たに出現させたのは、親しい友人と妹。
端から、黄肌玲子、潮干タヱ、黄肌有子、潮干ミドリ、海淵真海、浜辺亜沙里、摩周ホタル。その二十五メートル先に出揃ったのは、海原摩魚と親しくなった友人たちと愛する人であった。これを見せられて、テンションが上がらないという方がオカシイのである。よって当然、摩魚の気持ちとやる気が高揚した。
「ああ……。ああ……! み、みんな!」
鼻から口もとを両手で覆って、歓喜に打ち震えていく。
涙は出ない。当然だ。
けれど、黒い瞳は潤んで波打ち輝いていく。
それはやがて、瞳の中に闘志の炎を宿した。
口もとから両手を下ろし、力強く拳を握っていき。
唇を強く結んだ。
「私、今から“そっち”に戻る!」
「それでこそ海原摩魚だよ」
笑顔を向けたミドリは、このように返した。
“姫様”、天高く挙手。
「海原摩魚! 行きます!」
「ヨーイ、ドン!」
ミドリの号令とともに、手刀が海面に振り下ろされた。
これを合図に、摩魚は両手と指先を切っ先のように伸ばして海面に飛び込んだ。鮮やかな青緑色の海面が左右に割れて、荒々しい大小さまざまの白い泡が飛沫をあげた。目標の三分の一ほどの距離を、両手を突き出したまま海中を突き進んでいく。そして、緩やかな傾斜をつけて海面に上昇していった。
「ぶはあっ!」
大きな息継ぎと同時に海上に顔を現せた摩魚は、慣れないながらも、ミドリから教えてもらった息継ぎを実践していき、足を上下交互に動かして両手を広げて海水を掻き分けて浅瀬の向こうに立つ七人を目指していた。あと、残った三分の二の距離を行けば、親しい愛しい皆のもとにたどり着くことができる。
ミドリが呼びかけていく。
「そうそう。慌てず、ゆっくりとあなたのペースで私のもとに来てね」
「摩魚、頑張って!」
「その調子その調子!」
「もう少しです!」
「ファイト、オー! 姫様!」
「摩魚ちゃん、あとちょっとよ!」
「レッツゴー、摩魚さん! ゴーゴー、摩魚さん!」
亜沙里からタヱへホタルと続いて有子と真海と最後は令子のそれぞれが声援を送っていく。視界が上下に激しく大きく動いていくものの、中央に位置するミドリへと近づいていくのが分かってきた。両手をいっぱいに広げて、摩魚を出迎えるかたちをとる。
「摩魚ちゃん、あと少し!」
緑色の水着のビキニパンツが目の前に迫った。
そして、ぶはっ!っと大きく息を吐いて片腕を伸ばした。
ミドリも応えるように片腕を伸ばして、手を掴んだ。
「やったじゃない! おめでとう!」
「ありがとう! ただいま!」
ー泳げた。私、泳げたんだよ!ーー
身を起こして、ミドリへと抱きついた。
「大好き!」
「私も大好きだよ!」
そう返して、摩魚の身体を優しく抱きしめた。
ー私、泳げた! もう、“かなづち”なんかじゃない!ーー
3
場所を再び、長崎大学構内の一階女子トイレ内に戻す。
海原摩魚が、薄く目を開けた。
「……ミドリ、ちゃん……」
「良かった。戻ってきてくれた」
愛しい人の帰還に、緑色の瞳を潤ませていく。
「ミドリ。様子はどう?」
と、まるで猫のような輪の加わり方で、亜沙里が入った。
「タオルで押さえているけれど、相変わらず血が止まらない」
先ほどホタルから提供された生理用品だけでは出血は治まらなかったらしく、少し前に、心配して見にきた摩魚と同学年であり同じ歴史研究サークルに所属研究活動している石神里美からタオルを提供してもらった。虹色の光の力を使って、愛しい人を無事帰還させたまでは良かったのだが、どうしてか血は止まることはなかった。しかし、当初の勢いは弱まってきていたようで、先の生理用品と今のタオルを使ったことは幾分かは効果があったということか。
友の必死な姿に胸を締めつけられて、亜沙里は心配して声をかけた。
「泣かないで。もう少しで救急車が来るから」
そんな友と愛しい人の様子を、薄く開いた目で追って見ていた摩魚は、頭を優しく支えてくれている美しい女に話しかけていく。顔中に、小さな脂汗を吹き出していた。体温も低下していたようで、身体に弱いながらの震えも覚えてきた。
「ねえ……。ミドリちゃん、亜沙里。私に、なにが…………」
「摩魚ちゃん。あなた、個室から出てきたあの“パパラッチ気取り”から突き飛ばされて、そこの鏡に後ろ頭をぶつけて切ったのよ」
緑色の瞳を潤ませながら、腕の中の“姫様”を見た。
そしてその答えに、摩魚は納得していく。
「あーー…………。どーりで…………」
突き飛ばした犯人は分かった。
長崎大学のパパラッチ気取りこと、片倉祐美。
ということ、は。
「つかぬことを、お聞き、します、が……。ここは、ひょっとして、キャンパスですか?」
「ああ、もう。摩魚ちゃんったら」
潮干ミドリを涙目で困らせた、そのとき。
「そうだよ」
浜辺亜沙里のナイスアンサー。
便乗してくれたあと、亜沙里は言葉を続けてきた。
「あのね。あのポニテのチビが摩魚を突き飛ばしたあとにすぐ隣の個室からヒョロガリ眼鏡野郎が飛び出してきてね、仲良く一緒に逃げて行ったんだよ」
「へ? まさか、深沢……君?」
「そうそう、深沢機器の御曹司の深沢文雄君」
鈍色に尖った歯を剥き出して嫌悪感丸出しにして、亜沙里が在校生の名を答えてくれた。
「盗撮野郎が出てきた個室にね、カメラが仕掛けてあったんだよ。御大層に三脚でおっ立てて。USBも抜かれていてさ、抜け目ないよね」
「最悪」
「最悪だよ」
嫌悪感丸出しの摩魚の感想に相づちを打った亜沙里のあとに、ミドリが口を開いてきた。
「その逃走した盗撮カップルをね、響子ちゃんと雷蔵くんとヒメさんとタヱちゃんが追っかけてくれているわ。挟み撃ちして確保できたらいいけれど」
本当は今ごろ、雷蔵と響子に会って三人で話していた。
潮干タヱはなにしに来ていたのだろうと疑問に思い。
摩周ヒメについては、すぐに察しがついた。
「……ホタルちゃん、部活して、いたんだ……」
「ふふ。彼女、今は救急車を待ってくれているわ」
「…………嬉しい…………」
こみ上げてくる物に胸が詰まって涙が溜まってきた。
「おえっ!」
物理的に胸が詰まって、本当にナニかがこみ上げた。
さらに嗚咽を二回。
ミドリが彼女の背中を“さすって”いく。
「摩魚ちゃん。吐いて」
「そんなこと、したら、あなたの、スカーフ、汚れちゃう……」
「いいから、吐いて!」
「おえええ!ーーーゲホッ! ゲホッ!ーーーおえええ!」
「よし。偉い偉い」
「うう……。うええ……」
「ほらほら。泣かないで」
「そう言う、ミドリちゃん、も……。ふふ」
「お互い様だね」
なんと綺麗な笑顔であろうか。
摩魚を“この世”に連れ戻すために、使った光の力は計り知れない。それゆえ、ミドリの顔色は多少血色の悪い、青白い感じになっていた。
話しは前後するが。現行犯逮捕しようとして追ってくれた四人は、結果的には盗撮カップルから逃げられてしまったそうだ。意外と多い在校生の中を、縫うように追って走ることは大変だったと思う。とくに摩周ヒメと潮干タヱは陰洲鱒町生まれの特有の筋力と瞬発力を私たち常人の数倍を持っているゆえに、彼女たちは“それ”をフルパワーにして走りたかったはずであろう。そして、在校生と教授たちには院里学会の学会員が多い。要するに、片倉祐美と深沢文雄の呼びかけた“協力者”たちから、追跡の邪魔をされたと瀬川響子と榊雷蔵と摩周ヒメと潮干タヱは悔しげに感想を洩らしていた。
「こっちです! このトイレに怪我人がいます!」
摩周ホタルは入り口まで救急隊員たちを案内してくれた。
摩魚と亜沙里の二人を指差して、状況を把握させてくれたそうだ。駆け寄ってきた隊員たちに、摩は早々と抱えられていく。
「この方ですね。怪我の具合は、どんな感じですか」
「彼女は、そこの洗面台の鏡で後頭部を深く切っています。詰まり物を、あるていど吐かせました。あとはよろしくお願いします」
「そうですか、ありがとうございます。あとは私たちに任せてください」
ミドリの説明を受けたあと、担架に乗せられた摩魚は、ホタルに付き添われながら救急車に移されて、見送られていった。このとき一緒に乗って手を握っていたのは、亜沙里である。
途端に摩魚の視界が暗転。
多分、安堵からきたものだろう。
ここで摩魚の意識は途絶えた。
4
竹の久保町にある病院に向かう道中。
救急車内で摩魚の手を握っていた亜沙里へ、若い女性医師が質問をしてきた。
「あの。先ほどまでいた、金髪の綺麗な人はどうしました?」
「消えたみたいですよ」
「消えた?」
「はい。ーーーでもまた、現れてくると思います」
と、微笑んだ亜沙里。
そして、竹の久保町のとある病院に到着。
救急車の開けた後ろから担架で運ばれてきた我が長女の姿を見た海原家の面々が、驚き駆け寄っていく。母親の海原慶子をはじめに、父親の徹哉と次女の“みなも”はそれぞれ声を浴びせていった。
「摩魚!」
「摩魚!」
「お姉ちゃん!」
車内から降りた亜沙里が、海原家の三人と目を合わせたあとに頭を下げた。そして、友人の家族に加わり着いていく。それからこの後、摩魚は緊急手術と輸血を受けて、身体的の一命を取り留めた。このとき摩魚に血液を提供したのは、七月後半の二週間前から榊雷蔵の家でお世話になっていた有馬虹子であった。養子である摩魚は、海原家の三人とは血液型が合わなかったために、彼女の実の妹の虹子が呼び出された。主に来訪してきたダゴンの奉仕種族『深き者』や地元の荒神『螺鈿様』などの子孫が島の半数以上を占めていたために、陰洲鱒町の生まれの者の血液は一般世間の人よりも特殊であったゆえに、虹子は雷蔵から連絡を受けた。上は赤色の薄地の七分袖のサマーニットシャツに、下はゆったり仕立て加工のデニム生地ズボンという部屋着で、シャインレッドの愛車を病院まで飛ばしてきた虹子。そして、この美しい女の登場に、海原家を含めて亜沙里その他の病院勤務の医療従事者たちが驚いていた。それは、有馬虹子は名前と性別を伏せての漫画家をしている他にも、この長身と美しさを使ってのモデルをして名を知られていたからである。両耳から下がる、太さ一ミリ径八〇ミリのゴールドのリングピアスを揺らして、虹子は愛車を降りて皆の集まっているところまで駆けてきた。マットなライトレッドの口紅を引いた唇を開いての、第一声。
「有馬虹子です。ここに運ばれてきた、海原摩魚の実の妹です。輸血に協力させてください!」
「え!?」
一同驚愕する、海原家の三人と浜辺亜沙里。
続ける虹子。
「そこのご夫婦から姉を引き取ってもらった、私の母親が有馬鱗子です。母ともども感謝しています。よろしくお願いします」
「ええーー!」
この驚愕する四人に、男性の担当医師と女性看護士が加わった。
そうして、海原摩魚の緊急手術と輸血は無事成功を迎えた。




