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女神ハイドラ戦本戦:身体奪還編


 1


 ということで。

 雷蔵と精神体ミドリは浜ノ町商店街でデートしていた。

 ダークシルバーの車は商店街の駐車場に停めてある。

 離れたところから、響子とタヱがついてきていた。

 商店街の大きな十字路から右に曲がって、とある洋服屋に二人は入っていく。婦人服専門店だった。雷蔵はハンガーにかけてあるいくつもの衣服に目配せをしていきながら、隣でくっ付いて一緒に歩いている黄金色の髪の美女に聞いていく。

「ミドリさんは、普段着ってどういうの着ていたんだ?」

「薄いくすんだ緑茶色のブラウスと、深緑の膝丈スカートだよ」

「あるかなあ……」

「似たようなものなら、あるでしょ」

 こう微笑んで「雷蔵さん。ちょっとだけスマホ貸して」と借りて女性店員のもとへ駆け寄って、手を後ろに組んでたずねていった。

「すみません。こういった組み合わせの服がほしいのですが、ありますか?」

 と言って後ろから出したスマホの画面には、普段着姿のミドリの写真があった。雷蔵のUSBには入っていなかったはずだが。いったいどうしたのか。画面の自撮り写真で鏡の前でポーズをとっている黄金色の髪の美女を見た可愛い女店員は、「あー。それなら、二階にありますよ」と笑顔になって二人を案内していった。

 階段を上がり終えて。

 ミドリからスマホを返してもらった雷蔵が聞く。

「どうやったんだ?」

「えへへ。スマホの下の穴に指を入れたんだよ」

 親指と人差し指で輪っかを作った右手に、左手の人差し指を出し入れていくジェスチャーを見せた。これに動揺を見せる雷蔵。

「やめんか」

 二人のやり取りを見ていた可愛い女店員が、顔を赤くしていた。

「ここ、こちらにご希望の服があります」

「あら。ありがとう。あなた可愛いんですね」

「ありがとうございます。そういうあなたこそ、潮干ミドリさんに似ていますね」

「わあ、嬉しい。よく彼女に似ているって言われるんですよ! ありがとう」

 顔の前で軽く手を叩いて合わせて、ニコッとした。


 後方からついてきていた響子とタヱ組。

 あるていどは一定の距離を保っておかないと精神体ミドリが消えてしまうので、端からだと尾行にしか見えないかたちであるが要になる二人を見失わないようにしていた。同じ婦人服専門店に入って様子を伺う。

「あの二人、けっこういい雰囲気ですね」

「意外とね。さまになっているよね」

 遠目から雷蔵と精神体ミドリを見ての感想。

「ハイドラ、現れてくれるでしょうか」

「神社なりお寺なりのパワースポットに行ったら現れるんじゃないの?」

 すると。

「ぐぬぬ……。私という女がありながら、あの二人……」

 突然聞こえてきた怨み節に響子とタヱは顔を向けて、驚愕した。

 ーいた!ーー

 銀髪の女神。ハイドラ出現。

 銀色の尖った歯を剥いて、仲良しな雷蔵とミドリを見ていた。

 タヱが声を小さくして隣のポニーテールの女に語りかけてきた。

「思っていた以上に“せっかち”すぎやしませんかね」

「早すぎだよね」


 即席カップル、雷蔵と精神体ミドリに戻る。

 邪魔者の乱入なく無事に希望の普段着を購入。

 お代は雷蔵持ち。

「ありがとうございました!」

 先ほどの可愛い女店員から笑顔で紙袋を渡された。

 即席カップルの二人も笑顔で受け取る。

「可愛い彼女さんですね。大切にしてください」

「きゃあ。もう、お上手ですね!」

 頬を赤くしたミドリがレジの女店員に手をヒラヒラとさせた。

 次は小さく手を振っていく。

「ありがとう。また来るね」

「ありがとうございます」

 そう雷蔵も礼を言ってミドリと店を出る。

 相変わらず人通りの多い観光通り商店街を、二人は歩いていく。

 紙袋を手に下げて歩きながら、ミドリは嬉しそうにしていた。

 隣で歩く好青年に腕を絡めていく。

「ありがとうね、彼氏。下着まで買ってもらっちゃって」

 悪い気はしないので、雷蔵も隣の美女を見て微笑んだ。

「取り戻したときは、裸なんだよな」

「そうそう。どうせ新しく着るなら、生贄になる前に私が普段から着ていた好きな服が良いのよ。幸い、同じのがあって良かった。ーーーうふふ」

「なんか本っっ当に嬉しそうだよな」

「だって、デートは摩魚ちゃん以来だし。雷蔵さんは良い友達だし」

「そりゃ嬉しいな。良かった良かった」

 あははと笑ってミドリと歩調を合わせる。

 一緒に歩く雷蔵に緑色の瞳を流して口角を上げた。

「今度は、私が彼氏の服を買ってあげたいな」

「ん?ーーーああ。まずは君の依頼を解決して、次に陰洲鱒関係の依頼が全て終わってから。それからだな。機会は君に任せるよ」

「嬉しい」

 ニコッとして身体を密着させた。


 後方支援の響子とタヱ組。

 雑踏の中でもなにかと見映えの良い雷蔵とミドリ組を斜め後方から見ていた二人は、ちょっとばかり気の抜けた顔をしていた。お互いに歩調を合わせながら、響子から口を開いていく。少しだけ頬が赤いか。

「ミドリ可愛いんだけど。羨ましいなあ。雷蔵、隣かわってくれないかなあ……」

「私もです。あんなに可愛い姉さんを近くで見れるなんて、雷蔵さんが羨ましい……」

 タヱも同意見だった。



 2


 場所を移動して。

 諏訪神社。

 あれから雷蔵たち四人は車を走らせてここにきていた。

 婦人服専門店で目撃したハイドラは、どこかに消えていた。

 神社の立体駐車場の一番下の階に停めて、坂をのぼって広場へと足を運んでいく。ここから石の階段をさらに上がっていくと、本殿があり、お賽銭箱やら御守りの売り場などなどがあって人で賑わっていた。しかし、目的は通称「おくんち広場」での女神ハイドラとの戦闘である。ここでも雷蔵とミドリ組、響子とタヱ組の二班に別れていた。班別にミドリとタヱが“おみくじ”を引いて、姉は小吉、妹が大吉と出した。凶ではなかったことに喜んで広げて見せていたところを、雷蔵から急に手首を掴まれて腰に腕を巻かれて抱き寄せられたミドリは赤面していく。

「か、彼氏……! ここでは恥ずかしいよ……」

 と言った矢先、青年の気配が変わっていたことに気づく。

 緑色の瞳を上げて顔を見ると、雷蔵が鋭い目付きになっていた。

 目線の先を追うとしたら、頭から小声が降ってきた。

「シッ……。今は後ろ見るな。あの銀髪がハイドラか」

「形は、どんな感じ?」

「背格好は君と変わらない。顔立ちも似ている。そして、分け目が反対側だ」

「間違いない。ハイドラだわ」

 警戒している雷蔵とは対称的に、ミドリは頬を赤く染めていた。

 なるべくなら、破壊は避けたいと考えていた雷蔵。

 ミドリの手首を放して両手を肩に乗せた。

「俺に近づいてくる。君はじっとしててくれ」

「わ、分かった」

 男の鍛え上げられた分厚い胸板と鎖骨と喉が至近距離。

 友達として好意を持った年上の男だと言っても、上着越からでも分かる筋肉の隆起と汗ばんだ首筋は、二十代を迎えたばかりのこの黄金色の髪の女には刺激が強かったようで。そのような熱を持ちはじめたミドリの背後へ、銀髪の女神の声が聞こえてきた。意外と声は全くの別人で、ミドリの気持ち低音で可愛さはあるが落ち着いたやわらかい声と違って、ハイドラのは年季は入っているが美人を連想させる年齢不詳な声といった、“二人”の違いがあった。

「誰よ、その女。怒らないから顔を見せてちょうだい」

「だったら、もう少しこっちに来てくれるか?」

 雷蔵は口もとを微笑ませて返していく。

 境内を行き交う人々を縫うように、ハイドラが近づいてくる。

 銀色の瞳は、雷蔵と後ろを向けた精神体ミドリを捕らえていた。

 銀色の尖った歯を見せながら、艶やかな唇を開く。

「潮干タヱは、どこよ? あなたについてきてみたけれど、いないみたいじゃないか。ーーーそれと、ミドリもいないじゃん。なに、その黒い髪の女? 誰なんだよ?」

 黒い髪の女?

 この言葉に、雷蔵は疑問に思って精神体ミドリを確かめてみた。

 すると、ちょっと不安げな顔をして上目遣いではあるが、間違いなく潮干ミドリであった。しかし、その髪の毛と瞳は真っ黒に変わっていたわけで。これはこれで良く、逆になんだか急に“あどけなく”見えたのだ。黒髪のミドリが小声で聞いてきた。

「どうしたの?」

「君の髪と目が黒くなっているんだよ」

「え? 嘘? まさか?」

「理由は分からないが、相手は君だと気づいていないぞ」

 目線を女神に戻して、言葉はミドリに向けた。

 黒髪のミドリが目を伏せがちにして。

「私、ちょっと、雷蔵さんの影響受けたのかも……」

「え? なにそれ?」

「私だって分からないよ」

 ひそひそ話をしている即席カップルへと銀髪の女神は近づきながら、銀色の尖った歯を見せて口角を上げていく。

「二人してなにこそこそ話してんの? 間合いなら、とっくに入ったよ。ーーーさあ。どうするよ?」

「よう、銀髪の別嬪べっぴんさん。もっと近づいてくれないかな? お前さんとキスしたいんだ。頼む」

 雷蔵の強気な表情と言葉に、ハイドラは刺激を受けた。

「え? ええ? どどど、どうしよう。私、旦那以外のイイ男にそんなこと言われたの初めてなんだよ」

 赤くなった頬を両手で持って、目を潤ませていく。

 手を後ろに回して、微笑みながら歩いてきた。

 邪悪さがあるといえども、周りの目を引く美しさはあった。

 よって、参拝客などが微笑んで歩く女神に注目していく。

「教団から逃げ出してからね、私、外の男たちからいろいろと迫られたんだけど、それがどいつもこいつも色ボケ野郎ばかりでさ。気持ちが冷めっぱなしだったの。でも、それが今日、あなたのような色ボケ野郎ではない強そうな人が見つかって、しかも意外にも私に興味を持っているだけかと思ったらキスしたいだなんて。ーーーえへへ。嬉しいなあ。どうせなら、キスだけでなく、もっと楽しいことしようよ」

「もっと楽しいこと? お前の想像しているより楽しいことを俺がしてやるよ。だからもっと来てくれ」

「いいのかな? いいのかな? 近づいたら近づいた分だけ犠牲者が増えちゃうかもよ」

 ハイドラは両腕を広げて歩きながら、両手のひらに白い光の玉を生み出していった。銀色の瞳が白く光り輝く。

「いいや。ご期待にそえないで悪いが、犠牲者は出ない。ーーーお前さんを除いてな」

 間合いが、とうとう二メートル半になったとき。

 黒髪のミドリを抱き寄せたと同時に、足を踏ん張った雷蔵は拳を突き出した。速い突きだった。女神に向けて、正拳突きをしたのだ。青白い拳の光が瞬く間に空を走り、ハイドラの鳩尾みぞおちへと入り込んで、思わぬ攻撃を受けてバランスを崩して後ろに倒れそうになった。身体に入った異物に、銀髪の女神は眼を血走らせて顔中に青筋を浮かべる。両手のひらの白い光の玉は、消えていた。

「おっと。大丈夫ですか?」

「危なかったですよ?」

 そう声をかけてハイドラの肩に両腕を巻いて後ろ頭に手を組んだ、ひとり目が響子。そしてタックルの姿勢で細い腰に腕を巻いた、二人目がタヱ。女神の腰を捕らえたまま、ブロンドヘアの女は話しかけていく。

「私が恋しかったですか? 会いに来てやりましたよ」

「え? あ、ありがとう。ーーーって、こら!」

 念願の潮干タヱに会えたものの、希望とは違っていたのでその言葉に突っ込んだ。その直後、新たに迫りくる気配を感じて顔を雷蔵のほうに向けたとき、目の前には走りながら腕を広げて抱きつこうと構えていた精神体ミドリの姿があった。黄金色の髪に緑色の瞳にダークグレーのヘアバンド。朱色の口紅を引いた口もとは、下唇を噛みしめて決意した顔つきになっていた。このような娘の表情と行動に一生懸命さを感じてしまったのか、ハイドラはキュンときたらしく。

 ーえ? ちょっと待って。可愛い!ーー

 そう思った次の瞬間には、ミドリがハイドラに口づけをしていた。離脱する響子とタヱ。首と腰に腕を巻いて、女神ハイドラを逃がさないように捕らえて、精神体ミドリはさらに唇を密着させていく。黄金色の髪の美女と銀髪の美女のキスは、本日のギャラリーをわかせていった。そして、抱きしめたままの格好で精神体ミドリが透けていき、やがては景色に溶けて消失してしまった。これでバランスを崩してしまったハイドラは、後ろに転倒しそうになって足を引き踏ん張り、上体を折って両膝に両手を乗せた。肩が上下にゆっくりと動いていく。息も切れ切れで、どうやら、ミドリとのキスは疲労ものだったらしい。呼吸を落ち着かせたところで上体を起こして背筋を伸ばして、両方の拳を上げてガッツポーズをとって銀色の瞳を見開き、銀色の尖った歯を剥いて口角を上げていった。

「はははは! 馬鹿な女! これで精神も身体も私の物!ーーーさぁ! 次は、あんただ。潮干タヱ」

 半身になって自信満々で指をさした。

「お断りします」

 タヱの即答。

「おい。お前さんフラレたぞ」

 腰に手を当てていた雷蔵。

「これからメインイベントよ。本当に“せっかち”な女神様ね」

 雷蔵と同じく腰に手を当てていた響子。

 とたんに口角が下がったハイドラ。

「なによ、なによ! あんたら、大事なミドリが私に吸収されて心配のひとつや二つくらいはしないの?」

 今度は雷蔵に正面に向くと、肩をすくませて拳を力強く握った。

「そういうお前さんこそ、じぶんの心配したほうが良いんじゃないか? なあ、あんた、なにを吸収したのか分かるか? 神の子は神の子でも、旧支配者だぞ。ただで終わるわけがないよな」

 腰に手を当てたまま、ハイドラを指さして指摘していく雷蔵。

 その言葉に、銀髪の女神がなにかに気づいて。

「は! そ、そういえばそうだった。クテイラの、娘……!」

「お前さん確か、両目が銀色だったよな?」

「そうだけど」

「あのな。左が緑色になって、オッドアイになっているぜ。意外と早かったな」

「……え?」

 強気な笑みで言う雷蔵に、ハイドラは不思議そうな顔をした。

「ま、まさか」


「じゃーん」


 勝手に動いた唇からハイドラの声とは明らかに違う声がした。とっさに口を両手で塞いだ。気持ち低音だか、可愛らしくて落ち着きのあるやわらかい声。左の緑色の瞳がひとりでに上下左右にキョロキョロと動いていき、右の銀色の瞳を見て、再び雷蔵に目線を向けた。次は塞いでいた両手が強制的に下ろされて、言葉を吐いていく。

「ゴーゴー、ミドリ! レッツゴー、ミドリ!」

「やめろ! やめんか!」

 オッドアイになったハイドラから二人の声を出して、高度な独り言が始まった。そして緑色の瞳が外側に目線を向けたとき、女神の左半身は小さく痙攣けいれんを起こしていく。そして、なにやら肉を引っ張るような音を鳴らしはじめてきた。これを見ていた雷蔵は、響子とタヱにアイコンタクトしたのちに、次は参拝客らに呼びかけていく。

「さあ、皆さん! 今から、行方不明になっていたお騒がせ芸能人の潮干ミドリが帰ってきます! 俺の相方の二人に合わせて、声を上げて呼びかけてください! 皆さんの声援が力になります! お願いします!」

 雷蔵の言葉のあとに、響子とタヱが息を合わせて手本を見せる。

「ゴーゴー、ミドリ! レッツゴー、ミドリ! 負けるなミドリ! 頑張れミドリ! ミ、ド、リ! ミ、ド、リ! エムアイディーオーアールアイ、ミ、ド、リ!」

 この声援に反応したのか、ハイドラの顔面から首にかけて真ん中に線が走った。緑色の瞳のある半分の顔が外側へ行こうと動き出す。銀髪の女神は銀色の尖った歯を食いしばり、両手で顔を押さえつけていくも、顔の左半分が外へと行く力が強かったために、抵抗むなしく無意味になった。

 響子とタヱの声援は続く。

「レッツゴーレッツゴー、ミ、ド、リ! 頑張れ頑張れ、ミ、ド、リ! 負けるな負けるな、ミ、ド、リ! ファイトオーファイトオー、オー、ファイト!」

 二人の声援に応えていくかのごとく、ハイドラの顔がとうとう真ん中から完全に裂けて、その左半分は上へ上へと引っ張っていった。そんな中、オカルト掲示板をはじめとした陰謀論界隈でも蛇轟ダゴン秘密教団と関係性を疑われていたというカルトネタの尽きない、世間一般的には失踪した芸能人といった認識がされていたため死んだものかと世の中に思われていたところ、境内に現れてきた好青年とそのポニーテールの可愛い相方とブロンドヘアの黒衣の美人の呼びかけが嘘ではない“彼女”の帰還だと分かり、参拝客らが先の相方二人に習って声援を送りはじめた。老若男女の入り交じった声を届けていく。その中には、諏訪神社の巫女たちもいた。

 即席のチアリーディングの出来上がりである。

「フレフレ、ミドリ! ファイトオー、ミドリ!」

 ゴーゴー、ミドリ。レッツゴー、ミドリ。

 負けるなミドリ。頑張れミドリ。

 ミ、ド、リ。ミ、ド、リ。

 エムアイディーオーアールアイ、ミ、ド、リ。

 レッツゴーレッツゴー、ミ、ド、リ。

 頑張れ頑張れ、ミ、ド、リ。

 負けるな負けるな、ミ、ド、リ。

 フレフレ、ミドリ。

 ファイトオーファイトオー、オー、ファイト。

 神は人からの声と思いを受けて力をつけていく。

 銀髪の女神から肉の裂けるのと骨割れる音を響かせていき、ハイドラの左半分が断面の皮膚と肉の繊維を引っ張っていきながら持ち上がっていった。それと一緒に右側のミドリの顔も引かれていって、肌の色が“人のソレ”とは違う青白い物と全体が銀色の眼を現してきた。上着のボタンを引きちぎっていって、左の肩が右側のとは別の意思を持った動きを見せていき、やがてそれは、ひとつの身体を軸にして潮干ミドリの顔と異形の女の顔とが二つの首を生やした奇妙な形態になった。ギャラリーの声援は圧倒的にミドリに送られていっているので、力は左半身に集中していく。ハイドラの左半分の鎖骨からミドリの顔と両肩が出てきて、そのあと右腕を引っ張り出したときに小さな胸の膨らみも二つ顔を見せてきた。右手でハイドラの顔を押さえつけて、ミドリは苦悶の表情になりながらも胸から下を引き上げていく。黄金色の美しい髪の毛も一緒に引き上げられて、日の光を透かしてキラキラ輝いていった。ハイドラはハイドラで踏ん張って己の身体から出ていこうとしている女の腕を掴んだりなどしていくも、思った以上に指に力が入らず、ただただ滑るのみである。銀色の眼を見開き、顔と首筋に青筋を浮かべて、銀色の尖った歯を剥いて叫んでいく。

「ちくしょう! ちくしょう! やめろ! やめんか! お前は私の物なんだ! 半分人のクセに! やめろ! お願い、やめて!」

「違う! 私の身体は! 私の物、なんだ!」

 ミドリはそう歯を食いしばり、思いを叫んだ。

 鈍色の尖った歯ではなく、エナメル質の人の白い歯に変わっていた。そして、細く白い身体も半分ほど出てきて、細いながらも“くびれ”のある腰まで見せてきたとき、ミドリは緑色の瞳から虹色の光を発して、首と両肩と上腕と肩甲骨と胸とあばらと腰に虹色の鱗が現れて光り、そしてついに、腰から下の長く細い両脚を引き抜いて肩をはだけたハイドラから飛び上がっていった。これを成功と確信した響子は、声をあげる。

「雷蔵! ミドリを受けとめて!」

「分かった!」

 彼女の声に応じたときはすでに走り出していた雷蔵。

 全身を虹色に光り輝かせていく白い裸の美しい女を、石畳に叩きつけられる手前で腕を伸ばして滑り込んでキャッチして抱きしめ、転がった。片膝を突いて、お姫様抱っこの形をとってハイドラに目線を向ける。銀髪の女神は左の肩をはだけた格好で、石畳に四つん這いの姿で大きく息を切らしていた。次に、腕の中のミドリを確認してみたら、それは、ひとつ年を重ねて成熟した黄金色の髪の美しい女性がいた。息を切らして小さな胸の膨らみを上下に動かしていきつつも、「ありがとう」と礼を言った緑色の瞳は雷蔵を見て微笑んでいる。細身の白い裸に虹色の鱗は映えて、大変美しかった。そしてそれは、もうひとつ、ミドリは人のものとは別格の色香と美しさがあり、雷蔵はこれらに心を揺さぶられていき躊躇ためらいいも覚えていった。俺には瀬川響子という最高の女がいるじゃないか、と、自身に呼びかけて気持ちを持ち直していく。参拝客や巫女たちなどギャラリーの拍手と喝采は、潮干ミドリへと送られていった。抱き上げられたまま、ミドリは雷蔵の首に腕を巻いていって、艶やかな唇を尖らせて近づいた。

「彼氏。チューさせて。チュー」

「あとで。あとでな」

 こう言って立ち上がり、ミドリを抱えて走り出していく。

 響子とタヱも一緒に駆けていった。

 境内の立体駐車場に停めていたダークシルバーの車に着いたら、ボタンでキーを開けて、響子とタヱに裸のミドリを渡したのちに、後部座席で待っておくように指示を出した。

「じゃあ、今のうちに“この子”に服を着させておくから」

「ああ。そうしててくれ。頼んだぞ」

 阿吽の呼吸を響子と交わして振り向いたとき、女神ハイドラは息も切れ切れでありつつも、足をふらつかせながら四人の手前まで来ていたのだ。青白い肌の高い鼻柱に、銀色の眼と尖った歯。分け目は左側の七三のままの銀髪だったが、異形の神であることは確かであった。雷蔵は女神ハイドラと向き合うと、半身になって腰を落とした構えをとる。右手を左側の腰と手に回して、さらに身体を沈めていくと、青白い光りが揺れる炎のようになって右腕をおおっていった。肩を少し大きく動かして息を切らしていくも、銀髪の女神は護衛人の青年の構えを見て口角を上げていく。

「ハア、ハア……。そこ、の、虹色、の、お嬢さん、で、私が、消耗、した、と言っても、あんたは、しょせん、人。……ハア……。神である、私、に、通じ、んよ……。ハア、ハア……」

 そう息も切れ切れで言うと、腕を高く上げて、手のひらに白い玉を生み出していった。それは、今朝タヱとやり合ったときに打ち出した、地面を連続的に噴火させていった光りの玉。それを、ここでも使おうとしていた。そして、その灼熱の白い玉を女神が振り下ろそうかとした手前、させてたまるかとばかりに、雷蔵は大きく一歩を踏み出して右手を振り上げた。瞬く間にハイドラの身体を、下から袈裟にかけて斜め上に青白い線が走った。このとき雷蔵の手に握られていたのは、青と白に輝く炎のような煙のようなものに包まれた一本の刀であった。この護衛人の青年、なにもない空間から日本刀を出現させたとでもいうのか。思わぬ斬撃に、ハイドラは胸を押さえて身体中に走る激痛に上体を折ってしまう。気が揺らされて、灼熱の白い玉も消失。顔中に青筋を浮かべて、雷蔵を睨みあげる。

「この……! 人の……クセに……!」

「三回だ」

「え……?」

 この言葉に理解できないでいると、延髄を上から下へと首を抜けていく感覚を食らって、ハイドラは反射的に上体を起こして拳を振り上げていく。痛みに胸を押さえながら、身体を沈めた雷蔵の顔を狙って一撃を食らわせようとした瞬間に、青く白く輝く日本刀を心臓のあたりに突き立てられた。

「え?」

 このあと、時間差で首の横一線に青白い線が走ったと思ったら、ずるずると液と肉の擦れ合う音を立てて横にずれていき、ハイドラは首を斬り落とされたのだ。女神の頭が駐車場の床に落ちて転がったあとに、雷蔵は足で押しやって首を失った身体から闘気の刀を引き抜き、ヒュッと一振して空間に消失させた。抜刀は最低でも、一回抜いたら三回の斬撃がある。それをこの青年は神を相手に食らわせた。司令塔を失った身体は、糸が切れたかのように膝を折って仰向けに倒れてしまう。残心をとって数秒間、ハイドラの動きが無いのをを確認したのちに雷蔵は颯爽と自身のダークシルバーの車の運転席にに乗り込んで、シートベルトを掛けてキースイッチを入れた。

 後部座席から、響子とタヱの驚きと喜びの声を浴びる。

「雷蔵! 好き!」

「すっげ! 雷蔵さん、神を殺してしまったんですか!」

 黒い瞳と稲穂色の瞳をそれぞれキラキラさせて興奮していた。

 バックミラーで後ろの女二人を見て、車を出していき、微笑みを浮かべて雷蔵は答えていく。立体駐車場は出て、坂を下り、来た道を戻っていった。

「ありがとう。相手は神様だ。当然俺の闘気では殺すことかできないが、時間稼ぎにはなったぞ。そこのミドリさんが虹色の力を使ったおかげで、ダメージは与えていたから、俺のは追い討ちをしただけだ。ーーーさあ、服を着てもらったら、次の目的を済ませに行くぞ」

 そう言い終えたころには、桜町小学校前を抜けて市役所通りを走っていた。


 一方そのころ諏訪神社境内の立体駐車場では。

 力無くフラフラと立ち上がって歩いていた身体は、転がって壁に当たって止まっていた頭に足を運んでいた。ようやくたどり着いて、頭を抱きかかえて壁に背を預けて、駐車場の床に尻を突いて膝を付けて立てて座りこんだ。

 首の無い身体の腕の中で、頭が銀色の眼の眉を寄せる。

「あー、クソー。あの兄さんの技の追い討ちは予想してなかったわー。最悪。ーーーミドリも私の中で力を使うし。最悪」

 駐車場に来た帰りの若い女性参拝客らから見られる。

 銀色の眼で彼女たちを睨み付けた。

「ん? なによ?」

「いや、その、凄いなあと……」

「これは見世物じゃないのよ。私が疲労しているうちに、さっさとここから出てってちょうだい」

「はい。そうします」

 一連でかなり消耗していたせいか、感情に任せての殺戮することも面倒臭いと思っていたハイドラ。今は回復することが第一である。女性参拝客らの乗った車の出ていくのを見送ったハイドラは、ひと言呟いた。

「…………。今の真ん中の、アンドロメダみたいで可愛かったなあ……」



 3


 車中で普段着に着終えたミドリを確認して、大波止の近くの百円パーキングに停めて休憩に入った。神の子ミドリの虹色の力と雷蔵の闘気の刀で大ダメージを与えたので、女神ハイドラはしばらくの間は神の力の回復に時間がかかるだろうと判断してのこと。そして、普段は助手席には響子であったが、今回はミドリに譲った。大変に疲労しているのかと思いきや、意外とそうでもなく元気だったミドリ。潮干家の長女が二三歳という年相応の女に成長していた顔と身体になっていたことを確認した、雷蔵たち三人。バックミラーで自身の歯を見て、ミドリはニコッと笑った。

「母さんと同じ歯だ。嬉しい」

 頬を両手で撫で。

「生きてる生きてる。最高最高」

 姉の喜ぶ姿を後ろから見ていたタヱも、ニコニコとしていた。

「本当の本当に私の姉さんが帰ってきた。嬉しい」

「ただいま、タヱ」

「おかえり、姉さん」

 そんな潮干姉妹の再会に、雷蔵と響子は顔を見合せて笑顔になる。

「よし、次のために少し腹に入れておくか。なにかジュース買ってくるよ。そこの角に自販機あるし」

 この提案に、女三人は「炭酸ジュース」と満場一致のリクエストをした。このあと、雷蔵は駐車場前の自販機でオレンジの炭酸ジュースを四本買ってきて、女三人に配っていく。「いただきます!」と三人からの声に「どうぞ」と笑顔で返した。五〇〇ミリリットルのオレンジ炭酸も半分ほど減ったところで、助手席のドアのコップ入れにペットボトルを置いたミドリは、中身を飲み干した雷蔵の横顔を見て、言葉を出していく。

「ねえ、彼氏。キスしたい」

「はあ?」

 コントロールパネルのコップ入れに空のペットボトルを置いて、運転席の青年は目を見開いた。後ろに顔を向けて、ジュースを口に含む響子の様子を伺う。蓋を閉めて口に含んでいた分を飲み込んだのちに、含み笑いのままボトルを持った手の指先を伸ばして「どうぞ」の指示を出した響子。隣のタヱも、口に含んだジュースを飲んで蓋を閉めて、ボトルを持った触手の先端部を伸ばして含み笑いで同じように「どうぞ」と雷蔵に返した。なんなんだこの二人?と思いつつ、顔を前に戻して軽い溜め息をつく。

「君の依頼は、まだ完全に達成していないだろ」

「前金だよ前金。だからキスさせて」

「前金ってなんなんだよ? 聞いたことないぞ」

「あなたは聞いたことないだろうけど、今から前例になるの」

「あのな、ミドリさん……」

 こう言いかけたとき、助手席の女から細い両腕を首に巻かれて抱き寄せられて顔を近づけられてきた。資料や書類や話しでは聞いていたが、昔から螺鈿島らでんしま一番の陰洲鱒町一番のイイ女であった潮干リエ、その娘のミドリについてもだいたい話しが一致していて美しさと色香は母親と同じ評判であった。精神体のときとは違っていて、生きているときのミドリの魅力には響子一途で芯を保っていた雷蔵も、ただ隣に居られるだけでも揺らされていたのだ。陰洲鱒町生まれの女たちは、こうもこの世から突出した美しさと魅力をそなえていたのかと改めて実感していた。そのような、まさに人からは桁外れな美貌と香りを持っている潮干ミドリから「前金」と称して口づけを迫られていた雷蔵。俺の好きな響子がいる手前、唇どうしはなんとしてでも避けたいもの。黒い瞳を流して、後部座席のポニーテールの彼女の様子を伺ってみたら、なんてことだろうか、期待している表情をしていたではないか。あろうことか響子はタヱと仲良く、早く早くと、ちょっと興奮気味な感じだった。この二人は明らかに、伏せ目がちな表情のミドリに魅せられているものだと理解した雷蔵。

 このままでは本当にまずい。

 そう再び思って、雷蔵はミドリの肩に手を乗せて止めた。

 全く化粧をしていない顔をしていても、なんという美人。

 口を強めに結んで、目の前の黄金色の髪の美女を見つめた。

「どうしたの、雷蔵さん?」

 こう聞いてきた顔は、少しだけ悲しげだった。

 雷蔵はじぶんの頬を指さしていく。

「するなら、ここ。ここにしてくれるか」

「へ?」

 呆気にとられるミドリ。

 後部座席の響子とタヱも「はあ?」とした。

 ミドリは口を結んだ顔をしたあと、首から腕を解いて離れる。

 口を手で押さえてプッと吹き出した。

 そして、声をあげて笑い出していく。

 しばらく腹を抱えて笑ったあと、目もとの涙を指で拭う。

「あーーー、もう、可愛いんだけど」

 出てきた感想。シートの頭に肘を乗せて、響子に笑顔を向ける。

「ねえ、あんたの彼氏、可愛いね。ほっぺにチューしろだなんて」

「でしょ。雷蔵はこういうところもあるんだよ」

 響子も笑っていたらしく、指で拭っていた。

 タヱも同じように触手の先端部を器用に曲げて涙を拭っていた。

 これに雷蔵は歯を剥いて赤面。

「なんなんだよ、お前たちは……。前金だと言うから、俺は俺なりの受け取り方を示したまでだろ? こちらにも譲れない線があるだけだ。それがここまで歩み寄ってきたんだぜ」

「分かった分かった。格好いいよ、雷蔵さん」

 ニタニタしながら青年の肩を軽く叩いていく。

「うんうん。格好いいよ、雷蔵」

「紳士で素敵ですよ、雷蔵さん」

 後ろから響子とタヱも便乗してきた。

 シートの頭に肘を乗せた雷蔵が、ミドリに笑みを見せた。

「そうそう。俺なりに格好よく行きたいんだ。だからほっぺにしてくれ」

「ハイハイ。分かりました」

 柔らかい笑顔を見せて、雷蔵の頬に口づけをした。

 そして。

「ねえ、雷蔵さん」

「どうしたんだい?」

「今からちょっと予定を変えていいかな? 会いたい人がいるの」

「オーケー」




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