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5話 野良猫の嘆き


 大人になってリチャードさんとくんずほぐれつ。そんな夢を見ていた気がする。気がするわけではなく、吾輩はタイムトラベラーであるんだけど。

 誰にも言えない。

 これで都合が悪くなったらいつでも逃げられるのである。

 さすがにそれはしないけど。

 しないというかそう簡単に出来るわけではないんだけど。

 死んだらまた戻るかもしれない。

 それより色々あって、潜入捜査みたいなことをすることになったことが重要である。

 北ロンドンのさらに北の方に位置する町へ。

 政府がアイルランド人はここに住まないといけないみたいな法律を作っているわけではないんだけど、立地的に北側に集まりやすかったので殆ど北側に住んでいた。

 実は最初期のころはロンドン市内にある北側の町で住んでいたんだけど、19世紀になって都市開発が進むにつれそれよりさらに北へと追い出されたのである。

 アイルランドからの移民は直接ロンドンの港から来るなんてことはほぼない。ブリテン島の西側に港があるのにわざわざ東側の港に行くなんて移動距離だけが特に意味もなく増えるだけだから。

 なのでアイルランドからブリテン島に行くとなると最初に通る港は西側にあるリヴァプールかグラスゴーとなる。

 そこにたどり着いたアイリッシュの移民は縁故がない場合、行政に捕獲されてバーミンガムへ送られる。

 労働者として。

 19世紀のバーミンガムはイギリス産業の中心地であった。ロンドンが綿花工業、つまり衣服に偏っていたことに比べ、バーミンガムでは主に金属工業が行われていた。

 銅の加工からボルトとナット、ペン、玩具、銃、コイン、メダルなどが作られていたのである。綿花工業に比べたら重労働である。

 そんな工場の建設や街の土木工事にアイルランド人は低賃金で使われ、工事が終わったらロンドンにも送られてまた工事現場に行くという。

 北から南へと。それでロンドンからして北側に彼らの居住地を作った方が都合が良かったのである。そしてロンドンの内側にいるなんて許せん、みたいなノリでスラムに行くかロンドンから出て行くか二択を迫られたわけである。

 内側に引き込むなどと言う選択肢は存在しない。

 それで行くと思えばそう遠い距離ではないけど町がそもそもロンドンに入ってないという。

 そうやって作られたアイルランド人の町はロンドンが拡張して20世紀以降になってからはただの中心街の一部となるんだけど。

 アイリッシュの移民自体は古くからあった。

 けどほぼウェールズやスコットランドの方へ向かっていたようである。スコットランドは同じゲール族だし、ウェールズなんて目と鼻の先だし。

 それが19世紀になってからはナポレオン戦争の余波でヨーロッパには長期的な不況が続いていたことにより移民が加速した。

 殆どは労働者として使い潰されるのが落ちだったけど、アイルランド人は粘り強く生活をしていて、人口は増え続けた。

 やがて中産階級が住む町と行政区画が統合するまでに至る。名前もカムデン・タウンと変わったりして。カムデン・タウンからケンジントン、ハマースミスに至るロンドンの北西側には多くのアイルランド人が住んでいた。飢饉以前は合わせて精々数千ほどで、そこまで大人数ではない。飢饉の後は十万人以上に及ぶことになるけど。

 工事現場に送られる労働者は一時的に滞在するだけで、ロンドンに常駐することになったアイリッシュは熟練工が多かった。

 工事現場で働いた労働者は工業が密集したバーミンガムへ逆戻りして金属工業に努めることを強いられる。普通に危ない仕事が多いのは言うまでもない。

 それでロンドンのアイリッシュは熟練工が殆どだから行政を統合しても問題ないと政府は判断したのだろう。反発も当然あったんだけど、中産階級が多く住んでるベッドタウンになんてことをするんだと。土地の価格が落ちるのではないかと。

 そもそもが被差別国民であるアイリッシュと同じ括りにされるなんてたまったものじゃないってね。

 ただこの頃になると特にアイルランド人はアイリッシュ居住区なんてものに縛られることなくどこにでも住んでいた。北に多いだけで。

 熟練工ならそれなりに稼げるはずなのに、イギリス人に比べれば待遇なんて雲泥の差。厳しい低賃金生活を強いられる。そんな人たちが住む場所なんてスラム同然。

 それでも一応、行政区画が統合してからは居住区もまた大々的に整備することになって、大飢饉が始まった時には一時的に大量の難民も受け入れることまでしてる。

 ちなみにこの区画整備、18世紀後半に一回あったので今のところはスラムではない。普通に綺麗な街並みである。

 アイリッシュ居住区なんて同じレンガ造りでも中身は見かけ倒しの狭いアパートだけど。

 まさに六畳ほどの狭さ。

 一人暮らしじゃない、五人以上の家族で暮らすのが普通。

 ジェイの居場所もまたこの北ロンドンでも工業区画と近いアイルランド人がたくさん住む町なのも考えてみれば当然のことであった。冷静さを失っていたせいか前はそれに考えを行きわたらせることも出来なかった。

 南ロンドンで出会ったから、てっきりそのあたりで住んでいるのだとばかり思っていたのである。単に活動範囲が広いだけ?

 最初から潜入捜査をすることになったわけではない。ただジェイを連れてくるはずだったんだけど、そうなってしまった。

 ここを仕切る人間が誰か調べないといけなくなったのである。

 そこに至るまでの流れはと言うと。

 午前中に書斎で向かい合って座り、イザベラさんの仕事を手伝っていた。ホテルに入ってる食材の価格に関する書類である。支配人が有能なので、彼が全部チェックしていることを再度確認するだけの単純な作業。

 一人でも三十分もあれば出来るのを二人で十五分。

 なんて楽な仕事なんだろう…。執事とかがやるようなものなんだろうけど。

 それを一通りに終えてからのこと。

 メイドの仲間がお茶を入れてくれて、二人で飲みながら雑談を始めて。窓を背に座るイザベラさん、直射日光じゃないけど、温かい日差しを正面から受けるのが私と言う構図である。

 「カムデン・タウン?ベッドタウンに知り合いなんて、学者?それとも職人?」

 イザベラさんが椅子に軽く身を沈めたまま聞き返す。カムデン・タウンに行ってもいいのかと聞いたことへの答えである。

 「いいえ、そっちではなくアイリッシュ居住区に。」

 「気でも狂ったのかしら。」

 酷い言われようである。

 「何かダメな理由でもあるのでしょうか。」

 「逆に大丈夫だと思った理由が聞きたいわね。一度中に入ってしまえば彼らを縛る法律なんて無意味なこと。他国へ来た集団は主導権をめぐって争わないといけない。そうしてから初めて対等な相手として認められるの。彼らはそれをしなかった。出来なかったのね。ならどうなると思う?自らを閉じ込める檻を作って、その中でとめどなく溢れる感情を互いにぶつけ合うの。これがどういうことなのか貴女にわかるかしら。」

 珍しい、イザベラさんから真剣に注意を促すだなんて。

 「嬉しく思います、お嬢様にそこまで心配をかけてもらえて。」

 素直な気持ちを伝える。

 「主人を褒めてまで許可をもらうつもりかしら。」

 あまり伝わらなかったようである。

 「放っておけない若い娼婦を見つけました。頭の回転が速く、体格にも恵まれおり、ただの娼婦にさせておくには勿体なく存じます。自分が教師となり彼女に別の仕事を見つけてあげようと思いますが、彼女はアイリッシュ。お嬢様に仕えさせようだなんて勝手な真似は致しません。それでももし許していただけるのでしたら、彼女を自分の手の届く範囲に住まわせたいと考えております。」

 「余程彼女が気に入ったようね。」

 否定はしない。ある意味一目惚れと言っても過言ではない。

 恋愛的なニュアンスとは違う、と思う。

 彼女…、彼?ジェイには強く惹かれる。会話しても普通に楽しいのである。

 「心を通わせる友のいる人生を求めるだけにございます。どうかお許しを頂けないでしょうか。」

 「あなたにそこまで言わせるだなんて妬けてしまいそうだわ。」

 冗談のように言ってるけど目は全然笑ってない。

 「何か、お嬢様から私にして欲しいものがございましたら…。」

 「そうね…、ミスターアランデールと何か面白いことをやっているみたいだけど、詳細を教えてもらえる?」

 そう言われたのでエタノールの効果を検証して新たな市場を開拓しようということを話した。

 「脚本の次は科学実験ね…。世の中を騒がすことが趣味なのかしら。資産家になる日も近いわね。」

 ゆっくりお茶を飲んでから言うイザベラさん。

 「いくらお金持ちになろうと、私が自分でイザベラさんから離れるようなことはあり得ませんから。」

 「そう…?彼女の名前はなんて言うの?」

 今のは効いたみたい。口元が少し緩んでるし。イザベラさん相手に交渉をする時には褒めるより確固たる信頼を伝えた方がいいのかな。

 「ジェイとだけ…。」

 「アルファベットのJ?イニシャルではなく?」

 「多分。名前なんて変えられましょう、私がそうしたように。」

 「そうだったわね。彼女の居場所に心当たりはあるのかしら。」

 行けばわかるとか、投げやりなことはないけど、それは私の経験と直感で何とか…。

 「東ロンドンと似たような雰囲気でしたら何とか見つかるかと。」

 「そう…、あなたが決めたものなら信じて任せることにするわ。十年もあんな場所で問題なく暮らしていたものね。好きになさい。ただし、三時間以内に彼女をここに連れてくること。三時間経っても戻って来ない場合、警察を動かすわ。」

 捜索願いでもなく、警察を動かすというのはいかにも貴族らしい。

 と言うか貴重な人的資源をたかが一人のメイドに使っていいの?偉い人の所有物扱いとか?貴重な宝石を失ったりしたらそりゃ大変だもんね。いや、私は別に宝石じゃないから。

 「ありがとうございます、お嬢様。それでは行って参ります。」

 そう言って立ち上がり出かけようとしたら。

 「持っていきなさい。」

 イザベラさんから簡素な装飾がされたナイフを渡される。と言うかそれ今どこから出たの?彼女の袖の下から急に現れたように見えたんだけど…。

 デザイン的にかなり古い、海賊とかが持っていそうなイメージの小さなナイフである。ピカピカの新品で鋭さは見るだけで伝わる。

 皮の収納ケースを貰ったので、スパイ映画の女スパイ、若しくはどこぞの瀟洒なメイドみたいに太ももに括り付けようとスカートを捲ったら。

 「一体何をしているのかしら。主人を誘惑するには少し早い時間ではなくて?」

 「太ももに括り付けようかと。」

 すると小さく笑うイザベラさん。楽しそう。

 「毎回そんな場所から取り出すなんて、スカートを自分から捲るような真似をするつもりなのかしら。」

 「ではどこにすれば…。」

 「袖の下、ブーツの中、ベストの内側…、あなたの場合はベルトに繋げてエプロンで隠した方がいいわね。」

 なるほど、考えてみればドレス姿に太ももなんて、スカートの裾が短いフレンチメイド(偏見)ならともかく、ヴィクトリアンメイドでは難しいと言うことね。

 これで私も戦うメイド…、積極的に戦いたいわけじゃないんだけど。

 前世ではボクシングを習っていた。中二病的な動機とか親がジムのトレーナーとかだからではなく、中学生の時にちょっと運動不足で部活とかもしてなかったので、水泳とかジムとか、親と一緒に行ってからすぐやめることの繰り返しだったのである。

 カウンセリングに行かせるべきだったんじゃないかな、半ば不登校になっていたんだから、運動よりカウンセリングの方が効果的だったんだと思うけど…、今更か…。水泳とかジムとかは基礎だけ教えて放任気味。体育会系のノリを理系女子の私に期待しても…、みたいな。

 ボクシングの先生だけ親切で優しかったので大人になるまで続けることが出来た。何だかんだで体を動かすと気持ちもすっきりするので、心も大分軽くなってよかったんだけど。

 大学に入ってからは近所をジョギングするようになったのでやめた。親切な先生の指導がよかったから続けていたようなもので。

 それまで住んでる町はマンションが多く建てられたアスファルト道だったのでジョギングには向いてなかったんだよね…。

 そのボクシング、下層民の生活はどうしても暴力と隣り合わせみたいなところがあって、どうにかして感覚を引き戻すように一人でシャドーボクシングを…。

 ただ拳を握っても、グローブをしてない状態では人の手なんて繊細で壊れやすいから下手にパンチをしたら骨折するだけである。

 素手で壁とかにパンチを繰り返してたら骨が壊れてから中でまたくっ付いてゴツゴツとした関節の形に替わるんだけど。

 そこまではしない。今の体が性能がいいからと壁を殴ってゴツゴツとした関節に変えるなんて、女だからとかそういう問題より下手に負傷したら医療技術なんてあまり発展しない時代にはどのような結果につながるかわからないから。

 この時代に骨折したら床屋へ行って直してもらうのである。麻酔なしの力技で。

 患者の悲鳴がすごくて、それが外に漏れなくするために床屋のカルテットが始まったほど。

 だから拳の代わりに掌を使うことにした。出来るだけ暴力を振るいたくはないんだけど、あまりいいものじゃない、暴力って広がりやすいので、それでも致し方ない状況はあるから。

 ストレートやフックの姿勢は基本的に同じで、拳じゃなく掌。中国拳法に見えなくもない。リーチは少しだけ減るけど、その分、踏み込みが深くなるだけ。掌は仕事をすると自然と固くなるので負傷の心配をせずこれでスリをする少年たちをちぎっては投げちぎっては投げ…。

 こうやって人生の殆どをギャングたちの楽園で過ごしてきた。

 東ロンドンの路地裏を渡り歩いて…。

 渡り歩いたわけではないけどね。

 普通に戻る場所は決まってたし。

 普通に歩いただけ。

 それで普通に歩いてアイリッシュ居住区にまで行って、普通に人が多く集まる酒場を訪ねて、酒屋の主人にジェイのことや娼館の場所、ダービー兄弟と言う名前を聞いて回った。

 そうやって歩くこと一時間、ジェイが住んでいると思われる娼館にたどり着いた。酒場兼宿屋だったんだけど。

 鍵で閉められたわけではなかったので扉を開けてから中へとずかずかと歩く。数人の男に見られてるけど誰も止めようとしない。二階に上がり、部屋のドアを一つずつ開けて確認する。三つ目の部屋で庶民が着る服装、それも女性ものの服を着た、ジェイの姿を発見した。化粧もしてて結構綺麗かも。

 ジェイはベッドに座っていた。そして目が合う。

 「ルミ?」

 「うん、ルミだよ。こんにちは。」

 ニッコリと笑って近づく。元気そうでよかった。ドアを閉めて、隣に座る。家具なんて殆ど何もない簡素な部屋だった。ぼろいカーテンで日光を遮っている。

 「こんにちは…。じゃなくて、なぜお前がここにいる?まさか奴らに捕まったのか?」

 焦った声のジェイ。奴らって何?やはりギャングであふれてるの?

 「奴ら?自分の足で来たんだけど。ここに住んでるの?」

 「なぜそこまで…。ここに住んでるわけではない、僕は別に決まって住んでる場所なんて持ってないんだ。僕の話はどうでもいい。ルミ、どうやって僕の居場所がわかったんだ?それを知るために何か悪い奴らに金でも握らせたのではないのか?」

 矢継ぎ早に聞いてくるけど、そんなに急かさなくてもちゃんと話す時間はあるから。

 「普通に聞いて回っただけだよ。お金だけがすべての答えじゃないの。ここから出ましょう?もっといいところで働けるようにしてやるから。」

 それでジェイの手を握ったら軽く振りほどかれる。

 「同情はやめてくれ。僕には…、やるべきことがある。」

 ジェイは合わせていた視線を外して寝っ転がった。私も横になろうかと思ったけど、そのままズルズルと眠ってしまいそうだったので座ったまま話を続けることにした。寝落ちして警察が押し寄せてくるとかシャレにならない。

 「やるべきこと?」

 見下ろすような形で聞く。

 「ああ、捕まった仲間を僕が稼いだ金で取り戻す。そのためにここで働いているんだ。」

 娼婦の仕事はしたくないと言ったのに、結局戻ってるということはその人のことが…。

 「大事な人なの?」

 「別に…。僕なんかに話しかけてくれた殊勝な人間ではあるけど、大事な人と言うわけではない。そこまで親密な関係でもないんだ。だけど、僕のせいで捕まったようなものだから。僕のことはしばらく忘れてくれないか。」

 「だから私があなたに働く場所を…。」

 ジェイは私の言葉を遮って、小さな声で呟くように話す。

 「やめろって言っている。何様のつもりなんだ…。お前が、お前が僕にくれただろう…。人にやさしくすることを教えてくれたんだろう、見ず知らずの僕に、寝床にありつくお金と食べ物をくれたんだろう。だから今度は僕の番なんだよ、きっと。出来ればお前にあげたかったんだけど、僕に貰うことなんて何もないだろう?」

 ジェイは気だるげな表情をしていた。手を伸ばしてジェイの頬を撫でる。

 「ジェイと一緒に笑い合いたいだけだよ。それで楽しい気持ちを貰える。」

 そういうと伸ばした手をぎゅっと握られた。

 「夢みたいな話だな。」

 「いけないの?」

 「いいや、悪くない、と思う…。けど今じゃない。」

 「今じゃなければ何時になるのか定まった期間なんてあるの?」

 「わからない。わからないけど、これしか思いつかなかった。」

 「その人が好きだからなの?だからその人の為にここまでするって?」

 「あまりいい人じゃない。見ればわかるさ。ただ義理は通さないと、と思ったから。終わったらお前に会いに行く。どこへ行けばお前に逢える?教えてくれるか?お前がそれを許してくれるならだけど…。」

 自信なさげのジェイ。

 「許すも何も、私、あなたのこと友達だと思ってるから。私から探しに来るから。ジェイの方からだと見た目とアクセントで町の中に入った時点でトラブルになるかもしれないから。」

 「やはりね、僕とルミでは住んでる世界が違う。」

 「違わないよ。同じ空の下に住んでる。同じ時を生きている。それに、私もね。実は私の親はね、私の母は元娼婦で、今は娯楽施設で働いているの。父は亡くなってる。」

 そう言ったらジェイはベッドから起き上がって驚いた表情で目をぱちくりして私の顔をまじまじと見つめた。

 「嘘だろう…。」

 「こんな嘘をついて何になるの?」

 「じゃあ…、どうやってお金とか、綺麗な服とか着れることになったんだ?それと…、今日はメイド服なんだけど…。」

 「そう、いいところのお貴族様に拾われたから。お金は…、ちょっと臨時収入があっただけ。困ってるなら私の雇い主に頼んでみてもいいんだけど。」

 そう淡々と話すとまた寝転がるジェイ。額に手を載せて天井を見つめていた。

 「いや、それは無理があるだろう。こんなに人にやさしくしてもらったのは初めてで…、これ以上は望めないさ。」

 「それでその人、名前はなんていうの?見た目の詳細も教えて。」

 「知ってどうする?」

 「会ってみる。会って、ジェイがやろうとしていることを伝える。刑務所生活に希望が持てるでしょう?別に私が保釈金を支払って彼を出そうと思ってるんじゃないから。」

 この時代の刑務所生活、特に男性だとむち打ちとかの拷問を受けるんだけど…。むち打ちをされた後に塩を塗られるとか。

 「彼女だよ。」

 「女性なの?」

 女性の入る刑務所では比較的に軽い。独房生活とかはあるけど。

 「ああ。」

 「それで、彼女の名前は?」

 「マチルダ。黒髪に茶色の目、背は僕より少し小さい。狼みたいな眼つきをしてる。女性にしては大柄だけど、筋肉で固い感じかな。それと口が汚い。」

 何?海賊?

 「ジェイの名前は?」

 「ジェイだよ。ただのジェイ。」

 「ジェインとかジェームズとかジョンとか…。」

 「ジェイでいい。」

 防御が固い。

 「わかった。今まで通りにジェイね。そういえば、あなたって男の子?それとも女の子?」

 「それは…。」

 「もしかして女の子に生まれてしまったけど自分のことを男の子だと思ってる?」

 「そういうものじゃない…。何がそんなに気になるんだ?」

 「何か悩んでいるようだけど、私は別に気にしないよ?」

 「僕が気にする。」

 「ちょっと触らせてくれない?」

 「は?」

 ジェイは寝転がったまま股間を両手で隠す。

 「そっちじゃなく胸とか。」

 今度は胸を隠す。

 「やめろ。」

 少し心当たりがあるので言ってみる。

 「生殖器の形が男性と女性の両方の特徴を持つ人間は人口の1.7%ほどらしいよ。」

 「は?」

 「違う?」

 「パーセントってなんだ。」

 「分数は知ってる?」

 「知ってる。」

 「セントは百を意味するから、百分するという意味ね。百分の1を1%と言うの。」

 百人隊がセンチュリオン、ラテン語で数字の百はcentum、1世紀はセンチュリー。と言うように、セントは百を意味するのである。

 「なるほど…、それで。僕みたいなのが百人中の一人いるということか。」

 「そうそう。」

 「わかった。わかったからもう出て行ってもらえないか。」

 うん、ジェイってインターセックスだったんだね。やっと納得がいった。

 一人で考えたいのかな。それでベッドから立ち上がろうとしたところでドアが開かれ、強面な大柄な男性が一人入ってくる。

 「お前、ここで何をしている。」

 あまり怖くはないんだけど、一応エプロンの下にあるナイフを握ったまま答える。ジェイはベッドから飛び起きていた。

 「彼女の友人ですが、何か。」

 「イギリス人だろう。」

 「そうですね。」

 「出て行ってもらえるか。」

 「言わなくても行くところだったんです。またね、ジェイ。」

 「ああ…、また…。」

 小さく手を振るとジェイも手を振る。

 戻ってイザベラさんにジェイが今置かれている状況を報告した。連れてくることが出来そうな状況ではなかったこと、マチルダと言う仲間が刑務所にいること。ジェイがインターセックスなことも。

 すると彼女はこう言ったのである。

 「そう…、丁度よかったわ。あなたに調べてもらいたいものがあるんだけど。」

 「なんでしょう?」

 「そこを仕切る人間が上流階級と接触をしているらしいの。珍しい娼婦を持ってるんだってね。」

 それはもしや…。

 「ジェイのことかも…。」

 「最近は貴族の私生活は年々厳しくなってるの。目立ったことをして大衆に笑いものにされることになったらどうなるか、あなたなら想像出来るわよね。」

 うん、まあ…。貴族も色々あるもんね。イザベラさんは続けて言う。

 「あなたくらいしか任せる人がいないことを残念に思うけど…、心配しなくてもいいの。ミスターアランデールと一緒に娼婦を仕切る人間を特定し、私に報告するだけ。出来るわよね?」

 「仰せのままに。」

 なぜアランデールさんが必要なのかは定かではないけど、何か面白いことになりそうな予感がした。

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― 新着の感想 ―
[一言] ロアとか言う意味わからん単語でワロタ。普通にイフと意味変わらん気がするけど作者のこだわりかなんかがあるんか?番外編読んだら一気に話飛んでたから適当に完結させんのかと思ったわ
[良い点] 今回も面白かったです。 気長に待ってます。
[良い点] リチャードさんルートが読めて幸せでした。甘々なリチャードさん……脳内であれこれ妄想してしまいました。ふふ。1章・1話の最後に書かれていたお話が番外編につながっていたのですね。貴婦人のグリー…
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