1話 ボーイミーツガール(?)
新たな章の始まりです。
食事後の午後の紅茶を楽しむ。
メイドの仲間たちと一階の食堂でくつろいでいた。この場には半分もいないけど。
本日は休みの日で、出かけている子が多い。
週末とか雨の日なんて休みになることが多々あるのだ。
こういう時には物思いにふけったり、本を読んだりとしているんだけど。
イザベラさんも書斎で本を読みながらゴロゴロは…、する時もあるけど今はどうしているのだろう。
ソファーに座って本を読んだりピアノを演奏したり、雨の日ならではの楽しみ方で休日を過ごしている。アンナさんと二人で。
リチャードさんとアンナさんの離婚はスキャンダルになることもなく、激しい罵り合いとかも行われず、淡々とした雰囲気の中、無事成立した。
そして劇場で上演した『メイド少女ヴィオラ』の収入がかなり入ってて、それで二人とも教会に寄付しないといけない金額は足りてるどころか、まだ観客の足は絶えない様子。
アンナさんを説得して結婚生活を続けさせるのはあまりいい考えには思えなかった。犠牲を強いることになるでしょう、自分が殴られた経験がふとした疑問にフラッシュバックして…。リチャードさんだって罪悪感で心が押しつぶされたらまた大変なことに…。
うん、離婚した方が二人にとっても最善だったんだと思う。気まずい関係にもならず、リチャードさんはアンナさんに誠心誠意謝っていて、アンナさんはそれを受け入れた。子供に関しての権利もアンナさんが全部持って行った。そりゃね、浮気したのはリチャードさんの方だからそうなるよね。
まだ若いので再婚するかもしれないと思ったけど、二人ともそれはまだ考えてないとのこと。
アンナさんはこれからも子供の教育のためにロンドンにずっと住む予定のようで、郊外に屋敷を探している最中である。ここに住んでいいとイザベラさんは言ってたけど、アンナさんは友人でも、友人だからこそそこまで世話になるわけにはいかないと言っていた。しっかりしている。
郊外の屋敷はアランデールさんが会社の力を使って見つけてくれるんだって。
それで今はこの屋敷に二人の子供も一緒。
赤ん坊の世話などは全部子守メイドがやっているので他のメイドがやることは特にない。
そんな中リチャードさんはなぜか私を狙ってるんだよね。
やめなされ。年齢差はともかく下層民出身の女が貴族社会に入るなんて、四方八方から色々言われるでしょうに。さてはまだ懲りてないのでは…。
今の私はと言うといくつか準備するべきことを頭の中で整理していた。
焚きつけて、煽って、動かす。
少々正道とは言えないやり方かもしれないけど、別に誰かが損をするようなことではないからと自分を納得させる。
アメリカに向かうアイルランド人の移民が減って歴史が変わってしまうかもしれない、どれだけの人々を飢饉から救えるのかもわからない。
多く見積もって十分の一くらい。それより少ない数でも自分で出来ることをするだけ。
そんなことを真剣に考えていたらローラに話しかけられた。
「ルミは見に行かないの?」
「うん?見に行くって?」
「メイド少女ヴィオラ。」
ぷっと紅茶を吹いてしまう。
「え、何か驚くことでもあるの?」
「いや、何でも…。」
「大丈夫?」
今日はテイラー夫人もいないので叱られることもない。布を持ってきてテーブルを拭き、座りなおす。
「お茶はちょっと勿体ないけど大丈夫。それよりローラは見たの?」
「うん、もうたくさん泣いちゃって、大変だったの。」
「泣いている人多かったの?」
「うん、女性の客はみんな泣いてて、男性客も泣いている人少なくなかったんじゃないかな。もうタイトルに書いてる通りだった。涙なしでは見れない。嗚咽とかしてる人もいて。」
「ああ…。」
この時代の人たちにあのレベルのお涙頂戴系の話は耐えられなかったみたいで。
一応、時代の人々の感覚に合わせるため、ヴィクトリア時代のイデオロギーを前面に押し出している形に仕上げていたつもりだったんだけど。
ヴィクトリア時代のイデオロギーと言うのは、女性が黙って配偶者の男性に従うというただの男尊女卑を通り越して、男性に女性が従属的な立場になること。
ヴィクトリア時代のこう言った従属的関係性を応援するような作品を書いたら観客からの反応が良くなると思ったから。
ただこれはそう見せかけているだけ。
先ず階級同士での差別的現実があって、そういった階級による差別を少しでも減らしたいという気持ちを表現している。
そして女性の従属的立場になる問題は肯定的な表現をしているけど、ここにも実はからくりがある。
女性が従属的立場にいるために自らの感情をどれだけ犠牲にしないといけないのかを作中の歌を通して描写しているから。
つまり、ヴィクトリアン・イデオロギーを強化するように見せかけて実はそのために犠牲になっているものが何かを表現しているのである。
ちょっと回りくどいやり方だけど、21世紀ではこういうやり方は割とポピュラーなものだった。主に2010年代に流行っていたナラティブで、私もよく楽しんでみたんだから、ただそれを真似ただけとも言える。
「メイドの物語だし他人事じゃないよね…。私たちのご主人様は男性じゃなく女性だけど。」
そう言ってるローラだけどあまり残念そうには見えない。
「ローラは憧れたことある?メイドと主人の恋。」
「うーん…、どうだろう。あまり考えたことないかも。それよりヴィオラちゃん可愛かったな…。あんな天使みたいな子いるのかな。」
「いるんじゃない?」
「ルミちゃんとか?」
「私は天使って柄じゃないでしょう。悪魔ならともかく」
「ええ…、なんてことを言うの…。ルミちゃんは悪魔なんかじゃないよ。」
キリスト教では禁忌なんだよね…。ちょっと気を抜いてて考えが及ばなかった。
「じゃあ魔女とか?」
「自分を卑下しちゃだめだよ。」
いや、魔女って、昔は普通に職業だったんだけど。町の薬師さん。酒造とかもしていた。
「うん、ありがとう。ローラは天使みたいに可愛いからヴィオラと似てるんじゃない?」
「ルミったら、そんなこと言われると勘違いしちゃうって。ああ、恥ずかしい…。」
「ごめん。それでみんな泣いたら劇に集中できないんじゃない?」
「なんで謝るの?えっとね。みんな泣いてたんだけど、セリフは全部聞けたよ。歌もすごくよかった。いい歌だよね。」
うん、リズムとかサビが繰り返される構成とか、21世紀のポップミュージックで使ってる構成をかなりパクってるというか、オペラの歌詞なんてちょっと味気なさすぎる。
テンポとか歌詞はオリジナルだけど、この時代の曲なんて歌の構成が単調でメロディーだけを重視するようなことが多い。
曲がただ登場人物が感じていることや今やろうとしている意思、状況の羅列だから。高い技術を要求されるので真似して歌うのも難しい。
それに比べ、私が作詞作曲をした曲は、ローズさんからいくつかダメ出しを貰って修正はしているけど、真似して歌いやすいようにしてる。
「覚えてる?」
「うん。歌ってみるね。」
歌い始めるローラ。プロの歌手のように上手なわけではないけどメロディーも全部あっててリズム感覚もよかった。練習とかしてるのかな。
「どうだった?」
「よかったよ。」
歌いながら少し涙ぐんでる。そんなに?
「また思い出しちゃって。」
涙をエプロンで拭うローラ。
色々考えて書いたのに、ただヴィクトリア時代の人たちを泣かせただけだったという何とも言えない結末。
ただその涙に中毒性があるのか、カタルシス効果があったのか、劇場は連日ほぼ満員。不景気に潰れる劇場も多いという話だけど、これでちょっとは劇場の景気が良くなったらいいな…。
上演をしている劇場はグリーンウッド家の劇場だけではないのである。と言うか、かなり大きな規模の劇場でもやってる。
劇場が多いウェストエンドで『メイド少女ヴィオラ』の上演をやってない方が少ないほどにまでなってる。俳優の演技とか全部違うわけだから、比較しながら同じ劇を何度も代わる代わる見に行くこともあるみたい。
貴族は普段こういう庶民が見るような作品はあまり見ないとのことだったんだけど。流行りには敏感なのかな。
イザベラさんのホテルからも予約が殺到したみたい。新聞にも大々的に乗ってて。色んな批評家からの意見が読めてよかったんだけど。
私は遠い目である。
もう後戻りできないやんけ。
ただアランデールさんの名前を使ってるから私が変に目立つことはないんだけど。
「ルミちゃんって、最近はすっかりレディースメイドになってるよね。」
話題を変えるローラ。
「そう?」
「自由に外出できるし。もうルミ様になっちゃうのかな。」
そうなのだ。午前中とかは洗濯の仕事があるけど、午後はアランデールさんのところ不動産事務所にも行って、グリーンウッド劇場にレッスンにも行って、ローズさんのパブにも行ってる。遊びに行くのではなくレッスンが終わった後、リチャードさんが行くというのでついていくだけである。何か面白い話が聞けそうだと思ってついていくと実際に結構面白い話とか聞けちゃうので。
「そんなことはないんじゃないかな…、多分…。」
実は今日もアランデールさんとの約束があるのでこの後出かける予定。休日ではあるけど休日だからこそアランデールさんが空いた時間に化粧品の話を進められる。
傘はない、帽子を被って出かけた先は喫茶店。アランデールさんに化粧品をどうやって作るのかを事細かく説明し、少し雑談をしてから戻るだけ。
少し寄り道してみようかな。
そう単なる気まぐれのつもりだった。
スラムを突っ切ることをしなくとも迂回すればスラムの悪臭に襲われず目的地まで行ける。そう、あのカジノに行くのである。
スラムの取り壊しはもう始まっていた。あまり治安がいい状態ではない。反発も少なくない、どっかの別の宿舎に詰め込むのも出来ない。アランデールさんからこういう時は強行するに限ると聞いた。
ブルジョアジーのこういう割り切るところは本当に冷たいと感じる。
そんなことを思いながら伸びた草を踏みしめて、丘の上へ。
カギは貰ったので持っている。
開けてから中に入って、廃墟特有の空気をいっぱい吸う…。
あれ。靴跡があるんだけど。二階まで続いている。
雨はまだ降ってて、靴跡は少し濡れていた。つまり…、誰かいる?サイズからしたら大人の男性よりは小さいんだけど。
気になる。このまま戻るという選択肢も確かにあったんだと思う。
そうしなかったのはなぜか。
ただの好奇心ではなく、アランデールさんに報告する案件かもしれないと思ったので。
二階に上がってみたら椅子に座って窓を眺めている髪の短い…、少年かな。ボーイッシュな女性かもしれない。暫定男の子の彼が私の方へ視線を向けたので彼と目が合った。
猫のような目つきをしていて顔にいくつか傷跡がある。
ズボンとブーツを履いていて、上には労働者が着そうな頑丈そうなシャツを着ていた。
少し赤い茶髪と青い目。背は椅子に座ってはいてもわかるほど長身。まあ、見た目年齢通りだとすると大きい方と言うことで言うほど長身ではないけど。
ギリシャの彫刻みたいな目鼻立ちではあるんだけど、それよりはずっと幼い感じ。
男性だと中学生くらいの年齢に見える。女性だと成人してる?単なる老け顔の可能性も…。重労働のせいかな…。
「誰だお前は。」
思ったより高いトーンの声をしていた。そして想定外のアイリッシュなアクセントに面食らう。
「あなたこそ誰?ここは私有地だよ。勝手に入ってはいけないことになってるんだけど。」
「お前のものなのか。」
「違うけど。」
「じゃあお前こそ何者だよ。」
確かにそうだけど。なんと答えるべきか…。
「とにかくいけないことなの。警察呼ぶよ。」
別に本気で言っているのではない。と言うかこんなところでどうやって警察を呼べばいいかもわからないし。
「呼んでみろ。その前に殺してやる。」
少年はそう言ってからナイフを取り出した。ナイフなんて持ってるんだ…。
「その割にはずっと座ってるんだね。」
あまり危機感があるようには見えないのである。切羽詰まった感じではなく、声のトーンも落ち着いてるし。
「どうでもいい…。」
本当にどうでもよさそうに脱力してる。
「つかぬことを聞くけど。」
「なんだ。」
「男の子?それとも女の子?」
「どう見える?」
「男の子。」
「じゃあそれでいい。」
少年はそう言ってナイフを足のポケットに仕舞う。
うん、わからない。
私も自分がそれなりに変人の枠に入る人種だと思って生きてきたけど、この子ほどではないかもしれない。




