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閑話 ある若き貴族の嘆き

ちょっと書いていたら思ったより長くなりました。こんなに長いと二話に分けた方がいいのでしょうか。


 俺の生まれは決して祝福されるようなものではなかった。

 母は先に三人の娘を産んでいた。そんなに大人数ではないかもしれないが、生まれた子供は一人も死ぬことなく生きたんだから、それで満足することも出来たはずだった。

 貴族家では大体六人か七人ほど生まれるが、生き残るのは半分を少し上回るほど。

 だから三人で十分だった。それで終わればよかった。

 母は生まれつき体が弱かったという。

 しかし父から跡取り息子を産むことを強く望まれた。

 家の主である父の意思なため、母からそれを拒むことはできず。

 結果、難産の末に生まれたのが俺ことリチャード・グリーンウッドである。

 父は痛みで苦しむ母とは対照的に喜んでいたと聞いた。これで我が家は安泰であると。父は嫡男だったため、家督をほとんどすべて受け継いでいたのである。弟と妹が二人ずつ。そして幼くして亡くなった姉が一人いたらしい。

 だが無理を強いられた母はこれを機に衰弱し。

 体調は回復することなく悪くなるばかり。

 そして予定調和のごとくその瞬間が訪れた。

 父はビジネスのことで家におらず、姉たちは他の家で開催されたお茶会へ。

 まだ幼かった俺は子守りのメイドたちに見守られながら女の子の服を着ておもちゃの遊びをしていた。列車を模した木のおもちゃで、母の寝室で。

 何か胸の中で嫌な予感がしていたんだろう、ふとベッドで横になっていた母を見ると顔色はいつにも増して真っ白。

 どこかぼんやりと虚空を見つめる瞳。

 何となく母の胸に顔を埋めた。心臓の音が小さくなっていく。

 徐々に冷たくなる体と、騒ぎ出すメイドたち。

 医者が来た時はもう母はすでに亡くなっていた。

 母の遺体にしがみついていた俺は上級メイドの手によって引きはがされた。

 死は近いもの。

 人はこうも簡単に、あっけなく死んでしまう。

 そして死は誰にでも平等に訪れる。貴族であろうとそれは変わらない。

 葬式が行われ、喪服を着る。

 父は涙すら見せなかった。

 姉たちは、どうだったか。

 あまり覚えていない。

 雨の日だった。たくさんの親戚と我が家と近しい貴族たちが来ていたが。

 みんなして淡々としていた。

 それが当たり前かのように。

 俺は死と言うものを理解していなかった時期で、そもそも貴族が悲しみを大っぴらに表現するのは好まれる行為ではない。

 母は俺を産んだために死んでしまった。その話は姉たちから聞いている。母は俺を産むために無理をしたんだと。

 だが、そんな姉たちですらも俺のことが悪いとは一言も言わない。

 父が母に無理強いしたことも悪いとは言わない。

 貴族ってそういうものなのかと。受け入れるしかない。

 華々しい大英帝国の栄光に、暗く沈むような死者への過度な執着はどうしても抑えるべきもの。

 それが嫌で嫌で仕方がなかった。

 それでも時間が経つにつれだがその気持ちも徐々に薄れていったのである。

 心に穴が開いても忘れるしかない。

 それが果たして正しいものなのかと気になっていた俺は、そのことを姉たちの家庭教師をやっているガヴァネスに聞いたことがある。

 彼女はこう言っていた。

 「死者は神のもとへ召されるだけに過ぎません。きっと奥方様は天国から見守ってくださっておられるはずです。」

 そういうものなのか。それとも、そう信じていないとやっていけないだけではないのか。

 姉たちは末っ子の俺をよく可愛がっていた。

 父も俺にかなり早い段階から我が家の事業やグリーンウッド家のことを教えてくれた。

 我が家は代々貴族が訪問する大きな劇場を管理している。その大きさと中にある絵画を含む調度品からして、資産価値もさながら貴族文化に欠かせないオペラとコンサートを開いている。

 ロンドンの北東に位置するエセックス地方にそれなりの規模を持つ牧場を二つほど所有しているが、それはただの収入源でしかない。

 それにその牧場の半分ほどは父の弟と妹たちが所有と管理をしている。

 大事なのは牧場ではなく劇場。

 劇場なしではグリーンウッド家なんて田舎貴族と何ら変わらない。

 今のご時世、それくらいの財産を持っていたところで大きな事業を回す上位のブルジョアジーに比べても劣るだろう。

 豪華で美しく、華々しい劇場。

 大陸から交渉をして有名な音楽家を招待したことも幾度もある。

 国王陛下が観覧したこともあるんだとか。滅多に大陸からイギリスにまでコンサートに来てくれない音楽家を招いたことで祖父のころには爵位まで一つ上がっている。

 だから俺もそう言ったものを学ばないといけない。

 大陸の音楽事情、オーケストラと劇団の俳優たちを一定以上の水準で保つこと、調度品の管理、劇場にまつわる法律、人の動かし方。もちろん音楽の勉強もする。知らずにどうすると。ハープシコードとヴァイオリンから歌まで一通り教わる。

 姉たちもなぜかやらされていた。

 そして俺は三歳くらいからそれらをすべて学ばされた。

 基本的な流れは何となくわかるようになり、後は音楽の教師から練習を求められてそれに答えるだけ。

 どうしても教養が必要な部分があって、音楽以外の勉強は学校で学ばされるまでは一時中断。

 その間にも劇場は変わらず順調だった。

 俺に付きっ切りだった父も教えることがなくなると余裕が出来て。

 再婚をする気なんぞ最初からなかったんだろう、父は劇場から看板女優を家に招き入れ、昼間から淫行にふけっていた。

 メイドたちは一階に逃げて、姉たちは自分たちで集まっては歌やピアノで時間を潰す。それじゃなくともガヴァネスから勧められる山ほどの書籍を全部読破しないといけず、父のことを気にすることもなかったんだろう。欧州の歴史からギリシャの戯曲まで、貴族が読むべき本は多い。

 まだ子供の俺は嬌声が聞こえると落ち着かなくて屋敷を歩き回った。

 何回か開けられた扉から覗いて見たこともある。

 美しく若々しい女優の乱れる姿は、まだ性を知らない俺の心すらも鷲掴みにしていた。

 父が疲れて動けなくなってもその女優、ローズさんは半分裸のまま屋敷を歩き回り調度品を鑑賞したりメイドからもらったお菓子を食べたり、気負うことなく楽に過ごしていた。

 すると当然、屋敷からあまり離れることのない俺も彼女の目に映る。

 最初に簡単な会話が行われた。大した内容ではなかったと思うが、俺は彼女にはいい印象しか持ってなかったためきっかけが出来るや否や徐々に多くのことを話すようになったのである。

 ラフで男勝りなアクセントと貴族だと考えられない、迂遠ではない直接的な優しさは俺にとって格別なものだった。

 よく物事に関して何を感じているか、どう思っているかを聞かされては言葉が見つからないとそれに適した表現を教えてもらった。

 そしてこんな母がいるならよかったと思うようになり。

 やがてローズさんこそが俺にとっての母親であると心の中で決めるようになった。

 しばらくしてから半年ほど、彼女が来なくなった時期があった。

 その時は酷く寂しく感じたものだ。

 子を産むためだったのだろう。だが当時の俺はそれを知らず、父に聞くことも出来ず、窓を見ては黄昏れる。

 半年たってからまた家に来て父との時間を過ごすようになったローズさんだったが、その時から姉たちからのローズさんへのあたりが厳しくなっていた。

 ローズさんが産んだ子供のことは知らされておらず。彼女たちだけ知らされていたんだろうか。それとも勝手に気づいただけか。

 姉たちがローズさんを見かけるたびにひどく侮辱的な言葉を投げる。

 そして俺には見せない姉たちの残虐さに、俺は何もできずにいた。

 姉たちの態度に戸惑う。なぜそのような言葉で彼女を侮辱するのか。

 それでも変わらずローズさんは俺に優しかった。ローズさんはただ苦笑いを浮かべるばかり。

 姉たちは俺にローズさんを母のように慕うことをやめるように何度も言っていた。

 そうするべきと思うことはなかった。何も言わずベッドに横たわっていてから亡くなってしまった母より、生き生きとしているローズさんの方がずっと母親に近い存在だったから。

 それからまたしばらくして俺にも音楽以外の家庭教師が付くようになった。

 そして学校へ入る前に勉強が始まった。

 難しい本をよく読むように言われたら読み、暗記し、質問を受けては答える。

 この時初めてローズさんとの経験が役に立っていたことに気が付いた。

 一方的に教わるのではなく、成人した女性と正面から語り合うことを繰り返していた俺は間違えて体罰を特に受けることもあまりなく。淡々と勉強を進めたのである。

 そして十歳になり学校へ行くことになった。この頃になるとあまりローズさんが家に顔を見せることはなくなっていた。父はやせた体形なのだが、お腹だけポッコリ出て、顔色が徐々に黄色くなっていた。医者の言葉によるとお酒の飲みすぎとのこと。それでも父はお酒をやめることはなかった。

 だがローズさんを相手にするのは難しくなっていたんだろう。

 ただもう母親離れはしていた。見るべきは勉強の先にあるもの。大人としての責任、貴族としての責務。ローズさんのことが気にはなっていたが、だからと何かをすることもなく。

 時期が訪れ入ったのはロンドンの北西にある貴族や資産家の子息たちが通う公立学校。

 ロンドンに住むと通学をして、ロンドンに住んでいないと学期が始まると部屋を借りて通う。俺は通学する。六時からの授業に間に合うように四時半に起きて準備する。今までとは違って厳しいが、みんなやっている。

 ここで初めて同年代の男の子たちと関わるようになった。ロンドンからあまり出たことなく楽器の演奏だけに明け暮れていた俺に比べて、田舎から来た貴族たちは幼いころからたくさん体を動かして結構しっかりとした体つきをしていた。

 俺はひ弱な奴だと最初のころはよくいじめられていたが、そう言われ続けるなんぞ耐えられるものかと必死に体を動かした。

 喧嘩をしたこともある。音楽の先生からは指を負傷してはいけないときつく言われたため、拳ではなくフェンシングで。

 そして負けた。

 くらいついたのを買ってもらえ、いじめを受けることはなくなった。そして幾人か大人しい性格の友人も出来て、順調に学校生活を送ることになった。

 男所帯の生活は何気ないことからすぐ暴力に発展する。ただ毎回緊張しているようなことはない。口論が激化するとそうなる。力関係や縄張り意識などでそうしているわけではない。貴族は貴族の矜持がある。ブルジョアジーだってそうだ。自分が見て間違ったと思ったことがあれば言い、それに相手が同意を示さず反論を繰り返すことにより火種が燃え上がる。

 だから卑屈な性格をしているか反論も出来ずに黙っている奴はいじめの標的となる。俺はあまり反論をしていなかった。同年代の男の子との距離感がつかめない、体も弱く見える。まだ幼少期の女装から抜け出してないのかと、馬鹿にされるわけだ。

 同じ上流階級の人間でも様々な連中が集まるのでいたずら好きな奴や冗談のうまい奴、反抗的な性格の連中も多くいた。

 俺の友人となった連中は読書好きの大人しい性格だが、基本的に口が達者で、論争がうまい。彼らは法律にも詳しく、だから舐められることもない。俺のような芸術に近い貴族と縁を繋げる重要性もちゃんとわかっている。

 貴族ではない資産家の子息たちとは少し距離を置いていた。奴らは不気味に冷静で、論争などに熱くなることもない。どこか観察されるようで気味が悪いと思った。

 だからと奴らをいじめるなんて出来やしない。貴族より体格のいい奴も多く、勉学にも平均して貴族より秀でてる。田舎から来た連中はまるで危機感を覚えないが、俺はロンドンに住みこれから先にあの不気味な冷静さと付き合いながら生きないといけない。

 学校生活が終盤にかかった十五歳のころ。

 新しく十歳ほどの幼いメイドが入った。愛らしい顔立ちの少女で、どことなくローズさんと似た雰囲気がした。金髪で、深緑色の瞳。

 口調も仕草も、男勝りのローズさんとは正反対に大人しい性格をしていた彼女だったが、よく微笑を浮かべていた。庭に咲いた小さな花を見ても、ドレス姿の姉たちを見ても。

 そして、俺を見ても。

 彼女が気になって仕方がない。丁度学校では女の話をする時が増えていた。中にはメイドと経験がある奴もいた。

 メイドを押し倒したいと思っていたわけではなかったが、メイドが主人のもとで何を見て何を考えるのかは気になっていた。

 初めて彼女に話をかけるとひどく慌てていた。下級の使用人なんて子供にとっての子守りメイドでない限りいないもの扱いされるものなのである。

 姉たちには綺麗なレディースメイドが一人ついているが、彼女たちは行儀見習いのようなもの。確かどこかの大きな商家の娘で、俺が興味を向けてもいい相手ではない。婚約者がいるかもしれない、なら困らせるだけだろう。

 だからと俺は彼女を、マーガレットを話し相手に選んだ。一番上の姉はもう結婚して家を出ている。

 残っている二人の姉は旦那さん探しやら社交やらで忙しく、俺もそんな姉たちに構ってもらいたいなんて思ってなかった。

 俺の小さな行動でもコロコロと表情が変わるマーガレットを見て、今まで感じたことのない感情が芽生えた。

 だが近づくにも限度を決めないといけない。メイドと主人が結ばれるなんてスキャンダルでしかない。

 母の命と引き換えに生まれた俺が、貴族としての義務を捨てるわけにはいかない。

 それでも彼女と話す時間は楽しかった。まるで野に咲いた花のよう。

 冬のある日、学校から戻ってるとマーガレットが寒空の下に震えながら玄関前に立っていた。急いで彼女のもとへ走った。

 冷たくなっていた彼女の体に上着をかけてそのまま抱きしめた。

 何があったのかと聞いた、彼女は答えなかった。しかし俺には心当たりがあった。彼女たちはローズさんを見て罵っていた。自分より小さい子供が家族である貴族男性に愛されることを許せるものではなかったんだろう。

 姉たちと初めて喧嘩をした。今までただ可愛がられるだけの弟だったためか、姉たちは衝撃を受けていた。

 「なぜ、上位の階級の人間だからと下位の階級の人間に何をしても許されると思っている?人なら誰であれ等しく痛みを感じる。フランスでは革命まで起きている。貴族は全員処刑された。人が人の上に立つ権限はどこからもらった?神の前でですらくだらない階級をかざす気か!」

 学校で散々友人たちと議論を交わしてきた。

 可愛かった弟ではなく、一人の男としての言葉に姉たちは黙り込んだ。十代の若かりし頃のロマンにあふれた表現だったかもしれないが、それでも意味は伝わっただろう。

 すべて男が責任を持つ社会に男の言葉の重みは女のそれよりずっと重い。それはただ男が好き勝手にできるということではなく、自分が責任を持つ立場であることを男だからこそ常に自覚しているということである。

 軽薄ないじめなんぞ許せるものか。メイドたちに聞き出すとそれまでもマーガレットは俺が彼女に話しかけ始めた時期から色々されていたようで。

 心が痛んだ。

 俺のせいで、彼女の笑顔を曇らせてしまった。

 謝ると彼女は笑って許してくれた。

 それにまた心を打たれる。

 それからのこと、俺たちは急激に近づいた。

 順調だと思っていた。だがそうではなかった。俺は何も知らなかった。姉たちの行動には彼女なりの理由があった。

 彼女はローズさんの娘だった。そして、父の娘でもあった。

 父から直接聞いた。恋心は抑えるしかない。

 その冬はやけに冷かった。

 学校を卒業して間もないころ、婚約者が決まった。大分疲れてもはや老人に近い顔の父からの遺言のような決定に逆らう気にもなれず、淡々と受け入れた。

 相手の家はこちらより大きな牧場を所有していて、羊毛を納品する会社とのつながりがあった。そして相手側は社交界での影響力を欲しがっている。劇場を持つ家とつながりが出来るとある程度影響力を確保できる。

 互いに利がある縁談、是非もない。

 だが俺の心は母の死を受け入れた時に戻ってしまった。

 劇場の運営を父から受け継いだ。

 久しぶりに見るローズさんは懐かしくも過ぎ去った年月を感じさせた。

 結婚は何事もなく行われた。彼女の友人にあの社交界に莫大な影響力を持つサドルトン家があるという話を知って、劇場を持つグリーンウッド家とまでつながるとはなんと強欲なことだと呆れる。

 妻となったアンナはどこにでもいそうな貴族女性で、随分と従順で無難な性格をしていた。

 尖ったところは一つもない、物静かで夫の意見に従い、常に微笑みを浮かべる。

 今の時代が求める理想的な女性ではないか。友人たちは彼女をそう評していた。俺もそう思う。

 何も不満に思うことはない、父がそうしていたように生きればいい。

 子供も無事生まれて、ほろ苦い初恋はもう忘れた過去。

 だがそう終わることはなく彼女とまた再会した。こうなる可能性は考えてはいた。看板女優の娘だ、縁故を重視するだけともとらえられるが、そもそも親が子に自分が持っている仕事のノウハウを教えないという選択肢はないわけだ。

 親の職業を継ぐなんて珍しくもない。

 マーガレットだってローズさんからの授業を受けたのだろう、基礎どころかかなり高度な技術まで身に着けていた。

 心を抑えるために頑張っていた。頑張っていたんだ。だが父だって抑えることをしなかった。俺が抑える理由とはなんだ。

 それでも最後の理性は残っていた。彼女を抱いて、子供は生まれないように気を付けた。父の過ちを繰り返すわけにはいかない。

 だが、もう始まったら終わらない。俺は自分がこれほどの人間だとは一度も思ったことがない。

 決壊し始めたら終わらない、マーガレット以外の女優たちも抱いた。自分でも自分の抑えが利かない。狂ってしまいそうである。

 家に戻ると妻はまたいつもの優しい微笑みを浮かべて待っている。

 罪悪感が募る。泣きたくなる。

 俺はこういうつもりじゃなかった。マーガレットにもバレたが、彼女はまた許してくれた。そうじゃない。俺は許されたいわけじゃない。

 ああ、父よ、俺はどうしてしまったのか。

 遅くなることに疑問を投げてくる妻に怒りと罪悪感が同時に湧き上がる。

 だが終わらない。俺の心はおかしくなっている。

 そうしている中、父がついに亡くなった。そしてマーガレットはローズさんと共に父から幾分か遺産を貰って劇場を去った。

 書類手続きのためにローズさんと逢った日、冷たい印象の若い資産家が弁護士を連れて仲裁をしていた。直接言葉を交わすことすら許容しない有無を言わさない圧力に、学生時代に感じていた冷酷な資産家の子息たちを想起し身震いした。

 彼らはフランスでは実際に王家を含めて革命を成功させ貴族たちを皆殺しにしている。何も言えない。俺もその思想には共感した。だから大人しくするしかない。

 姉たちのことは、彼女に遺産を渡すことに反発すると思ったが、未来もないのに貴族と関わっていいものなんてないと言っていた。彼女たちだってもう大人だ、それくらいは言えるだろう。

 何もかもうまくいかない。

 ある日、妻と子供の教育ともう一人を産むべきかと言う話になって、意見に食い違いがあった。俺は子供はこれでいいと思ったが、アンナは違った。

 家長である俺の言葉を聞けないのかと殴ってしまった。

 殴られても自分が間違っていると謝ってから部屋に戻る彼女を見て死にたくなる。 

 俺に救いはないのかと、父のようにお酒に逃げそうになった時。

 思いもしなかったところからビジネスの提案を受けた。相手はサドルトンの女伯爵、レディ・イザベラ。社交界と結婚式で何回か見たことがあるが、妙な威圧感がある女性であまり深く関わりたいとは思わなかったものだ。

 少し懐疑的な気持ちを抱きながらも手紙を伝えに来たメイド少女を見ると。

 マーガレットとは少し違うが同じく大人しそうな雰囲気をしていて、目には理知的な光が宿っていた。

 極め付きは金髪と緑色の目。

 これだ、これこそが神様からの贈り物。頑張ってきたんだ、これくらいの報いがあっていいのではないか。

 彼女こそ、俺の救いに違いない。

 少女は言っていた。心が病気になるのだと。まさに今の俺ではないかと。そして彼女こそ、ルミこそ俺の病気を治癒する薬に違いない。

 才能もある、話術にもたけている。

 今度こそ間違いない。

 アンナは子を産むだけ、母のように死んでしまうかもしれない。

 俺の前から消えてしまうかもしれない。

 なら俺には何が残るか。

 父もそうしていた。美しい顔立ちをしている。成長したらさぞ魅力的になるだろう。今から俺のものにしないと、消えてしまう。

 今捕まえなければ母のように、ローズさんのように、マーガレットのように。俺の前から消えてしまう。

 もう誰も失いたくない。

 だが、俺は結局のところ、間違っていたのだろう。

 結局母を見殺しにしていた父親と変わりはなかったということなのだろう。

 傷つけてしまったことを今更後悔してどうする。

 涙が頬を伝う。

 アンナ…、マーガレット…。

 この戯曲のように都合よくアンナに許してもらえるわけがないだろう。彼女のことを一度も見ようとはしなかったんだから。

 作者として書かれていたのは資産家のアランデール。やはり、貴族なんて、ブルジョアジーの掌の上でしかないということか。

 名前は違っていた。

 メイド少女はヴィオラ。 

 貴族少年はレオ。

 令嬢の名はアイヴィー。

 その花言葉は皮肉にしか思えない。

 俺は…、どうすれば…。涙が止まらない。

 結果的に母を殺してまで生まれてしまった俺に、最初から救いなんてなかったというのかと…。

 題名すらもこの俺を嘲笑うかのよう。

 『メイド少女ヴィオラ、涙の物語』

 そう、これは最初から、俺の物語ですらなかった。

 そして、俺が涙を流すのは予定調和のように決まっていたのである。



誤字報告ありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] リチャード→獅子心王→レオ? [一言] ガチめな心の病気だったのか、改心したっぽくてよかった。
[一言] 更新お疲れ様です。 リチャードの原風景・・・・ もしかしたら貴族として当たり前の情景(嫡嗣製造機&情婦を複数抱え)なのかもしれませんが、複雑な家庭事情と野郎ばかりの学び舎が少しずつ歪みを生…
[良い点] 読み応えがありました。ありがとうございます。
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