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3話 幽霊屋敷

 曇り空を見上げ雲なんて気にせずしつこく刺さる紫外線に目を細める。前日までずっと雨だったので南ロンドンにある下町はほぼすべての道がぬかるんでいた。

 その上を馬車が通る。

 アランデールさんと向かい合って座っている。

 意外な場所に行くものだと窓の外を眺めていた。

 ずっと無言が続いている。

 別に気分が悪いとか、彼と話したくないからとかじゃない。

 自分だけが着るドレスを作るのが思ったより大掛かりでちょっと疲れているだけ。

 なぜドレス?今から貴婦人になるとかそういう意味でもないと思うけど。

 前にホテルでのディナーで着たドレスはイザベラさんが子供のころに着たものらしい。

 サイズを測って、生地を決めて、刺繡やレースのパターン、ボタンの場所、流行りのデザインを薦められてはそれがどのように人に受け入れられるかを聞かされ。

 意見?なくはないけど、私の意見を入れたデザインなんて現代的なものになるでしょう。スカートの裾は膝上にまでした方がいいとか、少しでも激しく動いたらすぐさま千切れてしまいそうなレースよりフリルの方がいいとか。

 試しに冗談のように言ってみると軽く流された。そんなのフランス人の娼婦しか着ないと。イギリスでは娼婦も着ないデザインですか、そうですか。

 そういえばアメリカなどではヴィクトリアンメイドよりフレンチメイドの方が好まれる。淫乱なイメージも何となくついてて。

 実際にフランス人はアメリカでは同じ白人枠なので、フランス人をメイドにできるわけがないと思っている分、妄想がはかどると。

 だからその手のものはポルノグラフィの定番ネタだったり。

 naughtyなフレンチメイド。

 別にフランス人だからとイギリスよりエロいと言うことはないと思うけど。ここも性欲は大概だし。メイドが基本的に可愛いんだよね、主人にも従順で。

 厳格なヴィクトリア時代と言うけど、当の女王陛下本人だってそれはそれはドイツから来たアルバート公に裸婦画をプレゼントして、日記にも彼がどれだけセクシーなのかを情熱的に語っている。

 むしろヴィクトリア時代は人からの視線を気にして隠しているだけで、実際に家庭内では女性の癒しを強調していたこともあって、結構性的には盛んだと思う。

 少し後の話だけど、女性のオーガズムを信じないがために女性のヒステリー治療には医師が子宮を含む恥部をマッサージしてヒステリーの根源たる女性的なエネルギーを発散させる施術まで行われた。

 夫の前で。

 医者が。

 夫人に。

 後に電動ではなく手で回すマッサージ機が発明されたほどである。

 それで叫んだりするわけよ。最後にね。すると治療が順調に終わって、これであなたの妻が持つヒステリーは無くなりました、なんて。

 本当に知らなかったのか疑問。ただのプレイじゃないの?

 やばい。見てみたい。笑いをこらえる自信は全くないけど。絶対爆笑する。何やってるんだあんたたちは、と。

 想像して笑いそうになったけど、アランデールさんに何を考えて笑ったのか弁明できる自信がないので堪えた。

 とにかく私は淫乱なフレンチメイドではなくご主人様のことしか考えないヴィクトリアメイドである。毎日イザベラさんだけを考えるのである。

 ちょっと病気かな。いや、自己暗示みたいなものだと思う。主人を考えないとやってられない。

 重労働を楽しむに値する理由とは、主人を思うことくらい。重労働と言っても全然へっちゃらではあるけど、それでも娼館の時より仕事している感じがするので。

 決めた服のデザインは紫色の、光沢のほぼない生地に、一番簡素な刺繡がされ、一番安いレースを使った、フリルがちょっと多めのドレス。

 特に意味はない。紫色は前世から慣れてるから、値段を安値にしたのはそもそもどの場所に着ていくのかもわからない、年齢的に成長するはずなのでずっとこの服を着れるわけでもないのにいいものをする必要を感じないのが理由。

 背が伸びて着れなくなったらどうせ捨てられて、どっかの貧民が着るようになるでしょう、前の私みたいに。

 アランデールさんがさっきから何も喋らない私に代わって話題を提供した。焦れたのかな。

 「レディ・イザベラの持っている爵位の中に騎士の称号があるのを知っているかい。」

 そういえば彼女の爵位のことは詳しく知らない。ただのカウンテス、女伯爵にしては社交界での影響力があるのが自分の中ではあまり納得できてないというか。

 「知りませんでした。」

 「彼女は二年ほど前に過激派の襲撃から大使を守ったことがある。」

 過激派とはまた物騒な。

 「どこの大使だったんですか?」

 「ベルギー。聞いたことがないようだね。」

 主人にそのようなものを直接聞くことはできないって。

 はて、この時期にそんな話あったかな。頭の中で近代史を思い返してみるけど。

 「はい、新聞に載っていたなら読んだことがあるかもしれませんが。」

 「新聞をよく読むのかい。」

 「それなりには。」

 「知りたいことを知ることが出来るからか。」

 「ただ興味があるだけです。」

 この時代の新聞を生で読めること自体が今でも少し不思議に思う時があるし。

 「何に対して?」

 うん?なんでそんなに質問してくるの?

 「色々。」

 「イギリスの経済も君にとって興味を引くものなのだろう。」

 もしかして女がそんなのに興味を抱いてどうするとか、その手の話?

 「読んではいけないんでしょうか。」

 「そんなことはない。だが知識を習得するにはその意味を最初に知っておかないといけない。持っているだけの知識は金庫の中にある金と同じと言える。金が物の価値を保証するためには金は金庫の中から出て誰かの手に渡らないといけない。」

 アランデールさんは自分の話が私にちゃんと伝わっているのか私の目をじっと見つめた。伝わってるよ?と意思を込めて見つめ返す。すると彼は穏やかな笑みを浮かべた。格好いい…。いやいや、見惚れてどうする。

 まだ話の途中だから。

 「動く方法を知っているのと知らないのでは金の価値なんて同じように表記されても違うものとなるだろう。どこに使われていたのか、その事実こそがお金の価値を決める。」

 「ロマンティックな考え方ですね。」

 そういうとアランデールさんはふっと笑った。

 「ロンドンやグラスゴーなどの大都会に土地を持つ貴族は他の貴族と爵位上で同格でも一つ上に考えられるのは知っているかい。」

 「そうなんですか?」

 「さて、どうだろう。少なくとも俺はそう実感しているが。貴族は自分たち同士の繋がりで物事を図る。彼らの基準は彼らの中で定められたもので、端から彼らの下にいる者たちに理解されるとは考えていない。」

 「それは人によって違うと思いますが。」

 確かにその手の人もいるんだろうけど、自分は理解されないから好き勝手にできると、少なくともイザベラさんとか、彼女が親しくしている貴族の人たちはそんな孤高の存在を気取っていることはなかったと思う。

 「俺もそう思いたい。」

 「アランデールさんのお母さまは貴族だったのでしょうか。」

 今度は私からの質問。話してたら疲れもある程度吹き飛んだので。

 「いや、貴族だったのは母方の祖父母の方だ。デンマークでは多くの貴族が爵位を失っている。王家の権限もいつまで持つかわからない。持って数年ってところか。啓蒙主義の流れはもう抑えられないところまで来ている。平等と権利、いい話じゃないか。」

 本当にそう思っているのかな。そちらだって貴族のようにはいかなくてもそれなりに特権を持つブルジョワジーでしょうに。

 「どこへ向かってるんですか?」

 さっきから気になっているので聞いてみると。

 「いいのかい?答えを今知っても。」

 そんなもったいぶることないでしょう、何、お城にでも連れて行ってくれるの?興味ないけどね。

 摩天楼が並んだメガロポリスを覚えている。お城に行ったところでそんなに燥ぐとは思わないけど。と言うかイギリスのお城なんて、あれだよね。数百年も前のもので、それこそフランスと百年戦争とかしていた時期の城塞とかでしょう?

 別にお城にいくと決まったわけじゃないけど…。

 「お城ですか?」

 「なぜそう思ったんだい?」

 本当それ。

 「何となく。」

 「ある意味お城と言えるかもしれない。君の目にそう見えるならば。」

 え、ちょっと気になるんだけど。

 それから五分ほど、スラム街にまで進んだ。

 スラムだけあって警察が巡回してないから治安もよくないけど、誰でも強盗になるとかそういう感じではなくて。

 それより普通に臭いのである。馬車から降りることはなかったけど御者さんとか大丈夫なのかな。窓は締めてあるのに匂いは当然中まで入ってくる。

 私は慣れてるけど、アランデールさんはどうかなと見てみると全然平気そう。

 そういえばカナダにいたんだよね。開拓村とかだったかな。それならこれくらいの匂いは大丈夫だったり?

 「きつかったらこれを。」

 アランデールさんがポケットからハンカチを取り出して渡してくれた。

 「大丈夫ですよ。」

 「レディに失礼なことはできない。普段馬車に女性を載せないものでね。」

 「まだ子供ですし。」

 「子供なら自分をまだ子供だと遠慮したりしない。」

 確かに。それでハンカチで鼻を庇ったら結構いい匂いがした。何だろう、香水?

 「香水をつけてるんですか?」

 「ああ、パリに仕事で行ったときに買ったものだが。」

 「成分とかは知らないんですね。」

 「まだ調べてない。」

 「なんだと思います?」

 「さてな、詳しくないんだ。」

 「そこは買う前に調べましょうよ。」

 そういうと顔を少し赤くして照れ笑いをした。今のちょっとぐっと来た。意外と可愛いところがあってほっこりする。

 彼って、まだ二十代なんだよね、全然若い。屋敷から出て馬車に乗った時に聞いたのだ。いくつですか?って。すると二十八歳って言ってた。十八歳差か、と遠い目になったのである。

 そしてそんな会話をしている間にスラムを突っ切ってたどり着いたのは。

 「幽霊屋敷?」

 それはもう、建物全体が古くて、浮浪者すらも近づけそうにない陰惨な雰囲気がしている屋敷だった。結構大きい。何十人も住めそうである。庭とか荒れ放題で、柵は所々壊れかけていた。

 やっと馬車から出ると雑草の生えた低い丘の上で、靴で草を踏みしめる。草木の匂いと大きな木々。

 庭園を囲む鉄の柵は壊れかかっており、門は開けっ放し。

 軽い足乗りで敷地の中に入ってみる。

 「どうだ?お城ではないが。」

 「いいと思います。幽霊とか出そうだし。」

 アランデールさんも私を追って中へ。屋敷の玄関は閉まっていて、動かしてみたけど鍵がかかっていたので動かない。無理して壊すこともできなくもないかな?なんて思ってたらアランデールさんがポケットから鍵を取り出して鍵穴に入れてドアノブを回す。

 すると、ぎぎっと音と共に開く扉。

 中は思っていたよりずっと広かった。

 そして埃が溜まっているのは一目でわかる。

 「ここで誰かが幽霊を見たという話は聞いてないが。見たことあるのかい?」

 「残念なことに。」

 「興味があるなら中を覗いてみるかい?」

 「床が抜けたりしないんですか?」

 「古びてはいるがまだ頑丈だよ。」

 うーん…、まあいいか。せっかくだし。こういう幽霊屋敷とか廃墟とか実は大好物なのである。

 変なものを踏まないように気を付けながら一歩足を踏み入れてみると。

 案の定床が軋む音がした。カーテンも閉ざされていて、中は薄暗い。

 それでも思ったより明るかったので天井を見てみると穴が開いていた。うん、明るいよね、外から直射日光が入ってくるんだから。

 そして蜘蛛の巣がたくさん。広がるような蜘蛛の巣じゃなくてちっちゃな蜘蛛が糸を何枚も重ねる感じの蜘蛛の巣。

 けど、これって、家じゃない。

 テーブルの形とか、ルーレットとか、椅子の配置とか…。あれだよね。

 「カジノ?」

 「カジノだったよ。取り壊す予定だが。」

 「え?」

 「土地の価格が上昇している。するとどうなると思う?」

 「外側に人口を輸出させるとか?」

 「ああ、都市計画の時間だ。ここら一帯のスラムは近いうちにすべて取り壊される。新たに労働者が住む住宅街が作られるだろう。色んな会社が参加してて、俺が運営している会社も含まれているんだ。」

 なるほどね。

 「スラムに元から住んでいた住民たちはどうなりますか?」

 「強制退去になるだろうね。」

 「残酷ですね。」

 「致し方無い。宿舎の建造計画も中には入っている。収入が少ない労働者はそこへ向かうことになるだろう。」

 一応フォローはしているつもりなのかな。無償で住宅を提供出来るわけないことはわかってるけど、何だろうこのやるせない気持ち…。下層民の経験はまだ私にとってはそう遠い昔ではない。

 そもそもただのメイドが下層民ではないのかと問われれば、下層民じゃありませんなんて確信して言える気がしないし。

 「それでここに来たのはここが何かしら特別な意味を持つ施設にでもなるからなんですか?」

 「ある意味そうかもな。ここはかつて南の農園を所有していた貴族が建てたカジノだったんだ。ロンドンの人口が増え、スラムが南の先まで広がり使われなくなったのが二十年前のこと。たったの二十年で、ここまで古くなっている。」

 南ロンドンって、昔はほぼ農地だったものね。北には城壁があって、フランスなどの大陸側からの侵略に備えて城壁の中にだけ町が広がってて。テムズ川の南は農地。農地の片隅にカジノって、いかにもって雰囲気である。

 「人が住んでない家はすぐにこのようになってしまうんですね。」

 「二十年がすぐなのかは意見が分かれるところだが…。それでも前の当主は売ろうとしていなかったんだ。代替わりして買うことが出来た。ここは立地がいい。このカジノは百年前からのものだが、百年前から問題なくここに立っている。土地の基盤が固いという証拠だろう。だからここを買い取ることに踏み切ったんだ。」

 「取り壊してから何かまた建てる予定なんですね。」

 「ああ、それは君にも無関係ではない。何になると思う?」

 「酒場とか?」

 労働者たちがたくさん住む住宅街の近くって、酒場でしょう、と言う安直な推論だったんだけど。

 「いや、カジノだよ。」

 「カジノを壊してまたカジノを作るんですか?」

 「ああ、これより大きな建物を建てる。立地的に労働者を雇うにもいい。大通りに大っぴらに賭博場を開けるなんてできないのでね。需要は確かにある。」

 「不景気なのにですか?」

 「不景気なのは過度な投資のせいだということだったが。」

 「はい。」

 「今ある産業が潰れるようなことにはなってないだろう?むしろ工場が増えている分、懐の温まった金持ちや新たに富裕層となった人は増えている。」

 ああ…、まあ、資本主義ってそういうところあるよね…。中産階級が厳しい状況で富裕層はたくさんお金を稼いでて…。

 「治安とかは大丈夫なんですか?」

 「問題ない。それと、これを最初に言うべきだったかもしれないな。そのカジノの設計と経営には君も参加してもらう予定だよ。」

 へ?

 「私に、ですか?ただの小娘ですよ?」

 「貴族の遊戯を広めたんだろう。ただ広めただけじゃなく君なりにアレンジをしていた。野外のスポーツを室内で出来るようにしたんだろう?ルールも新たに作って、繫盛させた。ただの娼館を遊技場に変えた。違うかい?」

 「そんなこともあったような…、なかったような…。」

 目を合わせようとしてくるアランデールさんの視線から避けてみるけど。

 「はぐらかさなくていい。よかったら、そうだな。君がいた娼館の人たちもここに移したらどうだい?」

 「ちょっと私にだけ都合がよすぎる気がするんですけど。」

 何を企んでいる?私をこんなに喜ばせて何がしたいんだ。ここは屋敷とも前に比べたら全然近いし、みんながここに来たら、それはもう暇な時間なんて会いに行けちゃう。

 「そうだね。だからその代わりに、君が発明した小麦粉をベースにした化粧品のレシピを貰えるかい?うちは化粧品も扱っていてね。壁紙のヒ素の毒性を発表したらヒ素を使った化粧品を含むありとあらゆる製品の代わりとなるものが必要となるだろう?」

 ああ…、まあ、そうなるか。

 納得。

 それと化粧品のこと、すっかり忘れてた。

 けどこれは私にとっていい流れかもしれない。

 ただ都合がいいだけではなく。

 この流れに乗り、前から考えていたことを実行に移そう。

 出来る気がするし。

 そう思いながらアランデールさんと幽霊屋敷の探検を続けた。なんかデートっぽい。

誤字報告ありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
[一言] 更新お疲れ様です。 果たして現代のカジノ&システムをどこまで再現するのか? 次回も楽しみにしています。
[一言] 友達が大阪の環状線新今宮の駅のガード下で余りの悪臭に 本気で気を失いかけました。 尿と垢と何かの入り混じった、年季の入った染み付いた悪臭で。自分もしんどかったです。 友人は支えましたので無事…
[一言] >夫の前で。 >医者が。 >夫人に。 夫どころかパリ市民にばっちり公開されるフランス王室の出産よりはマシにございましょう
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