1話 列車、駅、そして歴史
新たな章の始まりです。
駅からアンナさんを見送る。この時代はまだヴィクトリア時代を象徴するあの美しいガラスの天井のある駅ではなく、鉄製で、雨が当たると小気味いい音が聞こえてきた。ロンドンは今日も憂鬱である。こんな天気だから植民地を欲しがるのかと勘ぐってしまうけど。
そんな理由で植民地にされる被害者側はどうなるの。
なんちゃって。
イギリスが植民地政策に踏み込んだのは別段アングロサクソン族が侵略志向が強かったからだとか、そういう単純な理由ではない。
欧州の歴史は貿易の歴史。
より活発な貿易を行わせることを至上命題にしていただけで、別に黒幕があったり政府自体がモンゴルのように根っからの破壊者だったわけではない。
これには血生臭い長い長い物語があるけど…。
それを簡単にまとめるなら北と南の終わりなき対立と西と東の分裂が原因と言える。
貿易を南側でだけ行っていたから北側が侵略して南側と北側が統合した新たな政府が生まれる。
しかしすべての北側がそれに含まれてはいない。
北にはまたその北がある。ゲルマン民族の次はサクソン、サクソンの次はヴァイキングと言った感じに続いたのが中世である。
侵略される側からしたらたまったものじゃない、そもそもどこから来たのかと、天罰ではないかとまで疑う。
そんな激しい侵略の背景にはうちもあんたらの貿易システムに組み込ませてくれないかと言う、お前たちで遊んでるとかずるいぞ、なんて微笑ましい理由があるわけだ。
そんな微笑ましい子供の嫉妬のようなもので残虐の限りを尽くしたのはちょっとどうかしていると思わなくもない。
その次に大航海時代が始まったのは東欧と西欧の分裂状態が原因だった。
東欧はイスラムの侵略を防いでいて、イタリアから地中海を経由した南ルートも輸入が制限されている。イスラム側からの輸入経路も信じられるものではない。
そんな息が詰まる状態は貿易を増やしてください、と言う主張だけでここまで来たのもあって、耐えられるものではなかったのである。
欧州はローマと言う共通の祖先をもっているけど、東側の場合は古代ギリシャと言う祖先がローマから解析されないままの状態の生々しさを含めているので文化的な違いまである。
東西南北がこんなにごちゃごちゃになっている中、大陸中の騒ぎに巻き込まれないのはイギリスとアイルランドくらいで。アイルランドはまだ含まれない北側時代だったころはそれなりに気骨もあったけど、欧州の事情をもっと身近で接するイギリスに結局半ば政治的に従属的な立場となる。
植民地だった時期が終わってもアイルランドは政治だけではなく経済的にもイギリスの意向に従うようになってしまった。
そしてイギリスはみんなが揉めていても貿易を広げる、市場を広げるという命題は変えないまま植民地を増やした。
アフリカからの黒人奴隷の積極的な輸入も、植民地の政府と不平等条約を結んで実質乗っとるまでになったのも、結局のところ、欧州で終わりなく続く嵐の延長線上にあるものでしかなかったのである。
これは玉座のようなもの、自分が座らないと誰かが座る。一番都合のいい人間が座る。19世紀にはその座に座っていたのがイギリスだっただけと言う話である。そもそも本人たちもあまり自分たちがやっていることに関して巨大な何かをやっているとかなどの自覚は皆無で、仕方なくやっているような雰囲気まである。そんなに嫌ならやめればいいじゃん、なんて。
IFの歴史を想像できるのはそれくらい余裕があるからでしょう。その過程が暴力に満ちてはいたけど、意図して暴力に走ったというよりそれ以外の方法を経験したことがないという結構馬鹿げた理由。
イギリスはローマ時代での植民地経験がかなり保存されていて、ローマに抵抗した女王の銅像はウェストミンスターに建てられているまま。
千年以上の歴史が過ぎてもイギリスは忘れていないのである。
目の前でローマ兵士に娘がレイプされるのを見ていることしかできなかったブーディカ女王の痛みを。
ちなみにだけど、イギリス国内でもそんな状況の中で強硬派と穏健派がいて、蛮族のように侵略と暴虐の限りを尽くそうと主張していた強硬派はイギリス国内の雰囲気がモラルの低下はよくないと言っているいい子ちゃんな保守派に主導されることに耐えきれず新大陸へフェイドアウトして行ったのである。
アメリカで奴隷解放をめぐって内戦まで起きたのはイギリスの窮屈さに耐えられなくて新大陸にまで来たきちがいだから。
このようにアメリカの鬼畜さの起源をたどるとこいつらがアメリカに来て支配階級をやっていた事実にたどり着く。
そりゃ気狂いの連中だけが集まって国を作っては回していたんだからそうもなるかと納得せざるを得ない。
イギリスは自分の役割を全うしたまで。
イギリスが植民地と貿易網を増やしたおかげで欧州全域にも富が増えていたのだ。当の本国でちょっとだけいい思いをしてもいいじゃないかと思っても罰は当たらないと思う。
そのいい思いと言うのには本国の列車も含まれる。
列車はまだ蒸気機関に改良の余地があるのでそこまで長くない。
駅は規模からしてもこれから六年後に建てられる、あのキングスクロス駅に比べても小さく、簡素なつくりをしていた。
馬車を止めておく駐車場があって、使用人たちがそこから列車に荷物を運ぶ。
列車は運用する会社によって形に違いがあって、簡素なものはそれこそ炭鉱にでも使っていそうな天井すらも持ってないものからアンティークな雰囲気のする西部劇などでよくみられる列車まで様々である。座席の配置も電車のように窓側だけに席があって内側を向いているものから新幹線のように廊下側があって席が並んでいるもの、そして列車にルームがあるもの。
アンナさんはもちろん、中に豪華なソファや家具のある高級感あふれる列車に乗った。お花の模様が描かれたカーテンと赤いソファ、小さなテーブルもある。のんびりお茶も飲めそうで、こういうところに親しい友人や恋人と乗って旅をするのはまさにヴィクトリアドリームではないかと思ってしまう。いつか乗ってみたいな…。
目的地はケンブリッジで一時間ほどでたどり着くためとそこまで遠くはないけど、お茶を楽しむ時間くらいはあるかな。
「裁判が始まる前に手紙を送るわね。」
イザベラさんがアンナさんに言う。
「ありがとう、イザベラ。いつも助けられるばかりで…。」
「いいの、私たちの仲じゃない。」
二人が抱き合うのを淡々と見ていたらアンナさんがこっちにも来て軽く抱きしめられた。こんな時手を回していいのかわからないけど、まあ、別に罰は当たらないと思ってアンナさんを抱き返して軽く背中とぽんぽんと叩く。
「あなたにも感謝しているわ。なんでも困ったことがあったら言ってね。」
「はい、お元気で。」
「ふふ、たったの二か月ですもの。それより気をつけなさい、イザベラならどうにかしてくれるとは思うけど、彼はどこかわからないところがあるから。」
「ご忠告、痛み入ります。」
「じゃあまた。」
彼女が列車に乗って去っていくのを見て戻って。リチャードさんは色々準備をすることがあるらしく、レッスンが始まるまでは幾日か猶予があった。
そろそろメイド仲間たちにまともな言い訳をしないと大変なことになりそうである。そんなある日の夜のことだった。
この頃はほぼ毎晩呼び出されて、イザベラさんと夜な夜な雑談を交わしていた。話題は最近の政治や経済からメイドたちの間に流行っているゴシップにまで及ぶ。
「あなたに対価をまだ支払ってないけど、何がいいか考えてないわよね。」
「対価なんて前にも言いましたではありませんか。私はお嬢様の忠実なメイドでございます。」
実際にどこまで忠実なのかは私自身もわからないけど、少なくとも、ああ、今になって思うけど、あの瘴気に満ちた世界…、違った。私までヴィクトリアンにされてしまうところだった、苦しい環境から救ってくれたことには感謝していて、感謝の気持ちの分だけの働きはしたいと思っている。
「あなたのことだもの。そういうと思っていたわ。」
それにどういえばいいか少し迷っていると、
「父親を亡くしたらしいわね。」
まあ、さすがに雇用主の耳にも入るよね、メイド仲間たちは全員知っていることだし。
「はい、残念なことに。」
「彼とはどのような関係だったかしら。」
「会話はあまりしていませんでした。手を握ったり…。」
思い出しながら言うと。
「大丈夫?」
「ええ、大丈夫です。」
「泣いてもいいのよ?」
「たくさん泣きましたから。悲しみを引きずるようなことは致しません。」
「それは素敵な心掛けだけど、私にも主人としての義務があるの。」
「お気になさらないでください。大丈夫ですから。」
「貴族の矜持なのよ。使用人一人も気にかけられないなら貴族を名乗る資格なんてないわね。」
うん、この時代の貴族には啓蒙思想を持った彼女のような人が割と多かったんだよね。かのフランケンシュタインを生み出した作者メアリー・シェリーも貴族生まれだったし。
「失礼いたしました。」
「いいのよ、わがままを言っても。けど、そうね。この話は私だけで進ませるものでもないから明日に続けましょう。それよりルミ、あなたのことを話してくれないかしら。亡くなった父親が誰なのか、言えない?」
やっと、やっとこの瞬間が来た。私は深呼吸をして考えておいた答えを口にした。
「言えます。彼は下級労働者でした。母は娼婦、父は下級労働者。私が色んなことを知ってて、上流階級のアクセントを使えるのに何か事情があると思ったのでしょう。師がいました。たくさんのことを学びました。本も読むことができて、見分も広げました。それでも私はただの下級労働者と娼婦の娘にございます。」
「そう、だったの…。」
そう聞いたイザベラさんは少し悲しそうな眼をしていた。
「何かお気に障りましたか?」
「貧乏人に過ぎたる知識は毒となるでしょう、知識は使ってからこそのもの。あなたの師も酷なことをするわね。どれだけの痛みがあったのかしら。」
「それは…。」
あ、ちょっと今のだめ。そんなの言われたら。
「大丈夫よ。泣いても。」
涙が目にたまることを止められなかった。
それからしばらく泣いた。イザベラさんの胸を借りて泣いた。最近妙にスキンシップが増えてる。貴族女性って、案外親しいのかもしれない。
もしかして父が亡くなった時より泣いたかもしれなかった。
「今日は一緒に寝ましょう。」
いやいや、さすがにそこまで図々しくはならないって。私が流した涙でパジャマが大変じゃないの。
断ろうとしたけど漂う上位者特有のオーラと言うか、それに抗えず結局一緒のベッドで寝た。ふかふかだった。
次の日の朝は早く目が覚めたけどイザベラさんはまだスヤスヤと寝ていた。出ようとしたけど抱き枕にされていてちょっと動けない。結局イザベラさんが起きるまで待った。全く、いい御身分ですよ、寝坊出来るんだから。いや、まあ、実際にイザベラさんはいい御身分だけど。貴族だし。
それで起きてからは一階に降りて、みんなに同じことを説明。
そうしたら今度は私の謎の師匠に関することで盛り上がり始めた。まるで収拾が付かないじゃないの…。
いつものように仕事をしてたら昼頃になって屋敷に訪問客。社交シーズンも終わったのに若い男性が一人?若いというか、二十代後半くらい。
服装からして上流階級なのは間違いない。背も高く、鍛えられた体付きで。
目鼻立ちは俳優のように整っていて、薄い無精ひげが格好いい。この時代に無精ひげなんて珍しい気がするんだけど。
珍しくテイラー夫人が出向いてイザベラさんが階段を優雅に降りてきた。
一階の玄関ロビーで掃除をしていた私はその姿を横目で見ながら箒を動かしていたけど。
「ごきげんよう、ミスターアランデール。」
イザベラさんのいつもと同じく客人向けの挨拶。身分的に彼女より下の人かな。LordでもSirでもなくMisterだなんて。
「こんにちは、レディ・イザベラ。時間はあっているのでしょうか。」
声もめっちゃ渋いじゃん。本当誰なんだろう。
「ええ、あっているわ。」
イザベラさんが階段を降りきってアランデールと言われた男と目を合わした。
「それで、誰のことでしょうか。」
「そこの彼女よ。」
うん?イザベラさんの視線が私に向くとアランデールと呼ばれた男性の視線も私に刺さった。
え、私?また私?何?何なの?きょとんとしていると。
男性はにっこりと笑ってしゃがんで私と目線を合わせた。ちょっとドギマギしてしまう。惚れてないぞ。私はそんなにちょろくないのだ。
彼は言った。
「初めまして、お嬢ちゃん。サイモン・アランデールと言う。」
するとイザベラさんの言葉が続いた。
「彼があなたの後見人になるわ。これで問題ないはずよ。」
は?
ちょっとイギリスの植民地支配を養護するかのような書き方をしてますけど、別に作者はそんなにイギリスが大好きでたまらないから何でも許しちゃうとかそういうのじゃなくて、作者の書き方は主人公が何かしらの情熱的に自分の意見を作中で主張するようなのが好きで、作者の別作品でスパルタに対して書いたものがありますけど、そこではスパルタこそ至高!とか書いてますからね。作者自身の中身はそんななんか、情熱的な感じではなくむしろ何も考えなかったりするので、ただ作品は作品として見てもらえたら嬉しいです。




