3話 みんなで働くということ
それからは昼間に仕事をして夜になるとイザベラさんと会話をすることになったんだけど。同じメイド仲間たちからの羨望と嫉妬の目が…、ない。そういうのはない。
このヴィクトリア時代の文化的特徴と言えば人が一人で働くものではないということを皆が同意していることにある。
すべてが共同作業で、家事も例外ではない。特に貴族女性一人を養うための家事の量は本当に、これでもかと多くて、一番多いのが洗濯と着替えと服の手入れ。
上流社会の女性は一日五回着替えをする。なんでそんなに着替えるの。本人もそう喜んでやっているようには見えない、それでもみんなそうしているし自分だけ一日一着の生活をしたら、貧乏人かもしれないと勘ぐられる。
そう。互いがどれほどの財産を持っているかはわからないので、自分の財力を自慢する意図でそうやっている上流社会の人もいるとは思うけど、少なくともイザベラさんはそんな見栄を張るより自分がどれだけの消費力があって、財産がどれくらいあるのかを見せつけるための目的としてやっている感じが強かった。
彼女の場合はそれこそ切実に、そうしないとその美貌も相まって結婚の話が殺到するのは間違いないので。それを突っぱねることができるのは、自分はこれくらいの財産があるしそれを自分で管理しながら生活することに満足しているんだけど?というアピールである。
そんなわけで、一日五回着替えをするし一回着たものは必ず洗濯をするようにしていて。
洗濯機なんてもちろんあるわけがないので全部手で、みんな集まって布の特徴とかにも洗濯の仕方が違ってくるので、それらを考えながら分担して作業にかかる。
これがまた大変な重労働で。服の重さもさることながら重ねて着ているものだから着替えをするといってもそれがただのドレス一枚に終わるはずもない、上下に二着、その下に着るものも一着、日によっては上着、手袋、帽子、ベスト、ストッキングそしてヴィクトリア時代のすべての女性に蛇蝎のごとく嫌われたもの。
そうコルセットである。今は普通にファッションみたいに扱われて、そこまで締め付けることもないけど、この時代のコルセットの締め付けはただの狂気の沙汰。狂気のこもった凶器。自らの首ならぬ腰を締めるなんて、気でも狂ったか!
もちろん言ってやった。
「コルセットを閉めすぎるとあばら骨を折りそれがそのまま肺にささることもあるようです。痛みもさながらそのまま死亡することもあると聞きます。どうかご自愛くださいませ」
「私が死んだら皆の仕事がなくなるものね」
それからはちょっと緩くなってる。それでも少しは締めるけど。
これを一人で着るのにも当然ながら時間はかかるので、少ない時でも三人、舞踏会のドレスとなったら五人から六人がかりで色んな部分を締めたりボタンをかけたり、やることがとにかく多い。
そんな中で、のんきに嫌がらせとか嫉妬とかできるわけがない。そんな時間はないのでござるよ。みんなの力を合わせないと、この大きな洗濯物の山は片づけられないのでござる。
そしてなぜか私が力持ちなことがみんなに知られてからは重いものを運ぶのは専ら私の仕事になってしまったけど、これはいじめではない。分業化である。
残念なことに男性使用人がいないので、みんな助かっていると大喜び。男性使用人は結婚した夫婦ならともかく、一人暮らしの女性が使うには、この時代の人間の平均寿命的に老執事なんて洒落た存在は滅多にいないものだ。まるで伝説の生き物。
伝説の生き物、老執事。老執事が現れたらもうみんなツチノコを発見したかのように大騒ぎになること間違いなし。
老執事じゃなくてもこの時代だと老人自体が絶滅危惧種か何か扱いされていて、長生きした労働者階級の男を田舎の貴族家にある庭園の片隅で住まわせる風習があった。18世紀には助言なども受けたようだけど、今では何もしない。
妖精のような服装を着させて、妖精と言ってもノームみたいな感じで。
実際にノームとか呼ばれていたんだけど。小さいコテージまで作ってくれて。
ご利益があるとかなんとかで。
この老人は特に何かやることもない。ただそこにノームの服装をして住んでるだけ。芸とかしなくてもいい。ただ髭を長く生やして立ってるだけで子供たちが遠くから見てキャッキャッと盛り上がるのである。老人男性はどんな気持ちでそのコテージで生活していたんだろうか。
案外これはいい仕事だ、働かなくても食事も出てくるなんてここは天国か、みたいな。
それにしても一体どこから拾ってきたんだろうか。別に道端に転がっているものでもないでしょうに。
ただ業者さんたちは、彼女のビジネス的なつながりがあるのだろう、新しい家具とか買ったり古くて気に入らない家具を売ったりするときに行ったり来たりしているし、本格的な力仕事ももちろん、男性がどこからか来てはやっている。だけど、そう多くはない。基本はみんなで力を合わせたら何とかなる。出来なくてもなさねばならぬというこの使命感。
そしてこの作業の中で一体感なんてないとやってられないため、交友関係なんて気が付くとできているこの不思議。達成感も共有できるし、話も自然と弾む。
メイドの子たちは年齢はバラバラだけど殆どが10代後半。
当然みんなして個性があって、冗談のうまい子とかムードメーカーの子とかの話が可笑しくてティーブレイクの時に吹くことも何回かあった。
ただまあ…。いくら騒がしい子でも例外なく貴族様の前では無言になるけど。
表情も変わらない。自分からは何も言ってはいけない。
貴族家の従者たちは、出自自体はそこまで重要ではなく、縁故があって教育を受けるだけで十分だった。
出自の違いというと例えばここで働いている子の中で一人だけ、褐色肌の子がいるんだけど、インド人で、イザベラさんの父親がインドで旅をしていた時。
親に殴られていた少女を見てしまった。彼はそのまま親から少女を買い取り連れてきたんだと。
メイドの仕事ができるよう家の執事に教育を受けて、今はここで働ている。
なので私が娼館で過ごしていたことを言っても、どうだったのか聞いてくる子はいても、汚い娼館の子の分際で、みたいなことを言われることはなかった。
むしろ思春期真っ最中の子とかは興味津々で。
いや経験ないから。そう言ってもなかなか信じてはもらえない。ローラという14歳ほどの茶髪で元気そうな雰囲気の活発な子が特に私の経験に興味があるようで聞いてくる。
「娼婦じゃないなら娼館ではなにをやっていたの?」
「料理とか、体を綺麗にしてあげたりとか。新聞も読んであげたかな」
「字が読めるのね。誰に教わったの?」
「生まれながら知ってたんだ」
ローラはクスクスと楽しそうに笑った。
本当のことだけど証明できそうにない。
「じゃあ今はその娼館の人たちはルミがいなくて困っているんじゃない?」
「料理に興味を持っている子が三人もいたので教えたの。体を綺麗にするのはみんな自分でやるようにしたし、新聞は…。どうなったんだろうね」
「もう戻らなくていいんだから考えなくていいんじゃない?」
「月一回は戻れるの」
「お嬢様に言ってみた? 違う職場を探してくれるかもしれないよ。サドルトン家は優しい人が多いの。私も孤児になったところを助けてもらったんだ」
「そうだったの」
「うん」
「ちなみに避妊には羊の内臓を使うの。男性がそれを自分のものにかぶせると、子種が入れなくなるから」
「え、それって臭くない?」
「乾かしてるから匂いはそうでもない。それを洗って何回も使うの」
「やはり経験あるでしょう」
「ないって」
「あるんだ」
「ないんだって」
このように仲良く過ごしているのだ。




