1話 ヴィクトリア時代のメイド
皆さまの暖かい言葉によりちょっとやる気が出たので少しだけ書いてみました。
自分がいなくても私が今までやってきたことができるよう、娼館で二日間の引継ぎを終えて向かった貴族の館で私を待っていたのはメイドの仕事だった。
この時の私はもう10歳になっており、メイドになるには足りる年齢ではあったけど。
何故メイド?いや、不満はないぞ。何せヴィクトリア時代と言えばメイド、メイドと言えばヴィクトリア時代だからね。なのでホワイトブリムと白いエプロンを着てからはしゃぎまくった。私はメイドになったぞ!
メイドは私が前世で愛してやまないものだったのだ。数多の創作物に出てきて、男性が主人公の作品ではヒロインの一人にいるのはもう定番中の定番!女性が主人公の作品では主人公を陰から支える使用人の鑑!
ご主人様を喜ばせることこそを至上命題に考える愛らしい少女…。
例に漏れず現実ってそうはいかないものではあるけど、別にね。ちょっとくらいはしゃいでも罰は当たらないって。
「何をやってるの?」メイド服を着て箒を握りおしりをフリフリする踊りを踊っていた私にテイラー夫人が訝しそうな目で見ていた。彼女は屋敷でメイド長みたいなことをやってる。具体的に役職があるわけじゃないけど、すべてのメイドは彼女の指揮で動くのである。
「ちょっとメイド服可愛いなって」
「おかしな子ね…。仕事をさぼったらレディ・イザベラに報告いたしますのでそのつもりでいなさい」
うん。まあ。
仕事しないとね。
みんなと一緒に仕事をするけどあまり疲れないし地味な仕事なので頭の中は余裕である。なのでヴィクトリア時代のメイドのことをちょっと考えてみた。
農村部から都会へと出向いた女性にとって、メイドはある種の夢の職業だったと言える。都心部で急激に増える人口だったけど、それに見合う仕事を用意することなんて考えていなかったんだろう、それらは誰でもできる肉体労働が殆どで、その仕事のきつさは毎日農場の仕事をしていたとしても厳しいものがあった。何せこの時代の下層民の平均寿命は30歳に満たなかったものだから。
寝泊まりも労働者が集まる宿舎での生活を余儀なくされ、男女共用の場合はそこで住む女性は性的または肉体的暴力にさらされたのである。
じゃあ女性だけの宿舎にいればいいのではないかって、女性の宿舎は簡単に娼館になってしまう。だってもっとお金がもらえるんですよ、昼間死ぬほど働いて得たお金と違って、ただベッドの上に裸になって寝転がって天井のシミを数えているだけでお金がもらえるんですよ。
いや私はやらないぞ。なぜ私が天井のシミなんて数える地味な仕事をしなければいけない。システィーナ礼拝堂とかならともかく。あそこの天井は文字通り芸術的に美しいので、そこでならシミの代わりに美しい絵画を…。
そんなところで娼館の仕事をやったら捕まるか。翌朝の新聞紙の一面を飾るのは間違いなし。これで一躍有名人ですよ。そんなので有名人になってどうする。
それでそんなモラルハザードでしかない労働者の生活よりはメイドはずっとましなわけである。ご主人様たちと同じ屋根の下で寝られるからね。賄いだって食べられるし、いいご主人様に出会えたらこの時代になってからもっと美味しくなった、お砂糖とバターがたっぷり使われたパンとかもお茶と共に食べることができる。
その分、メイドになる条件もただの肉体労働者より高かった。家中のものの価値を理解する必要があるので、小学校、エレメンタリースクールレベルの教育を受けていないとメイドになることも難しい。
なので一般的にメイドになるルートはこんな感じ。
親が小作農だけどそこそこお金が余ってるので、娘を田舎に建てられた小学校へ行けるようにはからう。農村は小作農に対してエンクロージャーによる風当たりが厳しいので小学校を卒業したら都会へ行き、基礎教育を受けたことを証明してメイドとなる。
こうやってメイドとなる人の数はかなりのもので、なんとヴィクトリア時代後期には130万人にも及んだそうである。
だけどまあ、メイドだって仕事なわけだし。いいことばかりなはずがない。
先ずメイドは給料が少ない。どれだけ少ないのかって、一年中働いて稼げる金額は10万円から30万円ほど。一日の殆どを働いてその給料。さてはブラックだな。
100万じゃないぞ。この時代の価値に換算して10万円くらいということ。0が一つ少ないけど、それは仕方ない。メイドが主に働いていたのは中産階級のところだったんだから。
そしてメイドは基本的に仕事ができて当たり前、仕事ができなかったらそれがどんな理由であっても、たとえ病気にかかってしまったり、妊娠をしたり、そうなると即首である。
労働者の生活が待っているので安心…。安心できるわけがないので、必死に健康に気を付けて、妊娠しないように気を付けて。
当然これで終わりじゃない。主人からの忠誠心テストというのが流行っていた。いかがわしいものじゃない、カーペットの下のコインと言われる。
カーペットの下にコインを一枚隠す。掃除をしている最中にメイドがそれを見つけて主に報告すると合格。そもそも見つけられなかったら不合格、見つけても自分のポケットにそれを入れて見なかったことにすれば不合格。
不合格だと家から当然のように追い出される。何せロンドンはメイドになりたい若い女性であふれていたんだから、おめぇの席はねぇからと放り出しても無問題。
そしてメイドの生活は、運が悪かったら主の家族からはいないもの扱いされる。家事ロボットみたいな。いや今どきロボット掃除機だってもっと存在感ありますよ。可愛いし。可愛くない?あの丸いフォルムとか。扉を開けているとそのまま自由を探しに行くところとか。
それでいないもの扱いされるだけにとどまらず、階段の下にある物置小屋に住まわされ、階段も使用人専用に作られた、傾斜が激しく安い木材でできたそれを使わなければならず、階段から落ちてそのまま死んでしまうケースも多々あった。
なので悪役令嬢の皆さまは使用人の階段を使ってヒロインを落とすようにしましょう。証明された凶器ですわよ、オホホ。
ただこんなん起きたらいくら叩かれるのが日常の労働者階級(working class)だって黙ってはいられない。
別にストライキを起こしたわけじゃなく、ヴィクトリア時代の後期には互助会のようなものが作られるようになり、メイドを雇う人たちに働きかけ、メイドが働いた分だけ名誉に似合う褒章を与えることになる。
二年働いたら聖書を、五年働いたら推薦状を、九年も働いたら銀メダル、十五年だと金メダル。
ただまあ、今の時代の話じゃないけど。
それでも乳母とかだと子供たちとそれなりに親密な信頼関係を築き上げることが割と簡単にできたので、大人になった子供たちがそうやって後期ヴィクトリア時代に使用人たちの処遇を改善するように働きかけたという…。
なんかしんみりする話だけれど、これは中産階級のメイドの話で、貴族や資産家の上流社会で働くメイドはただの高給取りである。夢の職場と言っても過言ではない。
給料も高い、一日の中で仕事をする時間も日が明けてから暮れるまでとそう長くはない。出される料理も賄いなので美味しく、何せ毎日お茶の時間があるのである。メイドたちが台所へ集まってお茶を飲む。
日が高く昇って、仕事をし続けると徐々に体が興奮状態になってしまうんだけれど、やる気がみなぎってくるような感じで。
お茶を飲むとその興奮状態がすっと減って、フラットな気持ちになれる。だから飲むのかと。普通に美味しいし。ベテランメイドがいれた紅茶はそれはもう洗練されていて格別なのである。
そして夜になるとベッドへ…。
「レディ・イザベラからお話があるそうなんです」
呼び出された。うん。
言い訳の時間かな。
誤字報告ありがとうございます。




