88 現実の探偵はこうやって事件を終える
焦げ臭い。
鼻腔が爛れそうな、嫌な臭いだ。
恐怖はあった。
足が竦むほどの恐怖だ。
火だるまの人間に、四方どころか五方向から襲いかかって来られる光景は、正直戦慄を覚えるくらいに扁桃体を刺激するものだった。
「よぉし! それで良い! その男ごと手紙を消し炭にしてしまえ!」
「バカな……! なんと愚かな事を! エウデンボイ貴様!」
「ヴァァァァァァァンズ国王! これは貴方が招いた悲劇だ! 貴方が先代の意思を継ぎ我等を支援すると約束すれば必要なかった犠牲だ!」
「ぬ……ぐ……」
呼吸は少し前に止めている。
それに意味があるかどうかはわからないが、半ば無意識だったように思う。
いずれにせよ、元いた世界では決して味わう事のなかった、凄まじい瞬間だ。
「ト……イ……」
これでいい。
狙い通りだ。
探偵としての責務は全う出来た。
真相を皆の前で語り、納得を得て、依頼人の希望に応えた。
「トイさんが……! そんな……トイさんが燃えて……!」
あとは、依頼人に危害が及ばないのを願うのみ。
その為に、特攻隊の連中が全員俺に向かうよう仕向けたんだ。
手紙を燃やすよう誘導したのもそうだし、エウデンボイを刺激して俺への殺意を増幅させたのもそう。
俺一人、一箇所に標的が集中すれば、他のみんなが火傷する可能性は一気に低くなる。
「嘘だろ……? フザけんなよトイ!! こんなトコで死ぬんじゃねぇよっ!!!」
これで俺の役目は終わりだ。
残った仕事は、みんなに任せよう。
レゾンは機転が利かなそうだけど、ああ見えてそれなりに洞察力はある。
ポメラはよく取り乱すけど、追い込まれた時には意地を見せるだけの精神力を持っている。
リノさんは理知的だし、多分大丈夫。
「……」
マヤは何の問題もないだろう。
頼むぞ、みんな――――
――――と。
ここで終われれば良かったんだが。
「……む?」
生憎、ここで燃え尽きる訳にはいかない。
敵はエウデンボイを除いても五人もいる。こっちは俺を除くと四人。まさかヴァンズ国王に残りの一人をお願いする訳にはいかない。つまり、最低一人は俺がやらないとダメだ。サボれないのは致し方ない。
この二十八年の人生の中で、身体を鍛えていた期間はごく僅か。ケンカなんてロクにした事もないが――――
「が……!? はぁぁ……」
密接している正面の狂信者の股間を膝で潰すくらいは出来る。ここまではノーリスクだから楽だ。
よし、残り四人。
さあみんな、早く助けに――――
助けに……
「おい!! 助けに来てくれよ! こっちは五人に襲われてんだよ!」
誰一人来やしねぇ……マジかあいつら。俺って全然慕われてないのな……
「い、いや……だってお前……燃えたんじゃ……」
ようやく反応を見えたのはレゾン。それでも未だにその場から一歩も動いてない。
「見りゃわかるだろ! 燃えてないから!」
「あれ、本当です……トイさん燃えてません……えっ……なんで……?」
何その燃えて欲しかったかのような物言い!
ポメラは後でデコピンの刑に処しよう。
「なんだ!? 何がどうなっている!? まさか貴様等、直前に怖じ気づいて炎を消したのか!?」
「い、いえ……! そのような事は決して……!」
焦げ臭い。依然として焦げ臭い。
俺に突撃し、抱きついている狂信者連中の着ている服は、未だに燃えさかっている。言霊で生み出した炎だから、言霊でキャンセルも出来るんだろうが、誰一人それはしていない。今も皮膚を焼き続けているだろう。
でも同情はしない。自分を道連れにしようとした連中に気を遣う謂われはない。仮に洗脳状態だとしても自業自得だ。
「だったら何故その男に火が燃え移らない!? どうして平然としている!?」
「わ、我々にも何がなんだか……」
混乱は伝染する。でもそれはあくまでも、共感性を有する味方陣営の話。他人や敵の混乱を目の当りにすれば、逆に冷静になるのが常だ。
「なんかよくわかんねーけど、トイを助けるぞ!」
ようやく、この中で一番武闘派のレゾンが動いた。それに続いて、困惑したままのポメラも駆け出してくる。
「……ふふっ」
いつの間にか――――マヤが俺の背後にいた。こいつマジ何者なの。
「そっか。あの時の"あの言葉"か。全然わからなかったよ。やるじゃん探偵君」
狂信者の一人の燃えていない箇所を掴み、俺から引きはがす。そのマヤの行動とほぼ同時に、事態は一気に動いた。
「オラぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「《クリアムヴェンデロイズシャーサと同じ硬度に……!》……えええええええい!」
レゾンの拳が、ポメラの硬化した身体による体当たりが、俺の周囲で困惑していた狂信者達を次々に吹き飛ばす。
あと一人――――
「破ぁあああああああああ!」
最後の狂信者は、宙を舞ったリノさんが思い切り蹴り飛ばした。随分久々にリノさんの肉体が躍動する姿を見たけど、やっぱり老婆が無双する姿は良い。おばあちゃんっ子にはたまらない姿だ。
かなり初動は遅れたものの、期待通りみんながやっつけてくれた。
「トイ」
「リノさん。サンキュー」
「それより……なんで生きてるの?」
……またかよ!
「ポメラといいリノさんといい、なんで揃いも揃って『頭大丈夫?』と同質のリアクションなんだ……?」
「いや、だってなあ……」
困った顔のリノさんを遮るように、レゾンが割り込んでくる。
「あんな状況じゃフツー死んだって思うだろ……燃えた奴等に抱きつかれて無傷とか、正直ねーわ」
「すいません……レゾンさんと同じです……私もうトイさんが直視出来ません……こ、怖い……」
化物とか妖怪みたいに思われていたらしい。
折角みんなを気遣って囮になったのに、この仕打ちとは……
「っていうか、そろそろ説明してあげなよ。特にそっちの教祖サマ、どうにも納得いかないって顔してるよ?」
マヤの言葉通り、エウデンボイは今にも潰れそうな本屋の店主が新刊ごっそり万引きされた時のような顔をしていた。まだこっちの方が人の温かみを感じるリアクションなのが悲しい。
「……水筒だよ」
「水筒? 水でも掛けたのかよ?」
「でも、トイさんは水筒持って来ていないような……」
ポメラの言うように、俺は水筒を所持してはいない。実物の水筒の話じゃない。
「随分と長いこと一人でベラベラと喋ったから、俺の話を全部覚えてる奴はいないだろうが……実は話の途中に言霊を使ったんだ」
「「えっ!」」
ポメラとレゾンが同時に驚愕の声を発し、リノさんも目を見開いている。そんな中、マヤだけは一人薄笑いを浮かべていた。さっきの物言いといい、彼女は既に答えを知っているらしい。
「言霊だと……? いつ使ったというのだ……?」
いつの間にか、エウデンボイの顔は理不尽さに対する怒りに変わっている。今にも噛みついてきそうだ。
「お前との会話の最中だよ。手紙の入れ替えを指摘する直前だ」
「……」
俺とマヤ以外のその場にいる全員が、少し前の俺とエウデンボイとの会話を思い返している。でも恐らく、該当する言葉を見つけ出せたとしても、彼等には全くピンと来ないだろう。案の定、眼前のエウデンボイも要領を得ない顔のままでいる。
ただ、一人だけ正解に辿り着ける可能性を持った人がいる。
俺と同じ世界にいた――――リノさんだ。
「それじゃ会話を再現してみよう。『疑うのはそこじゃない。この手紙そのものだ』」
手に持った手紙をヒラヒラさせて、以前発した言葉を再現する。手紙(と入れ替わった何か)も一切燃やされていない。もしかしたら火の粉くらいは浴びたかもしれないが、それでもこの手紙が燃える事はなかった。
「エウデンボイ氏は俺に推理の披露を促す。俺は『そう急かさないでくれ。こっちにとっても賭けなんだ』と答えた。直後に『とある仮説を思いついたんだ』と続けた」
「……!」
リノさんが何かに気付いた。見開いた目を俺の方に向け、そのまま凝視してくる。俺は小さく一つ頷いた。
「そして、この仮説を説いた。『この手紙は、突き詰めれば水筒と同じ性質になる』。この《水筒と同じ性質になる》って部分。これが、俺の使った言霊だ」
仮説自体は『水筒が殺人事件のキーアイテムになったように、手紙がエウデンボイに対するキーアイテムになる』っていう、ハッキリ言ってどうでもいい内容だった。
当然だ。この一連の発言は、《水筒と同じ性質になる》って言霊をなるべく自然に言う為だけに作り上げた文章だったんだから。
以前マヤから貰った、左手に隠し持っていた水晶は、ここで消費された。
「この時点で、俺の全身と所持品全ては水筒と同じ性質になった。だから炎を防げたんだ」
「あ、あの……ちょっと待って下さい……どうして水筒と同じになったら燃えない身体になったんですか……? 関連性がわかりません……」
ポメラだけじゃない。レゾンも、そしてエウデンボイも納得していない顔だ。
この世界の水筒の主流となっている材質が何なのかは、正直俺も良く知らない。ヴァンズ国王が両親にプレゼントした水筒は人工物だったけど、竹や瓢箪のような自然物が主流の可能性も十分にあると睨んでいた。彼女達のリアクションを見る限り、その推察は間違っていないと思う。
つまり、水筒に耐熱性の高い材質が用いられているというイメージは、彼女達にはない。
でも俺は違う。俺の元いた世界の水筒といえば、ステンレスが圧倒的に主流。数千度の炎には耐えられないかもしれないが――――
「あーし達がいた世界の水筒は燃えないんだ」
リノさんの言うように、一般的には不燃性の材質だ。
日本語変換が可能な時点で、前の世界の知識が言霊に反映するのは確実。だから『水筒』という一般化した表現を用いた場合、俺の中の先入観が最優先され、元いた世界の水筒が採用されるのは想像に難くなかった。
でも、その『元いた世界の水筒の性質になる』っていう言霊を俺が本当に使えるかどうかは、完全に賭けだった。上手くいってくれて本当に良かった。
「マヤ。この手紙の言霊解除、頼めるか?」
「いーよ。面白いもの見せて貰ったから、こっちもサービスしなくちゃね。《エウデンボイ=アウグストビットロネの言霊を解除》」
渡した手紙がその瞬間、別の物に変質する。
それにしても……エウデンボイのフルネームを覚えていたのか。奴に関して調べていただけはあるな。
「はい。トイの推理通りだったね」
受け取ったそれは、ヴァンズ国王に贈られたバースデーカードだった。
手紙とは違って、書かれているメッセージは短い。贈り主じゃなくヴァンズ国王の所有物だったのも納得だ。恐らく、国王がそれを持っている最中にエウデンボイが話しかけて、長く持たせるよう仕向けたんだろう。
「さて、それじゃ聞かせて貰おうか。何故こんな真似をしたのか」
あらためて、エロイカ教の教祖と向き合う。
「……ククク」
なんだその悪役笑いは。まだ何かやる気か?
「フハハハハハハハハハハハ!!! 見事、見事だ探偵! まさに伝説の名に恥じない仕事振りよ! この私をここまで追い詰めるとは、最早天晴れと言うしかない!」
明らかに時間稼ぎだ。それ以外にここで俺を称える理由はない。
だとしたら、これは――――
「みんな気を付けろ! 信者達がまた言霊を使う!」
「最後の挽回のチャンスだ! 私の為に道を作れ! 忠誠心を示すのだ!」
既に全員が全身火傷を負っているにも拘わらず、信者達が立ち上がる。
エロイカ教の為に命を捨てる覚悟の五人。ボロボロでも何をしでかすかわからない。
ここは――――
「《余の右手よ、硬質化せよ》」
俺よりも一瞬早く、同じ事を考え、行動に移した人がいた。
「……!?」
エウデンボイの首筋を、強化した右手で軽く掴んでいる。
さっきから一言も発さずに存在感を消していた、ヴァンズ国王だった。
「エウデンボイ。貴公は父に尽くしてくれた故、これまでエロイカ教共々生かしておいた。だが信者を使い民の命を貪るというのなら、最早ただの反逆者に過ぎぬ」
「ヒィ……!」
「余を愚弄したその言葉の数々、誇り高き我等エルリロッド家への挑戦と受け取った。その身で返事を受け取るが良い」
マズい。ここでエウデンボイが死ねば、狂信者達が暴走を――――
「……と言いたいところだが、先日たまたま牢屋が空いたばかりでな。取り敢えずそこへ叩き込んでやろう。死にたくなければ信者共に命じよ」
「ぐっ……ぬ……」
……国王は冷静だったか。ヒヤッとしたな。
対するエウデンボイは、命が懸かっているのに即断出来ずにいる。それくらい、奴はこの仕掛けに賭けていたんだろう。実際、かなり手が込んでいた。
「……手を……出すな。私が生きる選択をせよ……」
それでも、命は惜しいらしい。
一度は立ち上がった狂信者達が、一人、また一人とその場に崩れ落ちる。最後の力を振り絞って立ち上がっていたんだろう。
自分達を殺そうとした相手に情けをかける意味はない。が――――
「レゾン、この男を城まで連行せよ。マヤ、貴公はテレポートで最寄りの病院へ向かい、この連中を担架で運ぶよう伝えよ」
「助けるんですか?」
「助かるか否かは運次第だが、余は民を見捨てる立場にない。例え殺人未遂の実行犯だとしてもな」
そう言うだろうと思った。
お人好しなんじゃない。王とはそういうものなんだろう。だから、これだけ真面目な人物でも、王族の名誉を守る為なら俺に無実の罪を着せる選択をする。
なんとも息苦しい人生だ。
「取り敢えず、礼を言わねばなるまいな。貴公のおかげであの男の策略から逃れられたようだ」
「お互い様ですよ。貴方が奴を脅さなかったら、厄介な事になっていたかもしれない」
「ふむ。なら貸し借りはなしだな。貴公にはあらためて父を殺した犯人になって貰うよう頼みたいところだが……」
「お断り致します」
「ふ……ならば明日、城に来い。そこで今後について話を聞きたい」
結局、俺にとっては一件落着とはならなかったが――――脱獄犯ってところは気にしなくて良くなったらしい。
一応、一段落か。
「トイさん……無事で良かったです」
マヤがテレポートで消え、レゾンが国王と共にエウデンボイを連行し、部屋には俺とリノさんとポメラだけが残る。エロイカ教の拠点に乗り込んだ時のメンバーだ。
思えばあの時は、まさかこんな事態になるとは思わなかった。そう思うと感慨深い。
でもその前にデコピン。
「あいったっ……! な、なんですか急に……!?」
「お疲れ様のハイタッチだ。挨拶みたいなものだな」
「ハイタッチ……知らない言葉です……トイさんの世界ではこれが労を労い合う儀式か何かなんですか……?」
指とデコのタッチだし、案外間違ってない気もしてきた。
「これでエロイカ教は壊滅ですよね……私の家族をメチャクチャにした人達ですけど……少しだけ可哀想な気がします……」
ポメラは複雑な顔で、床にうずくまる信者達を眺めている。既に衣服の大半は燃えているから、全員ほぼ全裸だ。火傷の度合いはそれほどでもなさそうに見える。言霊で発生させた炎だから、皮膚が焼け爛れる前に効果が切れて消えたんだろう。
でも確かに、命を賭けて臨んだ一世一代の勝負の結果が、全裸でコゲて敵に塩を塗られるってのは……可哀想と言えば可哀想かもしれない。
とはいえ、明日は我が身。俺だっていつ無残な敗北者になるとも限らない。気を引き締めて生きていこう。
「トイ……」
神妙な顔付きでリノさんが近付いてくる。気を利かせたのか、ポメラが代わりに離れていった。
「お疲れ様。これで依頼は果たしたよ」
「……ありがとう。あーしはいっぱい騙して、迷惑かけたのにね」
「気にしないでいいよ。国王命令は絶対だし、俺に恨みがあってやってたんじゃないのなら全然構わない。それに、リノさんの嘘のおかげで推理が捗ったし」
「……」
ムスッとむくれる老婆の姿は中々にレアだ。嫌いじゃないね。
「陛下の病気、公表するしかないのかな」
ヴァンズ国王がエロイカ教を潰し、エウデンボイが終身刑にでもなれば、元国王とエロイカ教の関係が外部に漏れる事はないだろう。
後は、身内に……それも妻に殺されたという事実をどうするのか。俺の最初の案に従い、認知症を公表するのか。それとも――――
「明日、話をしてみるさ。当事者達と」
最後の大仕事。
乗りかかった船だし、ここまで来たら最後まで面倒を見るとしよう。
それにしても……
「折角の探偵の見せ場が、まさか全裸の重傷者数名に囲まれてお開きとはな……」
全くカッコつかない。しまりがなさ過ぎる。
やっぱり、俺は架空の探偵のようにはなれないらしい。
「トイ」
諦観の念にこめかみを痛めている最中、リノさんが静かに俺の名を呼ぶ。
「あーし、元の姿に戻るね」
それは、彼女の決意表明であり、俺への信頼を示す言葉だった。
「いいのか? あくまで俺の予想だけど、元に戻ったら……」
「元の世界に戻る。トイの代わりに。あーしはそれでいいよ」
恩人である元国王の真相を知り、彼女の心残りはその元国王の名誉が守られるかどうかだけ。俺がそれを果たすと信じたからこそ、決意したんだろう。
「それがあーしの責任だよね」
そして、俺をこの世界に召喚した代償だ。
彼女は『自分を犯人にしろ』と言っている。この前、彼女が俺に話したあの嘘のシナリオを適用し、事を納めろと。
別の世界へ行けば、国王殺しの犯人として処刑する必要はない。国民には『犯人は既にあの世へ送った』とでも伝えれば良い。あの世ってのが冥界か異世界かだけの違いだ。ヴァンズ国王もそれで納得するだろう。
でも――――
「……ああ。そうだな」
俺のその返事には、全く違う思念が乗っかっていた。




