86 並列回路
今、部屋の中には六人の敵が存在している。親玉であるエウデンボイ、そして火の玉特攻隊とでも言うべき五人。連中はエウデンボイの命令一つで言霊で衣服に着火し、そのまま俺達に体当たりを仕掛けてくるだろう。対象は俺、リノさん、ポメラ、レゾン、マヤ。最初からマヤが来る事まで予想しての"五人"だったのか、予備に一人多く控えさせていたのか、単なる偶然なのかはわからない。知る意味もない。
必要なのは、このままだと分が悪いという危機感の認識だ。そしてそれを打開する上で何をすべきなのかという洞察。それには永久凍土の冷静さが必要だ。
間違っても捨て身の覚悟を持った連中を刺激しちゃいけない。相手は狂信者だ。理屈が通用すると思っちゃいけない。
「彼らが気になるかい? 察しの通り、私を崇拝する信者達だ。私の指示には絶対に従う」
「言霊で洗脳状態にでもしたんじゃないのか?」
「それはまた随分と突飛な事を言う。尤も、仮にそうだとしても咎められる理由は何もないがね」
……おいおい、本当かよ。それはちょっとシャレにならないぞ。
俺もリノさんから洗脳のような状態にされていた。リノさんのイエスマンだった頃の俺は、何の疑いもなく彼女の言葉を、存在を信頼していた。今にして思うと恐ろしい話だ。
あれと同じ状態だとしたら、恐らく何の疑いもなく連中は火の点いた状態で飛びかかってくるだろう。万が一、油のような物を所持していたら防ぎようがない。
そうさせてはいけない。その為には――――
「それよりも、さっきの発言の真意を問いたいね。その手紙が何だって?」
絶対優位の立場にいると信じて疑わないエウデンボイの顔は、憎たらしいほど余裕綽々だ。初対面の時に感じたエリートサラリーマンのような印象は、どうやら半分正解で、半分間違いだったらしい。
似ている。
俺の親父を陥れた――――上司に。顔の作りじゃなく表情だ。
親父はその上司に強要され、犯罪に手を染めた。家庭崩壊の導火線に火を点けたのは、紛れもなくあの男だ。
丁度良い。どうせしばらくあの男のいる世界には帰らないんだ。ならその前哨戦として、似た表情をするお前をズタボロにしてやる。
私怨とさえ言えない、単なる八つ当たりでしかないが……人を陥れて悦に浸るような野郎にはピッタリだ。
「この手紙は、ヴァンズ国王が書いた物だとは思えないと、そう言ったんだ」
さて、ここからは同時に二つの事をこなさないといけない。
一つは、奴の論破。いや……論破って言葉は嫌いだから、論駁としよう。奴を全力で論駁する。
そしてもう一つは、特攻隊五人の封殺だ。奴ら全員を無力化しないといけない。一人でも実行に移されたら、それは敗北を意味する。
重要なのは、エウデンボイを追い込み過ぎない事。余りにも打つ手がなくなれば、自棄になって俺達を始末しに来るだろう。流石に国王殺しはしないだろうから、それ以外の五人が標的だ。
マヤは恐らくどうにでもする。レゾンも多分大丈夫だ。俺は……言霊を使えばどうにでも出来る。周囲の酸素を極端に減らすとか……は流石に怖いから、『不燃物になる』って言霊で良いだろう。
問題は、ポメラとリノさんだ。ポメラは硬くなる事は出来ても、火を防ぐ事が出来るかどうかはわからない。
リノさんに至っては召喚以外の言霊は使えないと言っていた。もしかしたらレゾンと同じくらい強いかもしれないし、仮にそうなら特攻を躱すのは難しくないだろけど……今の彼女に、それだけの覇気があるかというと、正直わからない。
俺が計画をダメにした事で、気落ちしているのは間違いない。それどころか、責任を感じて死のうとしている可能性さえある。
俺はずっと、リノさんの言霊の支配下にあった。でも今は違う。これは俺の正常な思考によって導き出した、リノさんという人間の人物像だ。彼女は責任感が強い。そして……意外と脆い。
一人で異世界に来て、ずっと一人で生きてきたんだろう。それを救った元国王に対して、負の感情を抱けずにいるのもわかる気はする。でもそれを未だに割り切れていないのは、彼女の脆さだ。中身はまだ若い、恐らく十代の女の子。脆くても何ら不思議じゃない。
この二人にだけは、絶対に狂信者を近付けさせてはいけない。その為にはどうすればいいのか……
「探偵ともあろう者が随分と異な事を。他ならぬ君自身が証明したのではないか? その手紙の所有者……最も長く触れたのは、間違いなく陛下だと」
「ああ。それは間違いない。この手紙には、ヴァンズ国王が誰よりも長く触れている」
「なら疑いようはあるまい。逆に、それを陛下が書いていないのなら、最も長く触れた理由とは何かね? その手紙は私宛に届けられた物。陛下が受取人である筈もない」
「疑うのはそこじゃない。この手紙そのものだ」
既に――――この手紙に関する推理は終えている。答えには辿り着いている。何故この手紙の所有者がヴァンズ国王なのか、その答えには。
だが、それを今直ぐ言う訳にはいかない。その前に、狂信者の特攻を防ぐ手立てを思いつかなければ。
どうする?
五人同時に動けなくするような、魔法みたいな言霊は何かないだろうか?
例えば……俺が今足で触れているこの床をベトベトに変質させるとか。言霊のルール上は触れている物なら自分と見なせるんだから、床に細工は出来る筈だ。
でも、連中は靴を履いている。靴を床に引っ付かせても、脱がれてしまったら元も子もない。
やっぱり、酸素を薄くするしか手はないのか……
「勿体振るじゃないか。早く聞かせてくれたまえよ、探偵の推理とやらを」
流石に考えが纏まらない。俺一人では限界がある。
マヤにアイコンタクトでも送るか? でも、通じなかったら何の意味も――――
……待てよ。
俺一人……俺一人、そうだ俺一人だ。
そうか、その手があったか。
よし。そうと決まれば後は実行のみだ。
現実を生きる探偵に必要な技術、実務経験で培ってきたものを今こそ見せてやろう。
「まあ、そう急かさないでくれよ。こっちとしても賭けなんだ」
「ほう。賭けとは一体?」
「とある仮説を思いついたんだ。この手紙は、突き詰めれば水筒と同じ性質になる……って仮説をな」
「……どういう意味か説明して欲しいものだね。それだけじゃあ到底わからない」
これは、本当に賭けだ。失敗したら命取りになる。正直、平常心じゃいられない。
「水筒というのは、余が両親に贈った水筒の事か」
「ええ。元国王殺人の一件は、この水筒が決め手になった。今度はこの手紙がそうなるって事です」
それでも、俺がやるべきなのは言葉を積み重ねる事――――それだけだ。
「でもそれはあくまで仮説であって、正しいか否かはこれからする確認に懸かっている。もし俺の思惑通りじゃなかったら、その時点で仮説はあっという間に燃え尽きてしまう。だから――――賭けなんです」
言葉は、時に魔法になる。何気ない俺の今の発言の中には、この室内にいる少なくとも数人の気を引く言葉が含まれていた。案の定、これまで自分の使命にのみ集中していたであろう信者達が、一斉に俺の方へ意識を向けたのが容易にわかった。というか視線が完全に向いている。
『燃え尽きてしまう』
この言葉を発しただけで。何故なら、彼らが今からやろうとしている事と類似性があるからだ。だから敏感になる。
そしてエウデンボイもまた、余裕の笑みを消していた。
「トイ」
ヴァンズ国王も、なんとなく俺の意図に気付いたんだろう。これ以上刺激するなと、最小限の言葉で呼びかけてくる。
でも今は聞けない。気付かなかったフリをしよう。
「その仮説を説明する前に、確認をしたい。マヤ」
「え? わたし? 何?」
「お前がリノさんの姿を今の婆さんの姿に変えたんだよな。ワルプさんって人と入れ替えて」
「そうだけど。それならもう確認済みでしょ? 何を今更……」
「一体、どんな言霊を使って入れ替えさせたんだ?」
言霊は原則、自分にのみ効果を発揮する。ただし何かに触れていれば、その触れている物も自分の範疇となり、言霊の効果が及ぶ範疇となる。だから、水筒に触れて言霊を使えば、その水筒のスキャンは可能だ。
ただこの場合、触れた物は身体の一部となる。そして、その一部にだけ効果をもたらす言霊は、その時点で範囲指定となる。つまり、既に一つ『範囲指定』という条件が乗っかっている訳で、難易度を一つ上げている。
経験上、言霊は条件が重なるほど難易度が上昇する。触れた物のみに効果を発揮させる事自体は難しくなくても、『持った物を爆破する』のように強烈な効果を持つ言霊と組み合わせると、途端に難易度が跳ね上がる印象だ。
だとしたら、マヤは一体どうやってリノさんの身体を入れ替えたのか。例えばリノさんにだけ触れて『今触れている身体と、別の人間の身体を入れ替える』という言霊を使ったのか。それとも、入れ替わる身体を最初からワルプさんだと指定したのか。
或いは――――
「えっとね、リノとワルプさんの両方の身体に触れて『今触れている二人の人間の身体を入れ替える』って言霊を使ったよ」
「……それで本当に可能だったのか?」
「まあね。片方だけに触れての入れ替えは難しいけど、どっちも触っての入れ替えならすんなりいくよ。右手の怪我を左手に移す、みたいな感じかな」
その感覚は全くわからない。恐らくマヤは天才的な言霊の使い手なんだろう。
でも、"その言霊"が使えるのなら、話は早い。
「トイさん。確認ってそれですか?」
「ああ」
長らく喋ってなかったのが不安だったのか、ポメラはあまり実のない疑問を口にした。心なしか声が上ずっている。やっぱり、狂信者の侵入で相当神経が磨り減ってるらしい。
もし今の状況で特攻されたら、恐らく避けきれないだろう。
だからこそ、ここからが重要だ。
「エウデンボイ。わかったかい?」
如何に――――この男の感情を逆撫で出来るか。
「何がだ」
「今のやり取りでわからなかったのか? さっきは随分と偉そうにしていたが、その割に思考力はイマイチだな」
如何に苛立たせるか。如何に俺を意識させるか。それが大事だ。
「それは何の挑発かな?」
……流石に露骨過ぎたか。とはいえ、挑発と思われる分には構わない。
「事実を言ったまでだ。俺はもう、ほぼ答えを言っている。わからないのか? この手紙がヴァンズ国王の書いた物じゃないとしたら、そこにはどんなギミックが存在するのか」
「……」
ギミックという言葉が、エウデンボイの表情を変えた。
既に余裕はなくなっていた。
そして――――それはお互い様だった。




