85 絶体絶命へのダイブ
若草色を基調とした少し派手な上着を着たエウデンボイとは対照的に、部屋に侵入してきた連中は地味な装いで、ワンピースのように上下が一続きになっている薄汚れた布の服に身を包んでいる。エロイカ教の信者なのは想像に難くない。そして当然、全員が男。色合いも地味で、通常の十倍くらい薄めた麦茶みたいな感じだ。
「何事だ!」
ヴァンズ国王の叫声が室内に響く。当然、この連中の存在は国王と示し合わせていた訳ではないらしい。エウデンボイの独断……というより計画だ。
恐らく奴は、仮に俺が言い出さなくても手紙のスキャンを自ら提案するつもりだったんだろう。
「金が盗まれた時点で、俺達がこの場に集い、証拠となる元国王の手紙を持ってくる所まで想定していたのか」
「ほう、随分と冷静ですな。現状がどのような危機的事態かおわかりでないのか?」
「……」
室内に入り込んできた連中は全員で三、四……五人か。
普通に考えれば、俺達を制圧するか、少なくとも抵抗させない為の構成員。でも一見すると、体型は標準的な連中ばかりで、とても屈強な戦士には見えない。レゾンなら簡単に倒せそうな連中だ。
"だからこそ"怖い。
以前、ポメラと一緒にエロイカ教の拠点に向かった時、ポメラが言っていた事を思い出す。
『私としては……建物の中に入って言霊で自爆するくらいのつもりでいます……!』
実際には言霊で自爆は出来ない。言霊では人は殺せないらしいからな。その『人』には当然自分も含まれる。
でも――――
「なら教えて差し上げよう。彼らはエロイカ教の忠実なる信者達。教祖たる私の為なら、自らの衣服に着火させるくらいは平気で出来る者達なのだよ」
そう……自爆じゃなくても、それに近い方法は幾らでもある。
「自ら炎の塊と化し、特攻させるつもりか。道理で如何にも燃えやすそうな服を着ている訳だ」
「良いね、良いよ探偵の青年。君は実に良い。やはり、私の目に狂いはなかった。君は私に利用される価値のある人間だ」
褒められているのかもしれないが、当然ほんの一欠片も嬉しさは湧いてこない。
こいつらは完全なるテロ集団だ。エロイカ教の正体は売春宿経営の集団だとばかり思っていたが、どうやら真っ当な邪教でもあったらしい。
とはいえ、実行するつもりがあるのなら、ここで敢えて教えはしない。最初から脅迫要員として配置していたんだろう。用意周到な奴だ。
「そういえば、前に街中で偶然お前さんを見かけたよ。あれもわざとなんだな?」
以前、俺とポメラが潜伏言霊の実験を行っていた時、奴は俺の前に姿を見せた。それがきっかけとなり、俺は奴とヴァンズ国王が密会している現場を押さえる事が出来た。
でも、それがもし誘導だったのなら……
「御名答。君なら間違いなく私を尾行すると思っていたのでね」
やはりか。
俺は元国王の死についてずっと調査していた。その俺が、現国王とエウデンボイの密会を目にしたとなれば、当然そこに元国王との関連性を結びつける。
つまり――――
「目的は、俺にヴァンズ国王を怪しませる為だな? 今のこの流れが最初から計画されたものとは到底思えない。金を盗まれる事は流石に予想出来なかった筈。もしそこまで計算していたのなら、金はもっとわかりやすい場所に置いていただろうしな」
回答はない。ただ、エウデンボイの表情は雄弁だった。どうやら間違いないらしい。
「当初の予定では、疑心暗鬼に陥った俺がヴァンズ国王の周辺を調査し、元国王とエロイカ教の関係に辿り着く……そんな流れを想定していたと考えるのが妥当だ。そうなれば当然、俺はエウデンボイ、お前さんに再度話を聞きに行く。そこで俺に、元国王の手紙を預けるつもりだったんじゃないのか? 俺がその手紙をスキャンするよう、ヒントでも添えて」
「ふふ……探偵とはストーリーテラーなのだな。見事だ」
余裕の笑みは消えない。過去の行動を見透かしたところで、エウデンボイには痛くも痒くもないからだ。
「ここでの誕生会の翌日、王城でのパーティに君が来るのは容易に想像出来たよ。無論、陛下や先代の事を調べるつもりなのは言うまでもない。だが先代の裏の顔など、知る者はほぼいない。陛下を怪しんだところで、何も出ては来ない。ならば次は私の元へ来る。そうなる筈だったのだが……余計な事をしてくれたものです、陛下」
その王城で、ヴァンズ国王は俺が犯人だと国民に向かって宣言した。その結果、俺は暫く行動不能となり、マヤに助けられ、エウデンボイの部屋に行く事になった。奴にとっては計算外の出来事だった訳だ。
でも、マヤが金を盗んだ事で状況はまた一変した。奴はその事実を巧みに利用し、もう一度ヴァンズ国王を追い詰める計画を立て直した……そんなところだろう。
「本当に、貴方は私達にとって邪魔な存在なのですね。陛下」
「貴様……」
「私と先代は非常に上手くいっていた。理想的な関係と言っても良い。彼は言霊に関しては英雄だったが、同時に色を好んだ。それも実に偏った性癖の持ち主だった。そして私に、そんな御自身の欲望を満たせる、そしてその崇高な女性観を未来永劫守り続ける為のビジネスを任せてくれたのです。先代は、御自身が朽ち果ててもこのビジネスは……エロイカ教は残していくよう、私に託された。私は先代の夢の担い手なのですよ」
……どういう感情で聞けばいいんだ? この話……
「フザけるな! 王族が売春宿の経営を企画し、あまつさえ資金援助していたなど、美談になってたまるものか! そんな事を父が正気で行っていたなど、ある筈がない! 貴様が唆したのだろう!」
「それが陛下の本音なのですね。私に近付いたのは、エロイカ教を潰す為……その際に一切の秘密が漏れないよう、そして誰にも知られないよう、御自身のみで動かれていたのですね」
「フン。今となっては隠す必要もない。その通りだ。余は父の名誉を守る為に貴様と接触した。そして確信したのだ。父は貴様に騙されていたのだと! 病気であらゆる認知や判断が出来なくなっていた父を誑かしたのだな!」
「陛下、その決めつけには何ら根拠はありますまい。私の元へ送られたあの手紙は、陛下の所有物と言霊が示しています。あのような偽の手紙を書く時点で、陛下は認めていたのです。先代は自らの意思をもって我々と懇意にしていたと。そうでないのなら、堂々と私の元に現れ、命じれば良い筈。『貴様は王を誑かす重罪人だ』と。それが出来なかったのは、私に非がないのを知っていたからではないですか!」
「違う……!」
状況は最悪だ。
確かに、あの手紙の所有者がヴァンズ国王である以上、国王がどれだけ否定しても説得力に欠ける。舌戦では明らかに分が悪い。
加えて、自らを着火装置にする覚悟を持った連中が押し寄せている現状。これではレゾンもマヤも迂闊には動けない。武力行使も完全に封じられた。
そして何より……俺にとって、ヴァンズ国王は味方をする必要がある人物じゃない。寧ろ、俺に濡れ衣を着せようとしている『悪』だ。助け船を出す理由はない。
――――と、奴は考えているだろう。
「お認めになったら如何ですか、陛下。我々は先代の夢そのもの。それを潰すなど、息子の貴方がして良い筈がない。我々エロイカ教は、この国の為にも生き残るべきなのです。この国に生きる女性の斯くあるべき姿を示す為にも」
既にエウデンボイはふくよかな女性に興味がない事をカミングアウトしている。当然、女性の斯くあるべき姿云々には全く興味はないんだろう。奴は売春宿の経営さえこれまで通りに出来ればそれで良い。それが王族の弱味である以上、骨の髄までしゃぶり尽くせるんだから。
「さあ、陛下。いい加減お認めになられては――――」
「その前に一ついいかい」
俺は、その行為を許さない。
理由は一つ。
エウデンボイという名のこの男のやり口が気に入らないからだ。
「この手紙……本当に、ヴァンズ国王が書いた偽の手紙なのかな?」
そう問いかけた俺に対し、エウデンボイは好戦的な笑顔を向けた。
今に見ていろ。
その薄気味悪い笑顔、必ず消してやるからな。




