71 過去見
――――思えば、愉快な道のりだった。
自分の人生を振り返る事にどれ程の意味があるかはわからない。でも、時々は思い出しておかないと、自分が何者で、どんな人間なのかさえわからなくなってしまう。
人間は連続性を記憶だけじゃなく感情にも宿している。喜怒哀楽は決して独立した感情じゃない。むせび泣いたり、ブチ切れたり、絶叫したり、抱擁したり、そんな新しい自分の積み重ねが新しい感情を作り出していく。そして今の俺がある。人格はそうやって形成されていく。
持って生まれた人間の性格は恐らく一生変えられないが、纏う鎧をどんどんアップデートしていく事で、人は変わる。正確には変わっているように見せる事が出来る。
誰しも成長はする。肉体的に大きくなる。でも、精神に関しては必ずしも成長しているとは限らない。変化しているように周囲が見なしているだけかもしれない。本当の自分は、何ひとつ変化していないのかもしれない。
だから過去を見る。今の自分が、当時の自分をどう評価するのかを試し、その都度今の自分を確認していく。その作業が、もしかしたら自分は成長しているんじゃないか……と実感出来る唯一の方法だと俺は思う。
眠れない時は、そんな作業で時間を潰すのが有意義だ。俺はそうやって生きてきた。だから睡眠不足で悩む日は少ない。なんだかんだで、昔の自分ってのは退屈なもので、思い返している内に睡魔がお疲れの顔でやって来る。俺はその手を取って、満面の笑顔で抱き寄せるんだ。
今夜は久々に、昔の自分を振り返る夜になりそうだ。
「……居るかい、リノさん」
ただしいつもと違うのは、自分の中だけで完結しない点。まあ、それも初めてじゃないんだが。
これでもアラサーだ。他人に自分の過去を話した経験の一つくらいはある。最終的に残ったのは後悔だけだったが。
それも、俺の未熟さが原因だ。当時はただ自分という存在を知って欲しかった。独りよがりの独白だった。無意味な自分語りほど、他人をイラ付かせる話題はないっていうのに。
それでも、そんな失敗があったからこそ、有効利用の方向性が見えてきた。ようやく今日、それが試せる。
「いない訳ないでしょ。拘束するように言ったのはあーしなんだから」
「ああ。でも、そう宣言する事で『拘束しているんだから見張りは不要』と油断させて、部屋で一人の状態を作り、隠し持っていた水晶を使って言霊で脱出……なんて事を考えつくかと思ってね。リノさんなら」
「買いかぶり過ぎ。あーしにそんな頭ないし」
扉越しの会話が心地良い。
「絶賛束縛中の女子と二人きりになるのは倫理的にマズいから、ここで話すよ。ちょっとだけ付き合って欲しい」
「何を?」
「以前君に話した俺の過去話。あれは嘘でね。訂正しに来た」
「……」
返事はない。信じきっていたのか、最初から嘘と見抜いていたのか、単に興味がないのか――――
「あの嘘は、リノさんが自分の過去を俺に話し易くする為の布石だったんだ。先に自分が過去話を聞いていたら、今度はこっちも話さないと……ってバイアスがかかるだろう?」
「そんなつもりは全然なかったけど」
「潜在意識への刷り込みだから、自覚はない事も多い。でも人は、された事ならしても良い、した方が良いって自然に思ってしまうものなんだよ」
実際に奏功したかどうかは不明。でも事実として、リノさんは俺に過去を話した。断片程度の過去ではあっても。
だから今度は、俺が本当の過去を話すべきだ。戦略ってのはフェアを重んじる必要はない。礼儀が欠けている場合もある。けどそれは、敵に対してだからだ。仲間相手にアンフェアな駆け引きは出来ない。育ちの良くない俺の、数少ない良心だ。
「前に話した俺の父親の件……ギャンブル狂いってのは真っ赤な嘘だ。実際の彼は真逆で、真面目なサラリーマンだった」
この世界にサラリーマンの概念があるかは微妙なところ。だから本来なら別の言葉を使うべきなんだろうが……今はこのままで良い。彼女にはこのままの方が良い。
「ただ、勤めていた所が休みもロクに与えず毎日夜遅くまで働かせる厄介な勤務先でね。人の良さもあって、仕事を沢山押しつけられていた」
「それって……」
リノさんは何かを言いかけて止めた。その先の言葉は容易に想像出来る。恐らくもう間違いないだろう。
「俺は当時は子供だったけど、一応それなりに心配はしていたよ。何度か『辞めれば?』って言ってもみた。まあ、それが出来れば誰も苦労はしないんだろうが……社会に出るまではそんな発想もなくてね。純粋に、日々弱っていく父親を見るのが悲しかった」
「トイ……子供の頃は普通の子だったんだね」
「そうでもない。そこで俺は、父の勤務先を是正出来る立場になりたくて警察を目指したんだから」
警察に近い組織は、この世界にも当然いる。自警団や軍兵がそうだ。実際にはその中間くらいが警察なんだろうが。
「当時は知識がなくてね。警察がそういう腐った勤務先を指導出来ると思っていたんだ。実際には全く違う機関の仕事なんだけど。でも、俺は本気だった。本気で父を救いたかった」
「……」
扉越しの声は聞こえて来ない。話を続けよう。
「でも遅かった。父はそこで犯罪に手を染めていた」
「え……?」
「契約書を偽造したらしい。本人は否定していたけど、私文書偽造等罪って罪状で逮捕された。ただ偽造するだけなら逮捕までは滅多にされないんだけど、偽造した契約書が取引に使われたから、あえなく御用。一等親に犯罪歴が付いた事で、警察への道も事実上絶たれた」
当時の俺には、幼稚でも純粋な正義感があったんだろう。心から父を助けたいと思っていた。
でも警察にはなれない。厚生労働省に勤めるのも現実的じゃなくなっていた。
「だから俺は、次善策として――――探偵を目指す事にした。探偵なら、身内の犯罪歴は関係ない。調査だって出来る。情報だって手に入る」
……あの頃はそう信じていたんだ。本気で。
「でも、その夢が叶う頃には、俺は一人になっていた。父は執行猶予期間が過ぎた直後に失踪。そのずっと前から、母は俺から興味をなくしていた。理由はわからない」
どんな親でも例外なく子供に愛情を抱くなんて、幻想以外の何物でもない。
だから、母親が俺を見限ったのは、特異なケースじゃないんだ。まして、そこに隠された真相があるって訳でもない。実は俺の為を思って距離を置いたとか、そんな事実は一切ない。
「俺を育ててくれた婆ちゃんが天に召されて、俺は独りになった。そして探偵になった」
探偵は現実の職業だ。決してミステリー小説の主人公なんかじゃない。それは探偵という同じ名の、全く別の存在だ。
「今ならわかる。俺は失踪した父を探す為に探偵になった訳じゃないし、母が自分をどう思っていたのかを知る為になった訳でもない。ずっとそう思っていたけど――――多分、それは強がりだった」
俺はただ――――
「ただ、真相を知りたかったんだ」
無意味に見捨てられる子供なんていない。そんな綺麗事を、世迷い言を、俺は純粋に信じていたんだ。当時はもう、高校も卒業していたっていうのに。
「以上、修正終わり。これが俺の本当の過去だ。探偵になって十年、事務員を雇って一時はそれなりの規模の事務所になったけど、結局全員辞めて俺一人で生きていた。そんな時に――――ここに召喚された。昨日の話が真実なら、リノさんによって」
ようやく……ここまで辿り着いた。この年で目的もなく自分語りなんてしない。
「召喚ってのは本来、自分がこの世界から消える代わりに別の世界の人間を引き寄せる言霊……だったな」
「うん」
久々にリノさんが反応を示す。彼女も、とっくに気が付いているんだろう。俺が聞きたい事が何かを。
「殺人の際にトリックを使っていたから、王太后を犯人だと国民に誤認させる為には、探偵がいた方が説明に説得力がある……だったな。探偵を呼ぶ理由は」
「そうだよ」
「この世界では、探偵は伝説になっている。でも、ミステリー小説なんて物はない。探偵は謎解きはしても、トリックなんて暴かない。現実の事件にトリックなんてまず存在しないからな」
扉越しじゃ、リノさんがどう思ったかは把握出来ない。だから、こちらとしては平然と続けるしかないだろう。
「リノさん。君は『俺の世界における探偵のパブリックイメージ』を知っている。この世界じゃなく、俺の世界に存在している探偵のイメージだ。それが何を意味するのか。答えは一つ」
それは、ずっと前から抱いていた疑念――――
「君は俺と同じ世界にいた」




