66 ミスリード
「それじゃ、探偵さんはリノの言う事を信じてないって訳?」
マヤの声が、夜風よりも冷ややかに伝う。今の彼女は本当に感情的だ。でもそれでいて冷静さは失っていない。
よく、何処ぞのタレントまがいの学者やプレイボーイ気取りの芸能人が馬鹿げた事を言っている。『女は感情で物を言う生き物で、男性は論理的な生き物だ』と。とんでもない話だ。それはただ単に、理知的な女性と巡り会っていないか相手にされていないだけに過ぎない。少なくとも俺は、ここにいる二人の他にも複数の該当者を知っている。
逆に、自分の感情以外の言葉を発しない男も年代問わず山ほど見てきた。結局、世の中に浸透している性差なんて殆どはこじつけと自分の優位性を証明したいだけのものに過ぎない。自分が信じたいものだけを情報として取り入れた結果、それぞれの性別にとって都合の良い論を声高に叫んでいるだけだろう。
だから、マヤもリノさんも既に気付いているかもしれない。俺の真意に。
それでも、まずは突き詰める。それが最も重要な作業だからだ。
「今はリノさんを犯人だと仮定して話を進めてる。犯人の『やっていない』は何の意味もない。自己弁護か真実か、それを把握する術がない限り」
水晶が手元にあれば、言霊でそれを証明する事が出来たかもしれない。でも今の俺は丸腰だ。
「そしてリノさんが犯人であるなら、彼女が老婆の姿のままでいる事にも説明が付く。そうだろう? マヤ。君なら既に仮説を立てている筈だ」
「……」
返答はない。つまり、考えていた証だ。
実際、そこに難しい理屈は必要ない。
「老婆と入れ替わった理由が元国王のセクハラにある以上、元国王が存命の際にリノさんはその姿だった事が確定される。なら犯行も当然、その姿で行われた。って事は……万が一リノさんが怪しまれたとしても、詰め寄られるのはリノさんの本来の姿……少女の外見になっている老婆の方って事になる」
そこまで言って、マヤじゃなくリノさんの方の反応を見る。暗闇で殆ど見えないが、それでも反論しようとしているかどうかは反射的に声をあげるかどうかでわかる。
ここまで簡単な、そして露骨な誘導尋問に引っかかってくれるかどうか――――
「……」
そうか。何も語らず……か。
だとしたら、やはり――――
「探偵さん? まさかとは思うけど、リノが自分を疑う連中から逃げる為に、お婆ちゃんの姿のままでいる……とか言い出すんじゃないでしょうね?」
「言う訳ない。俺はその老婆の姿の女性を、リノさんとして現国王から紹介されてるんだぞ。彼女がリノさんなのは周知の事実。つまり、入れ替わっている事を少なくとも現国王やあの場にいた同僚は知っている」
さっきの俺の発言は、完全にミスリード。今マヤが言った事をリノさんに言わせる為のものだった。
それは叶わなかったけど、まあ良い。最低限の反応はチェック出来た。
「そもそも、入れ替わってる方の御老体だって何時までも10代女性の真似は出来ないだろう。何処かで必ずボロが出る。実際出たから種明かししたんだろ?」
「そうだよ。だからわたしは戸惑ってる。リノがその姿のままでいる事を。お婆ちゃんだって早く元に戻りたいって言ってたんだよ?」
そこは既にコンタクト済みか。なら話は早い。
老婆も戻りたがっている。マヤも戻したがっている。でもリノさんだけが自分の本来の姿に戻ろうとしない。
これは重要な所見だ。
「もしリノさんが犯人で、頑なに自分の姿に戻りたがらない理由があるとすれば、それは――――彼女が一時的に自分の姿に戻って犯行に及んだ場合」
俺のその言葉は、歪な沈黙を生んだ。
マヤが直ぐにでも反論してきそうなものだけど、声を発しない。そこには思い当たらなかったのか?
「やだな、探偵さん。出来る訳ないってそんなの。だって、それってつまり、わたしの言霊を上書きするって事だよ。より強い言霊じゃないと出来ないんだよ?」
「そうなのか。ならリノさんの言霊は君以上って事になるな」
マヤは、それを認めたくなかったのかもしれない。彼女達の関係は俺が思っている以上に複雑なのかも。
でも、それはまた別の話。
「俺はこの目で、リノさんが元の姿に戻っているのを見た。一時的にってのが本人談だけどな」
「嘘……リノ、本当なの?」
信じられない、って感じじゃない。マヤにも予感はあったのかもしれない。強張った声で問いかける彼女の心境を、俺は推し量る事が出来ない。
「……一時的なのは本当。マヤの言霊の効果を完全に打ち消す事は、あーしには出来ないから」
「でも、一時なら出来るんだ」
「……うん」
それが何を意味するのか。少なくともマヤは、自分の拠り所としていたものを見失っているように思える。絶句してしまっているのがその証左だ。大した根拠じゃないが。
「マヤ。君はリノさんが犯人じゃないと信じていたのか?」
だから、より強い証拠を得る為、敢えて彼女に厳しくいこう。真相を知る為には、時には必要な行動だ。心も痛まない。
「君はリノさんを犯人じゃないと思いたくて、兄に協力する代わりに真犯人になり得る人物の情報を集めてたんじゃないか? エロイカ教のニセ開祖もそうだ。そして、レゾンも」
レゾンは元国王を気に入っていた。それは第五の犯人候補の動機――――これ以上醜態をさらして欲しくないって動機に当てはまる。場合によっては第四――――気に入っていたからこその失望ってパターンも。
尤も、あいつは元国王に変態趣味があるのを知らなかったから、本人に直接聞き込みをすれば早々に犯人候補からは外れていただろう。
「リノさんに犯人であって欲しくなかったから、いかにも犯人っぽい立場や元国王と繋がりが深い人物を調べ、そして俺にも情報を流した。彼等が犯人だと俺が推理すれば御の字。仮にそうじゃなくても、リノさんへの疑惑の目は逸れる」
「何言ってんの探偵さん。そんな訳ないじゃない。やだなー」
「もっと具体的な反論が聞きたいな。それを懸命に考えているように見えるよ、今の君は」
「そ……違う。違うよ。そうじゃなくてさ。だって……」
マヤの言葉が、力をなくしていく。もし今言霊を使ったら、これまで通りの力を発揮出来るんだろうか? そう疑問に思うほど、彼女の声は弱々しい。
外堀が埋まっていく。リノさんを犯人と仮定したら、どんどん一つに繋がっていく。
「極めつけは、王太后の部屋にあった水筒の行方。マヤ、本当にあれは君が持ち出したのか?」
「そ、そうだよ」
「何故だ? そんな必要はないだろう。兄から頼まれてって言ってたけど、愛人の部屋の水筒くらい自分でどうにでも出来る。信頼はしているとしても、敢えて妹に頼む必要は何処にもない。城下町から城までは目と鼻の先だ。テレポートを使って貰う必要もない」
だとしたら、あれは嘘。何故そんな嘘を?
決まってる。あの水筒を俺が調べるのを恐れたからだ。
もしリノさんが、王太后の犯行に見せかけようとしていたとしても、実際に水筒のすり替えを行う必要はない。『犯行に水筒が使われた』って事実があればそれでいい。それだけで十分、王太后に疑いの目は向く。
だから、あの王太后の部屋にあった水筒は、スキャンしても普通に王太后の所持品というデータが出ただろう。王太后の部屋にある物が王太后の所持品なのは当たり前なんだから、持ち出す必要なんてない――――とは言えない。
問題はスキャンじゃない。あの水筒には、細工が施されていた可能性がある。王太后の犯行に見せかける為の細工が。
例えば、実際には水筒は入れ替えていないけど、入れ替えたかのような細工。生憎この世界では指紋の採取は出来ないから、元国王の指紋を付ける……とかじゃないな。中に元国王の髪の毛でも入れていたか。元国王の髪質はわからないけど、恐らく長さでわかるだろう。
言霊でスキャンし、所持者を特定する――――っていう発想があれば、入れ替えトリックは意味を成さない。スキャンで入れ替えたかどうか直ぐにわかる。でもその発想自体がなければ、幾ら強力な言霊使いでも使用は出来ない。というかしない。
「リノさんが王太后の部屋に忍び込んで、水筒に細工出来る可能性は低い。でも、万が一それをしていたら、彼女の犯行がほぼ確定してしまう。マヤ、君は王太后の部屋の水筒を調べた。中を覗いてみた。その結果、リノさんが何らかの細工を施したと判断し、水筒を何処かに捨てた。俺から調べられないように。俺があの日、王太后の部屋に行く事をリノさんから聞いていたから」
「違うよ……違う。そんな事、わたしはしてないってば」
具体的な反論が出てこない。もう冗談を言う余裕もなさそうだ。
マヤが持ち出した水筒は、仮に何か細工がされていたとしても、犯行の証拠にはならない。俺がリノさんを怪しむかもしれないという危機感で持ち去られたのなら、これから調べる意義はないに等しいだろう。もう既にリノさんを犯人と仮定して推理しているんだから。
「リノさん」
ここからは、本人と向き合う必要がある。
「先に言っておくけど、証拠は全くない。その上で、俺の推理に反論がある場合は、遠慮せず言ってみてくれ。その反論をもとに再度検討したい」
証拠がないのだから、ここまでの仮説が全て正しくても、それがリノさんを犯人と断定する材料にはならない。
ただ、もし反論出来ないようなら――――
「さっき、リノさんは俺をこの世界に召喚したと言っていたね。一体、どうやってそれを可能としたのか。そして……」
俺は彼女に、不本意な真相を提出しなければならないだろう。
「この世界に召喚された直後、意識のなかった俺に言霊で何か悪さをしなかった?」
探偵という職務を全うする為に。




