63 疑わしきは
完璧主義という言葉がある。実はこの言葉、誤解されがちだ。何事も完璧な結果でなければならないと自分に課している人物をそう呼ぶ事が多いけど、それは完璧主義の一面に過ぎない。
完璧主義とは、準備を完璧にし、もう何も落ち度はないというところまで自分を追い込む事、目標を高すぎるくらいの所に設定する事、他者からの評価に多くを求める事など、幾つもの要素が存在している。これら全てを有していなければ完璧主義者ではない、という訳でもない。結局のところ、完璧主義ってのは便宜上の名称に過ぎず、完璧主義はみんな完璧である事を目指している訳ではなく、完璧だと思われたい人や、思い込みたい人も多分に含まれている訳だ。
「自分以外に対して完璧を求める人間は多い。それも広義的には完璧主義と呼べるのかもしれない。例えば、ほんの少し魔が差して浮気や悪さをした有名人を執拗に叩く……とかね。でもこれも、深く調べるまでもなく様々な理由と動機が混在している。心の底からその人物に執着して完璧を求める人間もいるし、社会的ステータスの高い人間を批難する自分に満足を得る人間もいる。まして実績豊かな国王となれば、どちらの対象としても最適だ」
そして、元国王は明らかにその立場にあるまじき行動を起こしていた。それが認知症という病気によるものであっても、この世界に若年性認知症の概念がないのなら、誰もそうとは思わない。
いや……仮に病気が原因だとわかっていたとしても、他者の許容範囲を超える行為に対しては嫌悪感を抱くのが普通。特に性関係については厳しい目が向けられる事が多い。元いた世界でも、世界的に有名なスポーツ選手が性依存症だと判明した後も、彼の行動に対する批難は一定数あった。尤も、あの選手はそれから何年もかけて復活を遂げ、称賛を浴びていたが……
「元国王の性的逸脱行動は、多くの人間の許容範囲を超えていたと思われる。もしそれが国民に露呈した場合、この国は――――」
「大混乱だね。だから、そうなる前に蓋をした人がいる、って言いたいのかな? 探偵さんは」
「これくらいの事は君もとっくに想像出来ていただろう。マヤ」
とはいえ、これもまた数ある動機の一つ。これを動機とし、犯行に移した可能性もある人物もまた、犯人候補の一人に過ぎない。
「あーしも犯人候補の一人なんだね」
「あくまで、動機以外の全ての要素を除外した場合にはね。そしてここから次の段階――――犯行が可能かどうかを考えていこう」
頭の中ではとっくに考えは終わっている。ただ、彼女達との会話の中で新たな見解が加わるかもしれない。
今はそれに期待いている。出来れば、だけど。
「まずはバイオ。マヤの言葉を信じ、テレポートを使っていないのなら、彼には明確なアリバイがある。元国王が亡くなったと思われる時期は遠征中だったそうだからな」
「兄の疑いはこれで晴れた、って事かい?」
「まさか。あくまで実行犯ではないってだけだ」
指示を出すだけなら時間も距離も問わないからな。
それに彼とマヤには、王太后の部屋から水筒を持ち出すっていう怪しい行動が確認されている。全く事件と関係ないとは到底見なせない。
「次にエウデンボイ。彼は壁抜けが可能だから、元国王の部屋に侵入する事は出来る。だがそれはあくまで、城内に入り込めるのが条件だ。一応、現国王と知り合いだから入れない事はないだろうけど……元国王がエロイカ教に金を流していると知っているのなら、城内で自由に行動させる可能性はないな」
「城内である程度自由に動くには、わたしレベルの言霊が操れないとね。そうだった可能性は?」
「それもない。この目で確認してる」
もしエウデンボイがテレポートを使えるなら、元国王の誕生会にわざわざ壁抜けを使って建物内に入る訳がない。彼の思考力……使える言霊の範囲はせいぜい俺と同レベル程度だろう。
「なら、こっちも実行犯の可能性はなさそうだね」
「ああ。外部からテレポートなしで侵入するのは事実上不可能だろうな。誰かさんが侵入する度に大騒ぎになっていたくらいだし」
実行犯は外部の人間じゃないとしたら――――
「次は、現国王。彼なら元国王の部屋に入るのは簡単だし、近衛兵を口止めするのも容易に出来る。まあそれをしなくても、部屋は隣なんだから壁抜けさえ使えれば行き来し放題だ」
単純に動機および殺害可能かどうかという二点のみで考えるなら、彼が最有力候補だ。最もリスクなく殺す事が出来るし、城のメイドに徹底的に掃除させれば証拠も何も残らない。実際、現場は過剰なまでに片付けられていたしな。
「この段階では、今の国王による父親殺しが最有力だね。次は前国王に失望した城内の人間、だったっけ。具体的な犯人候補はいるの?」
マヤはノリノリで進行を促してくる。真相を知りたいという言葉に嘘はないみたいだ。好奇心の塊みたいな奴だ。
好奇心……か。
「当然、元国王に近しい臣下だろう。元国王を心から崇拝していたからこそ、認知症による変貌した姿が我慢ならなかった……となれば、大臣や執事、教育係、騎士団長あたりか」
「王妃は?」
「……そうだな。彼女も入るだろうな」
リノさんの証言を疑っている訳じゃない。ただ、いつどの段階で王太后が国王に愛想を尽かしたのかはわからない。わからない以上は『疑わしき』だ。
「この面々なら、上の階層から床を抜けて元国王の部屋に入り、殺害した後に下の回に抜けても、その瞬間を目撃さえされなければ問題なく実行出来る。そして、下の階の警備状況なんて幾らでも把握出来る」
「そうなると、結構候補は多いね。そして最後の『国王がこれ以上恥を晒す前に殺してしまおうと考える人』は、勿論リノの事だよね?」
遠慮のない奴だ。でも今更言葉を濁しても仕方がない。リノさん自身が既に自分を犯人候補と言っているしな。
ただし――――
「リノさんだけじゃない。元国王を慕っていた人間は大勢いた。第四の動機と第五の動機は重なる所が多い。ただ、失望の末に殺害したか、失望せず引導を渡したか、その違いはあるが」
「多分、城で働いてる連中の大半はそのどっちかを心に持っていただろうね」
カリスマ王って感じみたいだしな。話を聞く限りでは。だからこそ息子の現国王はかなり苦労しそうではある。
「さて、犯人候補の枠を広げるのはここまでだ。これからは一気に絞り込んでいく。殺せるか殺せないかじゃなく、国王殺しに見合った人生をその後に送れるかどうか」
この事件の特異性――――被害者が国王という最大の特徴を、ここでピックアップしていく。
「今回の事件はどう考えても衝動的なものじゃない。綿密に計画し、恐らくは葛藤もあり、その中で決断を下した。国王を殺すってのはそれくらい重い選択だ。バレれば本人どころか親族さえ根絶やしにされるくらいの重罪だろう。城勤めの人間が国王を殺すとなれば尚更だ」
「よっぽど肝が据わってないと無理だろね。っていうか、普通は絶対に無理。それこそクーデターやテロリストみたく、改革の為に命を捨てる覚悟がないと出来ないよ。例えば実行犯はテロリストの仲間で、いずれ機を見て国王殺害を行う為に城に雇われ潜伏していた……みたいな」
マヤの表情は暗闇で見えないが、恐らく彼女はリノさんを見ながら言っているんだろう。彼女は独り身で、国王に見初められて城に入った。テロリストの鉄砲玉だとしても矛盾はない。
でも、別のところに矛盾がある。
「この国にそこまで過激な反政府組織はいないだろう。何しろ筆頭が君達の所のジェネシスだしな」
「ま、そうなんだけどね」
「……意図的に俺をミスリードしてないか?」
「まさかー。でも、リノが犯人として疑われてるのなら、一つ一つ可能性を潰していかないとね」
……そういう意図か。
「なら先にそっちから絞って行こう。リノさんは俺が現国王との契約を終えた後、あらためて俺に国王殺害事件の真相に迫るよう依頼してきた。もし彼女が犯人なら、この行動は矛盾している」
「それで探偵さんが納得してくれるのなら、あっという間に容疑者リストからは外れるね。リノはどう? さっきからずーっと黙ってるけど、自己弁護しないの?」
恐らく――――マヤもずっと気になっていたんだろう。
「今、どうしてこんな場所に一人でいたのか」
マヤの声が……今までの感情を弄ぶような声とはまるで違う、彼女自身の魂の中から出したような響きを持った。




