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60 家に帰るまでがデート

 エロイカ教という宗教団体の規模がどの程度なのか、その実態は把握しきれていない。何しろ本部がアパート。建物自体そこまで大きくはなく、中も特別広いとは言えない。ただ応接室はちゃんとあったし、そこを使っている時点でアパートの一室じゃなく全体が教団の本部と見て間違いないだろう。


 あの時は変態宗教なんてそんなもんと流してたけど……この建物じゃ集会も出来ない。恐らくそういう事もしてないんだろう。同じ趣味の人間が共同で寮生活をしているような感覚なのかもしれない。


「元々この建物はごく普通の集合住宅だったんだよ。それを教団が買い取って拠点にしたらしいね」


 マヤはもう物色を始めている。引き出しを全部引っ張り出して底の裏側や机の空洞部に目を向ける辺り、相当こなれてるな……


 室内は個人の部屋としてはそれなりに広い。応接室が別にあるから客を迎えるような長机やソファーこそないが、円卓、チェア、本棚、クローゼットといった家具一式は全て高級そうな光沢を放っていて、絨毯の花柄にも品がある。


 天井の中央からはシャンデリアがぶら下がっていて、明度は十分に保たれている。 


「それにしても不可解だな。教団の本部に相応しい建物とは思えない」


「探偵さんはどう推理する?」


 教団がアパートに拠点を構える理由か……


 個別の部屋とはいえ、同じ屋根の下で生活する訳だから、なんらかの共同作業を目的としているのは必然。普通の宗教なら、ミサや祈り、何らかの儀式なんかを想像するけど、エロイカ教には必要なさそうだ。


 エロイカ教ならではの共同作業か。街中で見つけた肉感的な女性の報告会……とか? でもその程度の情報の共有なら、それこそ回覧板でも回せば良いだけのような気もする。


 っていうか、そもそも元国王が健在だった頃と現在のエロイカ教の活動が同じとは限らないよな。

  

「教団がここを買い取ったのはいつだ?」


「良ーい所に目を付けたね。ほんの八〇日ほど前の話だよ。それ以前は違う隠れ家を持っていたそうだ」


 八〇日……まだ国王は健在だった時期か。


 でもそれくらいの時期だったら、既に若年性健忘症の症状がかなり顕在化していたと考えられる。


「その時の代表はエウデンボイだったのか?」


「そうだよ。そもそも、元国王は表には一切出てないから、最初からあのニセ開祖が代表だよ」


「そういえば、雇われ開祖って言ってたな」


 一応これで裏は取れた。つまり、エロイカ教は最初から宗教の主旨に全くそぐわない人物を開祖に仕立てていた。


 だとしたら……


 ああ、そうか。そういう事か。


「エロイカ教は……宗教団体とは名ばかりの風俗店、若しくは売春組織なのか」


 ふくよかな女性を奉り、彼女らを愛でる人物を信者にする。それがエウデンボイから説明を受けたエロイカ教の本分だ。


 それ自体は嘘じゃない。でも、ただ単に愛でるだけが目的じゃない。


 信者じゃないんだ。顧客なんだ。


 エロイカ教とは、デブ専……もとい、肉付きの良い女性を好む男と、そういう身体の女性を結びつける為の団体だったんだ!


「ま、そゆ事。そうじゃないと、国王がわざわざお金使ってまで運営しないよね」


「側室や妾だけじゃ満足出来なかったのか」


「幾ら側室とか妾でも取っ替え引っ替えって訳にはいかないしね。それに余りにも性癖が露呈するのも威厳に影響出て来そうだし。何より、本妻がお怒りになるじゃない?」


 王太后か……美しい女性だったけど、特に肉付きが良いって印象はない。確かに、それだったら側室がムチムチ系ばっかと知れば面白くないかもしれない。


 両者は不仲だったと聞いている。リノさんが言うには、王太后が一方的に嫌っていて元国王の方はそうでもなかったらしいが……


「前の国王は元々『英雄色を好む』だったんだけど、ある時期を境に見境なくなったみたいでね。エロイカ教設立もその後。性欲って年とっても枯れないものなのかな」


「まあ、どの国にでもエロジジイはいるだろう」


 城に仕える使用人に手を出して孕ませる、みたいな話はよく聞く。でも自分の性癖に特化した売春宿の経営にまで手を出すとはな……


 やはり認知症による異常性欲って線が濃厚だな。元々の性欲旺盛だったのが、認知症によってより顕著になった。経過もそう示している。


 何にせよ、これで大分見えて来た。道理でアパートを本部にする訳だ。この建物は……そういう事をする為のラブホ的な役割っだったんだな。


 それなら、エウデンボイがムチムチの女性が好みじゃなくても雇われ開祖になる理由も理解出来る。風俗店の雇われ店長だった訳だ。


「元国王の息が掛かってる風俗店って、凄く扱いが難しいよね。息子……今の国王にしてみれば、万が一それが国民にバレたら王室の恥を晒す訳だから、出来れば早急に潰したい。でも……」


「元国王が出資している証拠があったら、そう簡単には潰せない。寧ろ脅される立場にある」


 もし顧客の中に貴族や他の王家の人間がいたとしたら、尚更手は出せないだろう。仮にエウデンボイを口封じのため暗殺しても、他の誰かが証拠を持っていたら一巻の終わりだ。


 元国王は国民から絶大な支持を得ている。証拠といっても、金の流れを記録した帳簿や顧客データ程度なら、捏造だと言って信じないかもしれない。


 でも、国王が何度も城下町に足を運んでいた事実がある以上、何らかの目撃証言があっても不思議じゃない。もし証人が複数出て来たら、王家も悠長にはしていられなくなる。


 エロイカ教が元国王亡き後も存在していられるのは、そういう事なんだろう。だとしたら現国王とエウデンボイは懇意にしているというよりは……交渉中なのかもしれない。


 エロイカ教を現在の形で存続させる代わりに、王族の関与は絶対に外部に漏らさない。出来れば証拠となり得るものは全て処分したい。王家側はそう主張するだろう。


 対するエロイカ教は、潰されない為にも王家の弱みを一つは握っておきたい。そこのせめぎ合いが続いているとすれば、証拠はまだ――――


「あった。記帳」


 残っている。交渉の為に必要だから出来るだけ手元に置いておく必要もある。


「ほうほう、やっぱりお金の流れはちゃんと記録させてたんだね。偉い偉い」


 そりゃそうだろう。金を出した国王だって、その金をどう使ったかはちゃんとチェックするだろうし。自分の趣味を色濃く反映した団体なんだから、金だけ出して終わりって訳にはいかない。


「あと、これは……国王直筆のお手紙。ま、そりゃそうだよね。自分の性癖を満たす為に宗教団体にカムフラージュした風俗店を作るくらいだもん。細かく指示したくなるのが人情だよ」


「直筆の手紙か。それはかなり有力な証拠になるな」


 この世界の筆跡鑑定がどの程度のレベルなのかはわからないけど、そこに綴られている内容がエロイカ教に関するものなら、筆跡の一致によって有力な証拠になり得るのは間違いないだろう。


「これは兄に渡すとして……後はお金。ほら探偵さん、ボーッとしてないで手を動かす!」


「はいはい」


 家捜しに荷担している割に、あんまり罪の意識は湧いてこない。マヤの明るさの所為だろうか。


 この国にブラックな金を預けられる金融機関があるかどうかはわからないけど、まあ本部をラブホにするような連中だし、内々で全部溜め込んでそうではあるな。実際、重要な証拠もここにあったんだし。


 とはいえ、国王直筆の手紙とは違って、金は信者……従業員から持ち逃げされる危険もあるだけに、そんなすぐ見つかる所にはないだろう。ベタなところではトイレのタンクやくり貫いた本、あとは……天井裏か。


 勿論、タンクのあるようなトイレは存在していない。そして確か、この国の最も価値の高い通貨は金色の硬貨……


「マヤ、天井裏にテレポートしてみろ。あるかもしれない」


「えー? でも天井に移動出来るような梯子とかないよ? そんな所に置く?」


「だからだよ。あのシャンデリアが怪しい」


「あー、泥棒対策か。シャンデリアで板を外せる部分を覆って隠してるって言いたいんだね。わかった」


 察しが良いのはありがたい。


 程なくして、マヤは一旦この部屋から消え――――見るからに重そうな、大量の金貨の入った大袋を抱えて戻って来た。


「やったよ探偵さん! 大金ゲットだぜ!」


「それはいいけど……盗んでも大丈夫なのか? 記帳と残金を照らし合わせれば、元国王の出資金かどうかはすぐわかるだろうけど」


「勿論、これ全部ガメるのは無理だよ。あとはこのお金が不正なものだったかどうかを調べて、国庫金が使われてたら糾弾の材料としてジェネシスにパス。元国王の私財だったら……エロイカ教に騙された子達の再出発の資金にするよ」


「え……」


 意外だった。というより、彼女がそういう発想をする事自体、全く頭になかった。


「自分の懐を潤す為じゃなかったのか。てっきり水晶代にすると思ってたのに」


「水晶はジェネシスから支給されてるのでやりくりしてるから。でも……これだけのお金を即座に貯めるのは、流石のわたしでも無理なのだよ」


 マヤは――――エロイカ教の被害者の為に動いていたのか。


「リノも危なかったんだよ。太らせて、ここで働かせようとしてたに違いないからね」


「そうだったのか」


「あの国王は……悪魔に憑かれたんだ」


 マヤの言葉は、この世界における若年性認知症、そして他の精神疾患に対する見識を如実に示していた。


 確かに、病気だという知識がなければ、そういう結論になるんだろう。突然別人のようになり、支離滅裂な言葉を叫び出す。それまで親しかった相手さえ正しく認識出来なくなる。悪魔に憑かれたと言われれば、そう信じたくもなる。


「それじゃ探偵さん、もう用はないからここで消えて」


「ああ……あ?」




 ここを出よう、じゃなくて――――ここで消えて?




「ここで探偵さんが倒れてたら、家捜しの犯人は探偵さんの仲間で、お金見つけて仲間割れした末に一人が逃亡、わたしは一切怪しまれない……そういうシナリオが成立するって思わない?」


 マヤの顔は、普段と何も変わらない。妖しさも、鋭さも、敵意も殺意も何もない。


 彼女はいつだって、何を考えているのか悟らせてはくれない。


「……くっ」


 だから、こういう時は堪らない。


「悔しい? ねえ悔しい? 探偵さん――――」


「くっくっく……」


「――――あれ?」


 思わずこみ上げてくる笑みが抑えきれない。


「バーカ。あの地下牢から俺を出せるのは、テレポートの使い手だけだよ。だからここに俺が倒れてたら、疑われるのはお前かバイオ。バイオがテレポートの使い手ってのが浸透してるのならそっちだな」


「ちぇーっ。引っかからないか」


「早く帰ろうぜ。今日はちょっと疲れたよ」


 そう口にするのとほぼ同時に――――



 事件の真相が、ほぼ見えて来た。



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