45 睨めっこで現実に勝つのは難しい
この城下町は、元いた世界で例えるなら東京って事になるだろう。国の中心地で首都なんだから、他の選択肢はない。
でも、東京とここが似た雰囲気かというと、全然そうじゃない。常に忙しく人が歩いている東京とは違って、人の動きはとてもゆったりとしている。立ち止まって話をする中年や高齢者の姿が目立つし、寧ろ田舎の駅前くらいの感じだ。
やっぱり、車がないのがかなり大きい。騒音が殆どないから、人の話し声がやたら耳に通る。
景観自体も全く違っていて、高層ビルやタワーマンションがないから開放的に感じるし、なんとなく空気も澄んでいるように感じる。散歩したくなる環境だ。
「あの……本当に父に会いにいかなくてはいけませんか……? 私……変質者になり下がった父を見て平常心でいられる自信が……」
対照的に、やたら重い空気が隣から発生している。
飲食店を出てからも、ポメラはずっと青い顔をしたまま怖々と歩いていた。
気持ちはわかる。親の落ちぶれた姿は見たくない。例え、それがどんなに憎らしい存在だろうと。自分の未来を見ているような気分……でもなく、単純に寂しい気持ちになる。
「でも、逃げてばかりじゃいられないだろ? 向き合うしかないんだよ。ついさっき、生まれ変わるって言ったばっかじゃないか」
「あの……もしかして……さっきのとても良い話は私を父と会わせる為のものだったんでしょうか……?」
「……」
「黙って目を反らさないで下さい……!」
ポメラの父親と会う理由は二つある。
一つはポメラの為。彼女が現実と向き合っていく為には、乗り越えなければならない壁ではある。彼女は出ていった父親本人じゃなく、その原因になったエロイカ教を恨んでいたからな。それは現実から目を背けていると言って良い。真に恨むべき相手と向き合い、しばくなり許すなりして初めて自分自身や周りの人達と目を合わせられるようになる……と俺は思う。
そしてもう一つは――――
「この捜索は君だけの問題じゃない。国王密室殺人の重要な手がかりを得る為だ」
「ふぇ?」
驚くのも当然だ。まさか自分の父親が事件の鍵を握る人物なんて思いもしなかっただろう。俺もついさっきまで全く考えもしなかった。
「これはさっきの潜入捜査で判明したんだが、エロイカ教の教祖と国王が親密な仲なのが判明した」
「ななな……! 国王って今の国王様ですよね……!? お二人がそんな深い仲だったなんて……!」
なんか誤解してそうな気もするけど、面倒だから切り込まない事にしよう。
兎に角、この両者の関係性は重要な事実を示唆している。
すなわち――――
「あの……エロイカ教の教祖を疑っているのですか……? それで、父に話を聞こうと……」
「まあ、そんな感じかな」
実際には全く違う。重要なのは教祖と国王だけの関係じゃない。寧ろその背景こそが問題だ。
ただ、俺自身まだ半信半疑の仮説であって、それを口にするのは抵抗がある。
ホームズは『具体的な証拠が出揃っていない段階で立論するのは間違い』と言っていた。それは判断の歪みに繋がると。確かにその通りだ。
ポメラ父の話を聞いた上で確証を得てから、あらためてリノさんやレゾンも交えて話した方が良いだろう。
「現状を整理しよう。教祖の話によると、君の父親は一度収監されたが脱獄したという。つまり、居場所はわからない。一から見つけ出さないといけない」
「だから私が必要なんですね」
「そう。俺だけだと顔がわからないから見つけようがない。娘の君なら、多少見た目が変わっていても一目で判断出来るだろう」
とはいえ、ポメラがいるからといって簡単に見つけられる訳じゃない。まして今日中となると相当な難易度だ。そもそもこの周辺にいるとは限らないし。
ただ、教祖が脱獄後の噂話を耳にしていたのは重要な手がかりだ。
「確か、理想の太股と巡り会う度に鳴き声をあげるクリーチャーと化しているんだっけ」
「やめて欲しいです……! そういうのは聞きたくありません……!」
泣いて懇願されても、こればかりは仕方がない。
ともあれ、これだけ詳しい証言が噂レベルとはいえ教祖の耳に入ってるって事は、まだ近くにいる可能性が高い。もし遠くまで行っていたら、そこまで具体的な話は流れて来ないだろう。
多少の希望的観測はあるけど、時間も限られている事だし、この城下町に絞って捜索する以外にない。
勝算はそれなりにある。俺は人捜しのプロだからな。今こそ探偵として培った経験を活かす時だ。
人捜しは探偵の基本的な業務の一つ。捜査打ち切りになった行方不明の人間を探して欲しいというレアケースから、何度も家出を繰り返す子供、徘徊する老人を探すよう頼まれる比較的多い依頼まで、枚挙に暇がない。
だから、人捜しに関するノウハウは一応心得ている。基本的な知識と経験に基づいた法則をミックスした、俺独自のやり方だけど。
「見知らぬ他人を見つけ出す冴えたやり方は、その人物の精神状態を知る事だ。捜し物とは違って、人間は常に動く。どこへ向かっているか、どこに定住するかを精神状態から予測して捕まえる」
「父の今の精神状態ですか。人間辞めているくらいですし、本能だけで動いているんじゃないでしょうか」
急に辛辣!
まあ、積もりに積もった感情があるだろうしな……そういう意味では、ようやく現実と向き合う覚悟が出来たのかもしれない。
「君の記憶の中の父親は、どんな人だった?」
「そうですね……家を出て行ったのは、今から二年くらい前でしたけど、それまでは普通の優しいお父さんでした。それが、突然豹変して……」
豹変か。そこは少し気になるな。
「出ていった日の事はよく覚えています。ご飯を食べ終わった父は突然立ち上がって、『俺は今日からこの家を出てエロイカ教の教徒になる! 毎日がムチムチの太股三昧だ! たまんねぇなオイうへへへへ!』と叫びました」
「それは怖いな……心に深い傷を負いそうだ」
「呆然とする母を尻目に、父はハイテンションで家を出ました。私は慌てて後を追いましたけど、結局呼び止められず……もし私にあの日自爆するスキルと水晶と覚悟があれば……!」
「いや、なくて良かったとしか言いようがない」
まあ、そんな三点セットそうそうはないだろうけど。
何にせよ、ポメラ父の豹変の仕方は少し異様ではある。
ある日突然、今までごく普通だった人が訳のわからない事を言い出す事例はそれなりに存在する。精神疾患やせん妄、麻薬の影響、不安定な精神状態による意識の乱れ、ストレス発散やイタズラ等を目的とした意図的な演出……など。作為的なケースもあれば、そうじゃないケースもままある。
一番妥当で納得しやすいストーリーは、長年性癖を隠していて、それがストレスとなり、ある日突然爆発した……って流れだ。これなら何も矛盾はない。その後、教祖が持て余すほどのエリート教徒になった事実とも符合する。
けど、俺は違うと睨んでいる。実際、さっきのポメラの証言した突然の発狂は、ちょっとセリフが演技じみている。素でそういう人もいるにはいるから、断定は出来ないけど……どうにもわざとらしい。
そもそも、これまで多くの失踪者についての情報を目の当りにしてきたけど、わざわざ宣言して失踪する人間は滅多にいない。ある日急にいなくなる、ってのが良くあるパターン。置き手紙すらない方が多い。
ポメラ父の精神状態は――――恐らくまともだ。
もしそうなら、脱獄にはそれ相応の理由と正当性があったと思われる。そもそも、脱獄なんて普通は出来ない。言霊用の水晶だって全部取り上げられているだろうし。
でも現実には、彼は脱獄に成功している。いや、それも確かめないといけないけど。まずはエロイカ教の最寄りの監獄に立ち寄ってみよう。
「――――ええ、間違いありません。ブルド・シャムリンという名の罪人はここを既に出ています」
娘のポメラが面会にやって来たって体で訪れた街外れの刑事施設で、担当者の男性からの説明は驚くほどスムーズに受けられた。この辺、元いた世界とは全然違うな。
「やはり脱獄していましたか」
「脱獄……?」
敢えて断定的な口調で、担当者の反応を確認。どうやら違うな、これは。
「ああ、そうだったな。こちらとしても不本意だった。まさかああも暴れられるとは……っと、身内を前に言う言葉ではなかったか」
「い、いえ……」
隣のポメラも困惑気味だ。無理もない。今の担当者の反応を見て、素直に脱獄したと受け取る方がおかしい。
必要な情報は得られた為、丁寧にお礼を言い、刑事施設を後にする。出来ればもう二度と来たくない場所だ。
「あの、トイさん。さっきのは……」
「どうやら、教祖の話は鵜呑みには出来ないみたいだな」
ポメラ父が監獄から出られた理由は、一つしかない。
何らかの取引があった。
司法取引とは考え辛い。もしそうなら、エロイカ教の悪行を吐露する……ってパターンくらいしかないけど、エロイカ教は健在だ。よってそれはない。
だとしたら、結論は必然的にこうなる。
「権力者が権力を行使し、君の父を牢屋から出した」
「ふぇ……?」
施設側にとって、脱獄された事実は恥でしかないだろう。でも隠蔽せず、ハッキリ脱獄を肯定した。
なら『脱獄でなければいけない』って外部からの圧力があると考えるべき。それはつまり、相当な権力を持っている人物の介入だ。
「まさか……」
ポメラは、その権力者に覚えがあるらしい。
勿論エロイカ教の教祖などではない。
それは――――
「給仕時代のお屋敷の主様が、私の為に粋な計らいを……!?」
「違うそうじゃない!」
他に権力者の知り合いがいないからなんだろうけど、脈絡がなさ過ぎるだろ……?
「やっぱり……トイさんも私は嫌われていたって思ってるんじゃないですか……」
「いや、今そこに繋げられても。君の父親を牢屋から出すとなると、逆に好き過ぎるだろって話になるし。そこまで愛されてる自覚はないだろう?」
「ないです。そこまでお世話を焼いて頂ける筈がないです……」
参ったな。変に勿体振った結果、ポメラを傷付けてしまった。
「悪かったよ。移動しながらちゃんと説明するから」
「移動、ですか?」
「ああ。俺の考えが正しければ、君の父親は――――」
それから三時間後。
俺とポメラは、無事尋ね人と会う事が出来た。
「丁度リノさんが城にいてくれて助かったよ」
「全く。もしヴァンズ様にバレたら、あーしは即クビじゃよ」
幸運だったのは、リノさんという案内役がいた事。そして、明日の国王の誕生日パーティの準備に追われ見張りの兵士が手薄になっていた事。
そう。
ブルド・シャムリンは――――
「ポメラ……か……?」
「お父……さん……」
王城の地下牢の中にいた。




