40 布石
柊家には、ギャンブル狂いの父親がいた。それはもう狂いに狂っていて、ブラック企業勤務で年収200万ちょいのヒラ社員の癖して、単勝1.1倍の鉄板馬に平気で10万注ぎ込むような狂いようだった。
そんなゴミのような人間でも、一応良いところもない事はない。女性関係だけは清らかで、不倫どころか怪しまれるような行動さえ一切しないようにと心がける異性関係真面目中年だった。単にモテないだけとも言えるが、そこは本人の名誉の為に伏せておこう。
一方、柊家には浮気性の母親がいた。育児放棄なんて当たり前、子供が腹を減らして泣き喚いているのに一瞥もくれず、若い男と一緒に夜の街へ消えていく。毒ガスのようなクズだった。
そんな産業廃棄物にも劣るクソ女でも、仕事はかなり出来るらしく、どこかの出版社で編集長に就いているらしい。顔は良いし、何よりメンタルが強い。子供への接し方を改めるよう学校や親戚からそれとなく言われても、全く動じない。己さえ良ければ全て良し、唯我独尊・傍若無人の無敵女だ。
そういう親に囲まれるでもなく育った俺は、ただ単純にその日その日を生きていた。特にやりたい事はないし、何がやれるのかもわからない。食事を与えられたらラッキーだと感じ、明日から学校に行けと言われれば素直に従った。標準的な親が子供に何をしてくれるのか、そんな知識を得たのは小学生に入ってからだ。そういう意味では、学校はとても意義ある場所だった。
成長し、自分がどういう境遇の子供なのかを理解した頃、俺はというと、単純にこのダメ親共をどうにかしようと思うようになった。相変わらず将来の夢も趣味もなく、そんな目標をぼんやりと立ててみたのも、きっと生きる為だったんだろう。何か活力が必要だったんだ。自分を揺り動かす、擬似的な使命感が。
問題が山積したこの両親をどうすべきかは、割と簡単にまとまった。当時の俺は微力な小学生だったから、大した事は何も出来ない。児童相談所に児童が相談したところで、実のある回答も得られなかった。結局自力でどうにかするしかない。誰だって他人の家庭事情に首を突っ込みたくはない。そういう仕事をしていても、本心はきっとそうだ。
だから俺は、まず理由を探した。自分が他の子供よりも親からイマイチ愛されていない理由。俺自身にはこれといった問題は見当たらなかった。そりゃ将来医者か政治家になれる大天才なら、少しは関心を持たれていたかもしれないが、世の90%以上の子供はそんな優秀じゃないんだから、そこを基準に考えても仕方がない。アイドルになれるような顔じゃなかったのも同じだ。
俺に問題があったとしても、取り敢えずそこじゃない。そう結論付けたところで、俺の次なる見解は『きっかけ』へと向けられた。要は両親が俺に興味を持ち、人並の接し方をするようになるきっかけだ。
出来れば自由に使える金を年間1万円くらいは欲しい。それも贅沢なら、週一で肉くらい食いたい。そうなる為の方策を、当時は30通りくらい考えた。実行出来そうなのはその半分程度だったが。
けれど、俺が義務教育の最終年度に差し掛かる頃には、もうその方策はほぼ尽きかけていた。精神的に参って奇行に走るフリをしても、期末考査で中間から100位以上順位を上げ学年7位に入っても、見るからに不良って連中を10人ほど家に呼んでも、全く興味を示さない。中々に手強い連中だった。
自分で稼いだ金を自分の為の娯楽として法律で許されている賭け事に費やして何が悪いと言われれば、返す言葉もない。ちゃんと生きて生活出来るだけの食事も、教育費も、自室も与えた上で男遊びしているのに何が不満なのと言われれば、成程と頷かざるを得ない。高校は自分で働いて入れと言われても、流石に中坊で働ける仕事はそう多くなかったが。
それなりにのらりくらり生きてきた俺も、流石にその頃はちょっと切羽詰まっていた。一応人生の分岐点だ。大多数の子供にとってはそうじゃないかもしれないが、高校に入れるとは限らない子供にとって高校受験の時期は地獄そのもの。まして学力とは関係ない問題だから、努力の方向性を定めるのも難しい。そこで躓いてしまえば、未来の選択肢はかなり絞り込まれてしまう。人生や生命活動維持への危機感を持ったのはこの時が初めてだった訳じゃないが、かなり焦った。
それでも、冷静な判断が出来なかったのは俺の落ち度だ。人生経験の少なさと未熟さが、そのまま行動となって出てしまった。今となっては後悔しきりだ。
当時、俺は短絡的にも両親の問題点は『父親の会社で受けるストレス』と『母親の倫理観が欠如した性格』にあると信じて疑わなかった。根本的な問題は他にあるのに、表層的な部分にばかり目を向けてしまっていた。
だから、こう思った。『父親の会社の悪事を暴き、健全経営の会社になるよう導けば、少なくともストレス発散としてのギャンブルはしなくなる』『母親の不倫を止めさせて、まともな夫婦生活を送るよう仕向ければ、親としての自分にも目を向ける』と。
とはいえ、自分にはこれは出来ない。誰に頼んでも無償ではしてくれない。
なら、金さえ払えば何でもしてくれる存在に頼るしかない。金は高校受験用に内職で貯めた、なけなしの貯金があった。ネット上で年齢を偽ってとある雑誌の編集・校正のヘルプを行ったり……まあ、小金を稼ぐ程度ならやりようはあった。
その金を使って、俺は望みを叶えてくれそうな場所へと向かった。そこは『事務所』と呼ばれていたけど、反社会性力の拠点じゃない。ある意味では紙一重だったかもしれないが、そんな現実を知ったのは後日だ。
ともあれ、それが俺と探偵という職業との出会いだった。まあ作り話なんだけど。




