37 異世界に来て良かったと思う瞬間第一位を発表
「これから俺達がすべき事は、王太后の部屋にあった水筒のスキャンだ。その為には、大きく分けて二つの方法がある。王太后の部屋を訪れ、水筒を貸して貰うか……」
「潜入してこっそり行うか、じゃな。現実的にはこちらしかないじゃろう」
リノさんの言う通りだ。バイオが王太后の愛人である以上、既に俺達の事は王太后に伝えてあるだろう。前回のようなフレンドリーな対応はまず期待出来ない。それどころか部屋を訪れた瞬間に曲者扱いされる可能性の方がずっと高い。安易な接触は避けるべきだ。
「だったら水筒はもう回収済みなんじゃねぇの?」
「いや、幾ら愛人でも相手は王太后だ。一度贈った物を『やっぱり返せ』とは言えないだろう……多分」
まあ、そこは彼らの関係性にもよるからどっちとも言えない。俺等が王太后の部屋を訪れたのは恐らく王太后から聞いているだろうし、あの水筒を俺等が目撃したのも察知しているだろうから、最低限の危機感は持っているだろう。
何にしても、王太后の部屋に行ってみない事には何もわからない。
「幸い、国王から貰った水晶の残数はまだ30以上ある。言霊を使って何とか王太后の部屋への潜入を試みよう」
「問題は、どんな言霊を使うかじゃな。テレポートは誰も使えんしのう」
「王太后がいない時間を探る必要もある。リノさん、わかる?」
「いや。あーしは陛下に使えていたが、エミーラ様は管轄外じゃ。スケジュールは把握しておらぬ」
だよな……そんな都合良くわかる筈ない。
「あの……! 私、とても良い事を思いつきました……! いえ、もしかしたら何の役にも立たないかもしれませんが……でも私、言いたいんです!」
挙手したり腕を下げたり、ポメラが昂ぶっている。
「いや、思った事は自由に言っていいから」
「本当ですか……!? なんて……なんて皆さん温かい……! 私、幸せ者です……!!」
彼女のこれまでの人生が滲み出るような発言だけど、正直このワンクッションは要らない。
「で、どんな方法を思いついたんだ?」
「あっ、はい……一日中お城の中にいて、王太后様がお外に出るのを待つというのはどうでしょう……か。ああっすいません……! 自分で言ってバカみたいって気付きました……」
「ははは。いやぁ、でもそれが一番確実だよなぁ。城の中に一日中いて怪しまれないって条件さえクリア出来りゃだけど」
「うう……」
レゾンの言う通り、幾ら俺が国王の客人扱いとはいえ、城の中にずっといれば嫌でも『何だコイツ』と思われ警戒されるのは目に見えている。
でも――――
「その案、採用」
「……へ?」
「ポメラちゃん、今年一番の大仕事だ。ありがとう。ただ硬いだけの女じゃなかったんだな」
「へ? へ?」
思わず握手した俺を、ポメラは幽霊でも目撃したかのような怯えた目で見ている。若干トラウマが……
それは兎も角、城の中で見張るってのは妙案だ。この上なくシンプルで、この上なく確実。普段からあれこれ考えていると、こういう素直な思考ってのがなくなってくるんだよな。猛省しないと。
「いやいや、無理だろ。王太后が出ていくのを確認すんには、王太后の動線で待ち構えておかないとダメだろ? どう考えても怪しまれるって」
「そこで言霊の出番って訳だ」
以前、一度試した事があった。
それは――――
「敵から認識されなくなる言霊、じゃな?」
「リノさん! 偶に俺の見せ場を掻っ攫う悪い癖があるよ? 探偵ってこういう時しか輝けないんだから、自重してくれないかな!」
「そんな局地的な暗黙の了解知らんのじゃが」
これだから異世界は……
「えっと、要するにだな……俺は周囲から存在を認識されなくなる言霊が使える。それを利用すれば、城の中にいても怪しまれずに済むだろう」
「マジかよ」
「凄いです……! そんな言霊、冒険者ギルドの言霊ガイドラインには全然載ってないのに……!」
おお、周囲が俺に称賛を……!
そういえば、異世界に詳しい子供達が言っていたな。異世界に行くと大した事じゃなくてもやたら驚愕して褒めてくれるって。これは確かに承認要求がビショビショに満たされていく。
「でも、姿が見えなくなる訳じゃなく、あくまで存在感を消すって類の効果だから万能とは言えない。賭けに近い」
「姿を消す言霊は使えないのか?」
「試してないけど……」
レゾンに促され、一応試してみる――――が、案の定失敗。実際、テレポート並の利便性だし、そうそう使える筈もない。
『敵から認識されなくなる』という効果は、様々な解釈が成り立つけど、原則自分(と自分が触れているもの)にしか効果がない事を考えると、周囲の人間の認識を変質させているとは思えない。恐らく、俺自身の視認性を下げているんだろう。例えば保護色とか。
ただ、ここに俺がいる事を最初からわかっていて、それをしっかり認識している相手には数秒程度しか効果がない。また、注意深い人物や人の気配に敏感な動物などにも満足行く効果を発揮出来ない可能性がある。これは事前に検証しておく必要があるだろう。
水筒の持ち主がバイオだと判明すれば、俺の推理はかなりの確度で正解と見なせる。これが今回の事件の勝負所だ。水晶を惜しんでも仕方ない。検証は念入りに行おう。
問題は――――
「あの……! 私、とても失礼な事を指摘するかもしれません……! 大恩人のトイさんにこんな事を言うのは心苦しくて……やっぱり止めます……!」
「いや言って。そこで自己完結されても困るから」
「は、はい……その……周りから認識されない言霊って、持続時間はどうなのかなって……」
ポメラの指摘は尤もだ。例えば最大でも一時間程度で切れるようなら、その度に速やかに人気のない場所へ移動し、もう一度言霊を使わなければならない。場合によっては水晶が底を突く事もあり得る。
「その詳しい検証もこれから行わないとな。ちょっと時間かかると思う」
「ならその間、オレらも出来る事やらねぇとな。そっちの計画にはオレ達は不要だし」
手持ち無沙汰感があったらしく、レゾンは両手の拳を合わせて目をギラつかせている。彼女には『王の仇』っていう明確な目標がある。何もしないでいるのは我慢出来ないんだろう。
「なんかねぇか? オレに出来る事は。この街についてはそれなりに調べられるぜ」
何気に情報屋ポジションなんだな、レゾン……そんなに筋肉あるのに。
「いやでも、バイオのテレポートの件もあるし、出来るだけ単独行動は……」
「そんなのいちいち気にしてたら何も出来ねぇだろ。不意打ちで殺すつもりなら、今朝とっくにやってるだろうしな」
一理ある。あの時、奴らの襲来に最初に気付いたのはポメラだったけど、彼女は呆然とその姿を眺めているだけだった。あの時点でレゾンとリノさんを仕留めようと思えば出来ただろう。
「なら、調べて欲しい事が一つある。ジェネシスがどうして言霊のデータを欲しがっているのか。これが知りたい」
「え? そんなの、バイオがこの国を牛耳りたいからじゃねぇの?」
「かもしれない。でも、何か別の目的があるのかもしれない。頼む」
人にものを頼む時には、頭を下げるか相手の目をじっと見る。同性が相手なら前者、異性なら後者。それが交渉の基本の一つ。イケメンじゃなくてもこれが一番成功率が高い。
じーっ……とレゾンの目を見つめる。
「し、仕方ねぇなあ! 明日までにやってやるよ!」
サンキュー乙女。
「あ、あの……私は……何のお役にも立てそうにありません……」
隣でポメラがぷるぷる震えていた。
「私……折角皆さんと一緒にいて貰っているのに……何の力にも……何の……うううううう」
「いや、普通に俺の言霊の検証に付き合って貰いたいんだけど……リノさんには別件で動いて貰いたいし」
「本当ですか!? 私が……私がお役に立てるんですか……!?」
パァッと笑顔の花が咲く。ポメラにはこのままでいて欲しい。なんとなくそう思う。
「で、あーしには何をさせると言うんじゃ?」
「元々の仕事に戻って欲しいんだ」
そう告げた刹那、今度はリノさんがプルプル震え出した。
「お払い箱……なのかえ? 若い婦女子が二人仲間になったから、老婆は去れと……そう言うのじゃな?」
「いや違うから! 俺が城に侵入する時の城内での調整とか、人が出入りしない部屋の確保とか、色々して欲しいってだけだからね!?」
年寄りは孤独に恐怖心があるって忘れてた……もっと気を配らないと。
「それともう一つ、可能ならして欲しい事がある」
「……なんじゃ?」
若干不信感を持った目で見てくるリノさんに罪悪感を抱きつつ、更に罪悪感を重ねる事になる次の言葉を吟味する。でも結局、率直に頼むしか選択肢はなかった。
「元国王の死を現国王がどう思っているのかが知りたい」
言葉にした。これでいよいよ後に引けなくなった。
「……其方、その発言の意味をわかっておるのかえ?」
「わかっていないなら、そもそもリノさんの願いを叶えようとは思わないよ」
睨み合っている訳じゃない。でも、俺とリノさんはお互い視線を外せず、実質的にはそれに近い構図になっていた。
「あ、あの……レゾンさん……どういう事なのでしょうか……?」
「トイが今の王を疑ってるって事だよ。そうなんだろ?」
「え……えええええええええ!?」
「そんなに驚く事じゃねぇよ。一般市民の多くは疑ってる。勿論、オレもな」
そう。現国王もそれは自覚している。だからこそ、俺を使って『都合の良い真実』を作ろうと試みた。
ここまでの推理では、バイオが重要参考人であり、黒幕の最有力候補。でも、彼一人だけが疑わしい訳じゃない。国王が死ねば、次期国王となれる立場だった現国王には誰よりも説得力のある動機が存在している。こればかりは無視出来ない。
彼が依頼人の段階では、疑いの目を敢えて向けなかった。それが依頼人と探偵の関係性だから。でも今は違う。今やっている捜査はリノさんの依頼だ。だから国王と言えど疑いの目を向けなくちゃいけない。
「当然、直接本人に聞く訳にはいかない。リノさんの立場の範囲内で、最近の現国王の様子とか、元国王が亡くなって以降の様子、言動……なんでもいいから情報を集めて欲しい」
「……」
リノさんが苦痛の表情を浮かべている。これは恐らく、現国王への後ろめたさじゃない。『元国王が実の息子に殺された』という最悪の結末を想定した捜査に強い抵抗を抱いているんだろう。
「これはリノさんにしか出来ない。真相を究明したいのなら、避けては通れないよ」
「……わかっておる。頼んだのはあーしじゃ。あーしが逃げる訳にはいかぬ」
その声はとても寂しく、切なさに満ちていた。
けど、俺はこの時――――彼女の真意を正確に汲み取ってはいなかった。
リノさんの真実が明らかになったのは、この日の夜の事。
バイオのテレポートの件もあるし、一応警戒はしておいた方がいいって事で、三人同じ部屋で寝泊まりする事になったんだけど――――
「すまぬが、あーしは別の部屋をとらせて貰う。城内の役職に戻るには手続きがいるのじゃ。その為の書類を整理しておきたいのでな」
俺達がいると集中出来ないとの事で、リノさんは断固として意見を曲げなかった。
流石にポメラと俺が二人きりって訳にはいかないから、結局一人一室になった訳だが、それは別に良い。俺だって宿代の事を無視すれば一人の方が気楽だ。日中レゾンが言っていたように、バイオがテレポートで俺達を殺しに来る確率は極めて低いだろうし。
バイオは王太后経由で俺達が王宮の関係者だと知っている筈。もし俺が国王に『バイオが怪しい』と報告していた場合、俺達が殺害されたら真っ先に疑われるのはバイオ。よって迂闊に手出しは出来ないだろう。
それでも、一抹の不安は拭えない。
リノさんと同等かそれ以上に戦闘力の高いレゾンは捜査の為、この宿にはいない。ポメラは恐らく熟睡中だろう。言霊の検証に一日付き合わせたから、披露困憊の筈。俺もかなり疲れている。狙われると色々マズい状況ではある。
――――だから、リノさんの部屋を訪れようと決めたのに、そこまで深い理由はなかった。万が一を考慮し、様子を窺う為。そして最終的な打ち合わせを兼ねての来訪。この事について後悔はない。
ノックもちゃんとした。返事も十分に待った。この時点でも落ち度はないと信じたい。
「リノさん……? 入るよ?」
そりゃ勿論、返事がない場合は入らないのがマナーだろう。でも、万が一の事を考えた場合、そういう訳にもいかない。水晶を消費して壁抜けという手段を用いてまで安全確認をしたのは……行き過ぎという意見もあるかもしれないけど、過ちとまでは言えないだろうと自己弁護したい。
斯くして、俺はノックにも呼びかけにも応じないリノさんを心配し、彼女の部屋に無断侵入した。
そこには。
「……」
リノさんと同じ服を着た"少女"がいた。




