表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/49

第二次米墨戦争


翌日、アメリカもメキシコに宣戦布告した。

第二次米墨戦争の勃発である。

世界は比較的冷静に受け止めていた。

かつての米墨戦争のことは皆知っている。メキシコがアメリカに大きな不満を持っていることも含めて。だからそうなってもおかしくない、という予想は以前からあったのである。そして昨年の油田国有化騒動での両国の対立。来るべくしてきたイベントと普通に受け止める国が多かったのである。

が、例外もいた。

イギリスのチャーチル首相である。

「あいつら、こっちがヒトラーとの戦争で忙しい時に、それを放り出したまんま、何をやり始めたんだ。こっちを片付けるのが先だろうが」

チャーチルは武器援助を国内法のせいでできないと渋りながら、一方でメキシコ相手に領土戦争を始めたアメリカの身勝手さに腹を立てていたのである。

もっともさすがにそれを表の公式見解として発表するほどチャーチルは愚かではない。公式見解としては米墨両当事国の問題というだけで、コメントすべき立場にはない、というものだった。

このイギリスの隠された不満を密かに演出した者は、そんなコメントを看板通りに受け取ることは絶対にない。

次の一手につながるイギリス政府との交渉が非公式ルートで始まった。


無論、アメリカ政府にはチャーチルの不満に思いが向くような余裕は全く無い。

ルーズベルト初め、政権中枢にいた幹部の認識では、いくらメキシコが新鋭戦車を少し持っていたところで、今のところは大した脅威ではない。むしろ今のうちにたたいておくべき、という意識で統一されていたのである。

従って、開戦が正式に決まったと言っても、戦時用の経済統制などは発動せず、あくまでも通常の経済社会体制のまま、この戦争を乗り切る腹だった。

マスコミの論調から言えば、戦争が景気を刺激することを期待しているような論調の方が目立っていたのである。

そんなところで、軍需優先の統制経済などを打ち出したら、自分の支持率にとって、いい話にはならない、これがルーズベルトの偽らざる本音だった。

このことは、メキシコとの戦争はせいぜい月単位の期間のものでしかなく、使える戦力は手持ちのものだけに限定した、とも言えた。

アメリカという国の全力ではなく、小手先の力で十分と、メキシコを舐めてかかっていた、ということにもなる。


パットンは自らの描いた通りに事が進み、上機嫌で命令した。

「ガソリンのある限り前進せよ」

前線部隊は時折り抵抗を受けてはいたが、それもすぐに排除し、後退を続けるメキシコ軍を追いかけるようにメキシコ湾沿いを南下していった。

メキシコ軍の敗走は計算された動きになっていた。必ずメキシコ湾側の右翼が先に崩れるのである。そして中央が崩れ、最後に山側の左翼が後退する。山側にメキシコ軍は押されるようになり、その裏を取ろうと、アメリカ軍先鋒はさらに南下を急ぐ。すると新たなメキシコ防衛軍が現れるという繰り返しであった。

結果、メキシコ軍は山岳部の稜線に従って布陣し、平原部を今となっては旧式のM2およびM3戦車を主力にしたアメリカ軍が埋め尽くすという状況になっていた。

但し、山岳部に退いたメキシコ軍はそのまま山岳部から動こうとはせず、一方、山岳部に下手に攻め入ると戦車の機動性が著しく損なわれ、そこを狙われた砲撃が始まるので進めず、結局アメリカ軍はそれを放置して南への侵攻を急ぐことになった。

アメリカ軍が目撃したメキシコ軍は歩兵、騎兵、砲兵だけで戦車など一両もいなかった。

アメリカ軍全体に戦勝気分が盛り上がり、戦意が向上し、さっさとメキシコシティを落として戦争を終わらせてしまえ、という意見が大勢を占めるようになった。

アメリカ世論は、突然勃発した米墨戦争に驚きはしたものの、メキシコがこのまま黙っているとは思っていないという空気も元々あり、またアメリカがメキシコに負けるわけがないと、むしろ戦争を愉しんでいた。

戦争勃発とともに高騰していた綿花市場は、アメリカ軍の圧倒的な進撃によって、紛争地帯がコットンベルトから離れたことを好感し、再び需給が緩み価格は低落傾向に戻っていた。

アメリカ世論は次第に勝利に酔うようになっていた。

誰もその勝利が偽りだとは気がつかなかったのである。

黒木が防衛線としてメキシコシティ前面を選んだ理由は、その地形にあった。

メキシコ湾に近いリオグランデ川を越えると、南の海沿いには天然の障害はほとんど無いのである。

一方、メキシコシティは台地の上に築かれた都市である。従ってその前面には、天然の障害となる標高差が至るところに存在していた。機動兵器にとっても重火器にとっても傾斜の有無、その大きさは戦況を大きく左右する要素だ。歩兵部隊なら何とも思わないわずかな勾配でも、有利不利をかなり左右するのである。長い上り坂を低いギアでのろのろと上がる戦車など砲兵のいい的なのである。

しかも戦車には困った特徴があった。回転砲塔は万能ではないのである。

例えば谷に沿った長い上り坂の山側が何センチか高くなるようにコンクリートを敷き詰めると、戦車は車体を谷側に傾けながら進むことになる。それを谷の反対側から狙い撃てば、戦車は砲塔を谷側に向けないと応戦もできない、が、もともと傾斜で谷側に傾いている車体で砲塔を回せばどうなるか、下手をすれば砲身の重量に負けて谷底に横転することになるのである。

アメリカ軍のM2およびM3戦車は回転砲塔に搭載している砲は小径短砲身の三七ミリ砲だったので、砲身重量の心配をする必要は少なかったのだが……。

戦車の操縦では段差を乗り越える際、いかに斜めの角度にならないように進入するかが重要なのだ。そういう戦車の特性を黒木はオーストラリアでジューコフにさんざん叩き込まれていた。

この特性を熟知していると、戦車殺しの防御陣地を作ることはそれほど難しくない。戦車を斜めにしてしまうものがあれば、防戦陣地らしくなるのである。

そしてアメリカ軍の戦車M2、M3,M4はいずれも並みの戦車以上に重心の位置が高い、つまり横転しやすい車体を持っているのである。

回転砲塔の動きでバランスを崩す問題が無くても起伏の多い山地には全く向かない戦車だったのだ。


黒木が手持ちの戦車部隊を全くメキシコシティ防衛線に配備しなかったのは、わざわざ戦車を使う必要もない、という自信の表れだった。だいたい最初から戦車戦にする必然性がない。戦場として選んだのは戦車に適さない山地である。しかも敵を壊滅させる必要も無く、足止めだけで十分というのが戦闘の目的なのである。戦車戦をしたがっているパットンのリクエストにわざわざ応える義理は無かった。

もっともこういう判断が黒木に出来たのは、彼が生粋の陸軍の軍人では無かったということが大きい。瀬島は赤坂宮の影響をすでに強く受けているので別格だが、そもそも陸軍の教育の中で城を築き、守りを固める防衛戦は軽視されていたのである。

江戸時代初期までは城を舞台にした戦さは頻繁にあり、築城技術はもちろん、攻守双方の技術開発や、戦術研究が盛んに行われていた。しかし、平和の長く続いた江戸時代によって、その後はすっかり廃れてしまったのである。明治に入った頃は、その多くがロストテクノロジーとなっていた。

従って明治以後の日本軍では、戦さと言えばドイツ陸軍直伝の野戦であり、築城や防御陣地で戦うのは、普仏戦争でそのドイツに敗れた遅れたフランス陸軍のものであるとして、主流から大きく外されていたのだ。

この日本軍の戦術思考の偏りも、蒋介石の焦土作戦に利用されたのである。

赤坂宮のこの時代での出現は、極端な野戦重視思想の偏りを修正することにもなっていたのだ。

戦車という陸上最強の兵器に焦点を当て、その弱点を徹底的に突く工夫を満載した一種の築城を行い、さらにそこを狙い撃つように砲兵隊を中心としたメキシコ正規軍を貼り付けたのである。

現場作業に当たってはオーストラリア訓練に共に参加した兵員を必ず一人加えていた。彼等を戦車の弱点を知る指導役として部隊に配置したのである。

陣地から打って出るわけではないので、それ以上の戦力は置いていない。機甲師団以外の他の正規軍は、このアメリカ軍の侵攻路を遠巻きにするように、配置していた。迂回してメキシコシティの裏側に回られないようにという配慮である。

およそ一ヶ月後、アメリカ前線部隊がこういう罠が至るところに仕掛けられたメキシコシティ前面に辿り着いた。

パットンにしてもメキシコシティ前面の防御が強化されているだろうというのは予測していた。そのため、メキシコの防御陣営を崩すため、今まで温存していた西海岸の戦力を動かす予定であった。

但し、西海岸から内陸に入るとメキシコ湾岸とは違って山岳地帯がずっと続く。機動力を活かした戦争はやりにくい場所なのである。

従って、以前の米墨戦争に倣い、陸軍ではなく使うのは海軍である。

メキシコシティ攻略作戦が発動された日、サンジエゴから戦艦と空母からなる、アメリカ海軍機動部隊が南下を始めた。この部隊は通常配備している構成で言えば、アメリカが太平洋に貼り付けているおよそ半分に相当する。残りはほとんどハワイ基地所属だった。その言わば本土西海岸防衛用の全部隊がメキシコに向かったのである。

もとよりアメリカ海軍にはメキシコ海軍の抵抗などという計算は全く無かった。まともな軍艦など一隻も持っていない、というのがメキシコ海軍だと思っていたのである。

その認識は全く正しかった。事実カマチョが心配して愚痴をこぼしたほどなのだから。

そして五井物産がカマチョのために用意したのは戦艦でも空母でもなく、例によって半分船体が沈んでしまう、水上部分が小さな半潜水艇だった。

この船の正式要求仕様図番号は「ハー五」。日本軍でのあだ名は「シャチ」だった。

戦車を運んで来た「ワニ」と似てはいるが、中央部にあるのは見たこともないほどの大きさ、人が乗れる潜航艇と言ってもいいほど大きかった、を持った魚雷が三本である。

船腹が中央部で大きくえぐられていて、そのへこんだ窪みに魚雷が収まっているのである。

そんな構造なので、魚雷の装填も普通と逆である。先に専用の船台に魚雷を取付けておき、そのドッグに注水した後、船をドッグに入れ、水を抜く。すると魚雷の上に船体が乗っかるのだ。この状態で魚雷を船体に固定するのである。

この魚雷の名称は「ハー六」。シャチ専用の魚雷だ。日本軍では、一部にはシャチにくっつくコバンザメということでコバンザメと呼ぶ者もいた。

乗組員の持つ拳銃を除けば、シャチの武装はコバンザメだけだ。

コバンザメの信管の制御は発射前ならシャチから有線の電気信号で行うことができた。

さすがに自動追尾するような性能は無かったので、狙いはシャチ任せである。

時差式磁気感応信管にはなっていたので、敵船に一定の距離に近づけば接触しなくても起爆できた。

雷速が早すぎて信管の作動が間に合わないということもあるのだが、それは爆発力の大きさでカバーできるとされていた。要するに直撃でなくとも近場で爆発されたら無事では済まないのである。

その爆発力はこの大きさだけあって絶大である。重装甲の戦艦でも竜骨をへし折るぐらいの爆発を起こせた。まさに大型艦殺しである。

動力機関は日本が世界で突出していた技術を持っていた酸素を酸化剤として使うエンジン駆動である。すなわちコバンザメは超大型酸素魚雷である。製造管理や事前整備は難しいものの、速度が速く、航跡が見えない、爆発力が大きいという利点があった。

エンジンにはもちろんガソリン仕様の轟エンジンを使い海水で直接冷却し、最大となる設定速度では五〇ノットに達し、射程はおよそ二万メートルだった。速度を三十ノットまで落とせば射程は四万メートルを超えた。

船自体をいくら見ても水面下にある魚雷は見えない。そもそも水上に出ている船体の長さよりも水中の魚雷の方がはるかに長いのだ。

つまり、水面上の小さな漁船ぐらいのシルエットのものが、とてつもなく大型の魚雷を抱えている、という全くおかしな船だったのである。誰がどう見ても軍艦には見えない。武装も見えない。それがこの船の一番恐ろしいところだったのである。

そんなものがメキシコ軍にいることをアメリカ海軍は全く知らない。

よって作戦計画は、そのまま、陸上軍事施設および部隊に対する砲艦からの砲撃、艦載機による爆撃、メキシコに近づく商船の破壊となっていた。敵海上戦力の排除というのは項目としても存在していなかったのである。

艦隊がカリフォルニア半島沖を航行し、カリフォルニア湾口に差し掛かったのは、夕暮れ時であった。小さな漁船らしき船影を海岸近くで時折り見かけた以外、遭遇する艦船は無く、メキシコ南部の人口密集している港湾地区を砲撃する予定だった。

艦隊旗艦戦艦アリゾナが、夕暮れの中、三つほど黒い点となった船影を見つけた。

双眼鏡でその影を見つけた当直士官は、戸惑いを隠せなかった。

それは船に見えなかった。シャチが背を出しているようにも見えたのである。

野生動物に怯えて警戒警報を出したら、何を言われるか分かったものではない……。

そんな悪い想像が頭をよぎったのだった。

「おい、あれ、何だと思う?」

横に控えていた当番兵に話しかけた。

「は、あの黒い点でありますか……。船? いやクジラかな、もしくはイルカでしょうか」

彼にも判断がつかないようだった。

双眼鏡でその影の一つを追っていく。

黒い点の大きさが急激に変わった。どうやら向きを変えたらしい。点が少しの間大きくなってすぐにまた小さくなっていった。そしてそのまま遠ざかっているようである。

この艦だってそんなに遅くはないはずなのに、すごいな、クジラは……、いや、待てよ……上下動もほとんどなくあんなにスピードが出るのか?

士官が、それがクジラでは無いのでは、と疑問に思った瞬間、艦全体がものすごい勢いで揺さぶられた。続いて轟音が轟き、艦内照明が消え、非常灯が灯った。

下の甲板の方で一斉に叫び声が上がる。が、何を言っているのかまではさっぱり分からない。

船体の状況を見るため、舷側に寄ろうと歩こうとした。

傾いている……。角度にして、四度、いや六度? まずい、船体に穴でも空いたのか?

エンジン音が止まっていることに気がついたのはその後である。

機関室がやられたのか……。

電気系統もダメになったらしく、バッテリー頼みの非常灯だけが頼りの状態になった。

そして伝声管と近所の肉声で、同じ言葉がいくつも繰り返された。

「総員退去! 直ちに総員退去! ボートを下ろせ、早く! 急げ、水が来るぞ、もたもたするな!」

この日、カリフォルニア湾口でアメリカ海軍は戦艦アリゾナ、航空母艦ワスプの二隻を失った。

赤坂宮の持論となっている論法で行けば、大型艦は敵を脅す、示威という政治的な道具としては有効だが、実戦では必ずしも最適な兵器ではないことをまさに立証する形になったのである。

つまり敵に認識され警戒される兵器というのは必ず弱点が研究されるということだ。警戒されていない兵器こそ、本当の意味での決戦兵器なのである。

政治的に大きな意味を持たされた大型艦が沈められたことは、まさに政治的に大きなダメージを負ったに等しい。

残存艦隊は大型艦二隻の生存者救援と捜索活動を直ちに開始した。

だが両艦を沈めた敵艦の追跡はもちろん諦めた。そもそもどんな攻撃を受けたのかが分かっていなかった。ましてや攻撃した艦など特定できるわけがないのである。

潜水艦説がすぐ唱えられたが、まともな水上艦すら持っていないメキシコが潜水艦など持っているわけがないと、すぐその場で一蹴された。

そして敵の正体が不明のままこの海域に留まるリスクも大きいのに、さらに進撃して作戦を続行することはもはや無謀としか言えなかった。当然、作戦中止、サンジエゴへの帰投が命令された。

海軍本部もワシントンもそしてマスコミもアメリカ国民も大ショックに陥った。

建軍以来一度も一方的な被害を被ったことなど無かったのがアメリカ海軍だったのだ。

しかも沈められたのは間違いないのに、どんな相手にどんな兵器で攻撃されたのか、それすらもはっきりしないのである。

救助された戦艦の当直士官のおぼろげな推測が、ほぼ唯一の敵情報だった。

小さな船が、一万メートル離れた場所から放った超大型魚雷による攻撃というものである。

アリゾナ、ワスプの被弾の状況は僚艦によって目撃されていて、どちらもたった一発で仕留められたことが確認されていた。

あれだけの大型艦をたった一発で仕留められる魚雷、そんなものは少なくともアメリカ軍には無かった。

海軍を中心にメキシコ侮り難し、という空気が急速に広がっていった。

アメリカが大騒ぎになっていてもメキシコ側は全く静かだった。メキシコ軍が何も発表しないのである。故にメキシコ人の多くはそんな海戦があったことも知らないという状況が続いていた。

アメリカ軍初め、世界がこの海戦で行われた本当の攻撃手段と使われた兵器を確認するのは、この戦争が終わってからの事となるのである。

一方、ワシントンではやや違う反応を示す者がいた。

「ハル君、これは彼等の仕業ではないのかね」

「大統領閣下もそう思われますか。しかし一応日本軍の動静についてフォローは行っていますが、日本海軍の主要部隊はいずれも日本近海から外に出た形跡はないようです。もっともアメリカに近い部隊でもパラオ泊地ですから、サンジエゴから出撃したのを確認してからではとても間に合いません。それに日本海軍では魚雷は駆逐艦の主要兵装にしているそうです。駆逐艦なら攻撃前に簡単に発見できたでしょう。それにそもそも、我々が掴んでいる日本海軍の魚雷は我が海軍のものよりは威力が大きいそうですが、それでも戦艦を一発で仕留められるほどではないとのことです」

「そうすると、メキシコが自力で開発した新兵器だと言うのかね」

「いや、それもありえません……。戦艦を作っている国なら戦艦を沈める兵器も設計できるでしょうが、それを持ってもいないメキシコには無理でしょう」

「なら可能性は、日本が作った新兵器をメキシコに渡している、ということに絞られるか……。ハル君、メキシコ軍が持っていた戦車ももしかしたら日本から運び込まれたのではないのかね」

「その可能性はかなり前からメキシコ国内にいる協力者に当たらせているのですが、それを肯定できそうにないのです」

「どうしてかね?」

「あんなに大きな戦車を船で運ぶとすると、重量はまあ四十トンぐらいはあるでしょうから、普通なら大型のクレーンが岸壁にあるところで陸揚げするはずです。ところがメキシコの太平洋湾側には、大型船が横付けできるだけの深度があるバースがまずないそうです。さらに戦車をつり上げられる大型クレーンがある港も無いんですよ。メキシコ湾側にはあるのですが、そちらをいくら監視していてもそんな揚陸が行われた形跡は全くつかめないのです」

「ハル君、どうやら我々は我々の知っている常識だけでものごとを判断してはいけない相手と戦っているようだ。至急、船舶に詳しい人間を集めたまえ、現代の技術で作れる可能性のある船舶の話を聞きたい。メキシコがどういうルートでモノを集めているかはともかく、何を持っているのか推測ができないと話にならん」

「かしこまりました。それで戦争の方はどうします。このままパットンに任せていいのでしょうか? 例のメキシコ軍の戦車部隊はどこにも姿を現していないようですが……」

「君は私に、戦艦と空母を沈められたから慌てて軍を引っ込めた大統領というレッテルを貼りたいのかね?」

「いえ、そういうつもりでは」

ルーズベルトはメキシコとの戦争が始まってから自分の支持率が回復していることに気をよくしていた。海軍では今回痛手を被ったが、まだ陸軍が戦果を上げればそれも容易に回復できるだろう、と計算していたのである。

パットンにメキシコシティの奪取を急げと訓電を打たせ、この日の会合を終えた。


メキシコシティに迫ったアメリカ軍の前線司令部では、一人の将校が困惑していた。

メキシコシティへ向かうには、台地のところどころにある峡谷に作られた坂道を登らなければならない。その坂道がことごとく、戦車の墓場にされているのだ。

道は潰され、コンクリートで作ったダムのような障壁がいくつも設けられ、しかも地雷まで敷設されているのである。

アメリカ軍がこれに本格的に攻めかかって一週間ほど経つ。

が、これまでの快進撃とは打って変わって、一ミリも前進ができずにいた。

防御陣地の造りはかなり巧妙で、敵兵の姿を視認することはできないのに、その前面に部隊を出すとありとあらゆる方向から砲弾が飛んでくるのである。

つまり予め着弾点をその場所にセットした曲射砲による、こちらからは発射点が見えない場所からの砲撃にさらされるのである。切り立った崖の陰に設置した前線司令部が攻撃される恐れは無いが、二十ほどある突入路のどこから部隊を入れても正確にその部隊は全滅させられるのである。

今のところ、物資補給も兵員増強も滞りなく前線まで届いているので、兵力が枯渇するという心配は無かった。おそらくそのせいだろう。メキシコ側も陣地奥から出て来ないのである。

アメリカ軍は動くと被害がやたらと増えるので、だんだん動きを止めていった。

前線司令部で、損害をまとめていた参謀の一人が提案をした。

「司令、これは正面突破は諦めるべきでないかと。一旦、もっと南方へ進出、台地を迂回しそれから北上してメキシコシティを包囲するべきではないでしょうか?」

メキシコシティの乗った台地は南北に長く続いている。が、もうすぐ太平洋に届くというところで平原になるのである。そこまでいけば、容易にメキシコシティに接近できる道にたどり着けるだろう。迂回と言うには長すぎる距離だが、メキシコ側がそちらまで固めているとは考えにくかった。

海軍の太平洋側からの支援が望み薄となった現状からすると陸上部隊だけでメキシコシティを落とすのにはやはりこの進路しかないように思えたのである。

少なくともこれほど計算ずくで作られた防御陣を相手にするよりはよほど被害を抑えられるだろう……。

簡単な戦況報告と作戦計画書を作らせると、司令官はパットンにそれを送り承認を待った。

パットンがこの提案を受け取った時、同時に大統領からの督促も届いていた。

素直に状況を判断すれば、ここは提案を受けた方が得策である。しかしパットンにはある勘が働いていた。

パットンは自分が行った偵察旅行で一つ悔いていたことがあった。それは例の戦車をどれくらいメキシコが持っているかつかめていないことだった。パットンが見かけたのは、おそらく全体のほんの一部であろう。あれが全部で数十両なのか、それとも数百両程度なのか、あるいは千両を上回るのか、それが気に掛かっていたのだ。

最初にこの戦争を企画した時、この部隊の目的はあくまでも威力偵察だった。

ところがその後、政治的には全面戦争へと拡大したおかげで、急遽部隊を編成し直し、本格的な侵攻部隊に格上げしたのである。

それでもパットンが見たあの戦車隊が現れたら、かなり苦戦を強いられるだろうと危惧していたのである。ところが現実はずるずるとメキシコ軍が後退するばかりで、メキシコ深部へと軍が勝手に進んでしまったのだ。気がつけば目の前には首都メキシコシティである。この町を落とせば戦争は終わる。それが全員の気をはやらせた。

メキシコシティ防衛に戦車を使わないはずはない。

これがパットンの読みである。何両あるかわからないが、相当数あることは間違い無い。だとすると今の攻略部隊の数では全く足りないだろう。

パットンは現在のニューメキシコ、テキサス、ルイジアナの部隊からなる突入軍をさらに増強することにした。新たに、ジョージア、アラバマ、オクラホマ、アーカンソー、ミシシッピにも動員をかけたのである。

これら南部の諸州に置いている軍は、一応人種は問わずで兵を募ってはいたが、実際のところ兵役につく黒人はそれほどいなかった。白人側が嫌ったからである。言ってみれば徴兵検査で黒人は不合格にされていたのである。

つまり南部諸州に配置されていたアメリカ軍は白人の軍隊だった。言い方を変えると武力を白人が独占していた、ということでもある。

その軍隊が一斉にメキシコへと移動していったのである。

さすがに機甲師団化されている部隊は少なく、その多くは歩兵と騎兵である。それでもその数は一言で言えば壮観だった。

補給部隊とその護衛だけでも見た目はちょっとした戦闘部隊である。

パットン自身は、もちろん先頭に立って、メキシコ領に攻め入りたがった。が、自分以外にこのメキシコ戦線の全貌を理解している者がいないという状況では、前線に立つわけにはいかなかった。

従ってパットンはヒューストン西方に司令本部を設置し、そこで全体の指揮を執ることにした。

メキシコシティの前縁部にアメリカの大部隊が集結を終えるまで、およそ二週間を要した。途中少数のメキシコ軍が輜重部隊を襲うなどの懸念があったので、その掃討作戦で遅くなったのである。いまやメキシコシティ前線までのアメリカ軍の補給路は万全と言って良かった。

従って新たに南部諸州からメキシコ領に集められた部隊は、まるで観光旅行気分でメキシコシティ前面にまでやってくることになった。途中一度もメキシコ軍を見ることは無かった。

そして満を持して、メキシコシティ攻略作戦が改めて発動された。

今回は、まず半数の部隊が南部平原に進出し、敵戦力を掃討する。この部隊は敵戦車隊との遭遇することを前提に、アメリカ軍の南部州にあったほぼ全ての戦車を投入していた。掃討完了後、進路を北に転じ、メキシコシティ南端へと迫る。

さらにこの迂回した部隊が南側からメキシコシティ攻略にかかるのを支援するため、東側の防御陣に張り付いていた先行部隊を防御陣の北側へ回し、集中的にそこを攻撃する、という段階で計画が作られていた。

メキシコシティでは黒木がカマチョの横で作戦指導を助言していた。

黒木は前回の米墨戦争でのメキシコ軍の動きのまずかった点を指摘し、それを徹底的に改めさせていたのである。

要するに地形から見るとメキシコシティは防御拠点として最適な場所なのである。下手に打って出ると敵の思う壺になる、と力説したのだ。前回の戦争ではメキシコ軍が先に決戦を挑み、壊滅させられてしまったので、メキシコシティを開け渡す羽目に陥ったのだ。

それでアメリカ軍が大軍を準備している間、メキシコ側が全力で行っていたのは、メキシコシティ全周に渡る要塞化である。日本から秘密裏に輸送された迎撃用局地戦闘機も届き、防空面でも完璧を期していた。

黒木の頭の中にあるのは楠木正成の籠城戦である。とにかく予想以上に膨れ上がったアメリカの大軍、およそ二十万と見積もられていた、を長くここに足止めするのがこの作戦の目標だった。

ここまでの戦闘経験で黒木は自分の作り上げた戦車殺しの築城に自信を一層深めていた。

アメリカ軍の数が当初予想を大幅に超えたことに驚きはしたものの、怯むことは無かった。

当初メキシコ側の将軍は勝利を追わないことに不満を漏らしていたが、メキシコシティを目指したアメリカ軍の大軍を見てすぐ大人しくなった。

むしろ黒木がその大軍を見ても以前と全く変わらない様子を見て、黒木への信任度を深めつつあった。

戦争というよりもずっと土木工事ばかりをやらされてきたメキシコ軍兵士は、そもそもこういう地味な作業には全く向いておらず、作戦への不満はかなりのものだったのだが、いざ、その場所にアメリカ軍が現れ、自分たちが作った防塁の罠によって敵戦車が次々と撃退されていく姿を目の当たりにして悦びを爆発させていたのだ。

さらにアメリカ軍との交戦が始まってから、メキシコ軍は敗走を続けている割には損害らしい損害は被っていないことも、彼を賞賛する理由となっていたのである。

そして今出されている命令は敵に飛び込めではないのである。討って出るな、守れ、と言われているのである。誰しも気分的には気が楽だった。

今までなら勇猛さを売りにした将軍たちが血気盛んにアメリカ軍に決戦を挑み、多大な損害を出してあえなく敗退を繰り返していたところだったのである。


アメリカ軍の南進部隊が平原に出た時、パットンが想定していたようなメキシコの戦車部隊の派手な出迎えは全く無かった。パットンの心配はまたも杞憂に終わった。

それなら、ということで部隊は全く無傷で、メキシコシティ南端へと迫ったのである。

が、前線部隊が見たのは、意外な、ある意味もっとも見たくない光景だったのである。

そこにはダムのように作られたコンクリートの壁がいくつも用意されていたのだ。

結局、進入路の数は倍になり、侵攻する軍も倍になったが、損害も倍になっただけだった。

爆撃機による爆撃で防御陣を破壊しようと試みたが、分厚いコンクリートは簡単には崩れそうに無かった。そのうち、メキシコ側が迎撃機を飛ばして来るようになったため、爆撃機による攻撃は中止となった。

ワシントンではやっぱりそうか、というムードでこの報告を受け取った。

戦車、船舶、と近代的兵器が揃えられているなら当然飛行機も見落としているはずはないのである。

「我々の敵は本当にメキシコ人なんだろうか」

大統領が呟いた感想は、この時点では、前線部隊の将兵の共通の思いになってきていた。

話に聞いていたメキシコ軍とはあまりにも違うからである。

旧式兵器しか持っていなくて、大雑把で、統制が取れなくて、敗色が濃くなるとすぐ逃げる、それがアメリカ軍のメキシコ軍に対するイメージだった。

しかしいまや、そんなイメージはどこにも無かった。慎重、狡猾、かつ大胆、そんなイメージが湧き上がっていた。


黒木は、メキシコシティ東方および南方に展開したアメリカ軍の動きが完全に止まったことを確認した。

条件は整ったのである。かねてより入念に準備をさせていた反攻作戦の発動を指示した。もちろんその主力は虎の子の戦車師団である。日本からのピストン輸送でいまや戦車補給車を合わせた総数は、千両を少し越えるほとの規模になっていた。なので南部で戦いが続いていた時間、ずっと彼等は訓練を受けてきたのである。

メキシコ正規軍の半分がメキシコシティ防衛戦に参加し、残りがこの反攻作戦に投入されることになっていた。

つまり現在メキシコシティとその北部に展開している部隊十万とほぼ同数の部隊をこちらの突入部隊に当てられていたのである。

突入部隊は途中で二つに分かれ、東を目指す東部方面軍八万と、西を目指す西部方面軍二万に分かれることになっていた。

砲兵はメキシコシティ守備に全数回したのでいない。機甲師団が敵戦力の殲滅を担当し、残りの歩兵は輜重、偵察、占領地管理などの役割が与えられていた。

そして彼等には、メキシコシティ守備隊には渡されていない特別な装備品が支給されていた。

将校以上には新品の軍服一式、兵には、黒いたすきである。それは秘密装備品として厳重に管理され、命令があるまでは表に絶対に出さないようにと指示されていた。

しかしこの突入部隊の作戦内容は華々しい電撃戦などではなかった。

どちらかと言えば隠密機動作戦なのである。

移動は夜間を中心に、無駄に交戦をすることなく、軍の立てこもる砦を遠巻きにして迂回、途中の道路、通信設備を破壊し、アメリカ国内の通信と交通を寸断しながらひたすら目標地点を目指せというものだったからだ。従って、敵戦力の殲滅はやむを得ない場合に限り、という条件つきである。そして途中にある町の行政機関を確実に抑えることだった。

実際に警備の薄い国境を越えることは簡単だった。元々手薄な国境線だが、今は南部を守る合衆国連邦政府直轄の軍は皆メキシコ旅行中でいないのである。わずかな州兵だけなら全く障害にならなかった。

そして先頭を切る戦車部隊の侵攻目標は、誰も考えなかった、アメリカの最深部と言っていい土地だったのである。


パットンは補充計画に頭を悩ましていた。

決して大敗をした、というわけでもないのに、まるで時計で時を刻んでいるかのように毎日毎日、確実に一定量の消耗を強いられるのである。

パットンは補給物資とともに兵員の補充も心配になってきていた。

すでに壊滅してしまった部隊は多く、さらに残存部隊のほとんどが定員を大きく割り始めている。

徴兵を増やせという指示はすぐに実行された。しかし元々白人人口は少なめであり、徴兵で多くを取られていたから簡単に増やせるわけはない。多くのところで、今まで不合格扱いをしていた黒人を繰り上げ合格にしようと動き出した。

新兵で部隊編成をしたら全員黒人だった、というような話があちこちから出る。

白人に命令口調であれこれ言われることには馴れた黒人が多かったが、逆に一緒に国を守ろうとか、共に祖国の防衛を、などと白人に言われると当惑する者が続出していた。

多くの黒人はそもそも祖国というものを認識していなかったからである。

そんなところにきて、彼等を待ち受けていたのは、パットンが命じた一際厳しい促成訓練である。服従馴れしているだけでは絶えられるシロモノでは無かった。

結局多くの部隊で黒人の脱走兵が相次いだ。

こうした黒人の動静は、アトランタの教会にもすぐ伝わり、それは瀬島にも伝わった。

瀬島がかねてから温めていたプランを指導者マーチンルーサーキングシニアに打ち明けた。

「それは……、本当の話なんでしょうか?」

「名前は明かせませんが、日本のトップの方の意向です。あなた方は自分の国をまず持つべきだと。その為なら日本は助力を惜しみません」

「今はメキシコとの戦争中ですよ。メキシコとも戦うことになるのでは」

「その心配はありません。メキシコは人種差別に否定的ですからね。こちらの主張が正しく認識されれば、メキシコは我々に積極的に協力してくれるでしょう。さらに言えばイギリスもね。細かいお話はまだちょっと控えさせてもらいますけど」

「しかし、いまやメキシコは風前の灯火状態なのでしょう? もう降伏は近いと新聞が書いています」

「新聞は事実を見ていませんからね。一週間ぐらい様子を見ていたらわかります。もう間もなく転機になりますから」

「……、で、何故私にそんな話を?」

「もちろん、あなたにその新しい国の代表になって欲しいからですよ」

「それは、日本が作った満州国と同じような国をここに作るということですか?」

「そう受け取って頂いて結構です。ただし満州は日本の保護国という形で誕生しましたが、こちらで保護国の立場を担うのはメキシコになると思います」

「なるほど。メキシコ人は有色ということで我々同様差別される側でしたな。あなた方日本人ともある意味似ている……」

「日本のトップもそれが一番気に入らないようです。白人だけが世界を作っているわけじゃないとね」

「お話は分かりました。ですが、ズルいかもしれませんが、やはりもう暫く戦況を見守らせてください。下手に動くと大勢が死ぬことになる……」

「大きな仕事をするにはそれなりの覚悟が必要です。ごゆっくりお考えください。但しこうしている間にも時は刻々と動いています。あなたが登場する舞台の幕が上がるのはそれほど先ではありません。そしてその時にあなたが登場しないとおそらく後々非常に後悔をなさる結果になるだろう、ということもどうぞお忘れ無く」


メキシコシティ南側でも東側同様に犠牲者が出るようになり、戦線はまたも膠着状態に陥った。

パットンに届けられる前線から報告されるのは軍の損耗状況ばかりで、前進を臭わせる情報はどこにもない。

メキシコ側の首都防衛線は相当入念に作られているらしかった。

戦争勃発によって、戦時特例が復活したため、パットンの階級は大佐に戻っていた。

そしておそらくこのままメキシコ政府に引導を渡せれば少将、いや中将への昇進もありうる、とパットンは考えていた。

軍功を評価されるということはパットンにとって、人生の目的そのものである。

いまやメキシコシティは、パットンの人生そのものに刃向かうものの象徴として君臨していた。

どうしてもメキシコシティへの正面突破ができないならば、と密かに市内に兵を紛れ込ませ、内部から崩す破壊工作を仕掛けることにした。

早速、決死隊を募り、航空機からの落下傘降下を命令しようとしていた時だった。

伝令が走り込んできた。

「オクラホマシティにメキシコ軍が現れたそうです」

「何をバカなことを言っている、どれだけ離れた場所だと思っているんだ?」

「しかし、確かにオクラホマシティと……。目下敵戦車部隊と交戦中とありますが、増援が無ければ降伏は時間の問題だとも」

「敵の規模はわかっているのか?」

「見たことのない新鋭戦車がおよそ三十両と。かなりの高速でしかもこちらの対戦車砲では装甲を抜けないとのことです」

「防戦しているのは?」

「たまたまテキサスに向けて移動するためオクラホマシティに集結していた歩兵と騎兵の部隊だそうです」

「戦車は?」

「いません。全部テキサスに移動させていたようです」

パットンの脳裡に無人の荒野に突然現れた例の戦車の姿が思い浮かんだ。

完全に裏を取られた。

それにしてもメキシコ軍はどこからオクラホマシティに現れた?

その答えは別の伝令の報告で推測がつくようになった。

カリフォルニア州とアリゾナ州、ニューメキシコ州の各所で道路が寸断され、移動できなくなっているという報告が届いたのである。

メキシコ軍は戦車戦に都合のいい平原を移動するのではなく、わざわざ戦車が使いにくいロッキー山脈周辺の山間部を中心に北上していったのだ。

おそらくメキシコ軍に占領されても、その連絡さえもアメリカ側に知らせるのは困難になっている、だからいきなりオクラホマシティからメキシコ軍が来た、という連絡になったのだ。

もともとこの地域には外敵の侵攻は想定しにくいということで軍は限定的にしか置いていない。アメリカの中でももっとも安全な場所と考えていたのである。そこをメキシコ軍に突かれたのだ。

「まずい、高地からどれだけメキシコ軍が出てくるかこれでは読めない。我々の補給路が全部断たれるぞ……。メキシコ領から全軍引き上げる、すぐに撤退準備に入らせろ」

古今東西の軍略に詳しいパットンの判断はさすがに速かった。

しかし、パットンは自分で命令しておきながら、その命令に自分自身で反駁していた。

だが、どこまで撤退したら安全なんだ?

テキサス、ルイジアナ、ミシシッピ、アラバマにはもう戦力らしい戦力は残っていないんだぞ?


ほぼ同じ時刻、ワシントンでもほぼ同じ疑問を持っていた。

但し、パットンよりはメキシコ軍の動きが正確に届いていた。

「西から、アリゾナ州のフェニックス、ツーソン、ニューメキシコ州のエルパソ、アルバカーキ、テキサス州のアマリロ、そしてオクラホマ州のオクラホマシティ、これらの町とそれぞれの町をつなぐ街道がどうやらメキシコ側に抑えられたようです」

「まさかロッキー山脈を進軍路に選ぶとは」

「誰も予想していませんでした」

「パットン達への連絡補給は大丈夫なのか?」

「一応、まだ機能しています。ダラス、ヒューストンはいずれも健在ですから。しかしはるか北部で武器弾薬のルートに危機が迫っていることは間違いないと思われます。おそらくですが、パットンはメキシコに嵌められたのです。メキシコはパットンにわざと奥地まで侵攻させ、アメリカの南部中の部隊を全部メキシコ領内に足止めさせた。今、アメリカ南部は軍事的にはもぬけの殻です。優勢な機動部隊を阻止する力はありません」

「メキシコ軍はこれからどうすると思う?」

「全面戦争というのなら、最終目的地は、ここワシントンとなるはずです……。が、ちょっとそれは考えにくいですな」

「ほう、その根拠は?」

「これだけ見事にパットンを手玉にとったやつなら、アメリカ軍がどこまでの軍を動員したのかぐらい当然計算しているだろうと思うからです。まして南部と違い北部となれば人口密度も高く、占領も容易ではありません。いくら戦闘力に優れた部隊でも大きな都市をいくつも占領していたらすぐ疲弊してしまうでしょう」

「なるほど一理ある。ではメキシコ側はこの先、どうやってこの戦争を終わらせるつもりだ? 外交交渉? わしはそんなものを飲むつもりは全く無いぞ。どんなに時間がかかろうと必ずメキシコ軍を追い返し、もう一回敗北の味を味合わせてやるつもりだ。諸君らもそのつもりで対応を考えてくれたまえ」

ルーズベルトの断固とした口調に異論は出なかった。

しかし、その後も事態は一向に改善しない。戦力が揃わないのである。動員令を出していなかったことが悔やまれた。アメリカの社会は戦争に備えていなかったのである。

黒人が兵役をボイコットしている、という報告が上がった。

ルーズベルトは激怒して叫んだ。

「これだよ。やっぱり元奴隷の黒人に期待なんてかけるべきじゃなかった。黒人解放は完全に失敗に終わったな。君、兵役拒否の黒人は片っ端から捕まえて収容所にでもいれるようにしたまえ。放置しておけば治安が悪化するぞ。各州の知事にも厳命するんだ。これは国防案件だからな」

ルーズベルト、いや民主党が何故黒人を支持層に入れているか。

それはアメリカ人の主流は共和党だからである。そもそも共和党という言い方自体が、民主党側が相手を同列に見えるように広めた呼び方だ。普通の会話ではまず、共和党レパブリカンなどという言い方はしない。

GOPである。グランド・オールド・パーティ、偉大な古き党こそが共和党というわけだ。

そしてGOPの支持層と言えば、WASPだ。ワスプ、即ちホワイト、アングロサクソン、プロテスタント。つまり白人で、アングロサクソンの血統で、カソリックではないキリスト教徒こそ、正真正銘のアメリカ人というわけだ。いわゆる東部エスタブリッシュメントと呼ばれるアメリカの保守本流そのものであり、その根源はイギリス人のアイデンティティと共通するところが多い。だから欧州的な階級社会に寛容である。

世界中から移民が集まる自由な国、つまり階級の無い社会という看板を掲げたアメリカが抱える大きな矛盾点であった。

共和党がこういう存在なので、民主党は党略として、GOPが取り込めなかった非主流派を集めた政党だ。だから黒人を支持層にしていることになっているのである。が、だからと言って、黒人を大事にしたい、などという思いからは遠かったのだ。


その頃、ニューメキシコ州のアルバカーキ近郊に展開していたメキシコ軍がアメリカ軍守備隊から初めて猛烈な反撃を受け、大きな損害を被った。

ほぼ歩兵部隊だけだったメキシコ軍は、重火器による攻撃にあえなく壊滅した。

何の変哲も無い、山あいの小さな町だったので、そんな強力な守備戦力がいるとは全く考えていなかったからである。逃げ帰った敗残兵からの報告を聞いたメキシコ軍はすぐに制圧に乗り出した。

改めて、航空偵察を行った結果、人里からかなり離れた奥地にそんな場所には全くそぐわない、異様に大きな工業プラントを発見したのである。

ロスアラモスという小さな町の近くで、公表されていたどの地図にもそんな施設の記載は無かった。

大部隊が近づき難い場所なので、航空機による執拗な攻撃を加えた後、特殊訓練を受けた歩兵部隊によって制圧する作戦が採用された。

メキシコ軍はその施設が何なのかは掴んでいなかった。

が、何であるにせよ、それだけアメリカ軍が警戒しているなら、それなりに軍事価値が高いに違いないから、接収しておけ、ということになったのである。

作戦は半分成功、半分失敗ということになった。

制圧がなった時、そのプラント施設のほとんどの機材は、破壊されていたからである。もちろんそのほとんどは撤退するアメリカ軍によって壊されたものである。


同じような戦闘が、中央部東部への侵攻作戦の拠点となったオクラホマ州でも行われた。

奇襲というわけではないが、通常の戦力とは言えないような強力な反撃が空から加えられたのである。理由は住民に尋ねた結果すぐに分かった。

オクラホマ州の北隣、カンザス州のウィチタという町には大きな滑走路を備えた飛行機の生産プラントがあるというのである。

その滑走路を利用してメキシコ軍への空爆を行っていたのだ。

メキシコ軍の対応は早かった。

そんな工場は早々に叩き潰しておくべきとなり、当初はカンザス州へ侵入する予定は無かったのだが、一度主力をウィチタに突入させることにしたのである。

もちろん狙いは工場そのものの破壊だ。大平原に現れた巨大工場を発見するのは全く簡単で、あっという間に、戦車砲弾の集中砲火を受け、工場は瓦礫の山に変わった。

そこには見たこともないほど大きな飛行機がたくさん並んでいた。もちろんそれらは生産途上で完成したものはごく僅かしか無かったが、それも巨大な工場建屋の崩落した屋根の下敷きになりぺしゃんこになっていた。

要するにアメリカはロッキー山系の地形が複雑に入り組んだ、国境から遠く離れた場所に重要な施設を丸裸に近い状態で集中させていたのである。

メキシコ軍のロッキー山脈縦走作戦は、ルーズベルトのもっとも守りたかったものを文字通り木っ端微塵にしてしまったのだった。

もっともルーズベルトがこれらのニュースを知るのはずっと先のことになる。

アメリカの東西を結ぶ連絡網、道路網は各地でズタズタにされていたからだ。

その後もオクラホマ州を落としたメキシコ軍はそのまま東進を続け、アーカンソー州に入ったことが伝えられた。

東部から移動させた軍および地元の民兵組織が応戦しようとしたが、ほとんど瞬殺と言っていいような有様で撃破されていた。

「あいつら、本当にワシントンを落とすつもりじゃあるまいな」

さすがにルーズベルトも不安を感じないわけにはいかなくなった。アーカンソーを抜ければテネシー州である。もう南部でも西部でもない。

アメリカという国の本丸である。

そして彼等とワシントンの間には、ケンタッキー州ルイビル郊外のフォートノックスがあった。ここには昭和十一年(一九三六年)からアメリカ政府の持つ全ての金塊を保管する金塊保管所が設けられていたのである。言わばアメリカドルの価値を決めている金塊である。これをメキシコ軍に奪われることだけは何としても避けなければならなかった。

従って、このフォートノックスを中心に東部から移動させた軍を集中させ、強力な防衛線を作ることにしたのである。とは言っても僅か二週間程度でかき集めた軍は十万にも満たず、また戦車も百両程度しか集められていない。東部からなお移動中の部隊もいるので、時間が経てば数の不利さはなんとか補えそうだった。

しかし、それでも、もし決戦となった場合、必ず守れるのかと問われたら、やってみなければわからない、という答えしかないのが誰の目にも明らかだった。戦車兵の練度は低いし、そもそも戦車そのものの性能がメキシコ軍の使っているものよりかなり劣っているのは見た目である程度判断がついたからだ。

従って、この防衛戦に貼り付いた将兵の胸中は悲壮なものになっていた。

地勢としてはワシントンまでは陸路としても補給なしに進軍可能な距離しかない上に、戦車の障壁になるような天然の障壁は全く無かった。もしメキシコ軍がロッキー山脈などというルートを取っていなければ、ミシシッピ川がその防壁の役割を果たすはずだったのである。が、メキシコ軍ははるか上流で進軍することでその天然の要害を見事に迂回したのである。

アメリカ中央部は、沙漠や荒れ地がほとんどなので、街道と町、水源地を制圧すれば、生存に窮する所ばかりなので、面積がやたらと広くても制圧には意外と時間は掛からなかった。厳しい自然がメキシコ軍の味方についていた。

このような状態だったので、アメリカ合衆国のど真ん中を真東に向かって進軍するメキシコ東部方面軍をケンタッキー州よりも西で抑える手段がアメリカ軍には無くなっていた。

北部の五大湖付近の人口密集地にはそれなりの部隊がいるが、後ろに人口密集地を構えている関係で、南のメキシコ軍に喧嘩を売るわけにはいかなかった。下手に刺激して進撃方向が北に変わったりしたら、それこそ被害は絶大になると考えられたからである。

そうでなくてもメキシコ軍が近くまで来ているらしいという噂が住民の間に知られ、治安維持が難しくなっていた。暴動発生五秒前という状態だったのである。

しかも自国のド真ん中に現れた敵軍ということで、航空機による爆撃が行えないのである。

メキシコ軍自体を視認できたとしても、それがどこにいるのかが事前には分からず、常に遭遇戦となる。計画的に目標を確実に叩く、というわけにはいかない。

しかも実際には、メキシコ軍の近所では州兵や民兵が交戦している可能性が高いのである。そんなところに精度の低い爆撃を行えば、誤爆が頻発することは間違い無かった。

つまり敵と味方が入り交じっているところに爆撃機は出せないのだ。


一方、アリゾナ州を抑えロッキー山脈の西側に進出したメキシコ西部方面軍はその頃ネバダ州へと侵入していた。

ラスヴェガスはあっという間に落とされ、何の抵抗を受けることもなく、カリフォルニア州に達した。

メキシコ国境側で防衛体制を敷いていたアメリカ軍は完全に裏を突かれた。

サンフランシスコ、ロサンジェルスに続き州都サクラメントも陥落した。そこでメキシコ軍は州政府を占拠するとようやく停止したのである。

後背地を失ったことでサンヂエゴ海軍基地は占拠される前に放棄するということが決定された。

退却する将兵を乗せ、すぐさま北のシアトル目指して出港に移る。

が、メキシコ側の魚雷艇はすでに湾の出口で、散開し待ち伏せをしていた。

もっともその数は多くはなく、目的も、ここにメキシコ軍がいるぞ、とアメリカ側に思わせれば十分という作戦内容になっていた。各艦一発撃ったらさっさと退却という内容だったのだ。

従って実際に魚雷の餌食になったのは駆逐艦が一隻だけだったし、またメキシコ軍もその戦果だけで満足しすぐ退却していた。この魚雷艇の作戦はいつも撃って逃げるということになっていたからである。もっともそんなことをアメリカ国民は知るよしもなかった。


しかし、このニュースが与えたアメリカへのダメージは大きかった。

メキシコが降伏寸前というのは真っ赤なウソで、事実はアメリカこそ追い込まれている、というセンセーショナルな出来事として世界に報じられたからである。

単に軍事的な意味ということだけでなく、他のいろいろな意味を含めた形でアメリカの威信を失墜させたのである。


ルーズベルトの周囲では、アメリカ政府のワシントンからの撤退を検討する声が上がり始めた。


一方、メキシコ領からの撤退を決断したアメリカ軍はテキサス州に向かって北上を急いだ。しかし軍隊というのは前に進む時は攻撃力が発揮できても、後退する時はほとんど攻撃らしい攻撃はできないのである。

たぶんそれを見越していたメキシコ側は、アメリカ軍が撤退行動に移るとみるや、メキシコシティ前面からはもちろん、テキサスの国境まで続く山間部から海岸方面に退却部隊を横から圧迫するような激しい攻勢に打って出たのである。もちろん戦車のような兵器はないが、撤退命令実行中の部隊からすると逃げ足を早める以外の対応が考えられなかった。秩序ある撤退はいつしか敗走状態へと変わり、部隊組織は溶けて崩れていった。

待避軍の最後尾となった前衛部隊がリオグランデ川に辿り着く頃には、壊滅寸前のところまで消耗させられていた。しかも今やメキシコ軍との新たな戦端がはるか北に開かれたため、この南部奥深くまで補給物資が十分届いていないのである。弾薬は底をつき、食料にも困る部隊が出始めていた。

北へ北へと敗走を続けながらも、リオグランデ川で、メキシコ軍が止まってくれるなどとはもう誰も考えていない。状況を察した住民も含め、軍民がそろって北へと移動することになった。

もちろん移動しない連中もいる。北へ慌てて移動を始めた主な者は、北からやってきた移民の白人たちであり、留まったのは、黒人と元からいたインディオ、インディアン、メキシコ系である。

パットン自身はヒューストンを離れメキシコ湾沿いに東へと敗走を続けながらも戦線を立て直す機会と場所を探していた。

それで選んだのはニューオーリンズである。

ミシシッピ川がメキシコ湾に注ぐ河口に広がった町だ。

言うまでもなくミシシッピは大河であり、戦車の移動を阻める天然の障害である。橋を落とせばメキシコの進軍は確実に止められる。それがニューオーリンズを選んだ理由である。

陸路での補給が滞っても、海路から補給を受けられるという理由もあった。

古くは南北戦争の時、海軍で優勢だった北軍は、海から補給と支援を受けられたので南軍に対し優勢を保てたという故事もあったのである。

メキシコ軍が得体の知れない兵器で軍艦と空母を屠ったことは聞いていたが、パナマを通れないメキシコ軍がメキシコ湾側にその新戦力を配置しているとも思えず、メキシコ湾では、正面切ってアメリカ海軍とやりあえるほどの戦力ではあるまいと計算したのである。

要するにパットンの頭の中にはメキシコ軍は西から来るものと固定していたのだった。

しかし敵は西だけではないということが間もなく明らかになる。

メキシコ軍の反転攻勢が始まる二ヶ月ほど前のことになる。

アメリカ東岸のはるか沖の大西洋を南から北に向かって移動する大船団があった。

それは遠く日本からイギリスに向けて運ばれる、戦車と航空機を満載した輸送船団だった。

五井物産を通した兵器ビジネスである。この船団には護衛と称して日本の遣外軍から一個戦隊が派遣され同行していた。

その一部が赤道を越えて数日経ったところで密かに船団を離れたのである。

輸送船の一部にはウェルドッグを備えた、「ワニ」の母艦とも言える船が含まれていて、そこから発進したのである。

小さな漁港でも戦車の揚陸が可能なこの船なら、アメリカ東岸から密かに一個戦車中隊を揚陸することなど朝飯前であった。さらに水上に出ている部分が極端に小さいのでもしレーダー警戒が行われていたとしても探知は難しい。斯くして、深夜のフロリダ州ジャクソンビル郊外にまんまと戦車戦隊を揚陸させることに成功し、その部隊は一路ジョージア州アトランタへ向けて進軍を始めたのである。

ただ、この部隊に付けられていたマークは日本軍のものでもメキシコ軍のものでもなかった。

その見慣れないマークは、白地の円の中に黒い五芒星が浮かび上がるものとなっていた。つまりアメリカ軍の五芒星のネガ版である。

見かけだけにとどまらず、この部隊の軍籍は実に複雑な扱いがされていた。

輸送船団と一緒に行動している間は、日本軍初の遣外軍の輸送船護衛部隊とされていた。が、母船から離れ、独自行動を取った瞬間、部隊員全員、日本軍から民間企業へ出た出向者という扱いになり、同時にメキシコ軍外人部隊籍、という扱いになっていたのである。

さらに米国領に侵入した後、またも新しい軍籍が与えられることになっていたのだ。

アメリカへの侵入途上で発見され、交戦状態になっても、それは日本軍との戦闘にはあたらず、日本とアメリカの間での戦争にはなっていない、という体裁は完全に担保されていたのだ。

アトランタにこの部隊が入ったのは、ワシントンが正体不明の部隊がフロリダ州を西に向かって移動している、という情報を得るよりも早かったのである。しかも多くの人間は、それをメキシコ軍に応戦するために移動中のアメリカ軍部隊だと勝手に誤解していたのだった。

アトランタ市内に入ると、予め準備されていた場所、広大な綿花農場の一画に部隊は隠匿された。

待ち構えていた大勢の仲間達と合流し、一緒に運んできた武器と制服を支給し、改めて彼らを加えて部隊はより大きなものへと再編制された。

来るべき時を待つために。

やがてその待っていた時が訪れた。


ワシントンでは、誰も正体不明の部隊の行方のことを気にしていなかった。それ以外の戦争に関するニュースはいくらでもあったからである。

ワシントンよりもずっと近い場所にいたパットンにとってそれは本当に予想外のことだった。

パットンにとって自分が背中を預けたワシントン方向となる、ジョージア州アトランタでの、大きなデモがきっかけとなった一揆、いや武装蜂起である。

一人の黒人が立ち上がったのである。

そして多くの黒人を率いてそのまま州政府の建物にのりこみ、これを占拠したのだ。

しかも州知事を初め、州政府の要職者、議員などが逮捕拘束されたらしい。

本来なら警備員他が侵入を許すわけなどないはずなのだが、今回はそれが出来なかった。

なぜなら、見た目も強力なボディガードが周囲を固めていたのである。

警護部隊の戦意を完全に喪失させるほどのものだったので、誰も発砲せず血も流れなかったのだ。

それは装甲車が二十両ほど、戦車が五両ほど、の機械化部隊を含む、装備が整った一個連隊だった。指揮官の見た目は東洋人なのだが、部隊装備に描かれたマークや、掲げている旗は全く見慣れない、白地円に黒の五芒星である。そして兵員は黒人がほとんどで一部に東洋人が混じっていた。

領土、予算、軍事力、国民、指導者、識別シンボルと、国家の構成要素をすべて瀬島が揃えたのである。もっとも軍隊の中身は今のところ日本とメキシコからの借り物ということになるのだが。

そして黒人のリーダーがラジオを通じて全世界に向けてメッセージを発した。

内容は、ジョージア、フロリダ、アラバマ、ミシシッピ、ルイジアナ、アーカンソー、オクラホマ、テキサス、ニューメキシコ、アリゾナ、ネヴァダ、カリフォルニアの十二州は、アメリカ合衆国から脱退し、新たにブラックアメリカ合衆国として独立する、というものだった。

すなわちかつての米墨戦争でアメリカがメキシコから奪ったほとんど全ての州、さらに南北戦争での南部連合という意味である。

もちろんこれは演説の結論部の要約に過ぎない。演説の前段では、アメリカ合衆国がこれまで行ってきた黒人ほかの有色人種に対する激しい非人道的な差別政策への非難で埋め尽くされていた。

そしてその糾弾の中で、非常に印象深いフレーズが何度も繰り返されて使われることになった。

「ナチスの反ユダヤ政策以上にひどい人種差別を行う国家、アメリカ合衆国」

アメリカ政府と世論への強力な冷や水となったことはもちろん、ブラックアメリカ合衆国の正当性を世界に広くアピールする言葉になった。

黒木はこのブラックアメリカ独立宣言を聞くなり、メキシコ軍突入部隊へ、封印していた軍服他の軍装に直ちに変更するように指示を出した。兵は全員例の黒たすきがけである。

アトランタからは、翌日この新しい国の黒五芒星をあしらったシンボルが発表された。ラジオでの紹介は困難だったが、プレス資料として主要な新聞社に送られた印刷物には新生ブラックアメリカ合衆国の黒五芒星を大きくあしらった国旗、軍旗、兵器の識別マークも載せられていた。

するとオクラホマ州にいたはずのメキシコ軍だった軍が、その新しい国の軍旗を持っていることがすぐ確認された。

数時間後、カリフォルニア、ネヴァダ、アリゾナを占拠していたメキシコ軍もそのマークの軍装へと変更していることが確認された。

いまや純粋にメキシコ軍の軍装でアメリカ軍の前に立ちはだかっていたのは、メキシコ領内からアメリカ軍を追い出しテキサス州を北上中の部隊だけだったのである。

パットンが事態の進展を飲み込めなくなった状況に陥っている頃、新たな悲報が届いた。

メキシコ湾内で待機していたアメリカ大西洋艦隊所属の駆逐艦が魚雷攻撃を受け沈没したのである。

実はフロリダ上陸部隊が大西洋航行中の輸送船団から分かれた時、もう一つ別の部隊が離れていた。こちらは軍ではなく、普通の輸送船である。積み荷はメキシコ向けのメキシコ湾側用の海軍戦力となる魚雷艇である。こうしてメキシコは太平洋側だけでなくメキシコ湾側でも米海軍を牽制することが可能になったのだった。

そしてその存在をアメリカ軍に知らしめるため、という目的の、訓練を終えたばかりの初陣部隊による攻撃が行われたのである。

パットンから見て首都ワシントンへの中継地であるアトランタが自軍側がどうか怪しくなった。

さらに海上輸送にも大きな困難があることを突きつけられた。ニューオリンズは完全に陸も海もブラックアメリカ側に囲まれることになったのである。

パットンは、とにかく事態の推移を見守るしかなくなった。

ブラックアメリカと戦うという意識はパットンには全く無かったからである。

いやぞれ以前に、敗走途上で軍をまとめたので、パットン麾下にどれだけの戦力がいるのかもまだ把握できていなかったのだ。

メキシコ軍は途中で追撃をやめたらしい、とは感じていた。追撃の報告が減っていたからである。

各所で撤退するアメリカ軍がどうにか部隊を再編成しているという報告が増えていたのだ。

が、無事な軍があったのを喜んで良いのかはまた別の問題になった。

母国アメリカが分裂してしまったのである。しかも戦っていたはずの敵であるメキシコ軍が、その片割れを名乗っているのだ。自分たちは果たして敵同士と言えるのか、そういう問題が起きていた。

メキシコ領から北上を続けたメキシコ軍が進軍をやめたのは、ヌエサス川に到達したからである。

そう、これはつまり第一次米墨戦争の発端になったメキシコが主張していた本来の国境線だった。

無論、ブラックアメリカ合衆国側と事前に打ち合わせていた通り、いやありていに言えば瀬島と黒木が事前に決めた通りなのである。

もっともこのメキシコ軍も本来の国境に到着して、それで進軍をやめたというわけではなかった。

他のメキシコ軍同様、ここで彼等は衣装替えをし始めたのである。

新たな軍服(ただし将校のみ)、軍旗への変更と、兵器類の再塗装。必要なものはすべて五井物産が事前に用意させていた。

こうして見かけも立派なブラックアメリカ合衆国軍となった一部が、ヌエサス川を越えていったのである。

メキシコ領を脱出して北へと逃げたアメリカ軍はニューメキシコからオクラホマ、テキサス、アーカンソーへ進出したメキシコ軍に頭を抑えられながらロッキー山脈方向からの側面攻撃に晒され、ミシシッピ川畔に押しつけられた。細長く伸びきった戦陣を立て直すことは不可能だった。

そこで戦っている相手がメキシコ軍ではなくいまやブラックアメリカ軍だと知らされた。

アメリカ軍の戦意は大幅に低下し脱走兵が相次いだ。残存部隊はあっと言う間に各個撃破されていった。


ワシントンにいたルーズベルトにとって、そのうちのたった一つでも衝撃的と言えるほどの悪いニュースが立て続けに届けられた数日でもあった。

ロスアラモスの原爆研究施設の破壊と失陥、ウィチタのB29製造工場の破壊、そして南部油田地帯の喪失、さらにメキシコ湾の制海権の喪失である。

米墨戦争も南北戦争も北側が南側に勝てたのは、油田と制海権を北が確保していたからだった。それを失ったのである。ということは、北に残った合衆国は、いまや石油をどこからか輸入してこないと戦争の継続ができなくなったことも意味していた。

しかも合衆国の元々持っていた陸軍戦力の半分以上が、戦闘不能状態に置かれているのである。

孤立主義のおかげで援軍を頼める国はなく、いまやアメリカが孤立していた。

昭和一八年(一九四三年)十月二十日の建国宣言とも言える演説が行われた数時間後、メキシコのカマチョ大統領が、ブラックアメリカ合衆国の建国を歓迎し、この国を直ちに承認するとの声明を出した。

翌日、日本政府がブラックアメリカ合衆国を承認すると声明を出した。

さらにソ連がブラックアメリカ合衆国を承認すると発表した。

そして何よりもルーズベルトにとって大きな痛手となったのは、その日の未明、イギリスのチャーチルがブラックアメリカ合衆国を承認すると発表したことだった。

日本側、具体的には五井物産ロンドン支店長がチャーチルにこの構想を相談し、承認するように持ちかけた当初は、さすがにチャーチルも首を縦に振らなかった。

しかし、日本側、この場合は駐英日本大使ではなく、五井物産のロンドン支店長である、のチャーチルに対する説得は執拗かつ論理的に抜け目のないものだった。なにしろ儀礼を重んじる外交官ではなく、元々凄腕の商人である。しかも赤坂宮から絶対に口説き落とせと猛烈なハッパがかかっていた。

まず、イギリスはイランの石油を押さえてはいるが、距離的にも近いアメリカ産の原油も必要だった。が、そのアメリカの原油地帯はブラックアメリカが押さえている事実の指摘である。

ここで承認をしておかないと、アメリカがブラックアメリカを倒す日まで北米産の原油が手に入らなくなるかもしれませんね、とまず釘を刺したのだ。

さらに、イギリスのリバプールがずいぶんと長い間、アフリカ人奴隷のアメリカ向け船積み港になっていましたよね、と続く。

ダメ押しとして、この歴史的事実の意味を踏まえると、もし、この事実がたとえばブラックアメリカ政府から大きく世界に喧伝されたら、閣下のヒトラー批判は、ずいぶんとご都合主義の自分勝手な主張に聞こえますよね、と笑顔を絶やさずやんわりと、しかし脅迫ぎりぎりに畳みかけたのである。

チャーチルは半ばふてくされたように感情的になって、提案を受け入れたのである。

アメリカの黒人に対し、イギリスがうちには百パーセント責任が無い、とは言えなかったのである。

もちろんイギリスにとっての実利もしっかり用意されていた。

通常の取引とは別枠で、日本政府からの無償供与分として兵器を上積みするというおまけがついていたのだ。

とはいえ、五井物産のロンドン支店長は当分の間チャーチルとは面会ができそうになくなったので、交替させて欲しいと本社に願い出ることにした。

イギリスのブラックアメリカの承認はすぐイギリス連邦諸国への波及に繋がった。

カナダ、ニュージーランド、オーストラリアがブラックアメリカ承認を発表した。

イギリス連邦でもインドや南アフリカはさすがに沈黙を貫いていた。

同じイギリスの植民地とはいえ、現地人との距離が大きいところと小さいところでは、現地政府の対応が同じというふうにはならなかった。

ロンドンに亡命していたオランダ、ベルギー政府、中立であったポルトガル、スペインはイギリスに倣って、ブラックアメリカ承認に動いた。しかしそれらの植民地現地政府は無言を貫くところが多かった。

中南米の各国はブラックアメリカ承認に動くところが多かった。これは元々のアメリカの影響力が大きかった一種の反動とみられた。彼等の立場はメキシコに近かったのである。

ブラックアメリカを承認する国のニュースは、アメリカ国民の動揺を誘うことになった。

ドイツとその同盟を結んでいる国が反対しているだけで、アメリカが友好国と考えていた国が皆、承認する側にいたからである。

アメリカ国民の多くは、この段階に至って、初めて自分たちが世界の中でナチスと同列に扱われかけていることを知ることになった。


メキシコ軍の反転攻勢が伝えられた時、ハワイのアメリカ海軍司令部では、機動部隊をカリフォルニアからメキシコ沿岸へ派遣するべく準備を進めていた。

当初、西海岸に残していた部隊だけでメキシコは十分処理できると見通していたため、日本への牽制という意味合いからハワイ部隊は動かしていなかったのである。

が、まさかのブラックアメリカ合衆国の建国宣言で事態は大きく変わった。

絶対的なアメリカの優位は動かないから、時間はかかってもメキシコ軍はいずれ押し返されるだろうという見通しが怪しくなったのである。

ブラックアメリカを大国が承認するなど、ありえないはずだった。それが崩されたのだ。

しかも日本が承認する側にいて、イギリスもそこにいるのである。

ブラックアメリカを攻撃すると、アメリカ海軍は英海軍と日本海軍を同時に相手にしなければならなくなる、可能性があることを意味した。

つまり太平洋について言えば、日本海軍とシンガポールを拠点にするイギリスの東洋艦隊、オーストラリア海軍が敵になるということである。

メキシコだけ潰せばいい、という話にはならなかった。

ハワイの艦隊司令部は、結局機動部隊に対するメキシコへの出動命令を取り消さざるを得なかった。いまや事態は、南部奥深くニューオーリンズ近郊に取り残されたパットン部隊の動きと外交交渉というステージに移ったとハワイ艦隊司令部は判断したのだった。


同様にフォートノックスの前で決戦を準備していた部隊の士気も大幅に低下してしまった。

第一にはブラックアメリカ合衆国の領土にケンタッキー州は含まれておらず、ここまで進軍して来ないことが明確になったことが大きい。要するに気が抜けたのである。

さらに、敵がメキシコ軍ならなんとか戦意を鼓舞することもできたが、ブラックアメリカという敵の名前が、将兵には重荷になったのである。

ブラックアメリカ合衆国という理念は、それだけでアメリカ合衆国というものに大きな打撃を与えていたのだ。

世界で受け入れられない者をすべて受け入れよう、これがアメリカ合衆国の原点だった。

この理念が正義として受け入れられたから、その後の無茶な領土拡大策に対して、世界は寛容だったのである。

が、この理念は現実のものでは無かった。

アフリカ人奴隷の輸入、奴隷制、そして人種差別。国の実態は、欧州出身の白人にとってだけの建国の理念になっていた、という事実をブラックアメリカは世界に宣伝することになったのである。

だから外国に対しての影響だけではなく、国内にいる有色人種の国民の心情を大きく揺るがすことになった。

アメリカ軍はほとんど白人で形成されていた。

前にも述べた通り、アメリカ軍では有色人種を恣意的に排除していたからである。

白人の社会的優位を守るため、と言ってもよかった。

武器に触れるのは白人だけ、という状態が普遍的だったのである。

それらが壊された、と感じた層はアメリカ中にいた。

また逆にそれらを不満に思っていた層には、吉報と受け入れられたのである。

つまり国民の意識が大きく二つに分かれたのである。

有色人種の人口比率がかなり低かった東部ですら、有色人種に対する忌避行動が起きた。

今までは気にならなかった存在が、自分たちの脅威になりかねない、という認識に変わったからである。

結果、個々の行動の集大成として、白人は北部へ、有色人種は南部へ移動する人の波が自然発生することになった。北部は白人の国となり、南部は有色人種の集まった国としてまとまり始めたのである。

今となっては黒人の国を否定するわけにはいかなくなったとも言えた。結局人種差別は互いに理解しえない者同士を無理矢理一緒にしたことから生まれたのである。

アメリカとブラックアメリカが相互に理解し合える状態になれば二つの合衆国は再び一つの合衆国になれるかもしれない……、という進歩派の知識人が現れ、物議を醸した。

ナチスドイツと手を結べ、という極論も出た。つまり有色人種がブラックアメリカとしてまとまるのなら、アメリカは名実ともに白人だけの国になり、白人とだけつきあう国になるべきだ、というわけである。

これでもしヒトラーがこれを肯定するような甘い言葉でもかけてきたら、アメリカはそれこそ瓦解しかねなかっただろう。

実際、ドイツ側ではリッベントロップがヒトラーにアメリカとの提携を進言していたのである。ブラックアメリカを潰す勢力なら味方にしてもいいのではないかと。が、肝心のヒトラーがユダヤと手を結ぶつもりはないと、一蹴していたのだった。

外交の舞台で事態が動いている一方で、現実の新しい南北国境は既成事実として形を整えつつあった。

元々アメリカの州境のほとんどは、地図の上に定規で線を引いただけで決まったようなところが多い。何のサインも無いところも珍しく無かった。

結局、お互いに距離を取る、という形でこの州境が国境として維持されることになったのである。

パットンは自分が戦っている間に自分の祖国が分裂してしまった、という事態をようやく理解した。そして自分たちを包囲している相手は、いまやメキシコ軍ではなく、自分の祖国の片割れだということを悟った。

政治に対する興味がもともと薄かったパットンは、実に武人らしくあっさりと戦争をやめることを決意する。

ニューオーリンズに残っていたパットン軍は降伏、いや投降した。

この時点をもって北米大陸における一連の軍事行動はすべて終わる。第二次米墨戦争は事実上、メキシコの大勝利とブラックアメリカ合衆国の誕生という形で終結したのだった。

パットン軍は武装を解除され、祖国をアメリカ、ブラックアメリカどちらにするかを選べと将兵一人一人が選択を迫られることになった。

南部から招集された兵ばかりなのだが、人種的には圧倒的に白人が多い。

結局わずかな例外を除き、大部分はアメリカへの帰還を望んだ。

パットンはブラックアメリカを選んでいた。貴重な例外である。

パットンは人種問題への関心は薄かった。しかし彼を南部に止めたのは、今回の敗戦の記憶である。改めて思い起こせば、自分の作戦指揮はメキシコ側にきれいに読まれていた、ということを認めざるを得なかった。そしてまさに大きな虚を突かれたのである。たった一点のほころびで見事にすべてが瓦解してしまったのだ。

元来武人としての誇りの塊のようなパットンにとって、この敵は自分に屈辱を与えた、というよりも、尊敬の念を抱かざるを得ない敵と見えたのだ。その興味がつのり、南を選択させたのである。

祖国をアメリカに定めた者たちは、捕虜という待遇から難民という扱いをされることになった。

そして北部だけになったアメリカ合衆国にとって、喫緊の課題は、ブラックアメリカ合衆国との和平条約の締結であることが間もなく明らかになる。

総合的な軍事力ではなおアメリカ合衆国の方が大きいはずなのだが、ブラックアメリカを潰すために全力を使うと、どっちみちアメリカは立ち直れないほど疲弊することは間違い無かったのである。

アメリカ中枢部に居座ったブラックアメリカ機甲部隊がアメリカが考えていたよりもはるかに大部隊で強力な存在だということが分かったのである。彼等の目下の身分は一応ブラックアメリカ正規軍だが、事実上はメキシコ軍である。それは満州国に置いている日本の関東軍と同じような位置づけになっていた。故にメキシコ軍とブラックアメリカ軍は指揮命令系統を完全に共有していた。もちろん瀬島と黒木が繋がっていることも含めてである。

アメリカとしては、いまや南の奪回以上に重要なのは五大湖や、中部東部の商工業地帯の防衛ということになっていたのだ。天然の障壁が何もない、頼りない国境の向こうには強力な機動部隊がいて、しかも手持ち戦力では全く対抗できる見通しが立たない。これが今アメリカの置かれた状況だったのである。

さらに燃料事情が切迫していた。

冬の到来が迫る北部が燃料枯渇問題を起こすのは時間の問題となったのである。

南部にいくら石油があっても、製鉄の中心はピッツバーグ以北であり、鉄無しには近代化が難しいから北高南低の軍事力になっていたのだ。

大量の鉄を得たメキシコ軍の侵入。それがこの全体バランスを壊したのだ。

いまや陸軍で圧倒的に優位なのはブラックアメリカ軍で、アメリカ軍が劣勢だということは誰の目にも明らかだった。しかも燃料を抑えているのはブラックアメリカなのである。

戦争をやめるべきだ、という意見が主流になるのにそう長い時間はかからなかった。


暫定大統領を名乗るキングが演説で発表した当面のブラックアメリカ合衆国の政策は次のようになっていた。

アメリカ合衆国憲法の基本的理念は一部を除き継承する。

民間での銃の所持は原則禁止する。

人種差別を行う法律はすべて撤廃する。

公用語は英語とスペイン語にする。

大雑把なものだが、アメリカ合衆国のすべてを否定するつもりはないらしい、と分かり、それなりに安心したのである。

北東部諸州を中心にブラックアメリカ建国直後は共和党が優勢になったが、その後のアメリカの窮状とブラックアメリカの実力が知れるにつれて、結局再び民主党優勢に変わっていた。白人で結束してヒトラーの仲間扱いされる、というのが相当効いたらしい。

そして、仮に白人がブラックアメリカに迷いこんでも、肌の色を理由に拘束されたりする心配もなさそうだということも想像がついたのだった。パットンがそれを証明していた。これも共和党の勢いを削いでいた。

とはいえ暫定大統領を名乗る、マーチンルーサーキングシニアなる人物がどのような政治信条を持っているのかは全く分からなかった。いやそれどころかブラックアメリカ合衆国がどんな政治体制の国になるのかさえもはっきりはしていない。ただわざわざ合衆国と名乗っているので、アメリカ合衆国のクローンのような政体になるのではないかと推測されていたのだ。

瀬島のプランでは看板はキングにしておいて、当面は実質軍政を敷いて安定化するのを待つことになっていた。

そんなブラックアメリカ側の事情に忖度する余裕はアメリカには無かった。とにかく一刻も早く正式な外交ルートを開き、資源が今まで通りに入手できるようにしたがっていたのである。

ブラックアメリカ側が手にした膨大な資源、即ち石油、綿花、小麦は結局アメリカに売らないと困るものばかりなので、結局は平和が両者にとってウィンウィンになるはず、とアメリカでは勝手に考えたのである。

しかし、ブラックアメリカ政府はそんなアメリカ側の考えを見越していたらしい。先手を打ってきたのである。

即ち、ブラックアメリカ領内の油田と、綿花および穀物の集積所、そして金鉱を国有化すると発表したのである。

両国の間で和平条約さえ結べば、今まで通りの条件で資源が手に入ると読んでいたアメリカの資本には大打撃である。ブラックアメリカにあったアメリカの資本はすべて没収されたに等しいのだ。

とはいえアメリカに他の選択肢はなかった。今下手に戦闘を長引かせれば滅亡する可能性が高いのは、アメリカ合衆国の方なのである。

ルーズベルトは全てを諦めて新聞発表という形でブラックアメリカに対する提案を行った。

昭和一八年(一九四三年)十一月下旬のことである。要点は次の二つだ。

和平条約を締結したい。

早急に通商協定を結びたい。

そして同時にメキシコ合衆国に対しても同じ提案を行った。

その次にアメリカ国民に対し、アメリカ合衆国の敗戦を告げたのだ。

そして最後に首都をワシントンからボストンへ移すという発表を行った。

メキシコのカマチョ大統領、ブラックアメリカのキング暫定大統領から、ルーズベルトのメッセージを受け入れるという声明がすぐに発表された。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 久々のクリーンヒット! 面白いですね。 転生、信長の活躍を期待してお待ちします。 タイトルで時代が、2次大戦期だと察せられれば、 もう少しポイントが稼げるかも!残念!
[一言] ブラックアメリカ建国のエピソードはこの夏のBLM運動の高まりをちょっと思い出しました。 物語のブラックアメリカの背後には日本が設計図を書いていたわけですが、BLMはどうなんでしょうかね?
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ