11月01日(土)さよならを
日付け変わって11月1日。今日も僕はベッドに腰掛け、隣にワイヤレススピーカーを置いて午前二時を──彼女を待つ。
あれから二カ月、毎日こうしてきた。二時半まで待って、今日もだめかと溜息をついてベッドに潜り込むけど、色々ぐるぐる考えてしまってなかなか寝付けず。おかげでずっと寝不足。中村さんに体調の心配をされたのも、それが顔に出ていたからだろう。
さすがに、心のどこかでは諦めつつあった。でも認めたくはなかった。
たしかに、あのころ伝えられなかった気持ちは伝えられた。
でもまだ別れの言葉は伝えられてない。
元々、ずっと一緒じゃいられないと理解はしていた。来年の戻り盆にはちゃんと帰らせないと、ルールを破ったままの彼女はいずれ自我が薄れただの霊現象と化してしまうと、原田さんからも言われていた。
だからこそ、今度はしっかり「さよなら」を伝えたいと思っていたのに。
──午前二時。今日も、彼女は現れない。
「……いやだよ、そんなのは……」
言葉にしてみる。
「……夏澄……」
……ヴッ……
「え?」
それは、ワイヤレススピーカーから微かに聞こえたノイズのようだった。
けれど僕には、言葉に詰まった彼女が漏らした呻き声にしか聞こえなかった。
何もない空間を凝視する。そこに彼女がいるとしたら、両目があるはずの位置を。
そして、ゆっくりと顔を近付けた。
……ヴッ……
ノイズと共に、目の前の空間にほんのりと、赤い光がふたつ浮かび上がる。まるでそこにいる誰かの頬が、赤らんだみたいに。
胸が、温かいものでいっぱいになった。驚きとか、嬉しさとか、愛しさとか、そんな名前のついた感情ではなくて、とにかくただただ温かいものが膨れあがって、気付けば両目から液体になってぼろぼろこぼれていた。
『……だいじょうぶ……?』
声と共に現れたほの白い光が、泣き出した僕の顔を心配そうに──困り眉をいっぱいに寄せてのぞき込む夏澄さんの姿を形作った。
「あ……ええと……お帰りなさい……」
『……うん、ただいま……』
「……もしかして、ずっと居た?」
『なんだか姿見せるのが恥ずかしくなっちゃって……でも、急に呼び捨てされたから……』
「う、ごめん。居るとは思わなくて、つい……」
『ううん。どきどきして、嬉しかった』
「そ……そっか」
『ね、これからは呼び捨てでもいいよ?』
「う、それは勘弁してほしい……」
それから彼女が話してくれた経緯は、だいたい原田さんの予想の通り。堰き止められていた霊たちに巻き込まれて流されたものの、彼らと同じルートでは成仏できず、あの世の入口の前で立ち往生してしまったのだという。
『現世に戻る道もよくわからないし、高野君にさよならも言えてないし……』
困り果てていた彼女の前に昨日、お盆でもないのに現世に向かう道が薄っすらと現れた。
10月31日、そうハロウィン。すっかりコスプレの日に変質しているけど、本来は霊界との門が開いて往来が可能になるという欧米版お盆的な側面を持つ日だ。日本にもイベントとして定着したことで、同様の効力が発揮されるようになりつつある……らしい。
『おかげで道がわかったから、この街までは自力で戻って来れて。でも霊路がずれたせいかな? 上手く部屋に戻れなくて行ったり来たりしてたら……藍ちゃんが見つけてくれたの』
藍というのは、原田さんの下の名前だ。
彼女は夏澄さんがハロウィンに戻れる可能性を想定しつつも、期待させてがっかりさせないため僕には黙っていたらしい。
「原田さん、来てたんだ? 声掛けてくれればいいのに……」
『それがね、高野くんが女の人と一緒にいたからショック受けて帰っちゃった』
──え? 中村さんと喫茶店に行ったこと?
もしかして彼女を泣かせた(結果的に)ところも見られてしまったんだろうか?
いや、でもそれにしたって、夏澄さんならまだしも、なんで原田さんが……。
「いや待って、あれはそういうんじゃなくて」
『うん。管理会社のおねえさんに、おじさんからの伝言をつたえてたんでしょう?』
彼女の言葉に黙ってうなずく。
よく考えてみたら、おじさんの言葉を僕に伝えてくれたのは他ならぬ夏澄さんだった。
『藍ちゃんにも説明しようとしたけど、すごく動揺してて……だから後で、高野くんが自分で説明しておいてね』
「ええと……うん。よくわかんないけど、説明はしておきます……」
釈然としないものの、誤解されるのは嫌なので説明はしようと思う。そんな複雑な心境の僕の顔を覗き込んで、夏澄さんは柔らかく微笑んだ。
『ふふ、ほんとに鈍感。でも、今はそれでいいの。私と藍ちゃんだけの秘密だから』
「……いったい何が……」
気になるけれど、そう言われたらしょうがない。それに冷静になってみると、もっとずっと気になることがあった。
「ところで夏澄さん、その服は……?」
『あ、うん……どうかな? 変じゃない?』
彼女は立ち上がって、恥ずかしそうにその場でくるりと回って見せる。白と黒のメイド服姿で。しかも、スカート丈の長い本格的なクラシカルメイドだ。それは困り眉全開の不安げな幸薄顔に、ありえないくらいよく似合っていた。
「うん、似合ってるよ」
『ほんとう? よかった』
するりとベッドの隣に戻った彼女が、安堵の声を漏らす。
「けど、どうしてメイドさん?」
『浴衣はそろそろ季節外れだし、ハロウィンと言えばメイドさんだって、藍ちゃんが……』
まったく、夏澄さんが最近の文化の知識がないのをいいことに……いやまあ、まるっきり間違いでもないか……? まあとにかく最高に可愛いので細かいことはよし。原田さんには誤解を晴らすついでにお礼もしなくては。社食のカツ丼でいいかな……。
『決めゼリフも教わったんだけど、恥ずかしすぎて無理かも……』
「そ……そっか。うん、めちゃくちゃ似合ってるし、最高に可愛いです」
僕の言葉に、不安げだった表情がぱっと笑みで上書きされる。
ああ、やっぱり夏祭りの夜からずっと、この幸せそうな幸薄顔が僕は一番好きなんだ。
『それじゃあ高野くん。来年のお盆まで、またよろしくね』
気付けばもう二時半まで一分を切っていた。そう、僕らにはタイムリミットがある。だからそれまで、丁寧に歩幅を合わせて、ゆっくりとさよならをしていこう。
「うん。こちらこそ、よろしく」
気持ちは晴れやかだった。久々に今夜はしっかり眠れそうな気がする。
そのとき消えかけたメイド服の夏澄さんが、少し躊躇ってから意を決したように小さくうなずいて、僕の耳元に顔を近付け囁いた。決めゼリフを。
『……おやすみなさい、ご主人さま……』
──ヴッ!?
やっぱり、僕は今夜も寝付けないかもしれない。
最後までお付き合いありがとうございます。
鬼が笑うので、来年の夏に完結編を書くとかは宣言しないでおきます。
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