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8章 叫び-6 崩壊したホールに響いた彼女の叫び

 二階まで階段を一気に駆け下り、修司は指示通りにロビーからステージのあるホールへと重厚(じゅうこう)な扉を開いた。

 そこで目にした光景に、愕然(がくぜん)として息を飲み込む。


 ホールは崩壊(ほうかい)していた。つい一時間ほど前まで、華やかなライブが行われていたことを疑ってしまうほどだ。崩れた廃墟(はいきょ)に紛れ込んでしまったような感覚にさえ捕らわれる。


 ステージへ向けて斜めに降りる観客席の一部は大きく円形に陥没(かんぼつ)していて、椅子や、えぐられたステージの瓦礫が散乱し、戦闘の壮絶(そうぜつ)さを物語った。


 大分強い力の気配が残っているのにも関わらず、人気もなく静まり返った状況に足が(すく)むが、煌々(こうこう)と緑色に光る非常口の明かりを目指して修司は足を前へと差し出した。


 舞い上がった塵を吸い込んで、込み上げる咳に片腕を覆う。桃也の言葉通り、足元にはコンクリート片やガラスが飛び散っていた。それを回避しながら爪先立ちで下へ降りていくと、自分の足音に突然別の物音が重なって、修司は全身を強張(こわば)らせた。


 力の気配に動きはないが、ホルスにはノーマルも多い。拳銃(けんじゅう)でも向けられたらと恐怖を募らせて周囲に視線を巡らせると、ステージ最前列中央の椅子に人の頭が飛び出ていることに気付く。

 遠目に見る後頭部だけでは男か女かすらわからないが、声を掛けようとすると相手が先に動きを見せた。


 シートから灰色のストライプ柄がのっそりと生え、脂ぎった顔がこちらを振り返る。パンパンと手を叩きながら、呆れるくらいに満悦(まんえつ)な表情で近藤武雄(こんどうたけお)は「素晴らしい」と(うな)った。


「アンタか」


 どっち疲れが増した気がして、修司は溜息を零す。


「いやぁ、実に良かった。楽しませてもらったよ」

「……は?」


 近藤の賞賛(しょうさん)など、修司にはさっぱり理解できなかった。


「は、じゃないだろう? 最高の舞台を見たんだ。今も震えが止まらないよ」

「最高って、何喜んでるんだよ。怪我した人だっているんだぞ? 楽しかったとか言うんじゃねぇよ」


 京子も律も深い傷を負ったし、このホールを見ても敵味方共に重傷者は出ただろう。それなのに、当の近藤は傷一つない。この事態を引き起こした彼が傍観者(ぼうかんしゃ)でしかなかったことが腹立たしくてたまらなかった。


「アンタはアイドルを育ててるんだろ? アイドルの舞台がこんな事になって、何も思わないのかよ」

「壊れたものは直せばいいんだよ。なぁに、ここの修繕費(しゅうぜんひ)くらい私が全部払ってやる。彼女たちの命も、観客の命もお前たちキーダーが守ってくれたんだろう? 私もこの通り無傷だ。感謝するよ」


 近藤は本気だ。修司が何か言ったところで、彼の胸には全く響かないのだろう。


「お前が楽しけりゃいいのかよ」

「私だけじゃない。世の中を楽しませるのが私の仕事だ。その為に君たちの力が欲しいと言っただろう?」


 「アンタ、狂ってるよ」――心から近藤の事をそう思うのに、ジャスティの少女たちは彼の下に居る選択をするのだ。

 修司はステージの前まで歩き、近藤と向き合った。


「君のことを(うらや)ましく思うよ。私もキーダーになりたかった。実に素晴らしい力だな」

「俺は……アンタにだけはこの力がなくて良かったと思うよ」


 ふんと鼻を鳴らして、近藤は「さて帰ろうか」と非常口へ向けて歩き出した。すれ違いざま、脂ぎった顔が「君も、もっと強くなるんだぞ」と笑う。


「ふざけるな!」


 その背中に叫んだ瞬間、修司の身体を殺気が駆け抜けた。


 近藤は気付いていない。


 頭上で何か物音がした気がして、そろりと目線を(あお)いで修司は驚愕(きょうがく)する。

 

 「あ!」と息を飲み込むのが精一杯。それ以上の言葉が出なかった。近藤の頭上で黒い金属のライトが揺れたのだ。

 戦闘の衝撃でネジが緩んだのだろうか。固定具を引き千切って、近藤へ真っすぐに落ちてくる。それは、修司の気持ちを代弁(だいべん)しているかのようだった。


 こんな男を助けることは屈辱的(くつじょくてき)だ。彼がこんな提案をしなければ、京子も律もあんな怪我を負うことはなかったのだ。


 けれど今目の前に起きようとする悲劇の瞬間を、呆然(ぼうぜん)と見届けるわけにはいかなかった。頭より先に足が地面を()る。しかし落下のスピードは予想を遥かに上回った。


 修司は近藤に体当たりするが、巨体は一歩よろけただけだ。「どうした?」と首を傾げつつ、修司の視線を追った近藤の目が恐怖に満ちる。

 盾を生成すれば良かったのかもしれない。けれど腕の怪我に響いた痛みを堪えながら可能性も薄いその行為を選択する余裕など修司にはなかった。


「うわぁぁぁあ!」


 逃げる事もできずにただ叫び、近藤を(かば)って背中を丸めたところで、死の予感と同時に響き渡ったのは美弦(みつる)の声だった。


「修司いぃいいっ!」


 正面からの足音と強い気配。強く目を閉じて暗転した視界に、意識はそのまま留まっている。

 幾ら待っても予測した終わりの瞬間はやって来なかった。予想より三呼吸分程遅れて響いた轟音(ごうおん)に身を縮めて視線だけを上げると、少し離れたステージの上に落下したライトが弾け飛んでいた。


 額にびっしょりと汗を(にじ)ませて、美弦は呆然(ぼうぜん)と涙に(あふ)れた目を瞬かせた。

 離れた位置からの念動力は彼女にとって苦手な技だが、目の前の事態に激しく動揺(どうよう)した感情が引き起こしたものだと理解して、修司は頷くように頭を下げた。


「ありがとう。凄いじゃん、お前」


 美弦はぎゅっと自分の胸元を右手で握り締めて、小さくこくりと顎を引いた。


「す、すまないね、君たち」


 流石の近藤も腰が抜けたようで、よろめいた身体を側の座席へと埋めた。


「アンタが死んだら、泣く奴がいっぱいいるだろう?」


 彼を助けようとした自分への怒りと恐怖を含めた言葉だ。

 近藤は素直に「ありがとう」と(まぶた)を伏せる。


「何よ、びっくりさせないでよ。私はアンタを迎えに来ただけなのよ?」


 美弦は(かす)れた声を張り上げて修司に駆け寄ると、ボロリと零れた涙のままにわんわんと泣き出した。


「ばっかじゃないの? 私なんかに助けられて。こんなの奇跡みたいなものじゃない」

「けど、ちゃんとできたじゃん。流石だよ、美弦は」


 咄嗟(とっさ)の判断も訓練の賜物(たまもの)だと修司は痛感(つうかん)する。二年間の訓練を避けた自分は、今日ここに来て何もすることができなかった。声を上ずらせて泣きじゃくる美弦が小さく見えて、修司は彼女の頭にポンと手を乗せた。


「泣くなよ。お前のお陰で助かったんだから。ありがとな、本当に」


 彼女がその手を振り切ることはなかった。「子ども扱いしないでよ」と涙を流す彼女は、いつもの強気な姿などどこにもなかった。


『修司くん、今凄い気配感じたけど無事? 美弦と合流できた?』


 耳の通信機に綾斗の声が入り、修司はマイクのスイッチを入れた。


「合流しました。美弦に助けてもらいました。とりあえず、みんな無事です」


 「行かなきゃ」と手の甲で涙を拭う美弦。「大丈夫か?」と声を掛けると、きまりが悪そうに(うつむ)きながら、美弦はこくりと(うなず)いた。そして「あとさ……」とそっぽを向きながら一言。


「その制服、ちょっとだけ似合ってるんじゃない?」


 突然の言葉に意表を突かれて、修司は思わず吹き出してしまった。


「それ、今言うセリフかよ」


 「ちょっ」と真っ赤になる彼女が何だか可笑(おか)しくて、修司は声を出して笑った。似合うと言われて素直に嬉しいが、腕は()けてボロボロの状態だ。


「笑わないでよ! 人が折角()めてやってるんだから!」


 修司に腹を立てた美弦は、いつも通りの彼女に戻っていた。


   ☆

 仲間のキーダーと合流すると、程よくして撤収(てっしゅう)が始まった。

 全体の被害は大きかったが、桃也のお陰もあって敵味方合わせても全員が無事だった。

 捕らえたホルスは全部で二十五人。その中でバスクは律を含めて三人だった。

 一命を取りとめた律は、折り返しで戻ってきたコージに病院へと運ばれたらしい。


「ホルスを消滅(しょうめつ)させたわけじゃない。安藤律を捕らえた今日の事は、ホルスの入口のドアをノックした程度の事なんだよ」


 帰り際、綾斗がそんなことを言った。


 移動の合間、修司は譲からのメールに気付く。一時間ほど前に来ていたものだ。


『ジャスティのみんなのこと守ってくれよな、キーダー』


 譲の必死な顔が浮かんで、修司がにやりと笑みを(こぼ)すと、美弦が不審そうに眉をしかめて手元を覗き込んできた。


 「ちゃんと終わったからな」と呟いて、修司は返信を送る。

 『任務完了』と書かれた、無料配布の可愛らしい熊のスタンプだ。あっという間に横に既読(きどく)マークがついて、『ありがとう』と、えりぴょんの写真が付いたスタンプが返ってきた。



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