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7章 突入-6 銀環をする彼女と、銀環をしない彼女

 じわりと届く気配。

 基本、力の気配というのは強弱を感じる程度で、個々の識別や状態などは分からない。けれど、修司はそれが彼女のものだと直感する。


「律さん……」


 下り階段から駆け上がってきたその姿に、修司は顔を(ゆが)めた。


「修司くん……」


 キーダーの二人に気付いた律が体を(ひるがえ)して立ち止まると、くすんだ桜色のロングスカートがくるりと円を描いて広がった。

 そんな服装もウェーブのかかった長い髪も記憶のままなのに、いつもの笑顔はそこになく、感情のない別人のような表情が修司を見据(みす)える。


 京子は修司を背中へと(かば)い、律を睥睨(へいげい)した。髪をかき上げた左耳に通信機と思われるイヤホンが付いていて、「安藤律(あんどうりつ)と接触しました。四階ロビーです」と簡潔(かんけつ)に報告する。


「貴女には会ってみたいと思ってたの」

 

 京子が律にそんなことを言った。


「そうね、いずれ会うだろうとは思ってたわ」


 律の言葉が強い音を発する。彼女はこんな女性だっただろうかと疑問に思うが、あぁこれは彼女の戦闘モードなのだと修司は一人で納得してしまった。


「ホルスが近藤の誘いを受けなかった判断は懸命(けんめい)だと思う。けど、今日は何しに来たの?」


 能力を金で買おうとした近藤の野望を、ホルスは断ったらしい。


「キーダーの貴女に()められるなんてね。この力はあんな奴の為に使うものじゃないことくらい、アルガスの貴女たちよりちゃんと理解してるわ。だから私はホルスで居るんだもの。けど、あの男があんまりしつこいものだから、今日は誘いに乗ってみることにしたのよ。あの男の目論見(もくろみ)に力を貸すのは不本意だけど、ここでキーダーと接触できるのは悪くないと思って。私たちホルスがアルガスの脅威(きょうい)であることを知らしめる為にね」

「少なくとも、アンタ達の頭がイカれていることは分かった。やっぱりウチが今日ここに来ている事はホルスに伝わってたんだ。お互いアイツに踊らされたわけじゃないってことだね」


 怒りを吐いた京子に対して、妖艶(ようえん)な笑みを浮かべる律を修司は静かに(にら)みつけた。この戦いを彼女がとても喜んでいるように見えたからだ。口元に当てられた爪が真っ赤に染められていることにさえ嫌悪感(けんおかん)を抱いてしまう。

 修司は込み上げる衝動を抑えきれず、京子の横に踏み出した。一瞥したモニターからは歓声と軽快なメロディが流れ続けている。


「律さんは何がそんなに楽しいんですか? そんなに戦いが好きなんですか? ここにはキーダーとホルスだけじゃない、一般の人がたくさん居るんですよ?」


 (ゆずる)が中に居ることが心配でたまらなかった。けれど律はそんな言葉にも表情一つ変えない。


「修司くんは私の誘いを断ってそっちに行ったんでしょう? なら、きちんと自分の仕事をすればいいじゃない。キーダーは人類の盾なんでしょう?」


 いきり立った京子が「勝手なこと言わないで」と呟く。彼女の中で、今にも爆発しそうな感情が煮えたぎっているのが分かる。それなのに、律はその状況を楽しむかのように挑発的な言葉を投げつけてきた。


「第一、どうして銀環(ぎんかん)で制限されてまで、他人のために戦わなきゃならないのよ」

「それは俺だってずっと思ってました。けど、アルガスに来て俺なりに納得したっていうか。キーダーは国の犬でもただの駒でもないですよ。ちゃんとそれぞれ自分の意思で動いてる。銀環は(かせ)なんかじゃない。未来で後悔しない為にも、律さんも銀環をして下さい」


 ただ、がむしゃらに今の気持ちを伝えた。それに対する律の反応は、予想よりも大分薄い。


「もういいよ、修司くん。お互いの仕事をしましょう」


 空気がざわめいている。荒ぶった京子の気配に対抗して、律も戦闘態勢に入った。

 京子の視線に(うなが)され、修司は素直に後ろへ下がる。貧弱(ひんじゃく)な自分では入り込む(すき)もなさそうだ。


 アンコールに入って三曲目。横のモニターから流れてくる曲が最後のサビに入る。次はあるのかと不安になって京子を伺うと、彼女も状況を把握(はあく)して通信機のマイクを入れた。


「アンコール、あと一曲だけ長引かせて。綾斗は終わったら搬入口から観客を退避(たいひ)させてね」


 京子は趙馬刀(ちょうばとう)を抜いて力を込めた。柄から伸びる刃が桃也のそれよりも短い位置で動きを止める。サイズや形状は個々によって違うようで、彼女の刀は真っすぐ伸びた洋剣のようだった。


「ホルスの貴女は何で戦うの?」

生憎(あいにく)、剣は使えないのよ。けどそんな事、私には大した問題じゃないわ」


 口に手を当てて、律はふふっと微笑む。その表情が猟奇的(りょうきてき)で、修司も刃のない趙馬刀をがっちりと握り締めた。互角に戦うことなどできないし、二人の眼中に自分などいないことは分かっているのに、不安と恐怖で全身の汗が止まらなかった。


 「それより」と律が周囲を見渡して、首を(かし)いだ。


「貴女こんな場所で私と戦うっていうの? 狭すぎてすぐにホールの中もろとも崩壊しちゃうわよ」


 「ノーマルを傷つけるのがキーダーの仕事なの?」と楽しそうに話す律に、京子は嫌悪感を(にじ)ませた表情で背後を横目で一瞥する。


 確かにある程度天井も高いし、それなりに広さはあるが、光を飛ばして戦えるかというと無理があるなと修司は感じた。アルガス襲撃(しゅうげき)惨状(さんじょう)をきちんと見たわけではないが、改装された壁や折れた鉄塔は目の当たりにしている。大勢の観客がいる中までは壁一枚。穴一つ空いただけで中は大混乱になり、確実に負傷者が出るだろうと懸念して、修司は「駄目です!」と叫んだ。


「壁を守る自信はあるよ」


 京子の自信は強がりには見えない。けれど律は「無理しないで」と笑う。


「心配しなくていいわ。私だって中の観客やアイドルを傷つけようなんて無慈悲(むじひ)な女じゃないから」


 そう言って見せた律のにっこりとした笑顔は、通常モードの彼女だ。そんな顔で何をするのだと修司が構えると、突然モニターからの音が静まった。


 『みんな、有難う』と少女の声がして、野太い男たちの歓声が響き渡る。


『じゃあ、これがほんとに最後の曲だよ。また、みんなに会えますように』


 流れ始めたメロディは、アンコール前の最後に流れたものと同じ、修司のスマホに入れられたあの曲だった。

 京子の促したラスト一曲。


「長引かせたところでメリットなんてないからね。この一曲でカタを付ける」

「ちょうど良かったわ。これの限界が五分くらいなのよね。ちょうど一曲分」


 律は白く光らせた右手を、頭上でくるりと回転させた。風が吹き上がるように力の気配が強まって、修司は震え出す足を一歩後ろに引く。


 光の軌道(きどう)が大きな円を宙に描いた。

 「何?」と伺う京子の声に重ねて「見てて」と律は微笑んだ。彼女の声を合図に、光がキンと鋭い音を立てて辺り一面に広がっていく。一瞬耳が痛んで修司は(てのひら)(ふさ)ぐが、すぐにそれは治まった。

 強い光は風景に溶け、何事もなかったかのように元通りになる。まだ少しだけ残る耳鳴りにモニターの音が遠のいた。


「これって、バリアっていうの? 結界とでも?」

「安っぽい言い方ね。アニメか何かの見過ぎじゃない? まぁ名前なんてないけど、そんなものかしら。ここから見渡せる視界は(おお)ったわ」


 律は人差し指を今度は胸の前で回し、そこに生み出した白い光をホールへの壁へ向けて飛ばした。修司は粉々になる壁を想像して「うわぁ」と叫ぶが、光は壁を突き抜けて消えてしまう。


「さっき張った膜が力を吸収するから、建物へのダメージはないわよ」


 「すごい」と息を吐いて、修司は胸を撫で下ろした。緊張が少しだけ緩むと、モニターからの曲が小さく耳に届いてくる。今この状況に合わせるBGMにしては、あまりにも違和感(いわかん)を覚えてしまう歌詞。こんなにも軽快でポジティブな曲の中で彼女たちは戦おうというのか。


 けれど、二人の耳に彼女たちの歌声なんて届いてないのかもしれない。

 光の結界のリミットに彼女たちの気持ちが急いて、爆音が辺りを(とどろ)かせた。


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