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7章 突入-5 町の一角が消え去った日の事

 屋上で暴れる力の気配は荒々(あらあら)しく降って来るが、その音は驚く程に小さく、建物の中は静けさに包まれていた。壁越しに聞こえるホールの歓声も、防音設備のお陰か遠くでぼんやりと鳴っているようにしか聞こえない。


 警戒しながら三階まで下りて円形のホールに沿った左カーブの通路を進んでいくと、ようやく軽快な音が聞こえてきた。

 壁の高い位置に設置された大きなモニターに、固定カメラで撮られたホールの様子が映し出されている。聞き覚えのあるジャスティの曲に、観客の低い合いの手が溶け込んでいた。


 この危機的状況(ききてきじょうきょう)を、ステージで歌う少女たちは恐らく知っているのだろう。その恐怖を微塵(みじん)(こぼ)すことなく毅然(きぜん)としてファンの前に立つ姿は、自分よりもずっと強いと感じた。

 屋上での現実と、今この壁の向こうの現実が頭の中でぶつかり合って、修司は恐怖を()がすように星印の描かれた趙馬刀(ちょうばとう)(つか)を握りしめた。


 壁に貼られた見取り図でロビーの位置を確認すると、廊下の奥から声がした。


「修司! 大丈夫?」


 足音が大きくなってパッと姿を現した京子に、修司は「京子さん!」と安堵(あんど)する。修司の姿を確認すると、彼女もホッとした表情を見せて駆け寄ってきた。


「俺は大丈夫です。でも、桃也さんがまだ上に……」

「この気配だもんね。屋上、何か居るかなとは思ってたけど」


 不安気(ふあんげ)に天井を(あお)ぐ京子に(うなが)されて、一緒にロビーへと抜ける。人気はなかったが、ここにも同じモニターがあって、中の様子を確認することが出来た。


「アンコールまでここで待機だよ。もう少しかかるから、ちょっとだけでも休んでて」


 「はい」と(うなず)いてみたものの落ち着いて座っている気にもなれず、修司は趙馬刀を握ったままモニターに目を()らす。

 特におかしい様子もなく、テンポの速い曲に観客の興奮は上がりっぱなしだ。この中のどこに譲は居るのだろうかと、そればかり考えてしまう。


「修司が来るんじゃないかって思ってたよ」


 横に並んだ京子が、修司を振り向いた。


「制服似合ってるじゃん。けど、本当にこれでいいの?」


 実際に目の当たりにした桃也の戦闘が恐怖心を(あお)って来るが、逃げ出したい衝動(しょうどう)とは別の気持ちが修司をこの場所に留めている。


「俺、桃也さんから昔の事聞いたんです。大晦日の、白雪の話……」


 口にするのを躊躇(ためら)うと、京子は「そうか」と頷く。そしてモニターに返した視線をうつろに漂わせながら、その話をしてくれた。


「あの日は年末で、私が非番だったの。あの頃はウチにキーダーが私と(じい)しかいなくて……あ、爺ってのは大舎卿(だいしゃきょう)のことね。ほんと、今が嘘じゃないかって思える程アルガスは静かだったんだよ。その日、爺だけが本部に待機してたんだけど、忙しかったらしくて。その隙を狙ったような事件だった。事故の起きたあの場所に、私がもっと早く駆け付けられたら何かできたのかもしれない――そんな風に自分を責めて(しばら)く悩んでたんだけど、結局私が数時間早く着いたところで、どうすることもできなかったんだよね」

「あれ。でもあの日、桃也さんの所へ最初に駆け付けたのは、マサさんだって聞きました」


 ふと沸いた疑問に、修司は手中の趙馬刀へ視線を落とした。星印の刻まれた柄は、マサが使っていたものだと聞いている。

 超馬刀はキーダーの武器だ。力がなければ、この柄へ刃を付けることはできない。そういえば、マサは颯太(そうた)の資料にも載っていなかった。


「マサさんって、別支部の人だったんですか?」


 そう考えれば納得いくが、京子は「そうじゃないの」と首を振った。


「マサさんはずっと本部の所属だよ。けど、彼は私がアルガスに入るよりずっと前にトールになってしまっていたから……」


 トールとは、力を放棄したキーダーやバスクのことを指す。

 マサは今北陸の研究施設に居ると聞いている。その経緯(けいい)は分からないが、キーダーを辞めてアルガスに残る選択もあるようだ。


「そうなんですか。俺はアルガスに来て、色んなことを知りました。そして、もっと知りたいって思ったんです。自分の意思が中途半端(ちゅうとはんぱ)だと、与えられるのも中途半端なんだなって分かったから」

「今回の事は謝るよ。でも、安藤律と縁のある貴方に、今日の事を伝えるわけにはいかなかったの」


 アルガスが取った行動を非難(ひなん)はしようとは思わない。


「俺は、キーダーになって世の中に起きてる色んな事を知りたいです。いつ辞めてもいいなら、全部理解した上で、納得してから力を手放す決断をしたいと思いました」


 京子に向いて、修司は訴えた。けれど、京子は困惑気味(こんわくぎみ)に顔を傾ける。


「キーダーだからって何でも情報が与えられるわけじゃないよ。私は『大晦日の白雪』の後、何年も桃也と一緒に居たけど、彼が能力者だって知ったのは彼がキーダーになる決意をしてからだし。これから貴方にも色々な状況が出てくると思う」


 キーダーもまた、アルガスの(こま)だということは重々承知(じゅうじゅうしょうち)だ。それでも天秤(てんびん)に吊るされたままのような現状よりは良いと思えてしまう。

 決意を込めて頷いて、修司は「キーダーにして下さい」と懇願(こんがん)する。


「自分の命を大切にして。私からはそれだけだよ。あとは息を抜いても平気だから。修司が本当に私たちの仲間になりたいと思ってくれたなら、私は貴方を大歓迎するよ」


 そう言って微笑(ほほえ)んだ京子に、修司は「はい」と緊張の混じる声で返事を返した。


 京子は柱の時計を確認して、「そろそろかな」とモニターへ視線を戻した。

 最高潮(さいこうちょう)に高まった歓声の中、修司のお気に入りの曲が最後のサビを終えてフィナーレを迎えた。暗転するステージに修司が息を飲むと、誰かが「アンコール」と叫んだのを皮切りに、言葉が次々に重なって大きな歓声となった。


 京子が改めて「修司」と顔を向けてくる。


「安藤律に会っても、キーダーで居られる?」


 やはりその質問なのかと思いながら、修司は「居られます」と答えた。


「よろしい。じゃあ、あの女を捕まえに行こうか」


 天井を指差して、京子が先に動いた。いつもハイヒールの彼女が、今日はスニーカーを()いている。律はいつもそうだったが、やはり戦うには動きやすさ重視なのだろう。


「別支部のキーダーも来てるって聞いたんですけど、全部でどれくらいいるんですか?」

「応援は三人。みんなホールに入って(もら)ってる。うちは桃也と修司が来てくれたから全員ね。綾斗(あやと)美弦(みつる)搬入口(はんにゅうぐち)。観客の避難はそっちを使う予定だから」

「三人……ですか?」


 その心許(こころもと)ない人数に不安を覚えるが、京子は強気な姿勢で、


「外には護兵(ごへい)も入って貰ってるし、向こうの戦力には(おと)っていない(はず)よ」


と、ポジティブな返事を返してきた。

 そして京子は階段を上りながら、「彰人(あきひと)くんもいるからね」と加える。


「彼のことも聞いた? 色々あったけど彼は真面目な人だから」


 「分かってます」と修司は答える。『仕事だからね』とはにかんだ彼の顔が忘れられない。


「いい? 無理だと思ったら逃げることも強さ。生き残ることが一番の能力なんだってことを頭に入れておいてね」


 最後にそう言って、京子は修司より二歩先に四階へと足を踏み入れたのだ。


   ☆

 コンサート会場である吹き抜けのホールは四階まで届いていたが、中へと(つな)がる扉は三階までしか付いていなかった。ロビーも下より若干狭(じゃっかんせま)く、下の階と同じサイズのモニターが大きく感じられる。


 映し出される場内は、繰り返されるアンコールに、満を持しての登場を期待する頃合いだ。

 京子が「あっちで待ち合わせてるから」とホールを取り囲む細い廊下を指差した。その入り口には大きな矢印と共に『貸会議室』と書かれた看板が(かか)げられている。


 そしてモニターには、いよいよジャスティの少女たちが姿を現した。

 感極(かんきわ)まった叫び声が防音の壁越しに伝わってきたその瞬間、先に走り出した京子の足音にもう一つの足音が重なった。


 警戒して動きを止めるが、彼女との急な鉢合(はちあ)わせから逃れることはできなかった。


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