6章 真実-1 彼女たちをプロデュースする男
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アルガスに来て三日目。電源を落としたままだったスマホには譲のメールだけで十件も溜まっていた。
今アルガスで銀環を手首にはめている事情をメールの文字だけで簡潔に伝えることができず、書きかけた返信が閉じたままになっている。
「今日から学校だろ。まだいいのか? 美弦はいつも七時前には出て行ってるぜ」
遅れて食堂に来た桃也が、窓辺で食事を終えようとする修司の前に座った。キーダーの制服こそ着ているが、相変わらずのノータイで、模範生のような綾斗とは対照的だ。
「一時間はかからないみたいなので、もう少し居れるかなと思って」
スマホで調べた高校までの路線。アルガスに入ることを想定したら選ばない学校だ。所要時間さえ長くはないが、乗り換えが三回もある。
カウンターの上にある時計は七時を過ぎたばかり。まだ余裕だ。最後に残った味噌汁を飲み干して、修司は「そういえば」と桃也に尋ねた。
「桃也さん、昨日はマンションに戻らなかったんですか?」
桃也と京子は恋人同士で、数駅離れたマンションに二人で暮らしているらしい。彼がこの時間ここに居る事は、何か理由があるのだろう。
「あぁ。ちょっと今忙しくてさ。京子も泊りだったんだぜ。部屋でまだ寝てるんじゃないかな」
桃也は京子の話をする時が一番楽しそうだ。
「アルガスで何かあるんですか?」
「いや、昨日は上のオッサン達に面倒押し付けられて遅くなったから、そのまま泊ったんだよ」
「面倒? って」
「お前はまだ気にすることねぇよ」
律の事かと予感が走るが、あっさりと説明を断られ、修司は「そうですか」と素直に黙った。
「そうだ。学校は普通に行って来ていいからな。部活してるなら届け出して。緊急の仕事が入った時は呼び出す事になるけど、まぁ当分はない筈だから」
「部活はしてません」
「なら、あとはホルスやバスクに気をつけろよ? 夕飯は七時からだから、それまでには帰って来ること。友達とどっか寄ったりして遅れるような時は、ここの事務所に直接連絡くれればいいから。趙馬刀は肌身離さず携帯しておけよ」
言われて修司は制服のジャケットの上から腰の柄を確認した。硬い感覚がまだ慣れない。これを持って銀環をはめて学校へ行くのかと思うと気が重かったが、修司は食堂のおばちゃん・もといフリフリエプロン姿のマダムに出されたお茶を一気に飲み干し、食堂を後にした。
学校へ行く支度が整ったところで、部屋の片隅で見つけた年代物のプレーヤーに、譲から貰ったCDを入れた。音楽を聴いている時間ではないのだが、銀環を付けて一人で外へ出ることへのプレッシャーを感じてしまう。つい先日まで一般人にすぎなかった自分がキーダーになることは、きっと誰もに歓迎されることはないだろう。
学校を休むことさえ考えたが、曲がサビに入った所で「あぁそうだよな」と溜息が零れる。
――『貴方が頑張れるから、私も頑張れるんだよ』
このタイミングに何て歌詞だよと笑ってしまった。
「俺も」と腰かけたベッドから立ち上がると、部屋の天井に付けられたスピーカーが鳴った。
『おはよう、修司。貴方にお客様が来てるわよ』
雑音混じりの京子の声が来客を告げる。直感的に彰人かと期待したが、実際は違っていた。
『学校の用意して門のトコに行ってね』
そう言われてリュックを背負う。まさかの客人は譲だった。
外に出ると、門の所で制服姿の譲が護兵に連れられて修司を待ち構えていた。
背の高い護兵に「おはようございます」と敬礼されて会釈を返すと、目を爛々と輝かせた譲に「うぉお」と歓声を上げられてしまう。
護兵に見送られて門を潜り、沈黙が起きる前に「おはよう」と先に挨拶すると、譲は不満気に修司を振り向き、唇を尖らせた。
「メールの返信くらいしろよな。無事だって言えばいいだけだろ?」
修司が「ごめん」と頭を下げると、譲は「心配したんだからな」と修司を咎めた。
青空の底に沈殿したような重い空気に息苦しさを感じるが、譲になら全部話してもいいと思える。「聞いたら、腰抜かすからな」と前置きして、修司は自分の生い立ちから今までをかいつまみながら説明した。
「あのイケメン産婦人科医の伯父さんと血が繋がってないのは納得かな」
何故そこに反応するかは疑問だが、話し終えたところで譲は「腰抜けたわ」と苦笑した。
「でも悪いこと聞いちゃったかな。話してくれてありがとね。ハンバーガー食ってる時、何でキーダーとかホルスの話をしてるのかって思ったけど、まさか修司がキーダーになるなんてさ」
腕を組んで「うん」と唸り、譲は修司の左手を勝手に持ち上げて興味津々に手首を覗き込む。
「こんな近くで見たの初めてだけど、キーダーの銀環って意外と普通なんだね」
譲らしい反応だ。そしてそれ以上責めることも追及することもなく、修司の話を受け入れて「がんばれよぉ」と背中を叩く。
「ありがと。本当、お前が来てくれてよかったよ」
「メールの返事なかったら、心配するだろ? もしかして学校行くのが怖いって思ってた?」
悪戯っぽく笑う譲に、修司は「違う!」と否定してみたが、強がってるのは見え見えだ。譲はくるりと修司の正面に回り、「いいか?」と人差し指を突き付けた。
「嫉妬しない奴なんていない。俺だって羨ましいって思うんだからね? 映画で言ったら完全無欠の主人公。俺なんてどう頑張ったって主人公の補佐役がいいところなんだから」
自分がそんな日の当たるポジションにいるとは思えず、修司は「そうか?」と恐縮してしまう。
「気後れすることなんかないんだぞ? ノーマルに怖気づいてどうすんだよ。キーダーは英雄なんだから、堂々としてりゃいいんだよ。それより、この間みたいな奴らにやられたら承知しないからね? あの時のキーダーに聞いたけど、ホルスだったんだろ、あいつ等」
色々心配してくれたことを思うと、やはりメールの返信をしておけばよかったと後悔した。
「綾斗さんか。うん、ホルスには気を付けるよ」
自分はキーダーなのだろうか。前向きな返事をしながらも、こんな時に再びその疑問が浮かんできた。
譲は組んだ両手をぐんと上げて背伸びをし、「よしっ」と気合を入れる。
「これで、心置きなく明後日のファイナルに行けるよ」
「ファイナルって、ジャスティのライブ? この間の浜松と一緒か?」
譲は足取りも軽やかに、「そうそう」とジャスティの曲を口ずさんだ。もちろん音程は合っていない。しかしサビを歌い終えたところで急に歌うことをやめて溜息を洩らした。
「でも今、彼女たちの周りに良くない噂があってさ」
駅に着き、譲はしんみりとジャスティの話を始める。
「彼女たちは何も悪くないんだ。問題は彼女たちのプロデューサー。近藤武雄は知ってる?」
譲に言われて、急にその名前を思い出す。そういえば、京子や綾斗が彼の話をしていた。ジャスティを中心に、いくつものアイドルユニットを世に送り出している大物プロデューサーで、芸能界を席巻する男だ。特に興味もない修司に言わせれば、坊主頭の太ったオッサンである。前に電車の中刷りで見掛けた記事によれば、彼からデビューするアイドルこそ成功を収めてはいるものの、その陰では使い捨てにされて泣いている子も多いという話だ。
譲が言うには、近藤は金儲けに貪欲で、裏で色々悪さをしているらしい。
「よりによって、何でアイツなんだろうって思うね」
バタバタと強い足音を響かせて、譲は階段を下りていく。
「あんないい曲作る人なんだから、もっと真面目になればいいのにさ」
いつもとは違う路線の通学電車からも、ビルの壁に貼られた大きな彼女たちの笑顔が見えた。それだけで苦しそうだった譲の表情が緩む。




