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5章 過去-1 過去を抱えた彼の告白

   5

 修司は美弦(みつる)と並んでソファに座りながら、お互い何も話さずに(かげ)り始めた空をぼんやりと見つめていた。手首に巻かれた銀環(ぎんかん)を逆の手で何度も確かめて、それでもまだ現実を理解しきれずにいる。


 颯太(そうた)が来なければと願った次の瞬間、部屋のドアが叩かれた。先に美弦が立ち上がり、相手を迎え入れる。

 綾斗だ。しかし彼は中に入らず、来客を告げて行ってしまう。


 改まって振り返った美弦が「行くわよ」と修司を促した。

 色々考えた所でこうなるのは分かっていた。ソファに吸い付く重い腰を上げ、修司は(はら)んだ空気を重く吐き出した。


「キーダーになるのが怖い?」


 「そんなことねぇよ」と答えたが半分は強がりだ。キーダーとして死を隣り合わせにする恐怖はもちろんある。けれど、いまだにきちんとその立場を受け入れられないのは、納得できないまま流されそうになる今の状況なのだ。


 そんな複雑な心境を見透かして、美弦は「もぉ」と(くちびる)(とが)らせる。


「面倒な奴ね。バスクなんかでいるから、覚悟が決められないのよ。それより――」


 ドアに手を掛けて、彼女が突然足を止めた。半分振り返った顔を扉へと返し、押し黙ってしまう。

 「どうした?」と修司が尋ねると、美弦は困惑顔(こんわくがお)から溜息(ためいき)()らして顔を上げた。


「アンタって、鈍感(どんかん)そうよね」


 やっと出た言葉が悪口に聞こえ、修司は「はぁ? 何?」と不機嫌に言い返す。美弦は相変わらずのツンとした表情を作るが、大きな瞳の奥が戸惑いを隠せない。


「私も、最初聞いた時びっくりしたんだけど。いい? その頭パンクするわよ?」


 突き付けられた『予告』が示す現実に驚愕(きょうがく)するのは、それから三十分程経ってからの事だ。


   ☆

 美弦に案内されたのは、階段を上った四階にある会議室だった。

 まだ誰も来ていない。コの字に組まれた机に青い椅子が並んでいて、正面のホワイトボードには使い古されて消えきっていない文字が全面にうっすらと跡を残していた。

 中でも一番目に付いたのが、色違いの壁だ。窓際と側面が明らかに違う。外に面していない三面はヤニか何かで黄ばんでいるのに、窓の面だけはやたら白くて新しい。


「ここは、二年前の襲撃(しゅうげき)で一番建物の損傷が(ひど)かった部屋なんだって。外は塗り直されてるから判り辛いけど、中は結構適当って言うか。でも、ちゃんと直ってるでしょ?」


 あの夜テレビで見た出来事を、この部屋がようやく現実だったと教えてくれた。


「アルガスはキーダーの象徴ともいえる場所だからね。欠けたままにしておく訳にはいかないでしょ? だから外見の修復は速かったって、前に京子さんから言われたわ――あっ、来たわよ」


 近付いてきた足音に、二人同時に顔を上げる。緊張に修司は両手をきつく握り締めた。

 軽いノックと共に扉が開く。先に現れた綾斗の後ろから顔を見せた颯太と目が合って、修司はたまらず「伯父さん!」と呼び掛けた。

 朝出て行った時はジャケットを羽織っていた筈だが、白衣を脱いだままのグレーのシャツに汗が(にじ)んでいる。手にした水のペットボトルは空に近い状態だ。


 目尻を緩ませながら「おぅ」と返事する颯太に駆け寄って、修司は「ごめんなさい」と頭を下げた。


「お前が謝ってどうすんだよ」


 颯太は修司の手首を一瞥し、「そうなるよなぁ」と苦笑した。


「ホルスと関わってたって聞いて、心臓止まるかと思ったんだぜ。怪しいと思ったとこで、もっと警戒しとくべきだったな。でも無事で本当に良かった」


 颯太はそのまま修司を抱きしめた。驚きつつも、修司は大きなその手を受け入れる。いつも通りの彼の声と、うっすら漂う消毒液の匂いに沸き上がりそうになる涙を堪えた。


「でも、伯父さんは……」

「俺の事は気にするなよ。それにしても、まさかあの女がホルスだったとはな」


 「全く、その通りですよ」と綾斗は手にしていた紙に目をくれて、溜息を吐き出した。修司は颯太から離れ、改まってキーダーの二人へと向き直る。


「修司くんが今まで面倒に巻き込まれなかったのは、単に運が良かっただけです。銀環を拘束(こうそく)だ手錠だとか言う(やから)は居ますけどね、バスクは自由の解釈を間違えている。保科(ほしな)さん、貴方はそう思いませんか?」

「折角だが、ここに良い思い出がなくてね。アルガスが解放されて、掌を返したようにキーダーを英雄だと言われても、その主導権は国のままだ。それでどうしてアンタはキーダーを選ぶ?」

「俺はキーダーとしてこの力を持って産まれたことを誇りだと思っています」


 きっぱりと言い切る綾斗に尊敬の眼差しを送っているのは美弦だけで、修司さえ少し驚いていた。彼は国が国民に植え付けようとしているキーダーのイメージそのままの男だ。


「あぁ、そのタイプか。いるよな、そういうの」

「キーダーに対する思いは人それぞれでいいと思いますけど、貴方が医師としてやった行為は犯罪です。もちろん免許は返納していただくことになりますよ」


 今まで不安に思っていたことが全て現実として降りかかってくる。「伯父さん」と修司が呼び掛けると、数秒黙った颯太が「あぁ」と答えた。


「修司がホルスに捕まる位なら、大分好条件じゃねぇか」


 緩く笑んだ表情に寂しさが垣間見えた。

 修司には現実を受け入れることしかできなかった。


「今いるトコの院長は、何も知らずに俺を(やと)ってくれたんだ」

「公にはしませんから。自己都合の退職と言う形で辞めてもらって構いませんよ。それより、ここの事情は貴方だって詳しい筈です。そこまで精通しながら修司君の力を隠したところが、俺には理解できません」


 その言葉がきっかけだった。颯太は表情を険しくさせ、修司を振り向く。


「俺の事、聞いたのか?」


 突然の質問に修司が「え?」と首を傾げると、颯太がちらと綾斗に視線を送った。無言のまま首を横に振る綾斗。「何?」と修司が視線を颯太に返したところで、その答えが語られた。


「いや、流石にここじゃ隠せないだろ。あのな、俺は昔ここに居たんだよ」

「居た? って。働いてたの?」

「いや。監禁されてたって言うのか? 三十年以上前だ。俺は今トールなんだぜ」


 颯太を見上げて目を見開いたまま、修司は硬直(こうちょく)してしまう。

 耳に入ったはずの言葉の解釈を、脳が拒絶(きょぜつ)している。今起きたばかりの記憶を必死に引き戻すと、『トール』という単語を拾うことができた。


「トール、って。伯父さんが? ちょっと待って。よく分からないんだけど」


 トールは元々キーダーだった人間が力を消失させた状態を指す。

 颯太はノーマルの筈だ。修司の母の兄で、産婦人科医。キーダーの過去など聞いたこともない。

 「黙ってたからな」と前置きして、颯太は衝撃の言葉を口にする。


「俺は昔キーダーで、隕石事件の少し前からアルガス解放までここに居たんだ」


 隕石(いんせき)から大舎卿(だいしゃきょう)が日本を救ったことがきっかけで、キーダーが英雄になった。その時代の当事者がこんな近くに居たというのか。確かに颯太は力やアルガスに詳しかった。けれどそんなのは、今の時代パソコンを駆使(くし)すれば得られる情報だと思っていた。


「もう、あの時居た奴等は居ないんだろうな」

「何人かは他の支部にいらっしゃいますよ。大舎卿(だいしゃきょう)は三十年分の有給を取って静養中(せいようちゅう)です」

「あのオッサン……そうか」


 呆れたような、けれど嬉しさを含ませて颯太は笑う。三十年前のアルガス解放でトールを選んだ人たちの事も「オッサン」と呼んでいたのは、ついこの間の事だ。隕石が落ちた日の騒動をテレビ画面で見ていたというのは、このアルガスでのことだったのか。


 語られた颯太の過去を「そうなんだ」と素直に受け取ることはできなかったが、黙っていた事への怒りも沸かなかった。ただ驚いている――それだけで何も言葉が浮かばない。


「とりあえず数日は地下に監禁(かんきん)させてもらいますよ。修司君へ押し付けた想いへの代償です」

「酷い言われようだな。俺はコイツに同じ思いをさせたくなかっただけだ」

「今のアルガスは、貴方の居た頃とは違います。こうなる事は想定内だったんじゃないですか? それとも苗字を変えたことで気付かれないと思っていましたか? 破霞颯太(はがすみそうた)さん」


 数分前にタイムスリップしたような感覚に陥って、ようやく「えっ」と声が出た。また知らない話だ。

 颯太は困惑した表情を見せ、「先に言うなよ」と米神に指を押し当てる。


「悪いな修司。隠してたのはこれで最後だ。いいか、俺は爺さんの連れ子なんだよ。再婚で連れ子同士だから、千春ともお前とも血が(つな)がってなくてな」


 やめてくれと本気で思った。もう頭がキャパオーバーで逃げ出したくなった。律がホルスだと驚いたのが数時間前の事だなんて思えない。


 「ムリ」と小声で吐き出し、修司はきつく閉じた目を掌で塞いだ。



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