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4章 再会-5 彼の手に巻かれた印

 扉の閉まる音をやたら長く感じて、その後に沈黙(ちんもく)が訪れた。


 三人掛けソファの両端に座ったまま、修司は切り出すタイミングを計っていた。二年以上ぶりの再会は、想像していた以上に重苦しい空気を漂わせてしまう。


 美弦がそっぽを向いたまま、苛立(いらだ)つ口調で「何か言うことないの?」と呟く。


「ええと、髪、伸びたじゃん」


 いや、そんなことを言いたかったわけではない。もっとこう、久しぶりだとか近況を伝えたいと思っていたのに、振り向いた視線の先に彼女の長いツインテールが飛び込んできて、緊張のあまりにそんなことを口走ってしまった。

 しかし、美弦は「確かに伸びたわよね」と満更でもない表情で、自分の髪を両手で撫でた。


「アンタはあんまり変わってないわね。それより、アンタが会いたがってた人って平野さんなの?」


 いきなり出たその名前に、修司は「そうそう!」と身体を乗り出して彼女との間を詰める。


「ちょっと。いきなりくっついてこないでよ! 変態! びっくりするでしょ?」


 顔を真っ赤に紅潮(こうちょう)させ、美弦は鋭く威嚇(いかく)した。(てのひら)を胸の前で広げて「下がって」と声を上げるが、修司は彼女に触れないギリギリの位置で、そのまま問いかけた。


「ごめん。でも平野さんもここに居るのか? 居るなら会いたいんだけど!」


 今まで躊躇(ためら)っていたのが嘘のように、素直にそう言える。けれど美弦は少し腰を後ろにずらしてから両手を下ろすと、「残念だけど」とツインテールを揺らした。


「平野さんね、ずっと訓練施設に居たんだけど、今年の四月から東北支部に配属されたのよ」


 仙台駅の西口から少し離れた位置に建つ、高いビルの中層階にアルガスの支部があることは知っている。颯太から近付かない方がいいと言われていた場所だ。

 もう戻らないのかと思っていた平野は、キーダーとしてとっくにあの町に帰っていたのだ。


「東北はずっとキーダーが不在で、やっと平野さんが入ってくれたの。けど、アンタはもうバスクじゃないんだし、そのうち会えるわよ。あの女のトコにいるって聞いた時はどうなる事かと思ったけど。もう安心して」


 律への反感を露にした言葉に、修司は口をつぐむ。キーダーの美弦がそう言うのは立場上仕方のないことだけれど、それでも苛立ちを覚えて彼女を(にら)みつけてしまう。


「あの人はそんなに悪い人じゃないよ」


 まだ二回しか会ったことはないが、アパートで一緒に台所に立った時や、おにぎりを食べる彼女、山で見たその笑顔がどうしても敵だと頭が理解してくれない。

 美弦は相変わらずの不機嫌な顔で、「でも安藤律はホルスなの。その事実は変わらないから」と両手をお腹の前で組み合わせ、主張を続けた。


「もう亡くなってしまったけど、彼女には歳の離れた恋人が居たのよ。どんな経緯で一緒になったのかは知らないけど、その人がホルスの幹部で彼女の力を道具にしていたのは確かよ。目立つような事件は起こしていないけど、キーダーを単体で狙ったり、バスク同士で争ったり。その恋人が亡くなってからも資金調達やバスクの勧誘をしてるらしいわ」


 部屋に貼ってあった写真。彼女の横で笑う男が美弦の話に繋がって、修司は愕然(がくぜん)とする。

 何も知らないのは自分の方だ。けど、あの笑顔が勧誘の道具に過ぎないとはどうしても思えなかった。

 あの古びたオレンジ色の空間にもう一度行って確かめたいと思ってしまう。


「安藤は闇だらけのホルスに繋がる、唯一顔の割れた人間だから、むやみに捕まえることもできないのよ。彼女をこちら側に繋いでしまったら、そこから進む手立てを失ってしまうの」


 再び項垂(うなだ)れた修司に、美弦がパンと高い音で手を鳴らして立ち上がった。


「まぁ、あの女の事はこのくらいにしましょ。そろそろやるわよ」


 よろりと上げた修司の視線に、彼女が掴んだ銀色の輪が飛び込んでくる。


「私がやるから、大人しくしててくれる? もうバスクには戻れないわよ。覚悟して」


 今になって、颯太との出来事が走馬灯(そうまとう)のように頭を駆け巡り、胸が苦しくなった。


「伯父さんは大丈夫なのかな……俺のせいで迷惑なんか掛けたくないのに」

「最悪は回避させるって綾斗さんが言ってたでしょ? あの人を信じて。ここに居るキーダーは、みんな悪い人じゃない。だから」


 自分も、律のことを悪い人じゃないと思っていたのだ。だから今は目の前の事だけを受け止めようと思う。


「じゃあ、俺はお前を信じるよ」

「何よいきなり。でもいいわね、この銀環をしたら気配を消してもキーダーだって事は誰にでもわかる。キーダーを良く思わない人なんて、そこら中に山ほどいるから、気を付ける事」

「それは、分かる気がする。俺もキーダーなんて、って思ってたから」

「でしょ? でも、胸張っときゃいいんだからね。私たちは命張ってるんだから」


 平らな胸を突き出して、美弦は制服の腕を(まく)り上げると、修司に左手を出すよう指示した。


「命……か。大分重いな、その銀環は」


 「強くなればいいのよ」と笑んで、美弦は何故かホチキス留の書類をテーブルに広げた。ぎっしりと埋め尽くされた文字に、修司は不穏(ふおん)な空気を感じてしまう。


「それ、マニュアルか? お前まさか、初めてやるんじゃないだろうな?」


 「そうよ」と即答する美弦に思わず腕を引くと、「赤ちゃんだってやるんだから」と叱られる。確かに出生検査で能力を認められると、すぐにキーダーがやってきて銀環を結ぶというが。


「う、上手いことやってくれよ」


 銀環を付ける覚悟はできたが、その過程への不安は膨れるばかりだ。文字数を見るからに容易なことだとは思えない。初回くらい綾斗が上司として横に居るべきなのではないだろうか。


 恐る恐る差し出す手を強引に引き寄せられ、素早く銀環を通された。

 初めての感触は、固くてひんやりと冷たかった。手首に常時しておくには大分大きな円だ。


「力を掛けると縮むから。銀環の着脱(ちゃくだつ)は、銀環を付けたキーダーにしかできない立派な仕事なのよ」


 美弦がそう説明するが、訳が分からなかった。修司が納得できないまま頷くと、美弦は銀環ごと左手を握り、掌に白い光をじんわりと籠らせた。光が放たれている最中、美弦の視線が何度も何度もマニュアルを確認する。「あれ?」と零れる疑問符に不信感のゲージが伸びていくが、やがて銀の環は目に見える速度で小さく縮まったのだ。


「やったぁ、どうにか成功。終わりよ!」


 声の後に光が消えて、彼女の額に汗が光った。繋がれた掌が離れ、修司は「ありがとう」と礼を言い左手を何度も確認した。絶対に自分で抜くことのできない、ギリギリの隙間を残して上手く収まっている。銀環が力を制御すると言うが、身体への変化は感じない。


 今朝、頭上をアルガスのヘリが横切って行った時は、数時間後にこんな状況に居る自分など想像もできなかった。


「何か違う? 私は生まれてすぐに付けられたから、外した感触は知らないの」


 美弦がソファに背中を預けて、高く掲げた左手首を見上げながらそんなことを呟いた。

 同じ力を持って産まれても、大分境遇は違う。祖母や母親、それに颯太――と、今の自分を導いた想いが全身を取り巻いていく感覚に息苦しさを感じて、修司は「窓、開けて良い?」と窓辺へ向かった。

 「どうぞ」と美弦も修司の横に並ぶ。顔一つ分の身長差を懐かしく感じた。


 夕日の差し込む窓を開けると温かい風が流れ込んできて、修司は大きく息を吸い込んだ。

 アルガスから町を望む。そこにはいつもマンションから見える風景とは違い、遮るもののない広い空が広がっていて、遠くには海が見えた。


「なぁ、俺、キーダーになったんだよな?」


 再び右手で銀環を確認した。同じ空を見つめながら、美弦が「一応ね」と呟く。


「トールになりたいと思ったこともあったけど、もう少しこのままで居ていいかな」


 既視感とか、力を持つことへの優越感からではない。この力を手放してしまったら、力を持つことで得た色々な縁が途切れ、何もない空虚(くうきょ)へと弾き出されてしまいそうな気がしたからだ。


「私は別にそれでいいと思うよ」


 男らしくハッキリしろと言われるだろうと予感したが、肯定(こうてい)されてしまったことで張り詰めた気持ちが緩んでしまった。ふと頭に流れるジャスティのメロディ。


 ――『私は貴方が好きじゃないけど、貴方と一緒に運命を突き進みたいの』


「ちょっと、何泣いてるのよ」


 泣いてるつもりなんてなかった。けれど、「もう」と右手をぎゅっと握り締めてくれた美弦の温もりが優しくて、そのまま涙を受け入れた。


「私が捕まえるって言ったでしょ? 心配したんだから。ほんと、間に合って良かった」


 そんな美弦の言葉に視界が歪んだ。そっと彼女を一瞥するが、目を合わせてはくれない。

 美弦の視線を追って見上げる、アルガスから望む空はあまりにも高くて、あまりにも広くて。



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