嘲笑
翌朝。身支度を整えた俺は、女子寮の近くでオリガちゃんと合流し、すぐに職員室へと向かうと、そこにはベアトリスさんの姿しかなかった。
「おはようございます、ベアトリスさん」
「……おはようございます」
「あ、おはようございます、誠一さん、オリガちゃん」
「あの……他の先生方は?」
「みなさん、もう教室へと向かわれましたよ」
「え!? 俺、もしかして遅刻ですか?」
時間を確認して寮を出たはずなのだが、まさか遅刻していたのだろうか?
急に不安になっていると、ベアトリスさんは笑いながら教えてくれた。
「大丈夫ですよ。ただ、この時期はどの教室でも朝早くから特訓を行っているので」
「特訓ですか……一体何の?」
「この時期は、とにかく学校全体が慌ただしくなるんです。例えば、一番近い行事で言うと校内対抗戦が行われるんですよ。ですから、どのクラスでも勝ち残るためにみな特訓を始めるんです」
「へ!? それじゃあ俺たちのクラスもした方がよくないですか!?」
「そうなのですが、新しく誠一さんたちが来てくださったことで、そちらまで手が回らなかったのです……すみません」
「いや、こちらこそすみません! そんな大変な時期に来てしまって!」
「大丈夫ですよ。全ては学園長が悪いのですから」
ベアトリスさんは、とてもいい笑顔でそう言い切った。ゴメン、バーナさん。たぶんそのうちいろいろと言われると思う。
「ですが、少しでもいい成績を残せるように、私たちも頑張らないといけませんね。どうしますか? 明日からでも特訓を始めますか?」
「そうですね……こういうことは早いに越したことはないので、そうしましょう」
「では、今日のホームルームでそう連絡しましょう」
そう言うと、ベアトリスさんは手元の資料をまとめ始めた。
「あの……それは何ですか?」
「これですか? これはFクラスの個人に合わせた勉強用のプリントです」
「へ?」
「先ほど言ったように、本当にこの時期は慌ただしく、校内対抗戦が終わると、すぐに定期試験が行われるのです」
「え? ですがこの前、答案用紙を返却してませんでしたっけ?」
「あれは授業内テストです。ですが、今回は違います。Fクラスは、個性的な子が多いですから……」
ベアトリスさんは、遠い目をした。うん、主にアグノスとレオン……というか、この二人だけだけど。
……って、この二人だけじゃねぇわ! サリアたちはどうすんだ!? 勉強なんてしたことねぇだろ!? とくにルルネが心配すぎる……!
「あの……サリアたちはどうなるんでしょうか?」
「その件ですが、今回のテストはサリアさんたちは免除されるので、安心してください」
「そうですか……そう言えば、個人に合わせたプリントって言ってましたけど……」
「はい。それぞれの苦手なところをまとめたものと、得意なところの応用をまとめたプリントを一人ひとり用意して、毎回配っているんですよ」
「……」
俺はベアトリスさんの仕事を素直に凄いと思った。
人数が少ないからってのもあるかもしれないが、こうして生徒一人ひとりに合わせたプリントを作ってくれる先生なんて、地球でもあまりいないだろう。
というより、何気なく会話してて気づいたが、いつの間にか試験を受ける側から受けさせる側になっていたんだな……何というか、俺が試験を作るわけじゃないけど、テストに苦しむ皆を見るというのは……いかん、ちょっとおもしろいぞ。
なんか知ってはいけない俺の一面が少し垣間見えていると、ベアトリスさんが資料をまとめ終わった。
「すみません、お待たせしました。それでは、行きましょう」
「はい!」
「……ん」
ベアトリスさんの頑張りにも応えられるようにしないとな。
そう思いながらFクラスの教室に向かっていると、向かい側から恐らく校内対抗戦に向けての訓練を終えた生徒と先生らしき集団がやって来た。
俺たちは壁際に避けて相手が通り過ぎるのを待とうとしていると、相手側の先生が俺たちの前で立ち止まった。
相手側の先生は、肩の上あたりで切りそろえられたサラサラの薄い黄土色の髪に、同じ色の瞳。イケメンだと思うけど、ニタニタと笑っている姿がどうも気になる。ブルードとかは、ただスゲーイケメンだなぁくらいで終わるのだが、この人はすごく厭味ったらしく感じる。
服装は、豪華な装飾の施された赤いマントを羽織っており、その下には軍服らしきものを着ている。……あれ? あの軍服、どこかで見たことあるような……ああ、王都テルベールにいたころ、ルルネとデートした時に参加した大食い大会で、カイゼル帝国から来ていたソシャーク選手が着ていたものと同じだからか。
ということは、この先生はカイゼル帝国出身なのかな?
ふとそんなことを考えていると、相手の先生は笑みを深めた。
「おやおや、誰かと思えば……無能集団に夢見ているベアトリス先生ではないですか」
え、なに? この無駄に説明口調な人。
「……おはようございます、クリフ先生。お言葉ですが、彼らは決して無能などではありません。訂正してください」
すると、ベアトリスさんは少し表情を歪め、挨拶をしたあと、毅然とした態度でそう言い切った。
しかし、ベアトリスさんの心情とは逆に、相手の先生はベアトリスさんに近づく。
「やれやれ……貴女も頑固なお人だ。無能を無能と呼んで何が悪いのです? そんな無能など放っておいて……どうです? 今夜、一緒にお食事でも……」
「お断りいたします」
「……なるほど……貴女をそこまでさせるFクラスは、私が知らないだけでとても優秀なのでしょうねぇ。これは次の校内対抗戦や、定期試験はさぞいい結果を出されるのでしょう」
「っ!」
そう相手の先生が言った瞬間、少し離れた位置で待機していた相手側の生徒がクスクスと笑い始めた。
つか、ベアトリスさん教員同士の食事に憧れてるって言ってたけど、女性としてはやっぱり誘われるのね。そりゃあ美人だし、当たり前か。他にも何度か誘われてそうだけど、相手のことを考えると……うん、だいたい相手の性格が原因で断ってる気がするね!
そんな中、相手の先生は悔しそうに唇を噛むベアトリスさんの顎に指を添え、顔を上げさせた。これ、いわゆる顎クイってヤツじゃね? だいぶ前に地球で流行ってたやつ。
「無能に夢を見ていられるのも今の内ですよ? すぐ、貴女は現実を見ることに――――」
「あの……その手いります?」
「誠一さん!?」
俺は、思わず相手の先生の手を掴み、ベアトリスさんから引き離してしまった。
すると、相手の先生は一瞬驚いた表情を浮かべた後、すぐに睨みつけてきた。
「誰だ? 貴様……この私がカイゼル帝国の貴族と知っての狼藉か?」
「いや、知るわけないじゃないですか。俺、貴方と初対面なんですけど……」
あ、もしかして、俺が知らないだけでスゲェ有名人だったりするのかな? というか、カイゼル帝国出身ってのは当たってたみたいだな。
まあ、そんなことはどうでもいいとして……。
「話すのに、わざわざ相手の顎に指添える必要性あります?」
「……ぷっ」
隣から小さく噴き出す声が聞こえたので、思わず視線を向けると、オリガちゃんが両手で口元を押さえ、プルプルと震えていた。
俺の指摘に対し、相手の先生は顔を真っ赤にした。
だが、すぐに落ち着きを取り戻すと、傲岸不遜な態度で言い放った。
「フッ……少々熱くなりすぎたようですね。それにしても……嫉妬とは醜いですねぇ。いくら君の顔が醜いからといって、私の行動に文句を言うのはおかしいのでは?」
「……ぷぷっ」
オリガちゃん、笑うの堪えられてないよ。
「いやいやいや、普通に考えて貴方の行動の方がおかしいでしょう?」
え、俺間違ったこと言ってる? いきなり壁ドンみたいなことをして、顎クイしてくるのっておかしいよね?
ただしイケメンに限るって言うなら、翔太とか、それこそブルードとかがやってこそだと思うんだけど……。
「取りあえず、貴方が顎クイするのはナイ」
「なっ!?」
「……もう……無理……」
思わず思ったことを口にしてしまうと、ついにオリガちゃんは我慢できなくなったのか、地面をペシペシと叩いていた。反応が可愛いなぁ。でも、失礼だからやめなさい。
「何を訳の分からないこと……! そういう貴様は、一体誰なんだ!?」
「あ、その……彼は、現在Fクラスの担任をしている誠一さんです」
「何? ……ああ、コイツが学園長の言ってた新しい先生の一人ですか……」
ベアトリスさんからそう紹介されると、上から下までジロジロと見られた後、鼻で笑った。
「ハッ。こんなみすぼらしい者が先生とは……この学園も落ちるところまで落ちたようですね」
みすぼらしいだろうか? 俺の格好……これ、一番ランクの高い装備品なんですけど……。
俺のスキル『千里眼』が発動した様子もないので、相手は俺の服装に『鑑定』は使ってないということになる。使えないのかな? 『鑑定』のスキル。それとも、使うまでもないってことなんだろうか?
「校内対抗戦……今年は去年よりもより楽に倒す事が出来そうですねぇ。いや、それ以前に出場するかどうかすら怪しいのではないですか? 何といっても、出場するだけで恥を晒すことになるのですから!」
そう言うと、周りの生徒たちはいっせいに笑い始めた。
「……」
「フン、何も言い返せませんよねぇ? 事実なんですから。……おっと、ついつい話し込んでしまいましたね。それでは、私はこれで失礼させてもらいますよ。何といっても、私たちは貴方たちと違って、忙しいのでね」
言いたいことはもうないのか、それだけで満足した様子で相手の先生は自分のクラスの生徒を引き連れて帰って行った。
その生徒たちの中で、どこかブルードに少しだけ似ている金髪の生徒が、なぜか俺のことを激しく睨みつけていたのはよく分からない。俺、何かしたっけ?
そんなことを考えていると、ベアトリスさんが申し訳なさそうに言った。
「すみません……その、助けていただき、ありがとうございました」
「あ、いえ、気にしないでください。普通に相手の行動が意味分からなかったので。それと、あの人誰ですか?」
「あの人は、この学園でも成績上位者のみ集められるSクラスの担任である、クリフ先生です。本当にすみません……誠一さんにまで、不快な思いをさせてしまい……」
「全然大丈夫ですよ。あ、俺たちも教室に行きましょうか。そろそろホームルームの時間ですよね?」
「え?」
「へ?」
何故か、ベアトリスさんは驚いた表情で俺のことを見てきた。
「あの……それだけですか? あれだけバカにされたんですよ?」
「? それが何か?」
「……悔しくないんですか!? 私のことはどれだけバカにしても構いません。ですが……Fクラスのみんなをバカにするのだけは許せません……!」
「悔しいも何も、関係ないじゃないですか」
「へ?」
「俺たちはFクラスのみんなが優秀であることを知っていて、クリフ先生はFクラスが優秀であることを知らない。ただそれだけですよ」
「でも……!」
「いいじゃないですか。そもそもSクラスやクリフ先生には興味もないですし、その興味のないモノに思考を割くのが勿体ないですもん。俺は、Fクラスのみんなが強くなるようにするだけです」
「……」
俺の言葉に、ベアトリスさんは唖然としていた。
「人の評価を気にするなとは言いませんよ。評価されることも大切ですから。でも、いちいちバカにしてきた相手に構うほど、俺は大人でもないですし、何より面倒くさい」
「……一人で勝手に騒いでたね」
オリガちゃんが、ボソッとそう言った。
「まあそんなわけで、俺たちはFクラスのみんなに全力でぶつかればいいんじゃないですか? あ、なんか分かりきったようなことを言ってすみません……」
「いえ……そう、ですね。私たちは、私たちにできることをするだけですね」
「ええ。大丈夫ですよ、ベアトリスさん。Fクラスのみんなはきっと、想いに応えてくれるはずです」
「……はい!」
そんな会話をしながら、俺たちは教室へと再び歩き始めた。
しかし、気が緩んでいた俺たちは、そのとき近くで聞き耳を立てていた存在がいたことに気付かなかった。




