侵食する悪意
――――『戦獣の森』。
数多くの魔物が生息し、日々生存競争が行われる危険な場所だった。
過酷な環境だからこそ勝ち残る魔物たちはどれも強力で、一体でも人里に出れば、そこは一瞬で壊滅する危険性があった。
そしてその森の近くには人々が暮らす村があり、森と隣接する国は定期的な討伐隊を編成しては市民の平和を守って来ていた。
そうしなければこの森の近くで生活することはままならなかった。
そんな森の中で、一人の男――――S級冒険者のユースト・ホラーズは依頼を受け、森を訪れていた。
「ガアアアアアア!」
「全く……キリがないなぁ」
彼がちょうど相対しているのは『クレイジー・ベア』と呼ばれる魔物であり、S級に位置する強力な存在で、本来ならば国の軍隊が派遣されるレベルの脅威だった。
そんなS級の魔物たちの群れを殲滅できたウィンブルグ王国ではあるが、ギルド本部の冒険者たちやそれを日々相手にしている兵士たちが異常なだけで、他の国においてその存在が脅威であることに変わりなかった。
クレイジー・ベアは自身の強靭な腕を振るうと、周囲の木々が一瞬にして切り刻まれていく。
だが、そんな攻撃を前にしても、ユーストは特に慌てることなく余裕をもってかわした。
「さすが、危険な森って言われるだけあるね。襲ってくる魔物全部がS級だなんて……!」
「ガアアアアアア!」
今まで自分の強さに圧倒的自信を抱いてきたクレイジー・ベアは、目の前で悠々と避け続ける人間に対し、理解ができなかった。
当たらないことでますます攻撃する手を緩めることなく、むしろ加速させていくクレイジー・ベア。
しかし、それは同時に体力を激しく消耗することにもつながり、クレイジー・ベアに疲れが見え始めた。
「今回はいつもより間引いておきたいし……そろそろかなっ!」
「グアアアアア!?」
一瞬にして振るわれた剣に、クレイジー・ベアは対応できず、簡単に右腕を斬り飛ばされる。
その事実に今まで森の中でも上位に位置し、脅威を感じてこなかったクレイジー・ベアは混乱した。
そして、その隙をユーストは逃すはずもなかった。
「ごめんね」
「グア――――」
咆哮する間もなく首を斬り飛ばされると、クレイジー・ベアはそのまま光の粒子となって消えていった。
「ふぅ……倒しても倒しても出てくるなぁ」
クレイジー・ベアを倒したことで一息ついたユーストは、思わずため息をつく。
「いつもなら国の兵士がやる仕事なんだろうけど、今のご時世じゃねぇ」
ユーストの言う通り、もはやほとんどの国がカイゼル帝国の手に落ち、ユーストが所属している国もまた、例にたがわずカイゼル帝国によって占領されていた。
そのため、軍隊の編成も制限されたため、こうして危険地域と隣接している村々は脅威に晒されることになり、それを防ぐために国からの依頼として冒険者ギルドに斡旋されていた。
ただ、その依頼をまともに完遂できるのはその国の支部に在籍しているユーストだけで、必然的にこの依頼はユーストが受けることになったのだ。
「なんにせよ、放っておくわけにもいかないし……本当に戦争って嫌だなぁ」
基本、ギルドの冒険者たちは国の戦争に駆り出されることはない。要請はあるが、断ることができた。
それは本来ギルドがどこの国にも属さない、特殊な立ち位置として存在しているからだ。
もちろん、愛国心の強い者は戦争に参加する場合もあるが、強制力はなかった。
その代わり、彼らには人間以外の脅威……魔物や自然災害などが起きた際、それらを手助けする義務があった。
特に魔物による被害がある場合は、どんな寒村であっても冒険者に依頼することができる。
本来、資金に乏しい村であれば魔物の被害が出てもなかなかギルドに依頼するだけの資金が用意できない可能性が高かったが、それをギルドという組織が補填してくれるのだ。
そのため、魔物の被害が出た際はリスクなく依頼をすることができた。
他にもギルドや冒険者だからこその特権などが重なり、多くの国々で特殊な地位を確立することができていたのだ。
とはいえ、今ユーストが受けている依頼は被害が出る前に森の魔物を間引くといったもので、これに関しては冒険者ではなく国が率先して行うことが多かった。
ドロップアイテムを回収し、一息ついたユーストは、虚空に向かって語り掛ける。
「それで……いつまで見てるんだい?」
「――――ハハハ、素晴らしい」
突如、空間に闇が滲むようにして出現すると、そこから一人の男が姿を現した。
その男はフードを深くかぶり、表情が読めない。
この男こそ【魔神教団】の『神徒』――――≪鏡変≫のゲンペルだった。
ゲンペルは拍手をすると、ユーストに話しかける。
「一応、名乗っておこう。私はゲンペル。【魔神教団】の神徒だ。貴殿が≪無双≫のユースト・ホラーズで相違ないな?」
「……」
「ふむ……かなり警戒されているようだが、安心してくれ。私は何も貴殿と争いたくて来たわけではない」
「……何?」
ユーストにとって、【魔神教団】はウィンブルグ王国と魔王国の初めての会談の際、魔物を引き連れ、さらには魔王の娘であるルーティアを狙った存在であり、敵といっても過言ではなかった。
「僕に何の用だい? 僕は貴方に何の用事もないんだけど」
「フハハハハ! これはまた随分と嫌われたようだ。何、そう難しい話ではない。ただ、勧誘に来たのだよ」
「!?」
ゲンペルの言葉にユーストは目を見開く。
「我々は常に人材不足でね。特に最近は謎の存在により、どんどん数が減っていると聞く。一から育て上げるのもいいが、即戦力となる人物が欲しいのだよ。そう――――貴殿のような」
「……」
「突然の提案に困惑しているだろうが、安心してほしい。貴殿は選ばれたのだよ、新たなる人類の一員として!」
「新たなる人類?」
聞きなれない単語にユーストは首をかしげると、ゲンペルはどこか酔いしれた様子で続ける。
「そうだとも! 今、数多の世界で生きている存在は魔神様だけでなく、恐れ多くも魔神様に歯向かった偽神の力も加わり、生み出された。だが、その旧時代の残骸どもは魔神様を偽神に売り、結果として魔神様は封じられ、旧時代の残骸が世にのさばることになった。しかし、我々が魔神様を再び降臨させることで、そのすべてが浄化される! 旧時代の残骸は滅び、魔神様による新たな時代が来るのだ! その栄えある新人類の一人として、貴殿を迎えると言っているのだよ!」
「なるほどね……つまり、貴方たちの信仰している魔神とやらが復活すれば、今を生きている人々は消えちゃうわけだ」
「そうだとも。それに、もう魔神様は復活された。あとは力を蓄え、万全を期して世を平定するのみ! さあ、我らの下に来るのだ」
「遠慮するよ」
「……何?」
飄々とした態度で、ユーストはそう言い切った。
「僕は君たちが何を信仰していようと構わないし、興味はない。でもね、今を必死に生きている人々を消すだなんて……そんな考えにはとても賛同できない」
「何故だ? 人々は争いを繰り広げるだけではないか。この星だけではない。はるか遠い宇宙の果てや次元を超えた先でさえ、争いは続いている。それは何故か。簡単なことだ。人類は欲にまみれ、あたかも魔神様が生み出した尊き大地を、星々を、自らの領土だとのたまう。この世のすべては魔神様の物だというのに……。だが魔神様が再び頂点に立つことで、すべての権利は魔神様の物になる。新人類の時代となればもはやそのような争いはなくなるのだ」
「でもその争いの原因を作っているのも貴方たちだ。貴方たちだって僕らと同じ、その旧時代の残骸であることには変わりないよ。貴方たちのせいで、不要な争いが行われている」
「いいや、違う。我らの行いは争いではない。選ばれぬ者どもを粛清しているだけだ。ただ、それを受け入れぬ愚か者どもが抗うが故に、結果として争いになるのだ。選ばれなかった者どもはただ、下される裁きを受け入れればいい。それこそが、欲にまみれた肉塊の末路に相応しいのだ」
「なら、なおさら僕は貴方たちの考えには賛同できないね」
「なんだと?」
「勧誘しに来た割には、僕を――――いや、冒険者ってものを理解していないみたいだね」
ユーストはゲンペルに対し、力強い視線を向けた。
「僕たち冒険者は、欲望に生きているんだ。……ギルド本部の人たちとか特にすごいけどさ」
ユーストはテルベールのギルドの面々を思い出しながら、つい苦笑いを浮かべた。
「何かを求めるのは必ずしも悪いわけじゃない。もちろん、人の世を成立させるうえでダメなものは裁かれるべきだだけど……本当にあそこのギルド、なんで裁かれないんだろう? と、とにかく、人には多かれ少なかれ欲ってものはあるはずだ。僕は人並みではあるけど、この欲ってものは嫌いじゃないんでね。世の中理不尽なこととかたくさんあるけど、欲もなく、何事もない世界で生きることって果たして生きてるって言えるのかな?」
「この世界の人間は、かつてそれを望み、魔神様の庇護を求めた。今更何を言う?」
「……確かに、僕らの祖先は楽な道を選び、結果として神々から捨てられてしまった。だからこそ、僕らは本当の意味で生きるってことを知りえたんだよ」
「理解できんな。所詮貴殿の言葉は綺麗ごとにすぎん。捨てられた結果、本来は必要のない理不尽を受けることになったのだ。そしてその理不尽を受けた者は、世を恨み、破滅を望む。貴殿の言う生きる、という実感を手にしたことでな」
「そうかもね。でも、少なくとも今の僕には欲望は必要なんだ。だから、悪いけど貴方の提案には乗れないよ」
はっきりと告げるユースト。
それを受け、ゲンペルはしばらくユーストのことを見つめていたが、やがてため息をついた。
「はぁ……やはり、貴殿も彼らと同じ事を言うのだな」
「彼ら……?」
「他のS級冒険者たちだよ」
「!?」
「彼らもまた、新人類の一員として選ばれたにもかかわらず、それを拒んだ。私としては、素直に仲間となってくれればよかったんだが……全く、冒険者という者たちは理解できん。おかげで実力行使をさせてもらった。結果、ほとんどのS級冒険者は我らの下に降ることになったよ」
「なっ!?」
ユーストはゲンペルの言葉が信じられなかった。
もしゲンペルの言葉が本当なのだとすれば、すでにほとんどのS級冒険者は【魔神教団】の手に落ちたことになる。
それは彼らの実力をよく知るユーストにはとても信じられることではなかった。
「……本当ならここで見逃すはずだったけど、そうもいかないみたいだね」
「見逃す? おかしなことを言う。それは強者が口にしていい言葉だ。弱者の言葉ではない」
「そう? なんだっていいけど、貴方はここで倒させてもらうよ……!」
S級冒険者たちのことを知るためにも、ユーストはゲンペルを倒さなければいけなくなった。
そして、ユーストは≪無双≫と呼ばれるだけの実力を有した最強のS級冒険者である。
そのことを普段は控えめなユースト自身も理解しており、負ける気はなかった。
だが――――。
「ハアッ!」
「やはり最強のS級冒険者と言われるだけあるな」
「なっ!?」
なんと、ゲンペルはユーストの攻撃を避けるそぶりすら見せず、そのまま受けた。
結果、ユーストの剣は簡単にゲンペルの体を切り裂き、二つに分かれる。
「何が……」
「どうした? 今ので終わりか?」
「!?」
慌てて声のする方に視線を向けると、そこにはたった今斬り倒したはずのゲンペルが、何事もなかったかのように立っていた。
しかも切り殺したゲンペルの死体は残っているのである。
この不思議な状況の中、ユーストはすぐに冷静になると剣を構えなおす。
「どういうカラクリか知らないけど、貴方が何度でも復活するなら、復活出来なくなるまで殺すだけだよ。見たところ、戦闘は素人みたいだし」
ユーストのいう通り、ゲンペルの身のこなしは戦闘慣れしている人間の動きではなく、そんな人間が何回生き返り、何人現れようともユーストは負ける気が全くしなかった。
「ハハハハハ! 確かに、私は戦闘がそんなに得意ではない。それこそ、≪無双≫を相手にできるなど思ってもいないよ」
「ならこのまま降参するかい?」
「まさか! 貴殿の異名通り、並ぶ者がいないのだとすれば、用意すればいい」
「? いったい何を――――」
ユーストが言葉を紡ごうとした瞬間だった。
ゲンペルの隣に、徐々に闇が集まっていく。
それはどんどん形を成していき――――。
「そんな……馬鹿な……!?」
「さて、≪無双≫殿――――お別れだ」
◇◆◇
「やはり、S級冒険者は素直に仲間にならぬな」
目的を達成したゲンペルは、また新たな目的を達成すべく、別の場所に来ていた。
「本当ならば向こうの意志で魔神様への忠誠を誓えばよいのだが……こればかりは仕方がない。あれはあれで、扱いが楽だからな」
ゲンペルはユーストとの会話で言っていた通り、すでにほとんどのS級冒険者と接触し、目的を達成してきた。
「ユティスも魔神様のご命令で戦力を補充しているようだが、それでも手が足りぬだろうからな。本来ならばデストラやヴィトールにも手伝わせたいところだが……ううむ」
ゲンペルとしては、デストラやヴィトールがやられたとはなかなかに信じられなかったが、ユティスから聞いていた話通りなら、もうやられている可能性が高かった。
「……我らの脅威となりえる存在か。ユティスですらその正体を掴めぬとはな……だが、この世界に存在する強者といえば、≪剣騎士≫や≪魔聖≫、それにS級冒険者くらいだ。だが、S級冒険者にヴィトールやデストラを倒せるとは思えん。≪魔聖≫に関してもユティスが種を植えたと言っていたが……≪剣騎士≫がそこまで強い存在だったのだろうか?」
考えれば考えるほど謎が深まる中、ゲンペルはため息をついた。
「はぁ……まあいい。可能性のあるS級冒険者どもをこうしてこちらに引き入れることで、脅威の排除と戦力補充の二つを同時に行えるわけだ。これでユティスの負担も少しは軽くなるだろう」
しばらく歩き続けていたゲンペルは、目の前に待ち構えていた人物に声をかける。
「というわけだ。残るは貴殿だけだな――――≪雷女帝≫よ」
「……」
最後のS級冒険者――――≪雷女帝≫エレミナ・キサ・ウィンブルグは、険しい表情でゲンペルと対峙した。
「どうやら貴殿は、私たちのことを随分と熱心に嗅ぎまわっていたらしいな?」
「……ええ、そうよ。貴方たちのことをたくさん探ったわ」
「ならば話がはやい。どうだ? 我々の仲間にならないか?」
ゲンペルの提案に対し、エレミナは微かに目を見開くと、すぐに笑みを浮かべる。
「フフ……私が貴方たちを探っていたことは知ってるのに、その理由は知らないのね」
「ん?」
「私は、貴方たちを止めるために動いているのよ。だから、貴方もここで終わり」
「はぁ……貴殿もまた、我らの崇高な思想を理解できんのだな……まあいい。その余計な意識は不要だ。貴殿もまた、我らの礎として働いてもらうのみだ」
「好き勝手言ってくれるわね……!」
エレミナはそう言いながら右手に雷を纏わせると、地面に叩きつける。
「『雷針柱』!」
するとエレミナが手をついた位置から鋭い雷の柱が次々と地面から発生し、ゲンペルまで向かっていく。
その技はバーバドル魔法学園で行われた校内対抗戦にて、エレミナの息子であるロベルトが使用したものと同じ魔法だったが、その規模も威力も段違いだった。
だが、ゲンペルはそんな魔法を前にしてなお、余裕の態度を崩さない。
「素晴らしい! ユースト・ホラーズや他のS級冒険者といい、貴殿らは魔神様の駒として使うだけの価値がある!」
「っ……消し飛びなさい!」
さらにダメ押しと言わんばかりにエレミナは追加で『雷雨』という上空から雷を降らせる魔法も発動させた。
そして、ゲンペルはエレミナの魔法をもろに受け、一瞬にして体が消し炭となる。
「……その力、どういうことかしら」
「――――ハハ、気になるかね?」
確実に消し炭になったはずのゲンペルは、その死体らしきものの背後から何事もなかったかのように無傷のまま、再び姿を現した。
「まあ我らの仲間になるのなら、これから先も見る機会はあるだろう。大人しく我々に降るがいい」
「どういう力か知らないけど、それで勝った気? ――――『雷神装』」
エレミナは全身に雷の鎧を纏うと、鋭い視線をゲンペルに向ける。
「貴方には聞きたいことがたくさんあるわ」
「そうか。私は特にないがね」
「ッ!」
エレミナは魔法の力を用い、ゲンペルへと攻撃を仕掛けるのだった。




