湯煙凶刃事件
「ああ……いい湯だ……」
俺は早速、宿の温泉に来ていた。
もちろん、ここは男湯であり、守神さんの言葉通り俺の他には誰もいない。
「そういや、守神さんって男性なんだろうか? 女性なんだろうか?」
声の質も見た目も、とても中性的なので、実はよく分かっていなかった。
まあ、性別なんて大きな問題でもないか。
普通に考えれば、男性だろうが女性だろうが、話すときに気を付ける話題なんて、相手を不快にさせないものなんだから。
それさえ守れば、別にどうってことはない。
「それにしても……気持ちがいいなぁ……」
聞いていた通り、この温泉は非常に水質がいいようで、さっきから肌がツルツルすべすべになってる。
それに、景色もよく、ウミネコ亭のジャグジーでは海を一望できたのに対し、こちらは山を一望できる造りになっていた。
この国の気候がどうなっているのかは分からないが、山の木々は青々としており、非常に清々しい。
これ、もし秋とか冬なんて季節感があるのなら、秋は紅葉を見ながら入れるし、冬は雪見風呂ができるのか。最高じゃねぇか!
「俺はまだ、お酒を飲める歳じゃないからあれだけど、大人はこの状況でお酒を楽しむんだろうなぁ」
まあでも、お風呂でお酒は危ないって言うんで、地球でも最近はしなくなってたみたいだけどね。それでも憧れはある。
「ここ、また父さんたちを連れてこよう。父さんと母さんにも楽しんでもらいたいし」
せっかくこの異世界でもう一度父さんたちと過ごせるようになったんだ。少しでも親孝行がしたい。
父さんとお風呂に入る機会なんてほとんどなかったし、一緒に入るのも楽しそうだ。
「はぁ……まあ、あまり楽しんでいられる状況でもないんだろうけどなぁ……」
ただ、今の俺は純粋に楽しむには少し危険な状況にある。
まさか大和様がマジもんの神様みたいな能力を持っていて、それを狙った連中を相手にしないといけないのだ。
「まったく、無粋だよなぁ。そんなものより、こうして静かに、のんびりと風呂に入る方が絶対いいのに」
大和様の話を聞いて、神様みたいな力なんてロクでもねぇなと、つい思ってしまった。
もちろん、何でもできるのはすごいと思うけど、そんなものより目の前の小さな幸せ……まあその幸せが難しいんだが、それを大切にする方が俺の性にあってる。元々小市民なんでね。
ゆったりと温泉を楽しんでいると、隣の温泉……つまり、女湯から声が聞こえてきた。
「誠一! 聞こえるー?」
「ん? サリアかー?」
「うん! こっちの温泉、とても広いよ! そっちはどうー?」
「こっちも広いぞー。それに、一人で貸し切りだ!」
「そっかー! じゃあ、私もそっち行くー!」
「おう、いいぞ――――ってちょっと待てぇぇええい! それはまずい! ここは混浴じゃないんですよ!?」
「ええー? でも、ウミネコ亭でも一緒に入れなかったし、一緒に入りたいなー」
「うぐっ」
な、何て恐ろしくも魅力的な提案なんだ……!
しかし、ここは混浴ではなく、ちゃんと男女別に分かれている場所である。
家族風呂や混浴ならともかく、宿のルールを破るのはよろしくない。
ここは男らしく、きっぱり断らなければ!
「だ、ダダダメだぞぉ、サササササリア!」
「テメェはもう少し自制しろ!」
「ごめんなさい!?」
アルの鋭いツッコミが隣から聞こえてきた。いやはや、面目ない。多感なお年頃なので。
何とかサリアの魅力的な提案を乗り切り、再び一人でお風呂を楽しんでいると、隣から非常に楽し気な声が聞こえてくる。
「アルー! 背中流してあげる!」
「え? いや、別に……」
「いいからいいからー!」
「おいおい! ったく……じゃあ、オレも後でサリアの背中を洗ってやるよ」
「やったー!」
「……すごい」
「ん? どうした? オリガちゃん」
「……アルトリアお姉ちゃんのお胸、おっきい」
「どこ見てる!?」
「で、でも、アルトリアさんの胸、確かに大きいですよね……」
「おおー、確かに! アルの胸すごいねー」
「ちょっ……さ、サリア!? な、何でさわっ……」
「……サリアお姉ちゃんも大きい。いいな」
「そう? オリガちゃんも大きくなるよ!」
「……楽しみ」
「そ、それは……んん! い、いいから……む、胸を、揉むな……!」
「ええー? だって気持ちいいんだもん」
「だ、だもんじゃ……ちょっ……やめっ……!」
「そういえば、ルルネさんも胸が大きいですよね」
「……ん。食いしん坊のくせに生意気」
「何だと!? 何がいいのだ、こんなもの」
「…………生意気」
「なっ!? お、オリガ! 私の胸を……ん!?」
――――俺は、鼻血を流しながら温泉に浮かんでいた。
し、刺激が強すぎる……!
ちょっと無防備すぎやしませんかねぇ!? お隣に一応、俺がいるんですよ!? もしかして、異性としてすら意識されてない!? 泣いていい?
「ハッ!? 思わず冥界にもう一度行くところだった……」
何とか正気を取り戻した俺は、頭を振る。
「も、もう上がるか。このままだとのぼせちゃいそうだ……」
温泉とは別の意味でね!
何だか温泉とは別の意味で体が火照る中、部屋に戻ろうと立ち上がった瞬間、不意に人の気配を感じた。
「ん?」
一瞬、守神さんかな? と思いながら振り向くと……そこには、何故か温泉だというのに全身ローブ姿で、顔に鬼のお面をつけた謎の集団が。
「……」
「……」
お互い目が点になり、見つめ合う。
そして――――。
「いやああああああああっ! エッチいいいいいいいいいいい!」
「コイツだ! 殺せえええええええええ!」
俺が叫ぶと同時に、謎の集団は容赦なく襲い掛かってきた!
「ちょっ!? ここ温泉ですから! 服脱いで!?」
「何を訳の分からんことを……早く殺せ!」
「おっかねぇなあ、おい!」
この場合は俺の方が正しいんじゃない? 温泉だよ? なんで服着てるの。
武器も服もアイテムボックスの中にあるとはいえ、温泉であることに意識が向きすぎて、裸のまま相手の攻撃を避けるという、傍から見ると非常に間抜けな状態に。
すると、隣の温泉にいるサリアたちから声がかかった。
「誠一!? どうしたの!?」
「な、何かよく分からん連中に襲われてる!」
「ええ!?」
そんな会話をしていると、謎の集団のリーダーらしき男が忌々し気に舌打ちをした。
「クッ! せっかく里を見つけ、入れたというのに……! 何をもたもたしている! 早く殺さんか!」
「そ、それが……こちらの攻撃が気持ち悪いくらいに当たらないのです!」
「御託はいい! そこで我らを挑発するかのように揺れている逸物を切り落とせ!」
「ひいいいいいい!?」
今あの人、俺のアソコ切り落とせって言った!? 確かに裸だからぷらんぷらん揺れてますけど!
生殖行為はともかく、排せつ時にはまだ使用するから取らないで!?
「くぅ! あ、当たらん!」
「忌々しい! それは自慢か!?」
「我らのを暗にコケにしているのか!? 確かに貴様は規格外だが、我々だって……!」
「アンタら何者!?」
俺を殺しに来たんじゃねぇの!? 何で俺のアソコを品評してんだよ!
別に自慢してるわけでもなく、アンタらがただお風呂入ってる最中に襲ってきたのが悪いんだからね!?
「……敵ながらなんと豪胆な……我々にその規格外さを見せつけつつ、同時に弱点を狙われてなお、逃げ切れる自信があると言うのか……!」
「んなこと考えてねええええええええええええええ!」
もうヤダ、この人ら!
多分、この人らが守神さんや月影さんが警戒していた敵の襲撃者なんだろうけど、そろそろそれが不安に思えてくるような発言の数々ですよ!?
「とはいえ、このままやられるわけにはいかねぇ……!」
「なっ!? ――ガハッ!?」
俺は一番近くの襲撃者の一人に近づくと、軽く腹に触れる。それこそ、羽毛で撫でるくらいにつもりの力である。
しかし、それだけで相手は面白いように吹っ飛んだ。
「こ、コイツ!」
「悪いけど、まだ温泉を楽しみたいんでね!」
俺は最初の一人を皮切りに、どんどん襲撃者たちを倒していく。
もちろん、俺の中でできる限り最大限手加減しているが……果たして手加減できているのか怪しい。スキル【無間地獄】の効果で死ぬことはないだろうけどさ。
次々と俺のことを……否、俺のアソコを狙って攻撃してくる襲撃者たちを千切っては投げ、千切っては投げの勢いで倒していくと、ついに残るはリーダー格の男だけとなった。
「残るは貴方だけですよ?」
「くぅ……こ、こんな裸男に……!」
「アンタらがここを襲ったんだからね!?」
裸なのは俺のせいじゃねぇよ! いや、服着ろよと言われればそれまでだが、ここは温泉。そんな無粋な真似できませんとも。ただのポリシーです。
すると、リーダーは顔を俯かせ、静かに笑う。
「ククク……まさか、ここまでの実力者だったとは思いもしなかったぞ……いいだろう。こうなれば、この俺と貴様で決着をつけようではないか」
「ああ、もちろ――――」
「俺の凶刃と、貴様の凶刃のなあ!」
「何の話だああああああああああああああああ!」
リーダーは俺のアソコ目掛けて、その手にしたナイフ……ではなく、短刀? を振るってきた!
コイツ、本当に自分の武器と俺のアソコで決着つけようとしてるの!? バカなの!?
「獲った……!」
「しまった!?」
しかし、あまりにもバカすぎるというか、予想外すぎる相手の行動に、ついつい避けることを忘れていた俺は、相手の攻撃を許してしまう。
そしてついに、俺のアソコに相手の刃が……凶刃が届いた!
「この凶刃の勝負……俺の勝ちだああああああああああああ!」
「いやあああああああああっ! やめてえええええええええええええ!」
つい女の子のような声を上げる俺。
だが――――。
パキン。
「なあっ!?」
「へ?」
俺のアソコに触れた凶刃は、文字通り砕け散った。
それと同時に、当然のように無傷の俺のアソコ。
自身の手の中で粉々になった武器を見つめ、呆然とする男。
そして、リーダーの男は静かに膝をついた。
「俺の負けだ……まさに、凶刃……」
「アンタらバカだろ!?」
もう何の話をしてるのか分かんねぇよ。俺の命を狙ってたんじゃないんかい。いや、ある意味男としての命を奪いに来てたけど!
ていうか、よくよく考えれば、なんでこんな状況に限って武器が俺のことを攻撃するのを嫌がらなかったわけ!? 冗談抜きでアソコがヒュンってしたよ!?
カイゼル帝国の兵隊たちを相手にしたときなんかは、勝手に自滅するような状況になったのに、今回は普通に戦うことになったのだ。
その差が分からずに首を捻っていると、脳内アナウンスが聞こえてきた。
『この戦いは、文字通り男としての格を見せつける戦いですので。さすが誠一様。ご立派でございます』
「この世界はバカしかいねぇのか!?」
ご立派でございますじゃねぇよ! 何? 襲撃者ってこんなんばっかなの? 大丈夫? 黒幕の人、雇う人間違えてない?
「負けは負けだ。好きにしろ」
「えっと……それじゃあ、少し眠っててもらいますね」
「がっ!?」
もう色々面倒くさいし、何より逃げ出さない保証もないので、一応リーダーの男も気絶させた俺。
襲撃者全員気絶している中、何とも言えない表情で立ち尽くしていると、更衣室の方が慌ただしいことに気付いた。
そして――――。
「誠一! 大丈夫!?」
「大丈夫か!? 誠一!」
「へ?」
サリアとアルが、必死の形相で駆け込んできたのだ――――裸で。
「「「……」」」
無言で見つめ合う俺たち。
サリアはきょとんとした様子だが、アルは何が起きているのか分からないといった表情から、徐々に視線が下に行き――――。
「な……なあ……!?」
「ぶはあああああああああああああ!」
「せ、誠一いいいいいいい!?」
最後に、顔を真っ赤に染めるアルを視界に収めつつ、俺は鼻血を吹き出しながら再び温泉に浮かび上がるのだった。




