魚
レストランの店員さんから湖での釣りを勧めてもらった俺たちは、釣具店で各々の気に入った釣り竿を買った後、目的地である湖に辿り着いた。
湖は、さすがに地球の琵琶湖ほどの大きさはなく、見渡せる程度の大きさだったが、地球で見かけるようなゴミが浮いていることもなく、綺麗そうだ。
水が透き通ってるということはないが、確か透き通った水って実は栄養がないって何かで聞いたことあるし、この場合は多少濁って見えるくらいがいいんだろう。よく知らないが。
それはともかく、店員さんの話では、道中魔物も出る可能性があるってことだったが、運よく遭遇することはなかった。
まあ、観光地の一つに数えられてるくらいだし、日ごろから周辺の安全を確保するために冒険者が動いていたりするのかもしれないな。
ただ……。
「見事に人がいないな」
「そうだねぇ」
湖に着いたはいいものの、俺たち以外には人の姿が見えなかった。
「うーん……観光客はいなくても、サザーンに住んでる人の姿くらいはあると思ったんだけどなぁ」
「それこそ無理なんじゃねぇか? オレらが運んできた『ヘブン・パウダー』を死ぬほど求めてたみたいだしよ」
「……そうだった」
アルの言葉に、俺は思わず納得してしまった。
普段なら人の姿もあったのだろうが、この時期に限っていえば、皆『ヘブン・パウダー』を求めることに必死になっているか、普通の仕事しているかの二択だろうしな。
「あ! あれって何ですか?」
「ん?」
湖を見ていると、ふとゾーラが何かを指さした。
「ああ、あれか。あれはボートだな」
「湖に浮かんでますけど、何するものなんですか?」
「あの上に乗って、水の上を移動するんだよ。オールっていう手で漕ぐための棒を使ってね」
「そんな乗り物があるんですねぇ」
ダンジョンで暮らしてきたゾーラにとって、地上で見るものすべてが新鮮なんだろう。
その目は光を反射する湖のようにキラキラ輝いていた。
「それにしても、ボートも貸し出してるのか。しかも、無人で……」
よく見ると、ボートが泊まっている場所には看板と何やら募金箱のようなものが置かれており、ボートを使いたい人はあの集金箱にお金を入れるんだろう。
日本では野菜の無人販売所だったり、神社の賽銭箱だったり無人のお金を入れる場所は多々あるが、こんな異世界でも目にするとは思わなかった。
というのも、この世界は地球とは比べ物にならないほど治安が悪い。
盗賊なんて連中もいれば、魔物もいるのだ。
そんな世界で無人販売を行うなんて、普通なら考えられないんだが……。
「ここでは成立してるんだろうなぁ」
「ま、ここは特殊だろうさ。それこそ王都と同じくらいにな」
俺の呟きに、アルがそう言った。まあ、治安がいいのはいいことだ。
思わず感心していると、先ほどからソワソワしているルルネが、ついに耐え切れなくなった様子で俺の服の裾を引っ張った。
「あ、主様……」
「ん? どうした?」
ルルネに顔を向けると、ルルネは目を潤ませ、どこか情けない様子で俺を見上げる。
「その、早く魚を捕まえて食べたいのですが……」
「昼飯食ったばっかだろ!?」
レストランで食事してから一時間も経っていないというのに、ルルネはそう口にする。コイツの腹はどうなってるんだ。
ルルネの言葉に驚きながらも呆れていると、オリガちゃんが口を開いた。
「……食いしん坊の意見に賛成じゃないけど、私も釣りしたい」
「確かに、ここで話すために来たわけじゃねぇもんな。おら、早速やろうぜ?」
「そうだな」
アルにも促され、俺たちは各々準備を始めた。
釣具店ではただの木の棒に糸と針をつけただけのような粗末なものから、それこそどう作ったのかさえ不明なアシスト式の最新の釣り竿まで、幅広く取り扱っていた。
アシスト機能が付いているのは、どうやら魔道具の力らしく、その釣り竿は無駄に高かった。なんせ、金貨5枚だ。俺たちが泊っているスイートルームにすら泊まれてしまうぞ。
しかし、俺としてはそんな最新式の釣り竿が欲しいわけでもなく、普通にのんびり釣りができればそれでよかったので、そこそこいい素材で作られた釣り竿を購入していた。というより、皆同じものを買ったのだ。
ロッドの造りなんかは地球でよく見た釣り竿と何ら変わらないが、素材自体は地球にはない【竹石】っていう不思議な鉱物が使われているらしい。
何でも、負荷がかかってもそう簡単に折れず、よくしなる素材で、釣り竿にピッタリなんだとか。この不思議素材が地球にあれば、色々な場所で活躍しそうだな。パッと何に活躍できるか思いつかないけどさ。
餌は定番のミミズなんかも売っていたが、実は釣具店の店員さんにおススメされた餌を半ば強制的に売りつけられたんだよな。
餌としては、ミミズや虫なんかとは比べ物にならない最強の食いつきを発揮するって話なんだが……。
中身すら確認する間もなく流れるように会計を済まされたので文句を言う暇もなかったが、大丈夫なんだろうか? まあホテルの従業員が教えてくれたお店だし、そうおかしなものを押し付けてくるとも思えないけどさ。
早速アイテムボックスに入れていた餌を取り出し、『上級鑑定』を発動させた。
【ヘブン・パウダーの練り餌】
「おいいいいいいいいいいいいいいいい!?」
ここに来てもあの粉か!? どこまであの粉を使うんだ!?
この街は魚までシャブ漬けですか!? いや、実際は調味料ですけども!
手にしている練り餌に戦慄していた俺だったが、すぐにあることに気付き、急いでルルネの方に視線を向けた。
「ん? 何だ? この餌。妙に美味そうな匂いがするが……」
「ストオオオオオオオオオオップ!」
「あ、主様!?」
ルルネは俺の予想通り、練り餌に鼻を近づけ、その匂いを嗅いで食べようとしていた。油断も隙もありゃしねぇ!
「る、ルルネ! さすがに魚の餌を食べるのはどうかと思うぞ!?」
「で、ですが主様。この餌、とてもいい匂いが……」
「お前がそれを食ったら、魚が釣れないぞ? そうなると、お前が楽しみにしていた川魚が食べられなくなるが、いいんだな?」
「そ、それは困ります!」
ルルネは俺の言葉を受け、どこか未練がましく練り餌を見つめていたが、やがて諦めた様子で針に付け始めた。セ、セーフ……!
無事、ルルネが釣り糸を湖に垂らす様子を確認し終えた俺は、改めて手にしている練り餌に目を向けた。
……これ、使って大丈夫なんだよな? 間違って人間が釣れたりしないよね?
本格的にあの街が心配になっていると、一足先に釣りを始めていたサリアが駆け寄ってきた。
「誠一ー! 見て見てー!」
「ん?」
「じゃーん! 大きい魚釣れたー!」
「おお! すごいな!」
サリアの手には、銀色の鱗が眩しく光る、立派な魚があった。
鑑定した結果によると、【クェーク】という異世界独自の魚で、街では普通に食べられる魚らしい。
ただ一点気になるところがあるとすれば……。
『クケケケケケケ』
どう見ても魚の目がイッちゃってません!? 変な鳴き声まで聞こえるし! つか、魚って鳴くか!? 普通!
ツッコミどころしかない魚の様子に、ますます俺の手にしている練り餌に対する不安が募っている。
だが、鑑定の結果によると、この魚が練り餌の効果で食べると俺たちの体に害を及ぼすことになることはないようだ。信じられねぇほど魚が狂ってますけどね!
だってあのじっと見つめてくるような目が特徴的な魚が、一目見て快楽に溺れたように黒目が半分上を向いており、口からは涎のようなものまで見えるのだ。意味が分からない。
魚の様子にドン引きしていると、サリアは笑顔で続ける。
「釣りって楽しいね! 森にいた時みたいに素手で捕まえた方が早いけど、これは面白い!」
言われてみれば【果てなき悲愛の森】にいた時、サリアは俺のために魚を素手で捕まえてくれていたのをふと思い出した。
やはり、サリアにとっては素手で捕まえるほうが簡単なんだろうな。ゴリアの時に素手で捕まえるのは違和感がないが……今のサリアが素手で魚を捕まえたら、絵面がとてもシュールなことになりそうだけど。
「でも、アルの方がすごいよ!」
「え?」
「ほら、アレ!」
サリアが指した方に視線を向けると、釣りをしているアルの姿が。
ただ、俺の知ってる釣りとは様子が違っていた。
何故なら――――。
「コイツも大きいな。んじゃあ、もういっちょ……って、もう釣れた……」
アルが糸を垂らせばその瞬間魚が食いつき、釣れるのだ。まさに入れ食い状態。
唖然とその光景を見つめていると、俺の視線に気づいたアルが、困惑した表情を向けてきた。
「なあ、誠一。さっきからポンポン魚が釣れるんだが……これが普通なのか?」
「い、いや、そんなことはないと思うけど……」
「だよなぁ……どうなってんだ?」
首を傾げるアルだったが、何となくその理由に思い当たった。
俺と出会う前のアルは、それこそ『災厄』なんて二つ名がつくほど、運が悪かった。
その運の悪さは周囲にまで影響を及ぼすため、アルは王都テルベールから自由に動けなかったのだ。
詳しくは知らないが、アルの知り合いの冒険者がテルベールに結界を張っているらしく、それのおかげでテルベールではその不運さが抑えられていたらしい。
実際、アルは称号の効果でステータスの運の数値がマイナスに振り切っていたくらいだ。
だが、黒龍神のダンジョンで遭遇した宝箱を倒し、手に入れたアイテムの効果で、称号の効果が打ち消され、今までの不運がウソのような、とんでもない運の数値を手に入れたのだ。
しかも、それは俺と一緒に色々なダンジョンを巡る前の話。
今のアルは、『超越者』と呼ばれるような、レベル500を超えた存在なので、ステータスの運もどれほど成長しているのか分からない。
だからこそ、今の入れ食い状態も何ら不思議ではないのだが……。
「ぐぬぬ……釣れん! 何故釣れんのだああああ!」
「……食いしん坊、うるさい」
「あ、あははは……あ、糸が引いてます!」
「……ん。じゃあ竿を上げよ」
アルが釣り無双を繰り広げる横で、ルルネはまさに坊主状態。何て対極的な……。
それに対して、ルルネの近くで二人一組で釣りをしているオリガちゃんとゾーラは、見ているこちらが和んでしまうほど、ほのぼのとした状態で適度に魚を釣り、楽しんでいた。二人とも楽しそうで何よりだ。
皆の様子を見ていると、サリアが首を傾げる。
「誠一はしないの?」
「ん? いや、そろそろしようと思ってるよ」
「そっか! 誠一なら、すごいのが釣れそうだね!」
「いやあ、どうだろうなぁ」
何せステータスが家出して帰ってこないので、運も何もあったもんじゃない。ほんとどうなってんの? 捜索願出した方がいい?
ひとまず練り餌に不安こそあるものの、いつまでも気にしていたら何もできないので、俺も意を決して釣りを始めた。
一度糸を垂らしてしまえば、そこからは特別葛藤するようなことも……いや、あの目がイッてる魚を見るとダメだな。
ボーっと水面を見つめながら、のんびり釣りを楽しんでいると、俺の垂らした糸についていた浮きが沈んだ。
「お、何かかかったな」
俺は浮きが沈んだところで、軽く竿を振り上げた。
ドッパアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアン!
「「「「「「……………………」」」」」」
それは、巨大な魚だった。
まるで龍のようにスリムで、分厚く、大きな白銀の鱗に覆われている。
顔も龍のような、いや、鰐? サメ? とにかく、凶悪な歯がびっしりと並ぶ巨大な口を持っている。
どう見ても湖よりでかいその魚を前に、俺が竿を振り上げたことで、宙に投げ出されていた。というより、釣り上げられた魚の方も目が点になってる。まさに、釣り上げられるなんて思ってもいなかったかのような顔だ。
唖然としながらも、俺はつい『上級鑑定』を発動させた。
【真・バハムートLv:10000】
バハムートだとおおおおおおおおおおおお!?
しかも『真』ってなんだ、『真』って!
でも逆に納得できてしまった。
だってどう見ても湖よりデケェもん! どこにその体が収まっていたんだ!?
それに、レベルがどう見てもおかしいじゃん! ゲームだとラスボスどころか裏ボスクラスじゃない!? 何でこんな湖にいるの!? 勇者どころか周囲にはヤバい粉の中毒者しかいませんよ!?
っていうか、今の糸の引き、どう考えても小魚クラスの引きだったと思うんですけど!? 少なくとも湖より大きい魚の引きじゃねぇ!
特に大きな当たりって感じでもなく、普通に釣っちゃったよ? それこそ何の抵抗もなく釣れたからね!?
あれか? 俺の力がおかしいから簡単に釣れたのか!?
色々ツッコみたいことはある。
だが、先に一つ言わせてくれ……!
「お前、淡水魚かよ!?」
「触れるとこおかしいだろ!?」
俺のツッコミに、アルがツッコんだ。
いや、アルさん。そうは言うが、俺としてはバハムートなんてゲームではラスボスっぽいポジションを任されちゃうような魚が、湖にいるなんて考えられないんですよ。
それこそ海の奥底とかにいそうな雰囲気じゃん。偏見なのは認めるけども。
未だに俺に釣り上げられたことが信じられない様子の真・バハムート。本当に真って何だ……。
空中で呆然としているバハムートを見上げていると、そんなバハムートの顔面に蹴りが突き刺さった!?
「バアアアアアアアハアアアアアアアアアムウウウウウウウウウウウウウウトオオオオオオオオオオオオオオ!」
「グギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!?」
ルルネの蹴りは、超巨大なバハムートを容易く吹き飛ばした。
しかし、ルルネはバハムートが吹き飛んだ先で落下することすら認めず、一瞬にして吹き飛んだ先に先回りすると、再び蹴りを叩き込む!
「私は! 貴様を! 食らう! この日を……! 待っていたぞおおおおおおおおおおおおおお!」
「ギャッ!? グゲ!? グゴォ!? グギュ!? グゲゲゲゲゲゲゲゲゲゲゲゲゲゲゲゲゲゲゲゲゲ!」
蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る!
それはもう、怒涛の勢いで蹴りを放ち続けるルルネ。
「私の……糧になれええええええええええええええええええええええええええええええ!」
「グゲラアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!?」
最後に強烈な一撃をバハムートに叩き込むと、バハムートは再び湖へと叩き込まれた。
すさまじい水飛沫が上がり、まるで豪雨に晒されたような形で俺たちは頭から水を被る。
そして、水飛沫が落ち着くと、湖には完全KOされたバハムートが哀れにも浮かび上がっていた。
「ルルネちゃん、すごいねー」
『……』
水に濡れたにも関わらず、サリアはのんきにそんなことを言う。
すると、ルルネが誇らしげな表情で帰ってきた。
「さあ、主様。私はついにやってやりましたよ! 念願のバハムートです!」
「……」
「主様?」
「……ルルネ、晩飯抜きね」
「主様あああああああああああああああああああああ!?」
俺の無慈悲な一言に、ルルネは絶叫した。
いや、俺たちが濡れたのは……よくはないけど、まだいい。
でもさ。
「ルルネ、周囲を見てみ?」
「ふぇ?」
俺がバハムートを釣りあげた時でさえ、確かにとんでもない水飛沫が上がったが、湖に浮かんでいたボートはまだ無事だったし、なんなら周囲の木々にも影響はなかった。
だが、ルルネが再び湖に叩き込んだことで、湖に浮かんでいたボートは壊れ、周囲も滅茶苦茶な状況になっていた。
これ、どうすんの?
「……食いしん坊、さすがにない」
「え、えっと……くしゅん!」
「……ゾーラお姉ちゃん、大丈夫?」
「は、はい。いきなりだったので、少し体が冷えたのかも……」
「……やっぱり食いしん坊はダメ」
「だ、ダメ!?」
静かに怒っているオリガちゃんからの言葉もあり、ルルネはさらに目を見開く。
「あー……もうこの際ルルネの処遇はどうでもいい」
「どうでも!?」
アルの言葉に、ルルネはついにとどめを刺されたようで、動きが止まった。
「それより、この状況をどうするかだろ」
「まあ、ボートは普通に考えれば弁償だよなぁ……」
「ボートはまだいい。この周りをどうすんだよ……」
ルルネの蹴りの余波で、木々が滅茶苦茶になり、周囲の土まで大変なことになっていた。
「はあ……とりあえず、魔法で何とかしよう」
「できんのか?」
「まあ……ヴァルシャ帝国でカイゼル帝国の兵士たちを土地ごと海に投げ捨てた時、空いた場所の木々を魔法で戻したことがあるから大丈夫」
「まずその前例がぶっ飛んでることに気付けよ?」
大丈夫。気づいてる。あの時はノリと勢いでやったから、今となっては黒歴史ですけどね!
まるで灰になったように白くなったルルネを放置し、ひとまずバハムートを回収した俺は、魔法でできるだけ周囲の環境を元に戻しつつ、ボートのことを含めて謝罪するために街へと戻るのだった。




