死煙の見たもの
せっかくの親子の再会ということで、俺たちは二人から距離をとり、二人の様子を見守っていた。
もちろんたくさん話したいことはあるだろうが、そこはルーティアもお父さんも理解していたようで、ある程度の時間が経つと俺たちの下に近づいてくる。
「ルーティアから話は聞いた。改めて……余こそ、正真正銘、ルーティアの父親であり、現魔王であるゼファル・ビュートだ。娘の手助けをしてくれて、ありがとう」
そう言って頭を下げるルーティアの父親……ゼファルさんに、俺は慌てて口を開く。
「い、いえ! 俺の方こそ、力になれてよかったです!」
「そんな謙遜するでない。貴殿の力がなければ、余は夜王に取り込まれていた……そこで、貴殿の名を教えてもらえぬかな?」
「あ、柊誠一って言います」
「そうか、誠一殿……改めて、ありがとう」
真剣な表情でそう告げるゼファルさんに、ルーティアだけでなく、サリアたちも緊張した面持ちになる。
そうか……俺の魔法が間に合わなかったら、ゼファルさんはここにいないんだな。本当に間に合ってよかった。
ただ一つ、気になることがある。
それは俺にとって、とても大事なことだ。
これを聞かないと、モヤモヤして仕方がない。
「一つ、いいですか?」
「む。余で答えられることであれば、何でも答えよう」
俺の質問を真剣に答えるためか、気を引き締めた様子のゼファルさん。
そんなゼファルさんに訊きたいことは……。
「その――――もし取り込まれてたら、夜王は何て名前になったんですかね?」
「気になるところソコかよ!? てか縁起でもねぇ!」
俺の真剣な質問に、アルがすかさずツッコんできた。
確かに取り込まれていたらなんて縁起でもないかもしれない。
「でも気になるだろう?」
「いや、そう言われれば気になるけども、どうでもいいだろ!? ほら、もっと聞くべきこととかあるんじゃねぇのか!?」
「聞くべき……こと……?」
「マジかよコイツ!」
俺は別にこれ以外にゼファルさんに訊きたいことなんて何一つないんだが……逆にアルは何か聞きたいことがあるんだろうか?
そんな俺たちのやり取りを見ていたゼファルさんは、真剣な表情で頷いた。
「うむ。『全日王』とでも名乗っていただろう」
「なるほど……」
「アンタも答えるのかよ!? しかも超ダセェ!」
アルのツッコみが止まらなかった。
いやぁ……俺の予想では『昼夜王』とかかなって思ってたけど、『全日王』かぁ。ダセェな。いや、『昼夜王』もすさまじくダサいし、何ならネーミングセンスで俺が何かを言う資格はない。なんせ『コケコッコー』が魔法になるような人間ですからねぇ!
俺らの反応に頭が痛いと言わんばかりに額を押さえたアルは、大きなため息を吐くと真剣な表情をゼファルさんに向けた。
「はぁ……真面目な話をしますけど、ゼファルさんの中から本当に夜王は完全に消えたんですか?」
「ああ。それは問題ない。ちゃんと余がヤツの精神を飲み込みつくしたからな。心配いらない」
「ふむ……」
「アルトリア……?」
自信満々なゼファルさんの言葉を聞いて何かを考えているアルに対し、ルーティアが首を傾げながら声をかける。
すると……。
「念のためだ。誠一」
「ん?」
「ゼファルさんが本当に夜王のヤツを飲み込めたのか確認してくれ」
「俺が!?」
「できるだろ? いや、できる」
「断定された!?」
「ううむ……この世界に朝がやって来ただけでも驚きなのだが、その上本当に消えたかの確認までできるのか……誠一殿はよほど優秀なのだな」
「……ん。誠一お兄ちゃんはすごい。人間じゃない」
「オリガちゃん!?」
ちゃんと人間だから! ステータスにもそう書いて――――ってステータスはまだ家出中だったよ! ねぇ、どこまで行ってんの!?
「んん! まあ……果たしてそんなことができるかは分かりませんが、やってみます」
「まあ無駄な労力だとは思うが……よろしく頼む」
とはいえ、実際どうすればいいんだろうか。
また『魔法創造』のスキルで新たな魔法を生み出す必要があるのかね? 俺個人の感情としては今日はもう使いたくない。どうせまた変な名前になるだろうからな!
でも最終手段としては考えておこう。
そんなことを考えていると、俺はふと夜王がゼファルさんの体の支配権を握っていた時にできなかったことを思い出した。
そうだ……今なら、支配権はゼファルさんにあるんだし、『同調』スキルを使って俺たちと同じように精神を一つだけって状態にしたら、異物である夜王は消えるんじゃないか?
調べるのもいいが、実際いたら困るもんな。これでついでに倒せれば一石二鳥だろう。
というわけで、さっそくスキル『同調』を発動させた。
『スキル【同調】が発動……完了しました。今回の内容は、周囲に人間の精神数を元とし、対象者……ゼファル・ビュートの精神数をを同調させました』
「ぎゃあああああぁぁぁぁ……――――」
『…………』
遠くに消えていく断末魔に、俺たちは無言になる。
何より、自信満々だったゼファルさんは、気まずそうに視線をそらしていた。
まさか、本当に夜王の精神が残ってるとは思わなかったよ。
皆何とも言えない表情を浮かべているので、俺は空気を変えるためにも話題を変えた。
「そ、そうだ! もうここには用はないんだし、早く出ましょうよ!」
「そうだね!」
「くっ……結局、ここには未知なる食べ物はなかった……!」
実際、ゼファルさんも助けられたんだし、もうここには用はないのだ。
なので帰ろうとするが、ゼファルさんは静かに首を振る。
「余は、無理だ」
「え?」
ゼファルさんの言葉に、ルーティアが呆然とする。
「む、無理って……どういうこと?」
「ルーティア。夜王の時であれば、この地は祝福されし大地であったが、体の支配権を余が取り戻し、精神も余ただ一人となった今、この地は再び余を封印するための監獄となった。つまり、出ることは――――」
何だか話が暗い方に向かいそうだったので、手っ取り早く『リ●カーン大統領』を発動させた。ようやくこの魔法が使えたな。
俺の『リ●カーン大統領』を受けたゼファルさんの体を囲う光の輪が出現したかと思うと、弾けた。
その光景を見て、ゼファルさんは……失礼だとは思うが、かなり間抜けな表情を浮かべていた。
「へ?」
「あの、その封印とやらは解いたんで、帰れますよ?」
「…………」
俺の言葉の意味を理解するのに少し時間がかかっているのか、しばらくフリーズした状態のゼファルさんは、再び正気に返るとまた慌て始める。
「ほ、ほら、あれだ! この地は別の星だという話をしただろう? そういう意味でも、余だけでなく貴殿らも帰れないのではないか!?」
「んー……誠一の転移魔法で帰れねぇのか?」
「帰れるよ?」
何だったら最初は天井だと思って普通の斬撃放っちゃったけど、空間を斬り裂いて別の空間に繋げることもできそうだし。ていうか、できるって俺の体が主張してる。ヤバいな。
アルと俺のやり取りにますます唖然とするゼファルさんだったが、もうヤケクソといった様子でまた口を開いた。
「た、例え元の星に帰れたとして、魔神教団の連中はどうする!? このダンジョンの外には魔神教団の施設があったはずだ! あそこには使徒と呼ばれる連中がたくさん常駐しており、中には神徒などと呼ばれるもっと化け物のような存在もいるのだぞ!?」
「魔神教団の施設? そんな感じの建物、このダンジョンに入るときに見かけた?」
「いや?」
「私も見てないよー」
「……何なら、神徒を倒してから魔神教団は見てない」
「だよなぁ」
「……それに、誠一お兄ちゃんが転移魔法を使えるんだから、わざわざこのダンジョンの入り口に転移しなくてももっと安全なところに転移すればいい」
「それもそうだ」
で、まだ何か心配事が?
といった感じでゼファルさんを見ると、ゼファルさんは顔を両手で覆ってしまった。
「余、めっちゃ恥ずかしいじゃん……娘と今生の別れって覚悟で口にしたのに……」
「お父さん……誠一は、理不尽だから」
「理不尽だなんて次元じゃないだろう? 何だ? 余を縛り付けていた封印を無詠唱で解除するだけでも意味が分からないというのに、特殊な技術もなく惑星間の転移ができるってどういうことなのだ? 余の封印、当時の勇者が命がけかつ本気で発動したものだぞ? 余もそうだが、勇者たちが不憫過ぎない?」
「大丈夫。誠一は異常なのが正常だから」
「ええ……? ルーティアよ。付き合う人間は常識的なヤツの方が苦労は少ないぞ? ていうより、サラっと聞き流していたが神徒を倒したって本格的に人間ではないな……」
「散々な言われようだなぁ!?」
確かに色々覚悟していたのを無視して解決しちゃったのは悪いと思うけど! でもそこまで言うことないんじゃない!? 泣いちゃうよ!?
「とにかく! 帰れるんですから、それでいいでしょう!?」
「う、うむ」
「はい、これで話は終わり! 転移します!」
俺は有無を言わさぬ勢いで、転移魔法を周囲に広げると、そのままこの星から元の星へと転移する。
一応、転移した後、ルーティアたちが魔王国に帰るって言ってもいいように、俺が通ってきた道の中で一番魔王国に近い場所に転移するのだった。
◇◆◇
「フー……」
カイゼル帝国の首都ヴァルツァード。
その中心部にて威容を誇るツェザール城を、遠くの建物の屋上から鋭い視線で睨みつける男がいた。
男の視線はまるで猛禽類のようであり、この首都全域を見渡している。
「長かったなぁ……長かった」
男は、噛みしめるようにそう呟くと、どこか遠くを見つめた。
「あと少しで……お前の仇をとってやるからな……」
男の大切な存在がこの世を去った原因であるこの国で、男はこれまで様々な情報を調べてきた。
そして今こそ、男――――≪死煙≫が復讐するのには、絶好の機会だった。
死煙は手元にある資料に目を通し、確実にこの復讐を遂行するため改めて確認をしていた。
「……ここ数か月の間、唐突に王の姿が見えなくなった。いや、謁見の間から姿を見せなくなったってのが正しいな……正直くたばったのかとも思ったが、部下の連中が飯らしきものを運んでいるのはこの目で確認している……それに、生きてなきゃあのクソッたれな侵略行為はしてねぇだろ」
手元の資料は死煙が稼いだ金で情報屋から買い取ったもので、確実性を求めた死煙は金に糸目を付けず、様々な情報屋から情報を得ていた。
それだけでなく、自身の目でその情報が正しいのかの確認もしつつ、さらいは周辺諸国の情勢も含め、計画を練っていた。
「俺だけじゃなく、金を積んで多くの連中に見張らせてたが……クソ王が部屋に籠りっきりになってから、あの部屋に出入りしていた王以外の人間は全員きちんと退室している……ってなると、室内には護衛がいる可能性は低い……」
カイゼル帝国の王が急に部屋に籠ったというのはとても不可解で、死煙としてもなかなか見過ごしにくい不透明な状況ではあったが、その状況を抜きにしても、今の状態は死煙にとってとても好都合だった。
それは――――。
「あのクソ王の側近である≪幻魔≫のヘリオも他の国への侵略の指揮で忙しいし、何故だか≪王剣≫の野郎も王の護衛ではなく、独自で動いてるみてぇだ」
そう呟き、以前≪王剣≫と呼ばれるザキアと戦い、死煙自身が口にした『操り人形』という言葉を思い出した。
「……ハッ。どんな心変わりがあったかは知らねぇが……操り人形じゃあ……なくなったみたいだなぁ……」
そう呟くと、死煙は自身のトレードマークでもあるタバコを取り出し、火をつける。
「ふぅ……まあいい。一応、クソ王が引きこもり始めた時期は、≪幻魔≫の野郎が使ったアイテムで『超越者』を量産するとかっていう悪夢みてぇな状況の直後だったが……幸いその兵士どもも≪幻魔≫と一緒に戦争中だ。無視していいだろう」
カイゼル帝国の王であるシェルドにもアイテムを使用し、シェルド自身も『超越者』になった可能性も死煙は考えていたが、今の死煙にとって、その程度は些細なことでしかない。
「後は……クソ王の抱える暗殺者連中だろうが、ソイツも情報屋どもの話によっちゃあ、≪幻魔≫の依頼で動いてるらしいからなあ……ハッ。どっちが王だか分かんねぇなぁ」
そう言って煙を吐きだす死煙。
「――――これ以上ないくらい、俺にとっちゃあ好機だ。クソ王には、何の護りもない」
普通であれば、王の近くには護衛が置かれるはずだ。
その筆頭が≪王剣≫であるザキアだが、そのザキアは個人として……否、第二部隊全員でこのカイゼル帝国の裏で今は動いている。
もちろんその部隊を指揮しているのはザキアであり、そのことからザキアがこの国で何かしらの行動を起こすことが見て取れた。
そんなザキアが護衛についていないということは、今の死煙にとって脅威となる存在がいないことになる。
何故なら、この国最強の存在はザキアだったからだ。
他にも≪幻魔≫であるヘリオを含め、厄介な存在はいるが、ここまで準備を進めてきた死煙にとっては、それは脅威ではなかった。
「スー……はぁ……本当なら、この距離から狙い撃ちするのがいいんだけどよぉ」
忌々しそうに謁見の間の窓を睨む死煙だったが、以前自分が襲撃したことでその対策が取られており、狙撃することが難しくなっていた。
死煙としては、難しいだけで不可能ではないと思っていたが、シェルドを確実に殺すという目的と、何より窓際にシェルドの姿が見えないため、狙うことができないということから、狙撃という手段をとることができなかった。
死煙は今吸っているタバコをもみ消すと、新しいタバコに火をつける。
「ふぅ……んじゃあ、行くか」
心を落ち着かせた死煙は、建物の屋上から一気に飛び降りると、そのまま城目掛けて街中の建物の屋上を移動していった。
死煙が今回の計画を実行に移すにあたり、今の状況が一番都合がいいという点が大部分を占めているが、ザキアに狙撃を防がれてから今まで、死煙は自身の力を磨いてきた。
地道な修行だけでなく、死にかけながらも敵と戦い、さらには違法の薬物にも手を染め、体を酷使したのだ。
その結果、死煙は現在のザキアと同じく『超越者』の仲間入りを果たすまでに至っていた。
「――――」
音もなく場内に進入した死煙は、気配を消したまま周囲を窺う。
「(城の廊下などには人の気配はなし、か……)」
以前は多くの兵士たちや貴族が務闊歩していたはずの場内が、今は不気味なほど閑散としている。
さらに意識を城全体に広げ、スキルなどを駆使して気配を探った。
「(……本当に変だな。以前とは比べ物にならねぇくらい静かだ。考えてみれば、城付近に居を構える貴族どもも動きが静かだ……)」
今まではカイゼル帝国の貴族のほとんどが贅沢の限りを尽くし、国民から吸い上げた税を使っては毎日パーティーを繰り広げていた。
だが、不思議と街では貴族の姿も見えず、活気もない。
もともと国民の間には活気がなかったからこそ貴族のバカ騒ぎが目立っていたのだが、今は国中が静かだった。
「(……まさか、俺の存在に気づいて……? いや。それだとしても、国を挙げて俺を罠をかける必要が見えねぇ。いくら俺が『超越者』になったとはいえ、その『超越者』を量産してる国がそんな警戒をする必要はないはずだ。何より、俺が『超越者』になったことすら知らねぇだろう)」
王のいる謁見の間に向かうにつれて徐々に不安が強まるが、ここを逃してしまえばいつ王を狙えるのか分からない。
死煙はその不安を押し殺すように首を振った。
「(不必要なことは考えるな。俺の目的はただ一つ。この国のクソ王を殺すこと。それが達成できるのなら、俺の命なんざどうだっていい)」
死煙は今回の暗殺で、自分が死ぬ覚悟を決めていた。
それほどまでに今回の襲撃にすべてをかけていたのだ。
不気味なほど人気のない城を進み、ついに目的の部屋の前にたどり着く。
謁見の間の入り口には、本来なら門番らしき兵の存在があるはずだが、今はその姿すらない。
気味の悪い沈黙を保つ重厚な扉を前に、死煙は再び気配を探る。
「(間違いねぇ……この部屋にいるのはただ一人だ。この気配がクソ王かどうかは分からねぇが……情報通りなら、この部屋にいるのはクソ王だけのはず……それに、向こうは俺に気づいた様子もねぇ)」
自身の悲願達成まであと少しというところまで来たことで、死煙は緊張から右手に嵌められた黒色の不思議な籠手の調子を確認した。
「(……大丈夫だ。俺はやれることすべてをやって、今ここにいるんだ。この先にいるクソ王を殺して、俺は――――)」
覚悟を決めた死煙は、部屋に入った瞬間に室内にいるであろうシェルドを確実に殺せるように準備をし、ついに突入した。
「ッ!」
――――以前も似た効果のワインレッドの籠手を使用し、ザキアとの戦闘に挑んだが、それではザキアに届かなかった。
だからこそ、自身が強くなるだけでなく、装備にも力を入れた死煙は、新たな装備としてこの【黒死の魔弓手】を選択していた。
その気になる効果は、魔力で矢を作成できることと、それをあらかじめストックし、必要に応じて亜空間から出現させられること。
そして、自身の持つ魔力を極限まで込めた矢を生み出せることにあった。
これにより、今日までの間に違法薬物や、今吸っているタバコなどの装備アイテムでドーピングした魔力で生成した矢のストックが、千以上もあった。
今の死煙なら、この極限まで魔力を込めた矢一本で、ザキアを倒せるだけの自信はあったが、以前負けていることもあり、過信はしていない。
それでも、そんな矢を千本以上用意し、さらに普通の魔力の矢すら一万本以上ストックしている死煙は、これ以上ないほど用意を重ねていた。
そして、部屋に入り、シェルドを見つけた瞬間に打ち抜けるよう、普通の矢を50本、極限まで魔力を込めた矢を50本の合計百本を用意していた。
だが――――。
「――――は?」
死煙の口から、そんな声が漏れた。
確かに、部屋の中には『ナニカ』がいた。
――――どう見ても人間には見えない、『ナニカ』がいたのだ。
「なん、だよ……コレ……」
用意していた矢を放つことすら忘れ、目の前の存在に目を奪われる。
「ぐじゅる……じゅる……ふしゅー……うぁ……ぁあぁ……ぎゃぎゃぎゃ……ぐぎ、がが……ふしゅー……だぁあ……」
死煙の視界に映るのは、蠢く肉の塊。
膨張した筋肉が今にも破裂しそうで、人間どころか巨人族だと聞いても納得してしまうほどの巨体。
口は牙がむき出しになり、顔全体が元の人間の顔としての原型を保てておらず、『化け物』という言葉が瞬時に浮かび上がるほど醜く膨れ、血管が顔じゅうに張り巡らされている。
頭皮は禿げ上がり、瞳には理性の光はなく、今もなお、用意された食事を口を汚しながら食い散らかしていた。
――――これは、何なんだ。人間なのか?
死煙の存在に気づいた様子もなくただひたすらに貪り食らう肉の塊に、死煙は言葉を失っていた。
「――――どうじゃ? 陛下の姿は」
「ッ!?」
突然投げかけられた声に、死煙は一瞬でその声の方向に備えておいた矢を放った。
だが……。
「おーおー恐ろしいのぉ。いきなり攻撃してくるとは……とんだ野蛮人じゃ」
また別の方向から声が聞こえ、再び声の方向に視線を向けると、そこには無傷のまま笑みを浮かべる≪幻魔≫――――ヘリオの姿があった。
「どう、して……ここにいやがる……!」
「何じゃ、ワシがここにおるのがそんなにおかしいかのぉ?」
「惚けんじゃねぇ……! お前さんは今、軍の指揮を……」
「何じゃ。ワシの情報を集めていた割には肝心のことが頭に入っとらんのぉ?」
バカにするように笑うヘリオの姿に、死煙は一つの答えにたどり着いた。
「――――幻影か……!」
「正解じゃ。そして、ワシほどの大魔術師になれば、幻影にワシの考えを正確に投影することも可能……つまり、指揮などは幻影に任せてしまえばそれでいいんじゃよ」
「……ずいぶんな自信じゃねぇか。お前さんがいなくとも、周辺の国に勝てるって?」
「勝てるとも。それは貴様もよく理解できているじゃろう?」
「……」
死煙はヘリオの問いに答えなかったが、その沈黙こそがまさに答えだった。
もうすでに世界のほとんどはカイゼル帝国の手に落ちており、中には反乱軍を結成して動いている者もいるようだが、討伐されるのも時間の問題だった。
それほどまでに、量産された『超越者』の存在は脅威なのだ。
「それに、ワシにはやることがあるからのぉ。そう簡単に城を空けるわけにはいかん」
「やることだと?」
「そうじゃ。まあ、貴様も無関係とはいえんなぁ」
「何を言ってやがる……!?」
一人で話を進めるヘリオに対し、すかさず死煙は額を打ち抜くように矢を放った。
だが、目の前でにこやかに語るヘリオの姿さえ、幻影の一つに過ぎなかった。
「無駄じゃよ。ワシを見つけることはできん。ザキアどもがワシに隠れたつもりで何かをしているようだが……どれもワシには届かんよ」
「ハッ……お前さんがどこにいようがこの際どうだっていい。俺の目的は、クソ王を殺すことだ」
死煙はヘリオの幻影を警戒しながらも視線を蠢く肉塊に向ける。
だが、ヘリオはそんな死煙の言葉に大声をあげて笑った。
「あっはははははは! 陛下を殺すじゃと? 無理、無駄じゃよ。貴様には殺せんよ」
「ああ?」
「せっかくじゃ。――――陛下。玩具が来ましたよ?」
「あが……だあ……?」
「ッ!?」
ヘリオの言葉に反応した肉の塊は、ゆっくりと視線を死煙に向けた。
それだけだというのに、死煙はまるで金縛りにあったかのように身動きが取れなくなる。
不気味さ、気持ち悪さ、生理的な嫌悪……そのすべてが濃縮したような目の前の存在に、体が自然と怯んでしまったのだ。
それだけではない。
死煙にとって、目標として定めていた殺すべき相手が……人間ではない、化け物の姿になり果てているこの状況も、理解できないという意味で死煙を困惑させている。
体が固まっている死煙に対し、陛下……シェルドと思われる肉の塊は、ゆっくりと体を動かし――――。
「がッ――――!?」
死煙の体が、吹き飛んだ。
そしてその勢いのまま城の壁に激突すると、死煙は口から血を吐く。
「がはっごほっ! 何が――――」
「だあああああああああああああああああ」
「――――」
壁に激突し、身動きが取れな死煙に対し、シェルドは容赦なく拳の嵐を浴びせた。
無造作に振るわれただけのその拳は、当たれば簡単に壁を粉砕するほどの威力を誇っており、『超越者』となってステータスを上げたはずの死煙でさえ、もうまともに体が動かせないほどに打ちのめされた。
その光景を前に、ヘリオは目を輝かせる。
「す、素晴らしい……! これこそが、カイゼル帝国の……否! ワイマール帝国の秘術か!」
狂ったように笑うヘリオの声は、もう死煙の耳に届かない。
すでに息絶える寸前といったところで、ヘリオは思い出したように再びシェルドに命令をした。
「おお、そうじゃったそうじゃった……陛下。その辺でおやめくだされ」
「だあ……だあ? がび……ぐげ……ぶぶぶ……」
「ひゅー……ひゅー……」
大人しくヘリオの言葉を聞くシェルドは、死煙からすでに興味を失うと、再び食事に戻るのだった。
「さて、こやつは――――」
「――――私が引き取りましょう」
「! ゆ、ユティス様!」
何の前触れもなく現れたユティスに、ヘリオは慌ててその場で膝をついた。
「この男は私が引き取っても大丈夫ですよね?」
「ど、どうぞ! お好きにお使いください!」
ヘリオがそう告げると、ユティスは指を鳴らす。
その瞬間、死煙の体全体を黒い靄が包み込み、靄が消えた後には死煙の姿はなくなっていた。
「ふふ……≪死煙≫、でしたか。いい駒になりそうですねぇ」
「! なるほど……我々の駒として使うつもりなのですか」
「そうですよ」
感心するヘリオに対し、ユティスは笑みを浮かべる。
「それにしても……久しぶりですね、ヘリオ」
「お、お久しぶりでございます!」
「そうかしこまることはありませんよ。貴方のおかげで、世界は混沌と化し、魔神様が復活されたのですから……」
「っ!? ま、魔神様が復活されたのですか!?」
「ええ」
ユティスの言葉に、ヘリオは感動したように体を震わせた。
「お、おぉ……ついに……ついにですか……!」
「そうです。ですが……」
「? どうかされたのですかな?」
ユティスの反応に首を傾げるヘリオ。
「……残念ながら、永き時を眠りについていた魔神様は、まだその御力を完全に振るうことができません」
「! な、なんと……それは大丈夫なのですか?」
「ですから、まだ継続して世界に負の感情を満ちさせなければなりません。それで、魔神様が御力を取り戻せるのですから……」
「それはもちろんですとも! もはやこの大陸で攻め落として位に場所は極わずか……そろそろ別の大陸にも乗り込もうと考えていたところです」
「それがいいでしょうね。ただ、魔神教団としては表立って動くのが少々難しくなりましたが……」
「どういう意味ですかな?」
ヘリオが訝し気にそう訊くと、ユティスは苦々しい表情を浮かべた。
「何者かが、魔神教団の人間を倒していっているようなのです。それに、『神徒』である≪絶死≫のデストラとも連絡が取れなかったりと……確実に魔神教団の人員が減っています。もしかすると、デストラも何者かにやられている可能性も……」
「し、神徒様が!?」
≪幻魔≫の異名を持つとはいえ、魔神教団の『使徒』に過ぎないヘリオはユティスの言葉に驚いた。
それほどまでに『神徒』の力は絶大で、特にデストラの能力などは『神徒』の中でも特別凶悪だった。
何せ、教団が崇める魔神すら殺すことができると豪語するほどの絶対死の力を持ち、魔神を殺さないのは自分の気まぐれと言い切るほどの人物だったからである。
そして、その能力を魔神も把握しており、魔神から見てもデストラの能力は本物だった。
人間は神に逆らうことはできない。
何故なら、人間は神から生み出された存在であり、神が思う……否、何も考えずともその存在そのものを無にすることができるのだ。
だが、デストラはそんな生み出された人間の中でも時々生まれるイレギュラーな存在の一人であり、その≪絶死≫の能力は神から授かったものなどではなく、突如生まれたモノなのだ。それはユティスや他の『神徒』も同じである。
その存在は『進化の実』とも似ているが、デストラの能力が自然発生だったのに対し、『進化の実』は神々の力の激突という誰も想像することのできない力の流れで突如生まれたものだった。
自然に生まれるものは例え魔神や他の神々の手から離れた能力だったとしても、その存在自体は知覚・認識することができる。
だが、そんな魔神と神々が戦った結果生まれた『進化の実』だけは、何もかもが未知だった。
ある意味、ルルネが最も求めていた食べ物こそが、『進化の実』だったともいえる。
そんな能力を持つデストラに殺せない存在はなく、全宇宙、全次元、全時空、どこを見ても、彼の能力より凶悪な力を持つ存在はいない――――はずだったのだ。
「彼の気まぐれが終わり、我々と敵対するにしても、その時点で何かしらの行動は起こしているはずです。ですが、魔神様はおろか、私やゲンペルといった神徒には何の被害もありません」
「で、では、その……教団の人員を減らしているのが……デストラ様なのではないでしょうか……?」
自身の上司を疑うということで、思わず言葉が尻すぼみになってしまうヘリオに対し、ユティスは笑う。
「その線も確かに考えましたが……それ以上に濃厚なのが、前々から使徒を倒している存在です」
「そ、そんな存在がいるのですか? 我々はユティス様ほどではないにしろ、魔神様から御力をいただいております。それが有象無象共に負けるとは……」
「私もそう思っていました。ですが、ウィンブルグ王国を攻めた使徒たちや、バーバドル魔法学園を攻めた使徒も、すべて倒されていました。何より……その正体を探ろうと私が力を行使しても、分からないのですよ」
「なっ!?」
苛立たし気にそう告げるユティスに、ヘリオは絶句する。
それはつまり、神徒の力が及ばない存在がいることを意味している。
ある意味デストラの能力もユティスの能力も自然発生という条件が同じだからこそ、その強さはあれど、同等の能力であり、デストラにユティスが干渉できないということはない。もちろん逆も同じだ。
だが、そんなユティスの能力が完全に効かないのだ。
「本当に忌々しい……ソイツが我々の人員を減らしている原因と決めつけるには早いかもしれませんが……以前の襲撃を乗り越えたウィンブルグ王国や、ヴァルシャ帝国が率先して魔神教団の捜索と掃討を始めましたからね」
「そういえば……ヴァルシャ帝国に送り込んだ第一部隊から連絡が途絶えたままですな……てっきり向こうで楽しんでいるのかと思っていたのですが……」
「恐らく、何者かに邪魔されたか、やられているでしょう」
「ば、バカな! こちらは『超越者』を数多く用意し、送り込んだのですぞ!?」
「ここに来て、不確定要素が紛れ込んだんですよ。我々の邪魔をする謎の存在ももちろんですが、どうもウィンブルグ王国の『剣騎士』などは『使徒』に対抗できるほど強くなっているようなのですよ。それに、ウィンブルグ王国の王妃でもあるS級冒険者『雷女帝』も前々から我々のことを探っていて目障りでしたからね」
「な、なるほど……」
「ですから一度、私は魔神様から頼まれていることを優先しつつ、裏で新たな駒を集めることにします。他の使徒たちにも派手な動きは慎むように釘を刺すつもりです。ですから、この国の宰相でもある貴方には、もっと世界をかき乱してもらいたいのですよ」
「もちろんですとも! お任せください」
ヘリオの言葉に満足そうに頷いたユティスは、再び指を鳴らした。
すると、ユティスの背後に黒い渦が出現する。
「さて……それではそろそろ私は行きますが……そういえば、そちらの肉塊もいい感じですね?」
「おお! そうです、ユティス様! ワイマール帝国に伝わる秘術を使った結果、この通りでございます!」
「力は中々のモノですが……知性や理性がないのが残念ですね。ですが、駒として使う分にはいいでしょう。くれぐれも頼みましたよ?」
「はっ!」
ヘリオは再びその場に跪くと、ユティスは渦の中へと消えていった。
それを見送り、ヘリオは立ち上がるとすでに連れていかれた死煙を思い出す。
「まったく……陛下を殺せばこの世界が正されるとでも? とんだお花畑じゃのぉ。人の欲望がある限り、地獄は終わらない。せいぜい、ワシらの駒として生まれ変わるんじゃな」
ヘリオはそういうと、醜い化け物となったシェルドを一瞥し、部屋から出ていくのだった。




