食いしん坊の怒り
「いやあ、一時はどうなるかと思ったが、ちゃんと未知なる食べ物があるではないか!」
謎の魔物の襲撃に対し、オリガたちが警戒をしていた中、そんな空気など知ったこっちゃないと言わんばかりに、自身の欲望のまま蹴り飛ばしたルルネ。
今まで荒野が続き、食べ物らしい生き物に出会えなかった彼女は、久しぶりの生物を前にテンションが上がっていた。
そんなルルネに対し、オリガは額に手を置いたまま、訊ねる。
「……食いしん坊、質問。これが食べ物に見えるの?」
「それ以外何に見えるのだ?」
「……聞き方が悪かった。これ、食べる気?」
「当たり前だろう」
「……正気?」
「正気だが?」
「……狂ってた」
「正気と言っただろ!?」
オリガの言葉に、ルルネはかみつくが、そんなルルネを無視し、オリガは続ける。
「……食いしん坊。この魔物は、未知の魔物。まずその認識は、食いしん坊も同じ?」
「ん? 確かにこの魔物は見たことはないが……」
「……ん。なら、そんな未知の魔物に無策に突撃することがどれだけ危険か、分かってる?」
「そうは言うが、この手の生き物は散々私が昔いた場所で見てきたからなぁ」
「………………え?」
オリガはルルネの言葉に耳を疑った。
それはオリガだけでなく、ルーティアや今までダンジョン暮らしていたゾーラでさえ、普通でないことは理解できた。
だが、当の本人であるルルネは特に気にした様子もなく続ける。
「フン。私は主様に買われるまでは魔物販売店とやらで暮らしてやっていたが……そこではこんな生き物はしょっちゅう見かけたぞ。手に入れるたび、店主は死にかけていたがな」
『……』
オリガたちは、絶句した。
そもそも、何故ルルネが魔物販売店で暮らしていたのかなど、ルルネがロバであることを知らないオリガたちは、謎でしかなかった。
だが、そんなオリガたちを無視し、ルルネはすぐ倒した未知の魔物に意識を向ける。
「さて……魔物販売店のころは店主の男が邪魔をし、食うことができなかったが……コイツは一体どのような味をしているのだろうなぁ!」
もはや食欲が我慢できず、口から涎が止まらないルルネに、オリガたちはただただ引くしかなかった。
――――そして、もう一名、そんなルルネに対し、引き攣った表情を浮かべる存在がいた。
「おいおい……なんてダラしのねぇ顔してやがんだ……」
『ッ!?』
まったく気配すら感じさせず、不意に投げかけられた声に、オリガたちはその場からすさまじい勢いで飛び退いた。
すると、そこには浅黒い肌の男――――≪共鳴≫のヴィトールが、顔を引き攣らせたまま、立っていた。
何も感じないまま、ヴィトールの接近を許したことにより、オリガは冷や汗を流しながら冷静に訊ねる。
「……貴方、何者?」
「俺か? 俺は――――」
ヴィトールはそこで言葉を区切ると、次の瞬間、凶悪な笑みを浮かべた。
「≪共鳴≫のヴィトールだ」
「共鳴……?」
思わずオリガが聞き返した時には、ヴィトールから目を離していないのに、その姿はすでに消えていた。
「っ!? どこに――――」
「ここだよ」
「うっ!?」
「お、オリガちゃん!?」
背後から聞こえたヴィトールの声に、咄嗟に反応したオリガはすぐにヴィトールの方に体を向けると、そのまま両腕をクロスさせ、防御態勢をとった。
その瞬間、オリガの両腕にはすさまじい衝撃が走り、そのまま大きく吹き飛ばされる。
見ると、ヴィトールは足を上げた格好で止まっており、あの一瞬でオリガの背後に回り、蹴りを放ったことが見て取れた。
吹き飛ばされたオリガは、何とか空中で態勢を整えると、痛む腕を気にしながらも着地する。
そんなオリガに、すぐさまゾーラとルーティアが駆け寄る。
「だ、大丈夫ですか!?」
「……ん。何とか……」
「腕、見せて。『魔王の光』」
ルーティアは赤く腫れあがるオリガの腕に手をかざすと、そこから柔らかく、優しい黒色の光が溢れた。
その光に触れたオリガの腕は、徐々に痛みが引いていき、元の状態に戻る。
「……痛くなくなった。ルーティアお姉ちゃん、ありがとう」
「気にしないで。それより……いきなり攻撃してきたり、私が回復する間は何もしてこなかったり……何が目的?」
「そ、そうですよ! 貴方は何なんですか!?」
ルーティアとゾーラがヴィトールに敵意を滲ませながらそう訊くも、ヴィトールは気にした様子もなく大きな欠伸をしていた。
「んあ? 目的も何も……俺ぁ楽しみに来たんだよ」
「楽しみ……?」
ヴィトールの言葉の真意が分からず、思わず聞き返すルーティア。
すると、ヴィトールはどこかつまらなさそうに告げた。
「ああ――――だが、お前らダメだな」
「っ!」
「なんでお前らが回復してる間に攻撃しなかったのかって? 少しでも楽しむために決まってんじゃねぇか」
ヴィトールはもはやルーティアたちに何の興味も抱いていないようで、心底がっかりした様子のまま続けた。
「こんな地にやって来たっていうんで見に来てみれば……魔王の娘や見たこともねぇ蛇女、それに嫌われ者の黒猫の獣人に……何だかよく分からねぇ女。こうも楽しくなりそうな予感がする面々だってのに、弱すぎるだろ。まあでも、目的は魔王の娘がいる時点で分かったけどよ。でも、そこどまりだ。お前らはただ、ここに来た目的を晒しただけで、死ぬ。それで終わりだよ」
「言わせておけば……!」
ヴィトールの言葉に激昂したルーティアは、そのまま魔法を放った。
「『魔王の手』!」
それは、ゾーラのダンジョンで放った時と同じく、漆黒の炎でできた巨大な手が出現した。
ただし、ダンジョンの時と違うのは、レベルアップしたことにより、片手ではなく、両手を出現させることができるようになっていた。
すさまじい熱量と勢いで振り下ろされる漆黒の炎手に対し、ヴィトールはどこまでも冷めた目を向け、無造作に腕で振り払った。
たったそれだけで、ルーティアの魔法は掻き消え、暴風がルーティアたちに襲い掛かる。
「くっ!? そ、そんな……」
「お前ら、本当に何も分かってねぇんだな。そもそも、俺が声を出さなけりゃそこの獣人は最初の一撃で死んでいたし、回復なんざ待たず、そのまま血祭りにあげることだってできたんだよ。それをしないのは、ただ長く楽しむため。期待させといて大したこともねぇお前らを、せめて有効活用するためなんだよ」
必死に暴風に耐えていたルーティアたちに、ついに視線を向けることすらしなくなったヴィトールは、すでに息絶えている謎の魔物にも目を向け、ため息を吐いた。
「ったく……あの施設で見たときは、ずいぶん面白そうなもん造ってんなって思ったが……蓋を開けてみりゃこのざまかよ。ほんと……気に食わねぇな」
最後に怒気を滲ませ、吐き捨てるようにそう告げたヴィトールは、もう死んでいる謎の魔物に向けて手を振り下ろした。
その一動作だけで、頭上からすさまじい魔力の奔流が謎の魔物に降り注ぎ、その場から謎の魔物の死体は綺麗に消え去った。
「さて、こっちの掃除はすんだ。んじゃ、こっからは――――」
「は?」
「あん?」
唐突に呆然とする声が聞こえ、ヴィトールはその声の方に視線を向けた。
すると、ヴィトールに声をかけられ、オリガがたちが飛び退く中、最初からずっと、今まで謎の魔物の死体を前に、どう調理するか、どのような料理なら美味しいのかを想像し続けていたルルネが、呆然とクレーターの底を見つめていた。
「わ、私のご飯は? 未知の食べ物は?」
「……食いしん坊、ウソでしょ?」
こんなにド派手にやり合っていたというのに、全く気にしていなかったルルネにオリガがドン引きする中、ルルネはそんなことすら無視し、もう塵一つ残さず消え去った謎の魔物の死体を探し求め、視界をさまよわせた。
「ど、どこに行ったのだ? 散々待ち望んだ、未知の食べ物は……どこに消えたというのだ? 何もない、荒野の中……我慢に我慢を重ね、ようやく見つけた私のご飯は、どこに消えた?」
「る、ルルネさん……そこまで……」
呆然とするルルネを見て、思わずゾーラは口を手で覆い、涙を浮かべた。
それほどまでに、ルルネの姿は痛々しく、悲しかった。
ダンジョン内で育ったと言ってもいいゾーラは、とても純粋だからこそルルネの心情を察して思わず涙を浮かべたが、普通の感性の持ち主であるオリガやルーティアは呆れ以上に何と口にしていいか分からなかった。
そしてそれは、ヴィトールも同じだった。
「あー……今まで俺らのことすら気にしてなかったことに驚きだが……お前さん、この状況が何も分かってないのか?」
「状況……? 私のご飯が消えたこと……?」
「分かってねぇな」
ついついツッコんでしまったヴィトールだが、すぐに気を取り直すと、ルルネを見据えた。
「分かった。お前さんがいるとどうも気が締まらねぇからな。まずお前さんからさっきの魔物のように消してやろう。んで、そのあとは――――」
「今、何て言った?」
「あ? ぐほっ――――!?」
ヴィトールは、腹にすさまじい衝撃を受けたかと思うと、気付けば空中に浮いていた。
しかも、その一撃だけで内臓のほとんどが潰れ、口からは大量の血が溢れる。
そんな自分の状態に目を見開き、固まっていると、地上では足を振り上げた状態のルルネの姿が。
「お前が、消したのか」
「何、を――――!?」
またもやルルネの姿が消えると、ヴィトールは体の側面に同じく強い衝撃を受け、宙に浮いた状態から横に大きく吹き飛ばされた。
何故なら、その一瞬の間にルルネが空中に跳び上がり、ヴィトールを蹴り飛ばしたからだった。
その光景に、オリガたちはただ呆然と見ることしかできない。
「お、お前……一体何者――――あがっ!?」
「お前なんだな」
大きく吹き飛ばされ、地面を転がったヴィトールが起き上がろうとしたところ、トドメと言わんばかりに、ルルネはその頭上に踵落としを叩き込んだ。
頭から地面に突っ込む形となったヴィトールは、その衝撃に謎の魔物がルルネに倒された時と同じく、その地に大きなクレーターを作り上げた。
軽やかに着地をしたルルネは、これまでのルルネの蹴りにより、内臓だけでなく骨まで砕け、そのまま地に伏したヴィトールに冷たく言い放った。
「食べ物の恨みは、絶対だ」
「……食いしん坊が分からない」
オリガの心情はただその一言に尽きた。
ルルネの出自も、その実力も、何もかもが謎過ぎた。
とはいえ、先ほどまで絶望的なまでの戦力差があったヴィトールが倒れたことにより、オリガたちはようやく緊張から解放されるかと思った――――その時だった。
「――――くっ、くくく……くは、カハハハハハハハハハ!」
『!?』
地に倒れ伏していたはずのヴィトールから、笑い声が聞こえてきた。
その姿にオリガたちは驚き、ルルネも微かに片眉を吊り上げる。
すると、ヴィトールはそのままゆっくりと起き上がった。
「ったー! 効いた、効いたぜぇ? お前さんの一撃はよぉ! んだよ、いんじゃねぇか、面白ぇヤツがよぉ!?」
起き上がったヴィトールは、先ほどまでルルネに蹴られたことにより、体中の骨が折れ、血を流していたのだが、その傷からは小さな煙が発生し、徐々に傷が癒えていっていた。
そんなヴィトールの姿に、ルーティアたちは目を見開く。
「き、傷が……消えていく……?」
「……確かに蹴り飛ばしたはずなんだがな」
ルルネもその光景に眉をひそめ、その感触を思い出すかのように軽く足を振った。
そんなルルネの言葉に面白そうに笑いながらヴィトールは答える。
「ああ、もちろん蹴り飛ばされた。俺の予想以上の威力に驚く位にな。全身の骨も内臓もグチャグチャになっちまったじゃねぇか」
「なら……なんで、立てるの?」
「そういう体だからだよ」
首を鳴らしながら、完治した体を確かめるように動かすヴィトール。
そして――――。
「さて……楽しめるって分かったんだ。おら、もっと俺を楽しませてみろよ……!」
「いいだろう。私も、先ほどの仕打ちだけでは物足りなかったところだ。――――存分に食らえ」
――――ルルネとヴィトールが、激突した。




