未知の魔物
「ふぁ~あ……よく寝たぜ」
「あ、ヴィトール様」
魔神教団の『神徒』である≪共鳴≫のヴィトールは、頭をかきながら起きてきた。
寝起きのヴィトールを前に、指示通り【嘆きの大地】で研究やとある計画を進めていた使徒たちは、一斉に背筋を伸ばす。
そんな様子を気にもせず、ヴィトールは近くにいた一人の使徒に声をかけた。
「で? どんな感じなのよ?」
「は? ど、どんな感じとは……?」
「いや、来た時にユティスが魔物を強化するだの魔王が封印されてるだのって話は聞いたが、それ以外のこと全然知らねぇんだよ」
魔神教団では、頂点を魔神としたとき、その次の地位にいるのが『神徒』たちであり、その下に『使徒』がいて、『使徒』の中でも強さや貢献度などによって序列が存在していた。
そしてこの【嘆きの大地】で研究を任されている『使徒』たちは、戦闘力は低いものの、研究面では大きく活躍していた。
とはいえ、それでもここにいる面々は魔神のために直接動くことができるような位置にはおらず、魔神教団の中でも下層に位置している。
だからこそ、ユティスやヴィトールは雲の上の存在であるのだが、そんな存在であるヴィトールがこの地のことを全く知らないことに驚いた。
というのも、ユティスが知っているからというのもあるが、それなりにこの土地は重要な場所であり、組織の幹部が知らないとは思わなかったのである。
使徒が唖然としたままついつい黙っていると、ヴィトールは眉をひそめた。
「おいおい、俺が訊いてるのに教えてくれねぇってか?」
「え? あ、ち、違います!」
「じゃあ教えてくれよ。よく見りゃあ面白そうなもんばかりじゃねぇか」
そう言いながらヴィトールが見渡す視線の先には、巨大なカプセル型の水槽が大量に並んでおり、その中にはヴィトールすら見たこともないような生物が眠ったように浮かんでいた。
どう見てもこの世界の技術とは思えないその光景に、ヴィトールは感心する。
「はあ……これ全部、ユティスのヤツが用意したのか?」
「そ、そうですが……よくユティス様が用意したと分かりましたね?」
「まあな。こんだけこの星にねぇようなもので溢れてりゃあ、外から持ってきたってことしか思い浮かばねぇからな。いくら外の世界でも俺ら神徒じゃ死なねぇとはいえ、そもそもこの星から出る手段がねぇしな。出ることができるのは……ユティスとゲンペルの野郎くらいだろう。ゲンペルも、ユティスがいて出ることができるってだけだしな」
「な、なるほど……」
「んで? この生物は何なんだよ?」
「は、はい。こちらの水槽にいるのは、この星の魔物の遺伝子を抽出し、適合する者同士で掛け合わせて生み出した、新たな魔物です」
「ん? なんでも掛け合わせればいいってことじゃねぇのか?」
「ええ。やはり遺伝子にも相性がありますから、その相性を無視して掛け合わせてしまいますと、生物として維持できなくなるのです」
「なら、その相性とやらをデストラの野郎に殺してもらえばいいじゃねぇか。そうすりゃあ最強の魔物が出せるんじゃねぇの?」
ヴィトールが何気なくそう口にするも、使徒は頬を引き攣らせた。
「そ、その……一度、ここにいた使徒の一人がお願いしたのですが……」
「ん?」
「こ、殺されました……」
「あー……」
ヴィトールは納得の声を上げた。
「よくよく考えりゃ、そんなことにアイツが手を貸すとは思えねぇわ」
「か、完全無欠とは言いませんが、それでもここで生み出された魔物は強力です。そしてここで生み出した魔物を使い、魔神様の糧となる負の感情を集めるための駒として利用する予定です」
「なるほどな。それの実用化は?」
「あと少しですね」
「魔物の方は理解した。なら、この場所に封印されてるっていう魔王は何なんだ?」
「それは、こちらの映像を見てもらった方が早いですね」
使徒に促され、ヴィトールは外の世界から持ち運ばれたスクリーンの前に移動する。
そして使徒が機械を操作すると、そこには封印されている魔王を使った研究の過程や、その実力が映し出された。
そんなスクリーンに映し出された映像を見たヴィトールは目を見開く。
「コイツは……」
「これが、我々の研究の成果です。ただ、残念ながらまだ魔王の自我が残っているため、能力の完全覚醒は先なのですが……」
「お、おいおい。これで完全じゃねぇのかよ? なら、コイツが完全に覚醒したらどうなるんだ?」
ヴィトールの言葉に対し、使徒はどこか誇らしげな様子で告げた。
「――――無敵、になります」
「――――ハッ」
使徒の言葉にヴィトールは鼻で笑うと、使徒に対して好戦的な視線を向ける。
「無敵かどうかは、確かめねぇとなぁ?」
「……」
ヴィトールから放たれる圧倒的な気迫に、その場にいた使徒の全員が固まった。
しばらくの間、ヴィトールからの威圧に誰も動けないでいると、不意にヴィトールはその威圧をひっこめた。
「……ま、それは冗談でよ。実際、負ける気はしねぇが、倒すのはちと面倒そうだな。それこそ、コイツを相手にデストラならどうなるのか気になるくらいだぜ」
無邪気な少年のような笑みを浮かべたヴィトールは、使徒に告げる。
「おい、さっさとコイツを完成させろよ。その残ってる自我ってのもなんとかしな。俺はコイツの完成が気になる」
「は、はい」
「ってか、こんな『化け物』生み出しといて、こっちの命令は聞くのかよ? 反逆されりゃ面倒だぞ?」
「そこは、初期段階で制御するための機構を魔王の体内に埋め込んでいます」
「ハッ……埋め込まれてるそれが本当に効くなら、無敵ってのはどう考えても言い過ぎだな」
「それは……」
「俺としちゃあ、それが本当に効くのかも含めて確認してぇ。しっかりやれよ」
「は、はい!」
「んじゃ、俺は行くな」
「え?」
ヴィトールがいきなり出口の方に向かって行ったため、その場にいた使徒の全員が呆気にとられる。
すぐに使徒の一人が正気に返ると、慌ててヴィトールに問いかけた。
「あ、あの、どちらに!? お休みでしたら、またこの施設の部屋をお使いになれば……」
「バーカ、俺が行くって言ったら、一つしかねぇだろ?」
「え? ……あ!」
使徒がヴィトールの言葉の意味を理解した瞬間、施設内にサイレンが響いた。
「何だ?」
「ひ、人です!」
「人だと!? ここにたどり着ける人間が我々以外にいると?」
「見間違いじゃないのか?」
「見間違いではありません。それに、その……」
「何だ、どうした?」
報告をする使徒が口ごもるため、他の使徒が続きを促すと、その使徒は信じられないといった様子で続けた。
「そ、それが……四人しか姿が確認できないのです」
「四人だと!?」
「そんな人数でここにたどり着いたと……?」
「そんなことより、この施設に備え付けられた迷彩機能は発動しているな?」
「確認します!」
「いや、それよりも……せっかくだ、試作品を一体向かわせろ。貴重なサンプルになる」
「はい!」
慌ただしく動き始める使徒を気にした様子もなく、ヴィトールは施設の外にいる存在にすでに意識を向けていた。
「四人……そんな人数でここに来れるような連中が存在したんだなぁ」
ヴィトールは愉快そうに笑うと――――。
「――――楽しませてくれるのかねぇ?」
――――その場から掻き消えた。
◇◆◇
「――――何も、ない……何もないではないか!」
「……食いしん坊、うるさい」
誠一たちより一足先に出発していたルーティアたちは、目的地である【嘆きの大地】付近までたどり着いていた。
王都テルベールから数週間かかる距離にあることもあり、野営道具などを背負った状態でルルネは叫んだ。
「叫びたくもなるぞ! 主様が戻ってくる前に出発したのは、お前が未知なる食べ物があると言ったからだ! 違うか!?」
「……ん。言った。食べ物で誠一お兄ちゃんを置いていく決断を簡単にした食いしん坊に驚きながらも」
「じゃあ何だ、ここは!」
「……荒野」
「見れば分かるわっ!」
ルルネは周囲を改めて見渡し、草木さえ一本も生えていないその大地を前に嘆く。
「未知なる食べ物どころか、何もないではないか!」
「……ん。でも、未知ということは、その土地も未知。つまり、何もなくてもおかしくはない」
「がああああ! 騙されたッ!」
頭を抱えるルルネを見て、ゾーラはオロオロしながらオリガに訊く。
「あ、あの、大丈夫ですか? 今にも別の生き物に変身しそうな勢いで唸ってますけど……」
「……大丈夫。いつものこと」
「いつもこうなんですか!?」
「……学習しない食いしん坊が悪い。……ところで、ルーティアお姉ちゃん」
「お、お姉ちゃん?」
「……ん、お姉ちゃん。ダメ?」
「だ、ダメじゃない、けど……私、一人っ子だから、そう呼ばれるのは初めて……」
「……ダメじゃないなら、いい」
「う、うん。それで、何?」
「……目的地まで、あとどれくらい?」
「ああ……それならあと少しで――――」
「あ、み、皆さん! 魔物です!」
ルーティアの言葉を遮り、何かにゾーラが急に声を上げた。
その言葉の内容にルーティアやオリガはすぐさま戦闘態勢に入る。
すると、ルーティアたちの進行方向上に、四足歩行型の魔物の姿が見えた。
「……おかしい。魔物の気配、感じなかった」
「私も同じ。でも、ゾーラの言う通り、目の前にいるのは魔物」
「……前にゾーラお姉ちゃんのいたダンジョンで見た、アンデッドタイプの魔物と雰囲気が似てる」
「ああ……だから、気配が感じられなかったんだ」
オリガの推測に、ルーティアは納得の声を上げると、改めて魔物の姿を見た。
その魔物は、地球の象のような体を持ち、その体は黄色い体毛で覆われている。
マントヒヒのような顔をしており、瞳は暗く、どこか虚無を思わせた。
さらに、その頭には二本の角が額から伸びており、首元は何故か竜の鱗のようなものが生えている。
「あれは……何?」
思わずといった様子でルーティアが呟くように、目の前の魔物は初めて見る存在だった。
警戒態勢を維持したまま、オリガが『鑑定』スキルを発動させるが――――。
「……え」
鑑定結果は『@*※●&Lv:――』と、オリガが今まで見たことのない表記だった。
「ど、どうしたの? オリガちゃん」
絶句するオリガに対し、ゾーラが心配そうに声をかけると、オリガはますます警戒を強めたまま、情報を伝える。
「……今、アイツを鑑定した。でも、名前が変な記号の羅列が……」
「変な記号?」
「……ん。何より――――レベルが、ない」
「レベルがない!?」
オリガの告げた情報に、ゾーラもルーティアも絶句する。
この星の生物は、すべてレベルという概念があり、それを上げることで強化される。
その概念がない存在というのは、この星の外からやって来た存在か、上位存在……つまり、神。
それも、ゾーラのいたダンジョンの蛇神や、黒龍神などではなく、天地創造といった規模が違う本当の意味での神だ。
他にも、冥界に漂う悪霊も、すでに死んでいるため、レベルという概念や束縛から解放されている。
そして、知らないうちにその概念から逸脱……ではなく、概念が逃げ出した誠一も、レベルはただの記号になっている。
そんな背景から、ルーティアたちはレベルが存在しない敵というものは見たことがなかった。誠一の場合は、絶賛ステータスが家出中であり、そもそも見ることができないため、レベルがないことを知らない。
未知の敵を前に、うかつに動くことができないオリガたちを前に、その謎の魔物は虚ろな眼をオリガたちに向けた。
「ォォ……ォオ」
「ッ!?」
その瞬間、オリガは凄まじい寒気を感じ、その場から横に飛び退いた。
すると、先ほどまでオリガが立っていた場所を、黒い靄が、まるで飲み込むように蠢き、消えていく。
「な、何ですか、今の!?」
「分からない。でも、あれは私たちの敵」
「て、敵なのは分かりますけど……!」
「……ダメ、情報がなさすぎる」
謎の魔物に近づこうとすれば、その目が一瞬にしてオリガたちに向けられ、再びその黒い靄が襲い掛かり、距離を縮めることができない。
この攻撃に対する情報がないため、防げるのか、そもそも触れていいのかさえ分からなかった。
「……誠一お兄ちゃんを待つ?」
「それは……」
オリガの言う通り、誠一が来れば、すべて解決するだろう。
というより、本人は解決したという認識すらなく、終わることが予想できた。
だが、誠一が今どこにいるのか、そもそも出発しているのかさえ分からない状況で、ルーティアは悩んだ。
今も魔神教団が父の封印されているダンジョンに何か細工をしているのではないかなど、考えれば不安の種は尽きない。
それはこの土地に挑むだけの力がなかった時から感じていた焦りであり、それが今こうしてこの土地に来ることができるところまで力を手に入れた今、余計に強く感じていた。
だが……。
「そう……だね。ここで無理してダンジョンにたどり着けなかったら意味がないから、ここは一度――――」
ルーティアが話していた瞬間、謎の魔物は吹き飛んだ。
何故なら――――。
「な、なな、何をやってるんですか!?」
「……食いしん坊、無茶苦茶」
なんと、いつの間にかルルネが謎の魔物の懐に潜り込んでおり、その胴体に強烈な蹴りを叩き込んだのだ。
その一撃により、その身を宙に投げ出された魔物を、ルルネは追撃の手を緩めることなく、そのまま同じく空中に跳び上がると、前回転の勢いを利用し、謎の魔物の腹に踵落としを叩き込んだ。
その衝撃で地が揺れ、大きなクレーターが出来上がる。
クレーターの中心に力なく横たわる謎の魔物を、ルルネは着地をすると目を輝かせて見つめた。
「飯だ!」
「……おバカ」
唖然とするルーティアとゾーラの横で、オリガは頭が痛いと言わんばかりに額を押さえるのだった。




