ダンジョン内の異変
「ん? あれって……」
順調にヘレンのレベルが上がりつつ、ダンジョン内を進んでいると、道の上に何かが横たわっているのが見えた。
「……何だ?」
アルたちにも見えたようで、警戒しながら近づくと、俺たち人間ほどの大きさのある巨大な蜘蛛が、ひっくり返っているのだ。
真っ黒な体と鋭い脚、そして凶悪な口を持つその蜘蛛は、俺たちが近づいてきたというのにピクリとも動かない。
「ど、どうなってるの?」
ヘレンが少し顔を強張らせながらそう言うが、誰にも答えることができない。
すると、アルが意を決したように近づき、蜘蛛の体を調べると目を見開いた。
「……死んでる」
「「「え!?」」」
死んでる? ま、まあ見るからに動かないし、ひっくり返ってるからそうなんだろうけど……。
でも、俺たちが驚いたのはそんなことじゃなかった。
「ど、どうして死骸が残ってるんだ?」
そう、この世界じゃ、まず魔物は倒されると光の粒子となって消え、運が良ければドロップアイテムを残すはずだ。
……まだ見たことがないから分からないけど、人間も光の粒子となって消えるんだろうか……?
それはともかく、倒された魔物が光の粒子となって消え、それぞれの経験値となり、さらにアイテムを残すことには変わらない。
だが、俺たちの目の前には、確かに蜘蛛の亡骸があるのだ。
「オレもこんな状態の魔物を見るのは初めてだ。どう考えても普通じゃねぇ」
元々地球で暮らしていた俺は、今でこそ異世界の常識なんかに慣れつつあるわけだが、サリアやアル、ヘレンは、倒された魔物は光の粒子となって消えるという常識の中で生きてきたはずだ。だからこそ、俺なんかよりもショックを受け、混乱している。
それぞれが目の前の蜘蛛の亡骸に困惑していると、不意にダンジョンが大きく震え出した。
「な、なんだ!?」
「一体、何が起きてるのよ……!」
俺たちは咄嗟にその場にしゃがみ、その揺れに耐えると、やがてその揺れはピタリと収まった。
「このダンジョンで、一体何が起きてるんだ?」
「分からねぇ……だが、あの足跡の主が関わってる可能性もある。それだけは頭に入れておけ」
アルの言う通り、安易に結びつけるわけじゃないが、ここまで不思議なことが起きると、あの足跡の主が絡んでいるようにしか思えなかった。
ある程度の検分を終えると、俺たちは改めて先を進んだ。
◆◇◆
あれから道に時々、先ほどの蜘蛛と同じような亡骸が転がっており、ますますこの先にいるであろう人物に俺たちは警戒する。
「私のレベル上げのために来たのに、妙なことになったわね……」
「さすがに魔物の死体が残るなんて現象、見たこともないからな。こればかりは仕方ねぇよ」
「私も、森の中で生活してて、老衰で死んだ魔物もいたけど、それも消えていったから、こんな現象は初めて……」
アルたちがどこか強張った表情でいる中、俺は道中とある考えに至っていた。
これ、ドロップアイテムじゃないから、ある意味素材を余すことなく手に入るよな?
もちろん、ドロップアイテムが基本のこの世界じゃ、不気味以外何ものでもないけど、ある意味お得でもあるよね。
問題なのは、この現象に関わっている人間がどういう存在かということで……。
そんなことを考えながら進んでいると、やがて妙に豪華な扉の前にやって来た。
「なんか途中からヘレンのレベル上げができるような魔物も現れなくなって、こうしてボス部屋の前に来ちまったが……」
「そういえば、今のヘレンのレベルっていくつだ?」
「え? えっと……488ね」
「あー……まだ『超越者』には届かなかったか」
『超越者』にするつもりでここに来たのだが、それが達成できなかったことに俺は申し訳なく感じた。
ドロップアイテムの中にはヘレンが使えそうな物も特になかったし、あとは引き返してもう一度魔物が湧き出るのを待つか、この扉の向こうにいるであろうボスを倒すかでレベルが上がるのを待つわけだが……。
するとヘレンは少し慌てて言う。
「いや、それでも私は元々203だったレベルがここまで上がったわけだし、十分誠一先生には強くしてもらったわ」
「でも、それじゃあどうする? このまま引き返して、湧き出た魔物を倒す?」
「サリアの案でも別にいいんだが、な……」
アルはそう言いながら扉を見る。
「……基本、ボスの部屋には一つのパーティーしか参加できねぇ。だから、この扉が開くころにはあの足跡の主はボスを倒しているか、倒されてるかの二択なワケだが……。どうも胸騒ぎがしてならねぇ。できれば、道中の魔物の死体の不可解な現象の原因であろう足跡の主の正体や情報を集めたい」
「でも、この扉が開くころにはその人に会うことはほぼできないんでしょ?」
「まあな。死んでるにしろ、生きているにしろ、どのみち会えねぇだろう。だが、それでも情報は手に入る。このダンジョンのボスを倒せるようなら、それだけの実力があり、死んでいるなら……残酷な話だが、気にかける要素が一つ減るだけのことだ」
アルはそういうと一つ溜息を吐き、改めて俺たちを見る。
「だから、オレは引き返す前に、一度このボス部屋の中身を確認したい。それから改めて引き返して、ヘレンのレベル上げを再開したいんだが……大丈夫か?」
「もちろん、私はそれで大丈夫だよー!」
「ええ、私もそれで大丈夫です」
「俺も異存はないよ。それに、ボス部屋を調べてから引き返した方が、ダンジョンに魔物が湧き出てるかもしれないからね」
俺たちは一致して一度目の前の扉の中を調べることに決めた。
「さて、それじゃあ扉が開くまでしばらく待つが――――」
そう言いかけた瞬間、目の前の扉がゆっくりと開き始めた。
「……どうやら、中の戦闘が終わったみたいだな」
俺たちは一度顔を見合わせると、気を引き締めて扉の中に足を踏み入れる。
すると、扉の中は草原が広がっており、ゾーラのダンジョンの時のように、ダンジョン内にも関わらず、昼のように明るかった。
今まで洞窟のような道を進んできたために急な環境の変化に驚いていると、アルが緊張した声で俺たちに声をかけた。
「おい……あれを見ろ……」
「え? っ!?」
アルに促され、同じ方向に視線を向けると……。
「な、何よ、アレ……」
「怖い……」
青々しく生い茂る草原の一部が、ポッカリと穴が開いたようにそこだけ草が枯れ果てており、その周辺には巨大なバッタやカマキリ、カブトムシやムカデといった、虫系統の魔物がすべてひっくり返った状態で散乱していた。
そしてその中央には、何の武装もしていない、白髪碧眼の男がぽつんと立っていた。
「なんだってんだよ、おい……どうして扉が開いたのに、まだいやがる……!?」
アルは警戒心を最大にしながらそう問いかけると、白髪の男は今頃俺たちに気付いた。
「ん~? あ、来た来た」
アルやヘレンから警戒心を向けられているにもかかわらず、白髪の男はまるで散歩をするかのように俺たちに近づいてきた。
「っ、寄るな!」
アルが武器を構え、そう叫ぶと、白髪の男はその場に立ち止まる。
「そんなに警戒されちゃうと悲しくなっちゃうなぁ」
「……その転がっている魔物や道中の魔物は、お前の仕業か?」
「え? ああ、このコレかぁ。うん、そうだよ」
やけにアッサリと認めた男は、ニコニコと笑みを絶やさない。
「じゃあ……なんでこのボスの部屋をクリアしたお前が、まだここに留まっているんだ?」
アルの話通りであれば、本来ダンジョンではボス部屋は一つのパーティーしか挑むことができない。だからこそ、ボス部屋の中で他のパーティーと合流するなんてことは不可能であり、前に挑んだパーティーがクリアし、この先の転移部屋に向かうか、全滅するかしなければ扉が開くはずがないのだ。
だが、男は特別隠すこともなく簡単に告げた。
「そりゃあ僕がダンジョンのルールを殺したからね」
「ルールを、殺した?」
意味の分からない言葉に首を捻っていると、男は笑みを深め、恭しく礼をした。
「僕は『絶死』のデストラ。【魔神教団】の『神徒』と呼ばれる存在さ」
そして、俺たちにどこまでも冷たい視線を向けた。
「さて――――死んでくれるかな?」




