≪魔聖≫と≪王剣≫
「ふぅ……皆、少しは元気になったかのぅ」
バーバドル魔法学園の学園長であるバーナバスは、学園祭の片づけをしている生徒たちを眺めながらそう呟いた。
【魔神教団】の襲撃により、学園内は暗い雰囲気で満ちており、それを少しでも払拭しようと考えたバーナバスが決めた学園祭だったが、結果として、学園内の雰囲気が少し良くなったため、バーナバスの狙い通りとなった。
「……とはいえ、全員が全員、楽しめたわけじゃないようじゃが……」
しかし、この学園祭そのものをよく思わな者がいたのも事実。
その筆頭がSクラスの……それも【カイゼル帝国】出身の者たちであり、そして勇者たちの多くも学園祭を素直に楽しんでいる者は少なかった。
「若者たちには、少しでも心休まる時間を提供したかったのじゃが……」
再び溜息を吐き、バーナバス自身も学園祭の片づけをしようとしたその時だった。
「……何じゃ?」
不意に、バーナバスの知覚範囲に妙な気配を感じた。
それはこのバーバドル魔法学園の敷地内に、誰かが転移魔法を用いてやって来た時の感覚だった。しかも、たった一人だけの反応ではなく、もっと多くの人間の反応を察知したのだ。
【魔神教団】が同じように転移魔法を使ってやって来た際は、魔神の加護によってバーナバスでさえ察知することができなかったが、今回はハッキリと感じたため、【魔神教団】に関係する確率は低いとバーナバスは考えた。
とはいえ、いきなりやって来たのは事実であり、突然の来訪者をバーナバスは警戒しながら会いにこうとすると――――。
「が、学園長!」
「なんじゃ、どうした?」
一人の男性教師が、学園長室に駆け込んできた。
すると男性教師は荒い息のまま、バーナバスに告げる。
「へ、兵士たちが! 【カイゼル帝国】の兵士たちがやって来ました!」
「なんじゃと!?」
「――――突然の訪問、失礼する」
「っ!」
不意にかけられた声の先にバーナバスが視線を向けると、そこには≪王剣≫――――ザキア・ギルフォードが自身の部下であるカイゼル帝国第二部隊を引き連れて立っていた。
「……これはこれは……様々な国の、様々な身分の人間が集うこの地で、そのように大勢の兵士を連れてくるとは……一体どういう了見かのぉ? ――――≪王剣≫殿」
「……」
ザキアは、バーナバスの問いにはすぐに答えず、しばらくの間黙って瞑目していたが、やがて静かにその目を開いた。
「≪魔聖≫バーナバス・エイブリット。本日からこのバーバドル魔法学園は我々カイゼル帝国によって運営させていただく」
「ほぉ……?」
短い言葉だが、そこから溢れ出す圧倒的威圧感に、ザキアの背後で待機していた補佐を務めるオルフェ・アルモンドを含んだカイゼル帝国第二部隊の全員が体を硬直させた。
「何を言うかと思えば……ずいぶんとバカげたことを口にするのぉ? 何の連絡もなくいきなりやって来た挙句、この地をカイゼル帝国が運営するじゃと? ――――この儂を舐めとるのか?」
「残念だが、陛下が決定したことだ」
しかし、ザキアはまったく動じることなくそう口にした。
その反応はバーナバスにとっても予想外であり、微かに眉を動かす。
「……」
「……」
沈黙が訪れ、どれだけ時間が経ったかはオルフェたちには分からない。
その沈黙を破ったのは、バーナバスだった。
「嫌じゃ……といったら?」
「そちらに拒否権は存在しない」
ザキアの言葉を受け、また一段とバーナバスの威圧感が強まった。
とんでもなく息苦しい空間に、オルフェたちが帰りたくなるのも無理はなかった。
「はぁ……そちらの王様は一体何を考えておるんじゃ? この地は唯一中立が保たれた地。そこを一国が運営するなど――――」
「その点の心配はいらないだろう。何故なら――――カイゼル帝国が大陸を支配しているも同然だからだ」
「何っ!?」
バーナバスは目を見開いて驚いた。
そんなバーナバスを冷静に見つめながら、ザキアは続ける。
「どうやら知らなかったようだな。もはやこの大陸でカイゼル帝国に逆らう国は四つのみ。ヴァルシャ帝国、ウィンブルグ王国、東の国。そして――――魔族たちだけだ」
「そんなバカな!?」
ザキアの口から出た国以外にも国は十を超えるほどあるのだが、ザキアの言葉が真実だというのなら、文字通り大陸のすべてを掌握したと言ってもいいだろう。
さらに言えば、ウィンブルグ王国はもとより、ヴァルシャ帝国も東の国も、国家としての規模は大きくないのだ。
「何故そんなことに……」
「この間行われた魔族とウィンブルグ王国の交流会。その際、ウィンブルグ王国は魔族の王である魔王の娘を招くというだけあり、全国に散らばるS級冒険者を招集した……その隙をついて、各国の首脳陣を直接狙い、人質にすることに成功した。これにより、大陸中の国々がカイゼル帝国に逆らうことができない。こうして大陸はほとんどが陛下の手中に収まった」
バーナバスは信じられないといった表情でザキアを見つめる。
「バカな……ありえない。たとえSクラスの冒険者がおらずとも、精強な国の兵士や将軍たちがいるはずじゃ! それをかいくぐり、首脳陣を直接狙うなど『超越者』でもなければ――――」
バーナバスはそこまで言いかけて、気付いた。気付いてしまった。
「――――『超越者』たる≪魔聖≫バーナバスよ。その『超越者』の称号は、お前一人のモノではない。……俺もその領域に足を踏み入れたのだ。そしてそれは俺だけじゃない。俺以上に隠密行動の巧いヤツや、同じように戦闘を得意とする者たち……カイゼル帝国の戦力はお前が思っている以上に強化されたのだ」
「あり得ぬ……あり得ぬぞ……! 最近までそんな話は一切聞かなかった! それがいきなりなぜ!?」
カイゼル帝国の中で、最強と呼ばれる≪王剣≫が『超越者』となっていることは特に驚きはない。
だが、ザキアの言い方では、カイゼル帝国にはもっと多くの『超越者』が存在していることになる。
『超越者』には誰もがなれるわけではなく、≪王剣≫や≪魔聖≫であるバーナバスのような、ごく一部の限られた才能を持つ人間にしか到達できない領域なのだ。
その領域に至るまでの時間は決して短くはなく、長い年月の鍛錬や膨大な戦闘経験が必要となる。
そんな『超越者』がカイゼル帝国で多く現れた……もしくは生み出した方法も重要で気になるところだが、それ以上にザキアの言葉が本当なのだとすれば、大陸の情勢は簡単に傾き、カイゼル帝国の一強時代となるだろう。
バーナバスは呆然としながらも、絞り出すように思わずザキアに訊いた。
「お主は……お主はこれでいいのか? 先王は大陸の統一など望んでいなかった……そしてその先王を慕っていたお主がなぜ、今の王の言いなりになっておるんじゃ? 民は、兵士たちの中には疑問に思う者がおらんのか?」
「…………俺も、陛下の考えを改めようとした。そして……陛下を殺すことも、考えたことがある」
「ザキアさん……」
今までザキアの葛藤を身近に見てきたオルフェは、悲しそうにザキアを見つめた。
「ならば……何故じゃ? 何故、止めんのじゃ……! お主ほどの力があれば、カイゼル帝国の王など――――」
「無理だ」
「――――」
予想外の言葉に、バーナバスは言葉を続けることが出来なかった。
「俺は、陛下を殺すことが出来ない。いや、俺だけじゃない……この世にいる誰も、陛下に勝つことはできないのだ。……そう、バーナバス。お前でさえな……」
「バカな!? そんな……何が……」
バーナバスは思わずオルフェたち第二部隊の人間に視線を向けると、全員悲痛な表情で俯いている。
その表情が、すべてを物語っていた。
「何が……何が起きておるのじゃ……? カイゼル帝国は……カイゼル帝国の王は、一体……」
よろめくバーナバスをザキアは静かに見つめ、そのまま背を向けた。
「バーナバス。俺はこのまま勇者たちを連れて帰らせていただく。…………一週間だ。一週間、猶予を与える。その間に学園を閉鎖しろ。そして生徒たちが母国に帰るというのであれば、我々はそれを黙って見逃そう。これが最大の譲歩だ。もし、それでも続けるというのであれば……その時は、この土地ごと蹂躙する」
「っ!」
「……では」
ザキアはオルフェたちを引きつれ、その場から去って行った。
バーナバスはザキアを引き留めたかったが、それ以上に与えられた情報と衝撃が大きく、冷静に動くことができない。
「が、学園長……」
今までのやり取りを黙ってみていた男性教師は、震えた声でバーナバスに声をかけた。
「……至急、カイゼル帝国や今の大陸の状況の情報を集めてくれ。三日……三日以内で集められるだけの情報を集めるのじゃ」
「は、はいぃ!」
男性教師は急いで部屋から出ていく。
そしてバーナバスは天を仰いだ。
「なぜ、学園内の雰囲気が明るくなった途端にこんなことが……」
嘆いたところで、結果は変わらない。
今はただ、ザキアの言葉が本当かどうか……少しでも早く情報を集める必要があった。
――――そして一週間後、ザキアは勇者たちを引き連れてカイゼル帝国へと戻り…………バーバドル魔法学園は閉鎖することが決まったのだった。




