サリアの気持ちと勇者の末路
「私は如月たちがFクラスの教室に向かったと聞いて駆け付けたのだが……」
「ウチは優佳たちに背中を押されてせいちゃんに会いに来たんスけど……」
「何で君がいるんだい?」
「何で生徒会長がいるんスか?」
「いや、俺が訊きてぇよ!」
Fクラスに突然やって来た神無月先輩とあいりんは、お互いに指をさしてそう口にした。
さっき如月先輩たちが去ったばかりだというのに、新たな登場人物にアグノスたちは目を丸くしていたが、黙って成り行きを見守っている。
取りあえず状況を整理しよう。
まず、神無月先輩は分かる。ありがたいことに俺のことを気にかけてくれているらしいから、如月先輩たちがFクラスに来たと聞いてわざわざ助けに来てくれたんだろう。
でも、あいりんが分からない。
そもそも、あいりんとは高校に入って全然会っていないのだ。
いや、あいりんは中学時代から俺のこと探してくれてたけど、それを俺が避けていたんだ。
せっかく友だちが出来てボッチ生活から抜け出せたのに、俺なんかといたらボッチに逆戻りどころか、虐められるかもしれないからな。
結局色々考えてみたけど、
「おいおい、どうした?」
「何で生徒会長がここにいるワケ?」
「……さあ? ただ、修羅場っぽい気がする……」
あいりんの背後から声が聞こえたので、視線を向けると、そこには派手な女子グループがヒソヒソと何かを話していた。恐らくあいりんの友だちだろう。
「どういうことなんだ!? 誠一君! どうして世渡君がここに――――」
「せいちゃん、どういうことっスか! 何で生徒会長が――――」
何故だかお互いの視線をぶつけあっていた神無月先輩たちが突然俺の方に視線を向けると、如月先輩たちのような少し間抜けな表情で固まった。
「え? あ、あの……どうしました?」
『……』
何となく敬語になってしまいながらそう訊くも、二人からの反応はない。
すると、突然固まったあいりんの様子を訝し気に思った背後の女友だちが声をかけた。
「おい、どうした? って――――」
「なんかあったワケ? ……は?」
「…………………………彼が本当に『せいちゃん』?」
その友人たちも、俺に視線を向けると似たような表情で固まる。だから何で!? 説明プリーズ!
俺がそう思っていると、ようやく硬直から抜け出したあいりんが血相を変えて詰め寄って来た。
「せいちゃん、カッコよくなりすぎっスよ!? どんなダイエットしたんスか!?」
「え? ……し、進化の実ダイエット……?」
「なんスかそれ!? ていうか、ウチ以上の変わりようじゃないっスかっ!」
言われてみれば、あいりんも中学時代は地味な女の子だったのだ。
それが、今やイケイケ女子に大変身。だが、俺の姿はそれと比べても驚くほどに変わっているようだ。まあ確かに痩せただけでなく、慎重も伸びて薄毛も解消されたけどさ。
「言うほど変わってるか? 顔とかただ痩せただけじゃね?」
「どの面で言ってんスか!? ちゃんと鏡見てるっスか!?」
「そりゃ見てるよ」
あれ? 俺がおかしいのか?
確かに【果てなき悲愛の森】を出てから、何度か自分の顔を確認する機会はあった。それこそ水に映る自分とかいくらでも見るだろう。
でも、俺からすると言うほど変わったようには思えないのだ。ニキビとかは消えたりしたなぁとは思ったけどね。
そんな風に考えていると、あいりんが呆れたように言う。
「せいちゃん……どんだけ自己評価低いんスか……てか、痩せただけでカッコよくなるわけないっスよ……」
「あれ? 軽くディスられてる?」
俺とあいりんがそんなやり取りをしていると、あいりんの友人の一人が口を開いた。
「……たぶんだけど、以前があまりにも酷過ぎて自分の顔だけ正当な判断が出来てないんじゃない? ある意味ですごく悲しいワケだけど」
「普通そんなことあるっスか? ……いや、せいちゃんならあり得るっスね」
よく分からんが、納得されてしまったようだ。
状況が状況だったので気にもしなかったが、よく考えればあいりんとこうして話すのも中学以来なのだ。
そのことに俺はどこか感傷的な気持ちになる。
「……今さらだけど、こうして話すのは久しぶりだな……」
「……本当っスよ……勝手にウチの事避けて……」
「それは……ごめん」
避けたという事実に変わりはなく、俺は謝ることしか出来なかった。
そんな情けない俺を真剣な表情であいりんは見つめてくる。
すると、あいりんは突然表情を和らげ、優しい笑顔を浮かべた。
「……まあ、もういいっスよ。こうしてせいちゃんに会えたっスからね」
「……ありがとう」
久しぶりの再会でどこか照れくささを感じていると、急にあいりんは雰囲気を変えた。
「……ところでせいちゃん。これはどういうことっスか?」
「へ?」
「とぼけても無駄っスよ。ここにいる生徒会長と特別な関係にあるんスよね? どういうことっスか!?」
「特別な関係って言っても……ただの幼馴染みだよ?」
「いーや! どう考えても違うっスね! ウチの勘がそう告げてるっス! さあ白状するっスよ!」
「白状も何も、本当のことを言ってるだけなんだけど……」
よく分からない方向にあいりんが暴走していると、そのまま神無月先輩にも突撃していった。
「会長も会長っスよ! 前に訊いた時はせいちゃんを知らないって言ってたのに! ウソ吐きっス!」
「……」
「ちょっと、聞いてるっスか?」
あいりんが神無月先輩に声をかけるも、反応はない。
そういや、神無月先輩さっきから静かだな……どうしたんだ?
神無月先輩の様子に首を傾げていると、唐突に凛々しい表情で口を開いた。
「結婚しよう」
「何の話ですか!?」
神無月先輩の頭の中はどうなってんだ!? つか、どこから結婚の話になった!? 一人だけ別世界で生きてないですか!?
俺もあいりんも驚く中、神無月先輩はまったく気にした様子もなく続ける。
「我慢しようと思ったが、こうして君の生の姿を見て考えが変わった。挙式はどこがいいかな?」
「言い方変わっただけで中身一緒じゃねぇかッ!」
思わず口に出してツッコむと、あいりんも慌てて口を開いた。
「な、なな何を言ってるんスか、会長! 頭おかしいんじゃないっスか!?」
「そ、そうだそうだ! もっと言ってやってくれ!」
「せいちゃんと結婚するのはウチっスよッ!」
「アンタも何言ってんだ!?」
頭がおかしいのは神無月先輩だけじゃなかった。
「し、仕方ないじゃないっスか! もともと好きだったのに、久しぶりに会ったらカッコよくなってるんスもん!」
「は? 好きって……ええええええええええ!?」
「私の方こそ、ずっと前から誠一君のことが好きだったんだ。もう我慢できない」
「はいいいいいいいいいいいいいいいいい!?」
あいりんが俺のことを好きぃ!? 神無月先輩も俺のことを好きぃ!? ヤバイ、一気にトンデモない情報が飛び込んできて頭がおかしくなりそうだぞ……!
「せいちゃん、覚悟を決めるっス! ウチと結婚するっスよね!?」
「いいや、私だ。私を選ぶだろう!? じゃないと君を殺して私も死ぬ!」
「なんだ、このリスキーすぎる選択肢……!」
おかしい、色々おかしいぞ……! 一体俺の身に何が起こってるんだ!?
いつの間にか壁際まで追い詰められた俺は、本気で困っていた。
すると、突然俺の右腕に誰かの腕が絡みついてきた。
「だ……ダメっ! 誠一の奥さんは――――私なの!」
――――それは、サリアだった。
突然現れたサリアに、神無月先輩たちは驚きの表情を浮かべる。
神無月先輩たちだけじゃない。俺も驚いていた。
今まで、アルと恋人になっても怒ったり、嫉妬をあらわにしたりしなかったサリアが――――今、初めて感情をぶつけてきた。
俺の右腕をぎゅっと抱きしめ、どこか不安そうでありながら一つの意思を感じさせる瞳で神無月先輩たちを見つめている。
俺や神無月先輩たちが驚いていると、ふと我に返ったサリアが戸惑った様子で呟く。
「あ、あれ? 私、なんで……」
「サリア?」
声をかけると、サリアは戸惑いながら俺の顔を見上げてきた。
「誠一……私、おかしいの。神無月さんたちが誠一と結婚するって言うのを聞いたら……なんだかとても嫌だなって思って……」
「……」
「こんなこと、今までなかったのに……どうしたらいいのかな……?」
不安げな様子でそう訊いてくるサリア。
その姿を見て、俺は――――。
「……サリア。ごめんな?」
「え?」
俺が一言謝ると、サリアは呆けた表情を浮かべた。
そんなサリアの表情に俺は思わず笑みを浮かべ、神無月先輩たちに向き直った。
「神無月先輩、あいりん。気持ちは嬉しいけど、俺にはサリアがいるから。ごめんなさい」
俺は二人に頭を下げる。
……アルとは恋人だが、ここの関係はサリアも一度認めてくれた。
でも、もう一度しっかり話し合わないといけないのかもな……。
頭を下げた状態でいると、最初に聞こえてきたのは神無月先輩の声だった。
「誠一君……君の気持ちは分かった。でも、私はそれではいそうですかと諦められない」
「ウチも同じっス。やっと会えて、こうして気持ちを伝えられたのにここで終わりなんて……絶対に嫌っス」
「……」
ただ頭を下げることしか出来ない俺に、神無月先輩はハッキリと言い放った。
「だから、私は第二夫人の座を貰おう!」
「………………は?」
「あ、ずるいっスよ! ウチが第二夫人っス!」
神無月先輩の突然の発言に思わず間抜けな声を出すと、あいりんも同調するように手を挙げる。
「ん? 何を驚くことがあるんだい? この世界では重婚が認められてるじゃないか。それで君がサリア君を一番に選ぶというのなら……」
「い、いやいや! ちょっと待ってくれ! これ、そういう問題じゃないだろ!? なあ!? サリア!」
「私が最初の奥さんなの? それならいいよ!」
「あらヤダ認めちゃったよっ!」
ナニコレ!? これ、そんな簡単に解決できるような問題じゃないでしょ!?
そう思っていると、サリアは優しい表情で俺に言う。
「もちろん私は誠一が大好きで、結婚したいけど、前も言ったように誠一は私一人で独占しちゃいけないと思うの」
「そんなこと――――」
「それに、二人は私より前から誠一のことを知ってて、誠一のことを想ってたんだよ? それをいきなり現れた私なんかのために諦められるワケないと思うんだ」
「……そう、なのかもしれないけど……」
思わず言いよどんでしまう俺に、サリアは笑顔で言い切った。
「大丈夫! 私が誠一の一番でいられるように頑張るから! ね?」
「――――」
本当に、俺はサリアに敵わない。
サリアに対して心の底からそう思っていると、サリアは未だに二番目がどうだとか言い争っている神無月先輩たちに視線を向けた。
「アルがいるから二番目は無理じゃないかなぁ」
「ははは……」
俺は乾いた笑みを浮かべることしか出来なかった。
すると、事の成り行きを見守っていたアグノスたちのうち、フローラが引きつった笑みを浮かべながら小さく呟いた。
「本当に今さらで何度も同じことを聞いた気もするけど……誠一先生って何者?」
俺が知りてぇよ!
◆◇◆
「クソがっ! 絶対に後悔させてやる……!」
「僕たちをあそこまでコケにするなんてね……」
「あー……胸くそ悪ぃぜ」
Fクラスにちょっかいを出しに行き、誠一に軽くあしらわれた如月たちは、学園の廊下で悪態を吐きながら歩いていた。
不機嫌さを隠そうともしない勇者たちを見て、未だに学園に残っている生徒たちはいそいそとその場を離れていく。
すると、先頭を歩いていた如月が何かを思いついたように東郷や大山を含む勇者たちに語り掛けた。
「そうだ……これから僕たちでレベル上げをしに行こう」
「あん? どうした? 急に……」
唐突な如月の発言に大山が不思議そうに尋ねると、黒い笑みを浮かべて答えた。
「あの誠一ってヤツをぶっ飛ばすためにレベル上げをするのさ。僕たちは勇者だ。他の連中よりステータスの伸びが高いんだよ? なら、レベルを上げてアイツを超えてしまえばいいのさ」
「とはいってもよ……アイツのレベルっていくつだ?」
「さあ? そんなのはどうだっていい。僕たちがレベルを上げれば、アイツを倒せる。それだけで十分じゃないか」
黒い笑みを浮かべたまま、如月は頭の中でこれからの行動を組み立てていく。
「取りあえず、レベル上げをするためにも魔力を回復させないとね」
そう言うと、如月たちはとある教室に向かった。
――――このとき、まだ知らなかった。これから如月たちの身に、一体何が起こるのかを……。
教室に向かっている最中、階段を上ろうとしたとき――――それは起こった。
「え――――?」
突然、先頭を歩いていた如月が、階段を踏み外したのだ。
当然先頭が階段から落ちることにより、背後にいた勇者たちも巻き込みながら盛大に階段を転がり落ちていく。
「ぐああああっ!」
「い、痛ぇぇぇぇえええええ!」
「ま、正也! 何足滑らせてんだッ!」
「ぼ、僕だってわざとじゃないさ! ……ん?」
全員が激しく体を床に打ち付け痛みに悶えていると、如月は自分が足を滑らせた階段に何かが落ちていることに気付いた。
何とか全員動けるため、体を引きずりながら慎重に階段を上ると、そこには水に濡れた雑巾が落ちていた。
「クソッ! 誰だ、こんなところに雑巾を置いたヤツは……! 絶対に許さないからなッ!」
雑巾を床にたたきつけ、怒りをあらわにする如月。
それを東郷が宥めながらも目的の教室に着くと、如月は苛立たし気に扉を開けた。
「おい、魔力回復薬を持ってこい!」
「え!?」
「僕たちを誰だと思ってるんだ!? 勇者だぞ!? さっさと持ってこい!」
「は、はいぃぃいい!」
如月たちが訪れたのは薬学室と呼ばれる教室であり、薬学の授業などの使う場所で様々な薬やその原料となるものが置かれていた。
薬学室では、勉強熱心な生徒が一生懸命実験をしていたというのに、如月はまったく気にもせず自分の注文を言うだけ言うと近くの椅子に座った。
勇者の悪評は全生徒に知れ渡っているため、薬学室にいた生徒も大人しくその要求に従うのだ。
薬学室で勉強しているとはいえ、教室内の薬品すべてを把握しているわけでない。
だが、それを言ったところでどうにもならないことは分かっているため、必死に探していた。
「た、確か……これ、だったかな……?」
「いつまで僕たちを待たせる気だ!? 早くよこせ!」
苛立ちが収まらない如月は生徒が手に持っていた薬品を奪い取ると、一気に飲み干して残りを東郷達に配った。
東郷たちも同じように一人一本ずつ、飲み干していく。
「ふぅ……これで回復しただろう」
「こ、困ります! 全部飲んだら……!」
「何? 僕たちのやることに口を出すわけ?」
「うっ……」
一斉に勇者たちから視線を向けられ、生徒は思わず黙ってしまう。
その様子を見て如月は鼻で笑う。
「フン……弱者に人権なんてない。黙って僕たちの言うことを聞いていればいいんだよ。……さ、もう用は済んだし行こうか」
荒らすだけ荒らすと、如月は全員を引き連れて去っていった。
――――だが、彼らは気付いていなかった。
如月たちが飲んだ薬は、決して魔力回復薬などではなかったのだ。
もし、彼らの中の誰か一人でも薬に『鑑定』のスキルを使っていたなら、未来は変わっていただろう。
なぜなら、『鑑定』するとこう表示されるからだ。
『精力死滅薬』……繁殖力の高い、オークやゴブリンなどのために作られた薬。効果は絶大で、一口飲めば、どれだけ興奮できる状況下にいようとも生殖器が排泄行為以外機能しなくなり、性行為が一切できなくなる。
彼らは、知らず知らずのうちに男としての機能を失ったのだ。
そうとは知らずに、魔力を回復したと思った如月たちは、学園の近くにある森に足を運んでいた。
「ここが学生にとって最適のレベル上げの場所らしい。取りあえず、ここで力をある程度着けよう」
『おう!』
すぐにレベル上げの為に魔物を探すが、なかなか見つからない。
如月たちは知らなかったが、以前この森にはデミオロスが訪れており、その際多くの魔物の命が刈り取られていたのだ。
そのため、現在は森の中での生態系が大きく変わり、不安定な状態であるため生徒の立ち入りを禁止していた。
だが、如月たちはそれを無視して森に来たのである。
時間だけが過ぎていき、如月たちはどんどん不機嫌になっていった。
「何で出てこないんだ!」
ついに我慢の限界に達した如月が、声を上げた。
「スライムは? ゴブリンは!? 何故一体も出てこない!? ザコのくせに……!」
「確かになぁ……一体もいねぇのは変だよな?」
「本当につくづく使えねぇ学校だぜ」
そんなことを話しながら探索をしていると、不意に木々の折れる音が聞こえた。
「ん? 何だ?」
如月たちは音の方に視線を向けると、『ソイツ』は姿を現した。
「グルルルル……!」
「ッ! こ、コイツは……」
木々をへし折りながら如月たちの前に現れたのは、本来学園周辺の森では見ないような熊の魔物だった。
「やっと現れたね……しかも、レベル上げには丁度よさそうなヤツじゃないか」
熊の魔物と言うことで一瞬怯んだ様子を見せるもすぐに気を取り直し、やっと現れた魔物に如月たちは獰猛な笑みを浮かべた。
そして、如月は熊の魔物に向けて手をかざした。
「それじゃあ、サクッと殺して次に行こうか? 『ファイアーランス』!」
如月がそう魔法名を口にするが、魔法が出現することはなかった。
「あ、あれ?」
「何やってんだよ……俺が代わりにやってやるぜ。『ウィンドショット』!」
如月の魔法が不発で終わったため東郷が代わりに魔法を使おうとするも、結果は同じだった。
「は? ど、どうして……」
「グオオオオオオオオ!」
『ッ!?』
魔法が使えないことで動揺していると、今まで警戒していた魔物が咆哮をあげた。
如月たちには分からなかったが、魔物の放った咆哮には恐慌状態に陥らせる効果があり、もろに咆哮を受けた如月たちはパニックになった。
「わあああああああっ!」
「び、ビビるな!」
「お、お前らも魔法を撃てよ! 早く!」
「わ、分かりました! 『ファイアーランス』!」
「『ウィンドカッター』!」
「『ウォーターショット』!」
他の小林達も先輩である如月の命令を受けて、口々に魔法名を唱えるも、魔法が発動することはなかった。
「な……なんでなんだよぉ!?」
如月たちの魔法が発動しない理由はいたって単純だった。
何故なら、魔力回復薬を飲んでいないからである。
如月たちが魔力回復薬だと思って口にしたのは『精力死滅薬』ということで、魔力が回復する要素は一切ないのだ。
とはいえ、完全に魔力がないわけではない。
だが、基本的な魔力操作もまともに訓練していない如月たちに、少ない魔力で魔法を使うような繊細な技術は備わっていなかった。
魔法が発動しないことで狼狽える如月たちを前に、熊の魔物は完全に格下だと見定め、悠然とした足取りで近づいてきた。
徐々に近づいてくる魔物に腰が抜けそうになりながらも、如月は思い出したかのように叫んだ。
「そ、そうだ! お前ら、『聖剣』を使うんだ!」
「そうか! 魔物も魔族の一部みたいなもんだもんな!」
「これでも喰らえッ!」
それぞれが一斉に聖剣を取り出すと、技術も何もない、ただ振り回すだけの状態で魔物に突撃していった。
その瞬間、如月たちは一斉に吹っ飛ばされた。
「ガハッ!?」
熊の魔物が、腕を横に振るったのだ。
だが、ただそれだけで如月たちはその攻撃を認識することなく吹っ飛ばされたのだ。
冷静に慎重に行動していれば、如月たちは魔物の攻撃を受けるようなことはないはずだった。
しかし、魔物の咆哮の効果や魔法が使えないこともあって、如月たちには一切余裕がなかった。
全員が周囲の木々に打ち付けられ、最初に攻撃が当たった者に至ってはその凶悪な爪の餌食となり、腕を切り裂かれていた。
「痛い痛い痛い痛いよぉぉぉぉおおおおおお!」
「あう……あぐ……」
「はぁ……が……が、がああああ……」
「うぐ……えぐ……わああああああん!」
幸い死者はいないものの、たった一撃で瀕死に追いやられた如月たち。
そんな如月たちをさらに絶望に追いやるような光景が目に飛び込んできた。
「え――――」
なんと、如月たちの『聖剣』が――――折れていた。
「そ、そんな……」
「う、ウソだろ? なぁ……」
そして、折れた『聖剣』は光の粒子となり、空中に消えていった。
『聖剣』が折れたという事実で呆然としているが、知らず知らずのうちに如月たちのステータスも大きく変わっていた。
まず、『聖剣』が失われたことにより――――『勇者』と言う称号を失った。
本来、『聖剣』はそんな簡単に折れるものではない。
それどころか、仮に折れたとしても勇者の資格を失うこともなく、再度出現させれば元通りになるはずなのだ。
だが……如月たちは勇者である資格を失った。
それはつまり、二度と『聖剣』を出せないことを意味する。
さらに失ったのは『聖剣』だけでない。
勇者でなくなったため『聖属性魔法』も失い、成長率も一般人並……否、元々平和な世界で暮らしてきたこともあって、成長率は最低値となって、レベルも1の状態かつこの世界の子供にも負けるようなステータスに変わっていた。
しかし、『聖剣』が折れたという事実だけで呆然としている彼らは、そのことに気付けない。
如月たちの状態など関係ない魔物は、再び凶悪な爪を振り下ろした。
「う、うわああああああっ!」
如月は痛む体を必死に引き摺り、魔物の攻撃が直撃することは避けられた。
だが――――。
「か、顔がああっ! ぼっぼ……僕の、顔があああああああ!」
完全に避けきる事が出来なかった如月は、大きく顔を引き裂かれた。
その傷は大きく、もはやアイドルとしての面影はない。
未だに呆然としている他の勇者にも、魔物は追撃を行った。
引き裂き、殴り、踏みつぶし――――。
今となっては一般人以下のステータスになった如月たちは、満身創痍だった。
それぞれが顔の形も変わり、先ほどまでFクラスでアイドルを語っていた存在はどこにもなかった。
だが、これでもまだ如月たちは運がいいのかもしれない。
何故ならば、一般人以下である彼らがこうして生きていられるのは魔物が彼らを格下だと認識し、いたぶって遊んでいたからに他ならなかった。
それでも、いつまでも遊びが続くわけではない。
いたぶることに飽きた魔物は、とうとう如月たちを食べようと大きな口を開いた――――その瞬間だった。
「立ち入り禁止って言われてただろうが」
一閃。
如月たちの微かな意識の中、熊の魔物の首が落ち、倒れていく瞬間を見た。
「酷ぇ怪我だな……命は助かるだろうが、傷は知らん。自業自得だ」
そう言いながら近づいてきたのだ、森の調査に来ていたアルトリアだった。
デミオロスによって森の生態系が崩されたために、様子を見てくるように先生方はバーナバスから頼まれていたのだ。
アルトリアは怪我だらけの如月たちを前に眉をしかめた。
なぜなら、如月たちの血や汗の臭いだけでなく、死ぬ寸前だったこともあり、失禁していたのだ。
それらが混ざり合って、周囲は酷い臭いが立ち込めている。
「手持ちの回復薬で回復してやるが、血までは戻らねぇし痛みを完全に回復してやれねぇ。今他の先生方が来るだろうから、それまで我慢しな」
アルトリアの言う通りほどなくして先生方が救援に来たが、如月たちの怪我はかなりひどく、痛みなどは癒すことができるも傷は治すことができなかった。
もはや、如月たちにアイドルとしての未来はない。
安心したことで気を失った如月たちが、絶望するまでそう遠くなかった。
しかし何故、神々も見放したこの星で、彼らにこうも多くの禍が訪れたのか。
――――それは、たった一人の『人間』のために、世界が気を利かせた結果だった。




