10、騎士のぼやき
うららかな昼下がり。
帝国騎士団長にしてリリアの思い人であるアレクシス・ジェザードは重いため息をついた。
それは、何かを決意したようなため息であり、同時にそこから殺気がただ漏れていた。
「…行くか 」
傍らの大剣を持ち、ふらりと立ち上がったアレクシスの目は完全に戦闘モード。
その瞳は戦場で何人もの敵をなぎ倒し敵を震え上がらせた孤高たる騎士のものだった。
「だんちょー、ちょっと書類に不備が~ 」
ノックもなしに部屋に入ってきたのは、つやのある黒髪をツインテールにした可愛らしい少女のような騎士であった。
フリフリのスカートやフリルなど勝手に改造された騎士服は、その者に良く似合っている。
見た目だけならば、完璧な美少女騎士。しかし、声は紛れもなく、男性の低いものであった。
「…って、どうして臨戦態勢なんですか。敵でもあらわれましたか?それにしては、血しぶきとか死体が転がってませんねぇ… 」
なんて偽美少女騎士が呟いていると、アレクシスはすっととある報告書をかざした。
それを見たとたん、美しい顔を歪めて偽美少女騎士は盛大に溜息をついた。
「あんた、また密偵出したんですか? どんだけ信じてないわけ? 」
「うるさいぞ、ユーリ。 リリア様の周辺の害虫を調べているだけだ 」
ユーリと呼ばれたその騎士は、アレクシスがかざした紙切れをうさん臭そうに見つめる。
そして、内容を確認してさらに深いため息。だめだ、この人とばかりに肩をがっくりと落す。
「じゃあ、団長は、このヒューバートとかいう騎士を倒しにいくんですか? 」
「ちがう 」
即座に否定したその顔。酷く不機嫌そうな瞳は怒りで揺れている。は?じゃあ、何しに行くわけ?ユーリの不思議そうな表情に対して、アレクシスは短く答えた。
「殺しにいくだけだ 」
「同じでしょぉおおおーーー!! 」
バン!と勢いで机を叩いて、ユーリは思わず突っ込んでしまった。
「だんちょー、そろそろ元に戻ってください。仕事しましょう。もう、こんなに書類を貯めちゃって…前はこんなじゃなかったのに…うぅ、どうして 」
うるうると涙を目に貯める黒髪ツインテールの美少女もとい女装騎士は、頭を抱えて天を仰ぐ。
そんな様子に目もくれず、アレクシスはコートと旅に必要な最低限の道具を準備していく。
「安心しろ。リリア様さえ手に入れば、それで全てがおさまる。だから、今は大人しく見送れ 」
無表情で淡々と言い切るアレクシス。そこに一切の迷いはなく、すでに彼の中でリリアの奪回は決定事項のようだった。
何が一体おさまるんだ…と心の中で密かに突っ込んでユーリは頭をフルに回転させる。
そりゃあ、自分としては早くこの団長様に元に戻って欲しいと思う。それは切実に。
だけど、この人をこの国から出すわけにもいかないのだ。
帝国騎士団団長とは、いわば帝国の守護神。最後の最後、土壇場で国を背負って戦うべき存在。
今は確かに有事ではない。しかし、いついかなるときも緊急事態に備えておかなければならないのだ。
それに、自分は命じられている。あの皇帝陛下に強く強く命じられている。
何があっても、アレクシスを帝国から出すな、と命令されている。
はぁーと細く息を吐いてユーリは考える。どうしたらいいのだろう。
どうしたら、この恋狂いのわけ分からん最強騎士様を留めることができるのだろう。
弱点は言わずもがな。しかし、相手の姫君の名前を呼ぼうものならば自分はすぐに血ダルマにされてしまうだろう。前回は、それで失敗して殺されかけた。
ユーリも騎士団副団長の地位を得ているが、目の前の男との実力の差は悔しながら相当ある。
だからこそ、彼は長い間、孤高と呼ばれ恐れられていた。
何者も追従することのできない強さ。それこそが、帝国の守護神。
そんな人を、どうやって退けろってんだよ!!
前回は「思いつめすぎると、リリア様も心配するぅうう!?」と言ったところで、剣を向けられて追いかけられた。あんな恐ろしい経験は最初で最後にしたいものだ。
ちなみに理由は、気安く名前を呼んだから、らしい。まったくもって、意味が分からない。
しかし、アレクシスがそういう以上、悲しいかな、それは絶対の正義なのだ。
半ばやけのように舌打ちを打つ。考えろ、考えるんだ。
怖い思いもしないで、尚且つ円満にこの場を収められる一言。えっと、えっと…。
「団長、約束!! 」
「…は? 」
扉に手をかけ、今まさに出ていこうとするアレクシスは怪訝そうにユーリに振り向いた。
意味不明の単語を避けだユーリは冷や汗ダラダラ。しかし、ここでやめるわけにはいかない。
「団長、約束したんですよね。一年は待つって約束したんですよね。だったら、守らなきゃ 」
ぐっっと眉間にしわを寄せて相貌を歪ませるアレクシス。痛いくらいの殺気のような不機嫌さが突き刺さって、ユーリはもう窒息一歩手前だ。
前はこんなんじゃなかったのにぃぃいいいい。
懐かしき日常が、当たり前にあった日々が今は酷く懐かしくて恋しかった。
ユーリが副団長に就任した時に、すでにアレクシスは団長3年目。
落ちついて控えめで、それでいて存在感はある。仕事はきっちりこなし、部下にも無体なことはしない。
そして、強さは帝国随一!!とくれば、憧れないわけはなかった。
なによりも、ユーリにとって嬉しかったのは自分の服装をけなさなかったことだ。
変えろと言われず、ただそのままのユーリを認めてくれた。それがただ嬉しかった。
まぁ、言い換えればユーリに対して興味がなかったとも言えるのだが。
そんな、理想的な上司は恋と共にガラリと変わってしまった。
7日間の要人の周辺護衛の任務の間に、運命の人に出会ってしまったそうだ。
相手はお妃さま妹君。あの宰相を追い詰めて見事捕縛したらしい。
そう、それだけならば賞賛だけですんだだろう。
しかし今や、彼女は帝国騎士たちの間では恐怖の対象である。
団長を狂わして、そして放り投げていった恐ろしき姫君。ついたあだ名は「傾国」。それが彼女の通り名だ。
射殺されそうな視線に冷や汗はとまらない。だめだ、震えが止まらない…と意識を手放そうとしたところで、アレクシスの溜息が聞こえた。
「…そうでしたね。忘れていた。いや、忘れていたかった 」
酷く悩ましげな表情のアレクシス。しかし、先ほどまでの殺気は消え去りいつもの物静かな様子。
いつもの団長だぁあ~!!
ホッとしたように肩を落とすユーリ。うっすらと涙を浮かべるその様子は、まさに薄幸の美少女。本人としては非常に不本意であろうが、まさにそのもの。
持っていたものを次々と元に戻して、最後に大剣を置こうとして、ピタッととまるアレクシス。
「そうだ、ユーリ。頼みがある 」
「はい、なんでもいたしますよ 」
そう、貴方の機嫌を維持するためならば、なんでもね。
目元をぬぐいながら、うっすら微笑むユーリ。しかし、次の言葉で動きが止まる。
「もしもの時は、俺の代わりに彼女を守ってこい。邪魔者を排除しろ 」
ニコリ、と絶対的強者の笑みで言い切られた言葉。
辞退も、拒否も、言い訳も、タイムすらも許さないというその瞳は、是と答える以外の道を残していなかった。
だから、心の中では悪態を絶叫してもんどり打ちながらも、ユーリには笑顔で頷いた。
それしか、もうできなかった。
どうせなら、さっき死んでおけば良かったのだ、と己の運命を嘆いても時はすでに遅し。




