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国王代理のお仕事1


 花の町と呼ばれるガルバ町からの巡回から帰って来て、そろそろ残業する文官たちも全員が帰宅したと思われる深夜に差し掛かる時間帯。

 宰相執務室の明かりはまだ消されることはなかった。

「…………」

「…………」

 二人分のペンを走らせる音だけが支配する執務室の中にハルクの姿はない。

 宰相室には部屋の主であるルシウスと、間借りしている王女ミレーユ、それからミレーユが部屋に戻らないことによって強制的に残業となっている護衛騎士のエヴァンの三人。他にも交代して夜勤の見回りの衛兵やたまにお茶を淹れにくるメイドの出入りもある。

 エヴァンは、黙々と作業を続けるミレーユに「早く終われ」という念を送る仕事を勝手に追加した。朝から巡回に付き合って少しだけ祭りを楽しんだこともあって残業も苦ではないのだが、十四歳が公務とは言え深夜になるまで自由時間を得ないのはどうなのかと苦言を呈したくなる。いや、巡回が自由時間そのものだったと言われるとそうかもしれないが。

 気まずそうな顔で時折ミレーユを見ているルシウスが不憫でならない。

 教会でも一幕を見た当事者であるエヴァンだから気まずくなる原因も理解できるし、その後一人になって祈りを捧げるミレーユからも話を聞いたからより居たたまれなかった。

 小さな教会での結婚式に憧れのある、盛大な結婚式が約束された一国の王女と、その願いを本物ではないにしても叶えてあげようとした二人の男。

 三人の気持ちはそれぞれに理解できるし、誰も悪くない。

 悪くはないが、人選が良くなかった。

「エヴァン、うるさい」

「何も発言はしていませんが」

「顔? 目がうるさい」

「……へいへい」

 じっと見ていたのに気付かれて、ペンを走らせながら来たミレーユからの文句に苦笑する。

「でも、そろそろ自室に戻られた方がいいと思いますよ? 姫様」

「え?」

 指摘されてやっと顔を上げて時間を確認したミレーユが目を丸くしてエヴァンに顔を向けた。

「もっと早く言ってよ。こんな時間だなんて気付かなかったわ」

「えー……」

 わざと集中していたのではなかったのかと聞き返しそうになって言葉を飲み込む。

 理不尽な扱いは今更だが、それもエヴァンに多いと他の騎士に聞いたことがあるのですべて受け止めるつもりでいた。

 ミレーユは、王女という肩書きが無ければ可哀そうな身の上だ。

 母親を早くに亡くし、父親もショックから抜け切れずにいて、親の代わりに生活費を稼いでいるようなものだ。さらに父親の様子も毎日欠かさず確認しているのだから大したものだ。エヴァンは自分なら絶対にできないと思う。

 ミレーユは周囲――身近な人の体調に気遣いを見せる。それは亡くなった母親である王妃が病気だったからもあるが、その王妃から常々言われていたから忠実に守っているようなものだ。

 騎士にも侍女にも、宰相にだって息抜きの時間は確保されている。

 しかし王女はどうだ。

 国王の代わりに執務をこなし、視察ではない巡回と称して各地を見て回り、周囲の体調にも目を配る。

 たった十四歳の成人前の子どもに負担を強いてしまうしかないのが心苦しい。

 だったら、軽口を叩ける自分のような存在は決して離れるべきではないだろう。

「じゃあ、これで今日は最後にするわ。結構片付いたし、大臣会議にも間に合うわね」

 さらさらとペンを走らせて、ペン立てに置いた。

「…………」

 サインを終えた書類を鍵の付いた箱に仕舞う。

 もう自室へ向かってもいいのに、まだ椅子から立ち上がろうとしない。

「えっと……ルシウス?」

 ミレーユがルシウスの様子を窺っているのを見て、エヴァンは護衛に徹することにする。余計な口を挟まないように気配をなるべく消した。

「はい、姫様」

「その、今日はなんか……ごめんなさい。気を遣ってもらったのに無碍にしてしまって」

「無碍……とは?」

「ほら、教会で手を差し出してくれたでしょう? カノンと二人で。あの時ね、

どうしたらいいのか分からなかったの。パーティでのエスコートは何度かしてもらったけれど、あれはそういうのじゃなかったし……」

「いえ、姫様の思うままにされてよかったのですよ」

 ずっと同じ部屋で、自分の部屋なのに居心地の悪さを感じていたルシウスはミレーユの一言で弛緩した表情になった。

「何か姫様のご気分を害するようなことをしたのかと気にしておりました。そうでなくて、本当に……よかった」

 心の底からの安堵の声にミレーユの体が小さくなった。

 勝手に憧れていたものを、身近な異性である二人が叶えてくれようとしてくれた気持ちは嬉しいが、勝手に諦めたとは言えずに口ごもる。

「差し出がましい真似をして、申し訳ありませんでした」

「あ、謝らなくていいわ。その……ルシウスはどういう気持ちで手を出してくれたのか聞いてもいいかしら?」

 ちらちらと期待の込められた目をしていると本人は意識していないだろうが、ルシウスも気付いていない。

 エヴァンは早く部屋に戻ってほしいと念を送り続けているが、内容が気になってしまい念を止める。

 甘酸っぱい空気に支配されていようとも、今は空気と化しているので気にならない。

 ルシウスの返答次第では国に大ニュースが駆け巡ることになる。

 真面目に仕事に準ずる顔をしながら大きな期待を胸に、エヴァンは二人の会話を最大限拾えるように集中した。

「どういう……気持ち」

 時が止まったかのよう制止したかと思えば真面目に考え込む真面目な宰相は、どうにか言葉にしようとしている。根が文官だからなのか、こういったところは律儀だ。

 正確で曖昧な表現を使わず、スピードも速いことから敏腕最初として年齢の若さを抜きにした評価が目立つようになってきた。いまだに若さだけを理由に文句を付けようとする貴族もいるが、武器がたったそれだけであればハルクが前に出てくるのですぐに黙る。若いから未熟だと言えば、熟達した前宰相が副宰相の名を出して現れるのだから反論できるわけがない。

「王族の結婚式では採用されておりませんが、平民や下位貴族の間では新婦は教会の扉からしばらくは父親と並んで歩き、神官と共に待つ新郎の元へ送られます。姫様はそういった形式の結婚式はなされないので、僭越ながら陛下の代わりを務めようと手を差し出した次第です。なのでその時の気持ちと言いますと父親的な……いえ、父親の気持ちなど分からないので偽りになりますね。だから」

 微笑を浮かべて、頬を掻きながらルシウスは続けた。

「兄――のような気持ちでしょうか」

 照れた顔のルシウスに、エヴァンがよろけなかっただけ偉いと自分を褒めた。

 もっと面白い展開になるものじゃないのかと勝手に期待した側ではあるが反射的にツッコミも入れそうになったものの、ギリギリで耐えた。護衛任務中の騎士でなければ恐らく耐えられなかっただろう。

「兄……ですか」

 低く感情の失せた、囁くような声だった。

 声の主であるミレーユが、顔を俯かせて表情を隠している。

「私ごときが国のトップたる陛下の代わりなどおこがましく、そして姫様にご兄弟がおられないのも当然存じております。ですが、姫様の問いに答えるならば、やはり兄の心境が近いと推測いたしました。実弟もおりますし」

「……そうね」

 ルシウスに弟がいることはこの場にいる全員が知っている。弟が家督を継ぐのでルシウスが宰相の仕事に専念できていると言っていいが、最初の頃はルシウスが稼ぎに出るしかなかった状況だった。宰相としての給与を家に入れようとしているのを見抜いて止めたのはミレーユだ。

 家族思いで家族のためなら自身を犠牲にしていることに気付きもしないルシウスである。無意識にミレーユのことも妹のように見ている可能性は否定できない。

 エヴァンはもう目の前の景色を直視できそうにない。

「でも」

 ミレーユは俯いたまま音を立てて椅子から立ち上がった。淑女としてはしたない行動ではあるが、窘めようとする人間はいない。

「あなたは私の兄じゃない」

 声を低くして言い捨てると、そのまま執務室を出て行こうとするので慌ててエヴァンが扉を開けてミレーユに付いて行った。

 家族を大切に思っているのはルシウスだけではない。

 ミレーユだって家族を大切に思っている。

 たった一人だけの家族である父親の回復を祈る健気な一人娘。

 そんな彼女は側近から兄と言われて喜ぶような人ではなかった。




 大きな薄布の裏で、ミレーユは会議の様子を聞いていた。

 毎月の初めに開かれる大臣会議。議会とは別に定期的に開催される情報交換会のような会議の議題は先日巡回に行ったガルバ町にも通る河川について。

 水量の減少については他の集落からも陳情が出ていることが分かり、議題に上った。

 貴族の重鎮はとにかく足が重い。

 現地の調査は他人任せ、自分の配下に少しくらい現地調査させてもいいだろうに会議に出れば資料は配られると思われているのか、とにかく情報を持たない。

 請われれば人員を割いてはくれるが、それだけだ。

 宰相のルシウスが進行役を務め、大臣たちが議論を重ねていく。それをミレーユが薄布を隔てたところで聞きながら別の公務をこなしていく。

「ここは一つ騎士団を派遣して……」

「しかし騎士団は現在、合同演習で団長が不在でしょう?」

「副団長がおられる。陛下からの任と言えば派遣してくれるのでは?」

「それでは王城や王都の護りが手薄になると思うが、それはどうする?」

「マルベック王の統治するベルン王国国内に騎士団が出動を余儀なくされるような事態が起こるとでも? ははは、冗談は言わない方がいいですよ。陛下の耳に入ってしまわれる」

「はっはっは、もう聞こえておりましょう。ねえ、陛下?」

 会議の決まり事として、薄布の奥にいる国王マルベック――ということになっているミレーユ――は、一言も口を出さないとなっている。何か返事を求められる場合はルシウスが薄布へと近付き言葉を貰い、伝えるという手順を踏む。手間はかかるが、直接国王の声を聞くより気が楽だろうとゴリ押し気味に決定した。本音はマルベックではなくミレーユがいることを知られないための措置ではあるのだが。

 ミレーユは「またおじさんたちが調子に乗った話をしてるわね」などと心の中で溜息を吐きつつ、別件の書類に目を通していく。

 大臣たちは恐らくだが、薄布の裏には誰もいないと思っている。

 ルシウスが陛下の言葉の伝達をしているとは言っても、ルシウスだけが薄布の裏に陛下がいると言っているだけで他の誰かが確認したことはない。元々誰もいないと思って会議をしてくれと言ってはいるのでミレーユは気にしないが、薄布の裏にいるのは陛下でなくても王女なので、あまり軽口は叩かない方がいいのではないかと助言したくなる。

 そう考えているのはミレーユも同じで、慣れはしたが事故で薄布が捲れたりしないように祈ることしかできない。些細なことでの断罪ほど嫌な仕事もない。

 いないと思って会議をしてほしい、と提案したはいいが、慣れてしまえば「いる体で会議を進めた方が捗る」と思い込んで会議が始まる。そういった感覚の変化は面白いものとしてミレーユは今後の市政の糧として受け入れていたのだが、天井裏に潜む影や薄布のすぐ向こうにいるルシウスの裁可を求める書面を作成中の手から怒りが滲んでいるのを痛感する身としては今すぐ口を慎みなさいと言いたくなってしまう。

 終わってみれば採決のない議論を続けただけの日だった。

 いつもは何かしら国王陛下の決裁が必要になる流れがあるのに、今回はまだ調査途中の話だったからかただの話し合いだけで終わった。まぁ、情報共有はなされたと言う意味では最低限必要な会議ではあったけれど。

 各々帰りの馬車が来た順に帰っていくのを薄布から出ずにひたすら待っている状況のミレーユは最後まで気を抜かないように呼吸にまで気を配っていた。

 最後に三人ほどが揃って退出するのを聞きながら、ようやく長く息を吐く。万が一のこともあるので無音で。

 別件の書類も残すは父である国王のサインを貰うだけ。ミレーユの本日の仕事のほとんどが終わった。

 ふかふかの椅子の背もたれに体を預ける。

 パラパラと紙の擦れる音が薄布の向こうから聞こえ、ルシウスがまだ軽作業の途中らしいと分かった。

 部屋には護衛騎士はいない。ミレーユの専属護衛騎士が同席すれば怪しまれるどころではない追及が待ったなしだ。

 代わりではないが天井裏に王家の影がいて、護衛の面はそちらでカバーできている。影は複数人いてくれているので早急に国王のサインが必要な際の運搬要員として動いてくれる。

「…………」

 室内がミレーユとルシウスの二人だけであるという事実に、頭を抱えてしまいそうになる。

 ガルバ町に巡回に行った日の夜から、ミレーユはルシウスと距離を取っていた。

 教会でのやり取りの心意を聞いて、なんとなく怒りを覚えてしまったのだ。

 ベッドに入ってから「怒るほどのことじゃないんだけどな」と我に返ったものの、次の日から今日に至るまで、心に引っ掛かりを残している。

 兄気分で仕事をしているのかとは思っていないし、妹のように扱われた覚えもないと断言できる。

 ルシウスはきちんとミレーユを王女として見ているし、国王に代わって公務をするミレーユの補佐を完璧にこなしてくれている。

 不満はない。

 ないのだが、あの瞬間に沸いた怒りの理由がはっきりしなくてモヤモヤする。

 薄布越しでもルシウスと二人でいる空間に気まずさを感じていると、迎えに来た護衛騎士たちが入室してきた。

「お疲れ様でした」

 カノンとトーラスの二人が薄布を捲る。

「この後はいかがされますか?」

「陛下……お父様は? 大丈夫そうならお父様とお茶をしたいわ」

 書類を両腕に抱えて椅子から立ち上がり、カノンとトーラスの顔を交互に見る。答えたのはカノンだった。

「陛下は会議の終了をお知りになってすぐに横になられました。朝から体が重いと仰っていると侍従から聞いております」

「……会議が終わるまで待ってくれていたのね。体調が思わしくないのなら、気にせず休んでくれてよかったのに」

 どうせならもう少し頑張ってくれたなら挨拶程度の会話もできたかもしれないのに、という気持ちもあるが、それよりも心配の方が勝った。

 父親に甘えたい年頃ではなくなったと思うが、たった一人の家族と会いたい時に会えないというのも寂しいものがある。

 ちらりとルシウスに目を向ける。

 兄の気持ちでミレーユを見ていると言われても、ミレーユはルシウスを兄と見ることは難しい。一人っ子だから当然かもしれないが、やはりまだ怒りがくすぶっている。

「部屋でお茶を飲むことにするわ。火急の案件がなかったとしても、会議って疲れるわ」

「分かりました」

 本当は庭園を歩いて気分を変えたい。しかし、今日は王城に貴族の令嬢たちが来ている。

 定期的に王城でお茶会を開くのもミレーユの仕事である。

 本来は王妃の業務なのだが、王妃が空席の状態では王女の業務となる。世間的には王女は病弱で滅多に茶会には参加しないことになっている。今日も会議前に少し顔を出して「私がいても気を遣わせてしまいそうですし、どうぞゆっくり楽しんで行ってください」と弱弱しく見えるように微笑んで会議に参加した。

 貴族の夫人たちだけの茶会の日もあれば、令嬢たちだけの日もある。年頃の令息令嬢を呼ぶこともあり、さすがにそういう日は参加するようにしていた。



予定が直前に大きく変わったりして大変な一か月でした。

同じ漢字を繰り返してて一瞬重複した日本語になったかと焦りましたが、大丈夫ですよね…?


大きく変わったりして大変…

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