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花の町の幸せな結婚2


 ガルバ町の主だった川辺に来ると、子どもたちが遊んでいた。

 裸足で川に入って水を蹴り上げて楽しそうにしている。

「流れがゆっくりで安全性は高いけれど、その分、水の量も確かに減っているようね。原因は川上のどの辺りかしら……」

「順に追っていく必要がありそうですが、騎士を派遣して探してもらいましょうか?」

「そうね。目ぼしい場所が見つかったら、また見に行きたいわ」

「そのように手配しておきます」

 ルシウスと話した後、町の子どもたちから離れたとこまで移動して川に手を入れる。水温は低いが、遊んでいる内に気にならなくなる程度だろう。

 濁りもなく透き通った綺麗な川だ。川底の敷き詰められた石までよく見える。

 川の整備はミレーユが初めての公務に選んだ一つだった。馬車と道路の整備と並行して行ったのだ。何事も見た目が綺麗な方が嬉しいと、そんな理由で。

 大衆の益になったから良かったものの、過去の自分の浅ましさには十四歳ながらに頭痛を覚える。

 色々詰め込んで勉強して最初の結果がこれかと、何度見返しても恥ずかしい。

 ハルクが宰相としてそれらしく見える形にしてくれたから助かったものの、ハルクがいなければ大惨事だった。国が消滅していてもおかしくない。

 ハルクに言わせればこれが最適解だったと笑ってくれるし、民衆の理解と国王の復活を知らしめる機会にはなったようだけれど。

「水加減はいかがですか?」

 頭上に影が差したと同時にそう声をかけられた。

 水面に映った姿でそれが護衛騎士のカノンだと分かったが、ミレーユはすぐに頭を上げずに両手で水を掬い上げた。

「気持ちいいですよ。飲むのは止めておきますが、こうして手を浸すだけでも癒されます」

「水質は調査済みですが、その程度で留めていただけて何よりです」

「カノンもどうです?」

「では、お言葉に甘えて」

 言うや否や、すぐ隣に腰を下ろして同じように手を川に浸す。

 護衛騎士ではあるが複数いる。一人や二人、休憩時間を取るのは当然のことだ。しかしこうして隣という近い位置で休憩する護衛なんていない。

「本当だ。結構冷たいですね」

 穏やかに話すカノンは、王妃に声を掛けられて騎士になり、護衛騎士にまで力を付けた。

 こうしてミレーユの護衛騎士になったのも王妃が遺した言葉によるものだと思っている。侍女のマリエンヌも王妃が「ミレーユの侍女に」と言われて側にいる。そういった人材は少なくない。

 おかげで大きな失敗なく国王の代わりが務められているわけだが、どこまで見越していたのかと年齢を重ねるにつれ考えてしまう。

 母はいないのに、いつも母に守られている。

 嬉しいような、いっそ悲しいような。

 川に手を浸しているカノンを見ながら、溜息を堪える。

 ミレーユにとってカノンは初恋の人だった。

 まだ騎士になる前、見習い騎士の頃に王妃の視察に付いていったことがあった。その時に見かけたのはカノンだ。丁度読み聞かせてもらっていた本が「お姫サマと騎士」という恋愛の本だったからか、カノンが本に出てきた騎士そのものに見えたのだ。騎士団長自ら見習いにも関わらずカノンを紹介され、その時に見抜かれていたのか王妃は「騎士になって我が娘であるミレーユを守ってくれるかしら?」と言葉をかけたからカノンはミレーユの護衛騎士になった――と思っている。

 見習い騎士から騎士になるのも、さらに護衛騎士になるのも生半可な努力では成し得ない偉業だ。カノンは想像もつかないほどの研鑚を重ねたに違いない。

 王妃に声をかけられるなど普通の騎士にだって珍しいことだ。だからこそ頑張れたのだと思うと、ミレーユはカノンが無理をしていないか常に気になってしまう。

 本当に守りたかったのは母の方ではないのかと。

「あなたも、水遊びをした時期なんてあったの?」

「どうでしょう。騎士になることを目標としていたので、そんな無邪気な頃があったかと聞かれると難しいですね。あ、でも……」

 一度言葉が切られて、気になって顔ごとカノンに向き合った。

「姫様が水遊びがしたいと仰るなら、絶対誘ってください」

 はにかんだ笑顔が眩しくて、つい目を細めてしまった。そのまま睨むような目になるように心がける。

「護衛の話なら言われなくてもそうするわ」

 どうせそういう話だろうと割り切ったのだが、カノンは川に浸していた手を上げ、指についた水を弾いてミレーユの顔にかけた。

「違いますよ。遊ぶなら俺を誘ってくださいって意味です」

「うにゃっ⁉」

「はは、姫様すみません」

 謝罪の念がまったくない謝罪に、反射的に手が伸びるが騎士相手に十四歳の王女なんて相手になるわけもなく軽く避けられた。

「ズルいわ。ルシウスとお酒を飲んで楽しんでいると聞いたけれど、どうせ私の悪口でも言ってるんでしょう⁉」

 つい出てしまった鬱憤にしまったと口を押さえたが、カノンはぽかんと呆気に取られたのも束の間、ハンカチを差し出して怪しく笑った。

「そんな話してませんよ」

「本当かしら? 今話してくれるなら不敬罪に問わないわよ?」

「褒めることは多々あれど、不敬罪に及ぶような内容なんて出ませんよ」

「じゃあどんな話をしているの?」

 軽く濡れた顔を拭き終えると、ハンカチがカノンの手に戻る。そしてそのままハンカチで髪を柔く拭かれた。

「いけません。酒は人のすべてを緩くさせます。姫様にはまず成人していただき、適切に酒を飲めるようになってもらわないと誘い文句になってしまいますよ」

「さ、誘い文句だったの……?」

「どうでしょう?」

「うう……ズルいわ」

 年上に揶揄われていると理解しているだけの余計に悔しい。

 濡れた顔に渡されたハンカチを当てながら本気で悔しがるミレーユに、カノンは目を細めて微笑んだ。

「大人になれば分かります」

 早くそうなってください、と続いた声は小さすぎてミレーユには聞こえなかった。

 川の水量の減少も把握した。町の様子も確認し終えたと言っていいだろう。あとは帰るだけだ。ただもう少し祭りの様子も堪能してから帰りたい。そういったミレーユの希望を聞いた面々は、まず屋台で腹を満たしてはどうかとエヴァンというお調子者感の強い護衛騎士の一言で広場へ移動した。

 主だった護衛騎士は三人おり、他にも隠れて護衛してくれている騎士が数人いるためにカノンやエヴァンは割と自由に行動できる。

 残り一人の護衛騎士は最初から団体行動から外れている。川の安全も彼がしたことだ。そうでなければミレーユが無造作に川に近付くことも、誰の許可も得ずに手を浸すなどできない。

 座る場所を確保して、護衛の選ぶ屋台の食べ物をさらに侍女のサリが選別しミレーユの前に並ぶ。傍目には数人が選んだものでテーブルを囲んでいるように見えることだろう。慣れた動きに指摘をする人間などこの場にはいない。そうでなければ視察ではない巡回などできないのだから。

 時間の猶予もなくなってきた。そろそろ帰り支度かと炭焼き肉を食べていると、ルシウスがこの後の予定ですがと顔を寄せてきた。

 口に物を入れた瞬間を狙うようなタイミングで来ないでくれないかな、という意味を込めて軽く睨んでみるが、まったく通じていないのか話が続く。

「この後、教会を見学させてもらえるようにカノンが手配していたようです。人もいない時間なのでゆっくりできるかと」

「……むう」

「決定事項ですから返事は結構ですよ」

 にこやかなルシウスに、わざと話せない状況で声をかけたのだと思うしかない。

 拒否なんてするつもりもなかったが、それを前提とした声掛けをされるのも腹立たしい。子どもっぽい反抗心でしかないが、沸いてしまう。

 意地悪なルシウスに苛立ちながら、それでも炭焼き肉は美味しい。

 どちらに集中するべきかと聞かれれば、炭焼き肉に決まっていた。




 結婚式の片付けも終わった直後の教会に赴くと、司祭が案内を申し出てくれた。

「お祭りの参加者がこうして教会に見学に来られることは珍しくありませんが、それでも多くはありません。ましては小さな教会よりも王都にある大きな教会の方が装飾も多く王族の方もお祈りに来られることもあるのでどうしてもねぇ。みなさまは王都の教会の方へは? ほう、行ったことがおありで。ならば少しがっかりされるかもしれませんが、ご自由にご覧ください」

 卑下するだけあって――というと語弊があるが、結婚式のためだけに呼ばれたという司祭は簡単にガルバ町の教会の案内をしてくれた。毎年結婚式のために呼ばれるとあって詳しく教えてくれようとしたが、ミレーユたちも教会のことを知らないわけではない。ただ人目を気にせず教会に入りたかっただけだ。

 目的を理解した司祭は一通りの説明はしたとからと祭りへ向かった。

 帰る時は裏で控えているシスターに声を掛けておいてくれと言い残して。

 教会から離れたところから祝福の声や歓声が聞こえてくる。きっと花嫁と花婿の二人が町中を歩いて、町民たちから祝われているのだろう。

 護衛の騎士たちが周囲の確認の後に扉を閉めると、外からの声がほとんど聞こえなくなった。

 礼拝堂にはミレーユたちしかいない。

 静けさだけなら玉座の間と似た雰囲気だが、教会には結婚式を行った直後だからなのか幸福の気配が濃く残っている。

「王都の教会へは何度も行っているけど、こういう落ち着いた雰囲気の教会も好きだわ」

 窓から入る日差しの柔らかさや、神を生んだ女神の像も王都にあるものより小さいからかまったく別のものにも見えてくる。

 絶対に叶わないこじんまりした結婚式を意識して足を踏み出そうとすると、左右から片手ずつ手が差し出された。

「姫様」

 二人分の声が重なる。

 手を差し出すのも声を発するのも同時だった。

「え? え?」

 出されたなら取るべきだと頭では分かっているが、こういう場合取るのは一人の手だけ。同時に取るのは立ち上がれない時だとか、小さな子どもが家族と歩く時くらいのもの。

 二人は――ルシウスとカノンはどういった理由で手を差し出しているのかが分からない。

 二人はミレーユが国王の代わりに働くようになってから側に付いてくれている宰相と護衛騎士だ。

 あ、なるほど、と理解した。一国の王女をエスコートするに足る立場の二人だ。

 どちらかを選ぶのではなく、両方を選んでいいのだ。

 だって王女なのだから。

 だってどちらかと結婚するわけじゃないのだから――

「一人でいいわ」

 二人がどういう気持ちで手を差し出してくれたのか知らないが、ミレーユが憧れているのは小さな教会でのささやかで幸福な結婚式であって、結婚そのものではない。

「少しお祈りするから、みんなはお祭りにでも行ってきたら?」

 差し出されたままの手を軽く叩いて下ろさせ、一人で歩いて女神の像の前まで行く。

 父は一人では立てなくなってしまったけれど、自分までそうなってはいけない。

 一人で立って、多くの人を支えなければならない。




「姫様、どうしたのでしょう……?」

 教会の外に出て、サリが戸惑った様子で閉まった扉を見る。

 教会の中にはエヴァンとトーラスという二人の護衛騎士が残った。

「結婚式に憧れがあると仰ったので、陛下の代わりではありませんがエスコートをしようとしたのですが……お嫌だったのかもしれません」

 落ち込むルシウスも扉で隔たれた先にいるミレーユに目を向ける。

「相手がいないからいけなかったのか……」

「そうじゃないと思う」

 国の未来の国王になるかもしれない相手選びを先延ばしにした代償だと頭を抱えそうなルシウスにカノンが腕を組んで否定した。

「姫様は……結婚してずっと一緒にいると約束した相手が亡くなるのを、恐れているように見える」

 他の誰よりも間近な存在である両親の悲しい別れを見てしまったから、選ぶのを拒否している。そう言うカノンにルシウスは毎朝の健康チェックを思い出した。

 少しでも顔色が悪ければ「体に気を付けないと」とすぐに言う。毎日のことすぎて流れ作業として流してしまいがちだが、飽きもせず、忘れもせず毎日確認するのは王女のすることとは思えない。

 ミレーユに言われてルシウスは自分のために給与を使うことを覚えたから簡単に体調を崩すことはないが、それでも人はいずれ死ぬ運命にある。

 ルシウスは手帳を取り出して「ミレーユ様は結婚の希望あり」と書いた部分をペンで塗りつぶした。

「深刻な問題になる前に、姫様に前向きになっていただく必要がありますね」

 ぱたんと音を立てて手帳を閉じたルシウスをカノンはじっと見ていた。



タイトル、最初は「がんばる王女様の健康診断」と付けていたのですが、医療モノではないのでやめたという経緯があります。

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