邂逅
女性の言葉にした名には聞き覚えがあった。
あれはエルルと出会った日のことだ。
名前を訊ねた時、彼女は確かにこう言葉にした。
『…………あたしの、名前……なまえ……?
……え……るる……みう? らてぃ?』
思い出そうとしていたわけじゃなかったんだな。
あの子はきっと、真実の名を言葉にしていた。
それにすら気付かず、俺は今まで考えもしなかったのか。
「あの子は自分を"この世界の女神"だと話しましたが、正確には違います。
エルルは私の記憶から生命を授けた特別な子でありながら、人の子の少女としての身体能力しか渡せていないのです。
最終調整をする前にあの子が飛び出したことで一種の記憶障害が起こりました。
本来持つはずのなかった"エルル"以外の名前と、女神としてのわずかな記憶が混在するように残り、与える予定だった魔法知識と身体能力を渡せずにあの子自身を半端な記憶で困惑させてしまうことに……。
ですが、先日あの子と夢の中で繋がることで、ある程度の調整を済ませました」
「……エルルに感じていた違和感はそれか」
「急に記憶が戻り、気持ちが舞い上がっていたのでしょうね。
この場所を"家"と呼んでくれたことは、私にとっても嬉しかったです」
満面の笑みで女神は答えた。
その姿はエルルを大人にした女性にしか見えなかった。
彼女が嘘を言っているとは思わないし、何よりもあの子は言葉にした。
"Access to system administrator privileges. Return home"と。
管理者権限を実行し、"管理世界"と呼ばれる家への帰還を叶えた。
つまりあの子は世界の根幹とも言えるようなシステムへ介入したことになる。
当然、制約や制限の類もあるとは思うが、少なくとも権限を行使できたことがすべてを物語っていた。
「……あの子は無事、なんだな?」
「もちろんです。
現在、渡す予定だった知識を与えつつ、休息を取っています。
もうしばらく時間はかかりますが、必ず元気な姿で会えますよ」
「そうか……」
心の底から安堵した。
あの子にもしものことでも起これば、申し訳が立たない。
必ず家に送り届けると約束したからな。
……それにしても、おかしいとは思っていた。
幼いエルルが林の中を彷徨う理由がこれまで理解できなかったが、ようやく合点がいった情報を知れた。
「つまりデルプフェルト近くの林にも、ここと繋がっている"入口"があるんだな」
「はい。
私たちは"ポータル"と呼んでいます。
あの子をトーヤさんの下へ送る準備はしていたのですが、記憶障害から帰還までの道どころか役割も忘れてしまったようです」
どうやら俺たちは、随分と遠回りをしてきたようだ。
本来であればすぐにでもこの場所へ向かえる手筈だったんだな。
ポータルへの案内も、この草原に連れてくる役目も、あの子は担っていたのか。
「この場所と地表を繋ぐポータルは世界に影響の出ない移動手段になりますが、人の子に識別はもちろん使用することもできません。
すべてはこちらが受諾した場合にのみ使用可能となりますので、ポータルの周囲で正しいパスコードを発言したとしてもシステムに受諾されることはありません」
なるほどな。
エルルの発言直後に聞こえた機械的な声は、そういうものだったのか。
どうりで何も感じない場所のはずだ。
あの子には違ったものとして見えていたんだな。
だが同時に、ある疑問点が浮かび上がる。
エルルと出会った頃は3人パーティーだったことからも分かるが、目的は間違いなく俺だ。
何のために呼び寄せたのかは想像くらいしかできないが、まずは色々と話を聞く必要があるか。
「この場所は、"別空間"なのか?
俺をここに呼んだ理由は?」
「ここは"管理世界"。
地表の問題事の調整や、外からの来訪者を迎え入れる場所でもあります。
来訪者とは、別の世界からやってきた"旅人"のことで、魂だけの虚ろな状態で迷い込むケースがほとんどです。
そのまま放置すれば消失してしまいますので、"管理世界"でこの世界になじむ体を与え、新たなる生として旅立たせることも私たちの役目なのです」
魂だけの状態。
いまいち掴みにくい例えだが、言いたいことは理解できる。
「いわゆる輪廻転生を神の手でしている、ということか」
「はい。
そのほとんどは構築したシステムによって正しく循環されるようになっているのですが、稀に肉体を持ったまま訪れる者たちがいます」
「……"空人"か」
「正確には、人の子が別世界から強引な手段で召喚、または転移させられた者も含まれますが、その認識でおおよそ正しいです」
だいたいは理解できたが、それでも疑問点は多い。
そもそもなぜ俺をこの世界に降り立たせたのか、だ。
鮮明なものとしては残っていないが、最後の記憶は制服に着替えているところだったはずだし、俺自身が別の世界に来たいと望んでいなかったことだけは確実だ。
俺が呼ばれた理由も思いつかなければ、それを了承した記憶もない。
まして"異世界行き"なんて、説明を受けたところで絶対に断るだろう。
「エルルをメッセンジャーとして送った理由を聞いていない。
なぜ、俺がこの場所に呼ばれたんだ?
それとも、ただ偶然が重なった"事故"だったのか?」
どうしても聞かなければならなかった。
とても理由があるとは思えないが、聞かずに判断はできない。
家族と離してまで強引に連れてくる必要があったとも思えないからな。
「それは私から説明するわ」
答えを女神から聞く前に別の場所から反応があった。
思いがけない女性の声に、俺の思考は完全に凍り付いた。
想像すらしていなかった彼女との邂逅に、呟くような言葉が俺から溢れた。
「……ラーラさん?」




