俺はそう思いたい
「懐かしいな、"肩で息をするゴブリン"」
「…………何度見ても可哀そうだよな、あれ……」
心なしか以前よりも体を支える腕がぷるぷるとしている気がする。
哀愁漂う切ない姿を見ていると、呆れたようなフランツの声が届いた。
そんな彼の言葉に苦笑いをするディートリヒたち3人だった。
しばらくの休憩を挟んだ俺たちは、再び迷宮を訪れていた。
理由のひとつはクラウディアの修練のためだ。
一度も迷宮に足を踏み入れたことのない彼女だが、俺が行こうとしていた場所はそれほど深い階層ではない。
ある意味、20階層以降は誰かと鉢合わせる可能性があるからな。
広くて見通しが良く、かつ誰にも邪魔されずに迷惑をかけない場所。
つまり俺たちが訪れたのは、しょぼくれた魔物が一匹いる10階層だ。
噂では、共にした仲間以外の冒険者とこの階層で出会うことはないらしい。
それが正しい情報なのかは分からないが、少なくとも1時間くらいの滞在なら大丈夫だろう。
あまり長居しても疲れるだけで、その分危険も付きまとうからな。
始めはこれくらいの短い時間がちょうどいい。
目の前には、全力疾走をしたあとの老人にも思えるゴブリン。
その大きさから判断すれば脅威的だと感じる若手冒険者は確かにいるだろう。
そもそも迷宮の上層は、なりたて冒険者が修練を積むために必要な場所だ。
ここで自力を高め、仲間とともに"なりたい自分"に焦がれながら先を目指す。
そんな若者が上層には多いんだろう。
……俺はそう思いたい。
そうでもなければ、出現する魔物が弱すぎて話にならない。
いくら100階層までが練習用の初心者ダンジョンだろうと、この世界の人たちにとっては十分高難易度みたいだ。
長い歴史の中で考えれば分からないが、現在も84階層が最前線だとすればその強さもたかが知れていると言わざるをえない。
「81階層からは確かに異質だが、それも数だけだ。
全体的に魔物が弱いんだよな、このダンジョン」
「……いや、それでも突破するのは容易じゃないんだが……」
言い難そうにディートリヒは答えた。
その気持ちも分からなくはない。
それに俺たちも、あの場所を越えるのはもう難しい。
ブランシェの鼻がおかしくなる階層が続くからな。
口数も極端に減っていたあの状況が、あの子にとっていいはずがない。
クラウディアには悪いが、48階層を目指して修練を積もうと考えている。
「確かにあのアンデッドの数は、いま考えても異常だと思います。
それに迷える魂を抱えているような存在ではなかったようですので、とても違和感があるんですよね……」
「分かるのか?」
「なんとなく、ではあるのですが」
エックハルトの言葉に、俺は少し驚いた。
そうだとは予想していたが、実際にそれが分かるような感覚があったのか……。
だとしたら、これは面白いことになりそうだな。
「例えようのない感覚ではあるのですが、この迷宮で遭遇するアンデッドはすべて、救われない魂に寄生するような悪感情を持っていないように思えるんです。
とても不思議で曖昧な表現ではありますが、まるで何もない場所からアンデッドが発生したような、そんな感覚でしょうか……」
「俺の予想では迷宮で出現するアンデッドのすべては"架空の敵"だと捉えている。
迷宮は迷宮の、外とは違う理を持って動いているんじゃないかな」
「俺もディートも、ゾンビはゾンビって思ってるんだけどな。
やっぱりこれはあれか、神官だからこそ感じるモノってのがあるのか?」
「そ、そういった修行と思われる特殊な鍛錬は積んでいませんよ……。
たとえるなら"信仰心"の深さは、みなさんより持ち合わせていると感じますが」
女神ステファニア、か。
神を信じていない俺からすれば、そんな存在がいるとは思えない。
しかし、心から信じている人がこの世界にはとても多いことだけは分かる。
……だからこそ、純粋な想いを踏みにじる連中が許せない、とも思えるが。
「いまエックハルトが感じている感覚が何かはひとまず保留にするが、魔物の圧倒的な数は除外しても難易度が低い点は間違いない。
それは84階層に出てくるポーン・アンデッドにも言えることだ。
一体一体は耐久力が高かろうが、所詮は歩兵。
どんなに言い繕ってもゴブリン程度の強さだからな。
あの場所に行けたとしても、このままじゃ数に負けると俺には思えたんだよ」
「それで俺たちを鍛え直すって言ってくれたのかよ?」
「そんな強い言葉は使っていないが、意味は大体合ってると思うよ」
こんな10階層で何するんだって顔をしてるな。
でも、この階層だからこそできることがあるんだよ。
「まずはみんなに方針を伝えようか。
今回ここにきた目的は、大きく分けて3つになる。
みんなに教えた気配察知や基礎技術の確認と魔力による身体能力強化法の体得、並びに魔力感知の修練と実践、なんだが……」
「待て、トーヤ。
もう置いて行かれたやつがいる……」
ぽかんと呆けるフランツを白い目で見つめるディートリヒは言葉にした。
ある程度の予想はしていたが、これはさすがに早すぎるな……。
「ここまで大丈夫か、フランツ……」
「……なんか、お偉い学者の講義を受けてるみたいで、一瞬眠くなった……」
幸先が不安になるが、彼は実戦派だからな。
特に大きな問題にはならないだろう。




