もうあんな思いは
「ともあれ、一般人だろうと今回は全員捕縛するっす。
んで、それにはこいつを使うと怪我させなくて済むっすよ」
テーブルに置いた小瓶をこつんと指でつつくルーナ。
中に入っている液体は、聞けば強力な麻酔薬らしい。
あり合せの材料で急遽製作したので、効果が出るまで5秒はかかるそうだ。
「布に薬品をつけて、口と鼻を覆うように吸わせるっす。
アタシらにはお得意の手法っすけど、使う時は自分も吸わないように気をつけるっすよ」
「効果はどのくらい続くんだ?」
「個人差があるっすけど、およそ1時間は昏倒すると思うっす。
この間は引っぱたく程度じゃ効果は切れないっすから、逆に起こしたい時には相当強めの衝撃を与えないといけないっすね」
キュアで快復できそうだから、特に作戦の障害にはならなさそうだ。
しいて言えば、5秒間は拘束したまま効果が出るのを待つほうが厄介か。
「相手が強く抵抗するなら、武力で抑え込んだほうがいい。
その際は、なるべく行動させにくい場所を狙うべきだろうな」
「具体的にはどの場所へ攻撃を当てるのが効果的ですか?」
「みぞおちか、肝臓を狙って打撃を与えるといいと思うよ。
これなら相手の動作を制限しつつ、呼吸困難にするから吸引させやすい。
当然、防具で護っている可能性も考慮した上での話になるが」
「首に強い衝撃を与えて気絶させる方法もあるんすけど、相当の鍛錬が必要っす。
相手を永遠に眠らせる可能性があるっすから、おすすめはできないっすね」
その点、水月を含む内蔵を狙うのは非常に効果的だと言える。
的確に当てることさえできれば相手の行動を制限できるはずだ。
それだけの隙があれば、薬の効果が出るまで安全に押さえ込める。
「気付け薬等を使われた場合はどうなるんだ?」
「それも大丈夫っす。
こいつはかなり強力な作用を持つ毒草を3種まぜまぜしてあるっす。
そこいらの気付け薬じゃ効果がない上に、命の危険もない優れものっす。
けど、逆にこっちもこれを吸うと昏倒しちゃうから、使用には細心の注意を払ってほしいっすね。
コツは瓶の蓋を開ける前から息を止め続け、相手を昏倒させたらその場を2メートルほど離れてから小さく呼吸をすることっす。
匂いも結構少なくしてあるっすから、必ず離れてから呼吸してほしいっす」
「わかりました」
ルーナは俺にも小瓶を差し出すが、魔法があるからいいと断った。
遠くから相手に悪影響を与える"ステータスエフェクト"があればこういった薬に頼らなくてもいいが、それもⅣまで高めることで初めて実現できる。
それでも20秒昏倒されるなら効果は十分だが、今回のようなケースだと心許なく感じるから不思議なもんだな。
さすがにそれだけの時間じゃ縛り上げられないから、結局は押さえ込んで無力化するくらいしか俺には思いつかなかった。
「だが、"匂い"ってのは気になるな」
「そっちも大丈夫っす。
かすかに感じる程度で、2メートルも離れると消えちゃうっすよ」
さっき言っていた距離は、そういった意味もあるのか。
この手の類の薬は強い刺激臭が部屋に残ることも多いらしい。
痕跡を残さないような薬を使って行動するのは常套手段だと、彼女は話した。
……これに関しては思うところがあるが、突っ込まないほうがいいだろう。
このふたりは、俺が想像しているよりもずっと危険な世界を生きているんだな。
「……外から見た限りでは、建造物と図面に差はない。
問題は隠し部屋の類と地下だと思う」
「地下、か」
「……まず間違いなく、ここがいちばん危険」
「なら俺が行くべきだな。
3人は1階の制圧と、2階へ向かう階段を押さえてほしい。
作戦開始から約1時間で憲兵も到着するはずだが、正直期待はできない。
外に逃げた気配を感じたら、確実に捕縛したほうがいいだろうな」
「……憲兵は数こそいるけど、暗殺者を相手にできるほど強いとは思えない。
対峙しても取り逃がす可能性のほうが遥かに高い。
私なら余裕で逃げ切れる自信がある」
「同意見っすね。
でもそのためのアタシたちっすから。
階段に陣取れば、建物の全体まで気配を探れるっす。
2階の構造から見ると、どっちの階段からでも同じ廊下に出るみたいっすね」
「リージェは待機しながら気配を探ってもらえるか?」
「逃げ出さないように見張るんですね?」
「あぁ。
見つけても捕縛しなくていいが、場合によっては追跡してほしい。
移動速度が極端に速い者、気配を消す者、気配を偽る者はすべて敵だ。
取り逃がすわけにはいかないから、俺たちが戻るまで周囲の警戒を任せるよ」
「はい、わかりました」
満面の笑みで応えるリージェだが、本音は一緒に行きたいんだろうな。
そう思ってもらえるだけ俺は嬉しいし、そんな死地にまで同行しようとしてくれることに感謝と幸せを感じる。
彼女の気配察知能力はレヴィアに次ぐ実力だ。
力加減こそまだ上手くできない彼女でも、最悪戦闘となった場合は確実に倒せるだけの強さにまで到達している。
特に大きな問題にはならないだろうし、リージェなら安心して任せられる。
……戦闘にならなければ、ではあるが……。
その場合は情報が聞き出せなくなるだろうな……。
「2階には3人、3階には2人いるみたいだが、まずは地下を制圧した俺と合流するまで待ってもらいたい」
「イレギュラーを気にしてんすか?」
「あぁ。
相手は全員暗殺者だと思って行動するべきだからな。
なるべく目立つ行動は避けたほうがいいが、それでも力量差を無視するようなアイテムを使われての戦闘になった場合、気配の質を変えれば俺が可能な限り早く駆けつけるから、そのつもりで行動を」
俺の言葉に頷く4人。
手痛い目に遭ったルーナだが、アーティファクトがひとつとは限らないからな。
……いや、むしろひとつだけだとはとても思えなかった。
何も策を講じずにのうのうと拠点にいるなんてありえない。
だからこそ保険をかけた。
相手がアーティファクト持ちなら、俺たちしか対処できないかもしれない。
憲兵隊はもちろん、ルーナとシュティレでも一方的に敗北する可能性がある。
「かなり強いと判断したら、俺が行くまでの時間稼ぎをすればいい」
「……それはそれで複雑な心境っす……」
「……頑張る」
「無理はするなよ?
もうあんな思いはごめんだからな……」
「……ヴァイスっち……」
何が楽しくて知り合いの血まみれ姿を見なきゃならないんだよ。
正直、気が気じゃないとしか言いようがないんだからな。
悲痛な面持ちをしていたんだろうか。
ルーナとシュティレからお礼を言われた。
どこか嬉しそうなその声色に、俺は小さくため息をついた。




