勘違いがすぎると
何がそんなに楽しいのか、男は嘲笑うようにこちらを見続ける。
とても常人には理解できない生き方をこれまでしてきたんだろう。
同情なんて微塵も感じないが、それよりも問題は落とされた硬貨か。
これは、どう対処するのが適切なんだろうな……。
感謝の気持ちでも言葉にしてから拾うのが正解なのか?
それとも苦言を呈することが、こちらの立ち位置としては正しいのか?
こういった場合の対処法は聞いてなかった。
いや、ある意味では選民思想を持つ貴族らしいと言えばそうなんだが。
しかし、このままってわけにもいかないか。
にたつく男に思うところはあるが、さっさと集めてこの場からご退場願うか。
立ち上がり、床に転がった3枚の硬貨を拾いに向かう。
まさか当主の指輪を大銀貨で返してもらおうって魂胆も、俺にはなかった。
まぁ、金額はどうでもいいな。
その態度に思うところはあるが。
だがこれで長かった交渉も終わる。
あまりにも神経を使いすぎる相手だと、こんなにも疲れるんだな。
この場では目を付けられないように受け取って退散しよう。
男の足元に転がる銀貨を拾おうと手を伸ばした瞬間、不快な衝撃が手に走った。
予想はしてたし、まったく痛くもないが、その行動には強い苛立ちを覚えた。
心を冷静に保ちつつ言葉にしようと口を開くも、先手を取られたようだ。
「底辺のゴミなどハエのたかる汚物に過ぎず、吐き気しか催さない。
汚らわしい場所に入らなければ指輪を取り戻せないことに思うところがないわけではないが、さもしいクズしかいない場所で呼吸をするにも我慢の限界だ。
大罪人として裁かれたくなければ、さっさと俺の視界から消え失せろ、ゴミ虫」
なら、その汚い足をどけろ。
ひとりじゃ何もできない愚者がぐりぐりと踏みつけやがって。
あまり勘違いがすぎると潰すぞ。
――と、まずいな。
本気で足をぐしゃぐしゃに握り潰すところだった。
ここで動けば色々と作戦に支障が出てくる。
男を無事に帰すことも俺の役割だからな。
ゆっくりと足から手を引き抜き、座っていた席へ戻る。
……まったく。
いったい何がしたいんだ、この男は。
まさかこの国も自分の領土だと思っている、なんてことはないよな?
本来あるべき交渉の場なら絶対に許されない暴挙の数々だが、今回に限って言えばどうでもいいことだ。
すべてはその先。
男がルーナの情報を手に入れてからの動向いかんで、今後の対応も変化する。
何もせずに町を出れば逮捕、問題事を起こせば同じ結果になる。
闇組織とコンタクトを取ろうとすれば機会を見て捕まえる算段だ。
理想は暗殺者に俺を狙わせること。
そいつを捕縛し、アジトを含む様々な情報を可能な限り入手する。
それをテレーゼさんに報告して、俺の役目は終了だ。
「それでは、以上で交渉を――」
「黙れ。
お前の話など聞いていない」
やれやれ。
急激に感情が冷めた。
こういう馬鹿がいると思うだけで十分だな。
リーゼルも2度目は落ち着いた様子を見せた。
こんな輩と接点を持つだけでもアホらしい。
立ち上がり、勝手に退室しようとする男の背中を気配越しに感じながら、反対側に造られた窓から見える美しい青空を見て心を和ませた。
どうせ破滅するまでの時間もないだろうからな。
1週間と経たず、片時も傍を離れないコンシェルジュが待機する鉄格子で造られたホテルと、手足にセンスが光るアクセサリーつきでの凱旋帰国だ。
せいぜい残された自由を満喫すればいい。
取り巻きを連れて部屋を出た男にため息をつくリーゼル。
よほど精神的に堪えたのだろう彼女に言葉をかけた。
「終わったな」
「はい……。
さすがに疲れました……」
「……だな」
息をつき、お茶を口に含む。
香りと味に癒されていると、重々しく低い声がどこからともなく聞こえてきた。
「……アイツ……斬り捨ててきて……いいっすよね……」
「気持ちはとても良く分かるのだけど、だめよ、ルーナ。
あれでもまだしばらくはこの世界にいてもらわないと困るの」
色々と突っ込みどころのある言葉が飛び出しているが、口を出せるほどの気力が俺にはなかった。
大銀貨1枚は日本円でおよそ1万円です。




