それも想定内だ
いい茶葉を使えば冷めていても美味しく感じるものだ。
さすがにどこの産地から摘まれたものかは分からないが、とても上品な香りが心地良く鼻を通るこのお茶は俺でも買えるんだろうか。
それとも一般人には出回らないようなルートで手に入れたものなんだろうか。
思えば食後のお茶にはそれほど拘ってなかったな。
上質なものではあるが飲み比べないと正確な味は分からないし、店主のおススメを買って美味しい淹れ方を実践するだけで飲んでいた。
それでも十分美味しいんだが、個人的には緑茶が恋しいと思える今日この頃だ。
残念ながら、これまで訪れた町の専門店でも売ってなかったが。
……いや、東方ならもしかしたら販売してるんじゃないだろうか。
太刀や打ち刀とは別物かもしれないが、遥か東にはそれに近い武器があると聞いたくらいだ。
緑茶を飲む習慣があっても不思議ではないし、それだけじゃなく醤油や味噌のような調味料も手に入る可能性だって俺は捨てきれずにいた。
この場にいる者には"空人"だと知られている。
面倒事が落ち着いたら、それとなく聞いてみるか。
子供たちの食生活に彩を添えられるかもしれないからな。
まぁ、鼻のいいブランシェからすれば味噌は臭いと感じることもあるだろうし、食卓に並べられるかはまだ分からないが。
しかめ面をしながらの食事なんて、美味しくないもんな。
好きなものだけを出すつもりはないが、苦手とする香りを我慢させてまで食べるのは俺のわがままだ。
そんな他愛無いことを考えている時だった。
「……ちょっと様子見てくるっす……」
「ルーナ、ここにいなさい。
館内で鉢合わせたらどうするつもりなの?」
「そしたら職員として連行するっす」
立ち上がりながら彼女が言葉にした単語に、思わず突っ込みそうになった。
だがそれも仕方のないことだ。
すでに時刻は15時を回り、主婦はそろそろ夕食のメニューを考え始める頃じゃないだろうか。
テレーゼさんたちを前にソファーへ腰掛けて数時間。
問題の男どもが訪れる気配を一向に感じなかった。
そこに苛立ちを覚える気持ちも分からなくはない。
そもそもこの指輪は向こうが必要としている物で、何が何でも手にしたいはず。
それこそ、いかなる手段を用いてでも取り返すと考えるはずだと思っていた。
ルーナもそれを理解している。
むしろ振り回されていることに苛立っているんだろう。
昨日の話から察するに、彼女の毛嫌いするタイプみたいだからな。
それでも彼女の纏う気配から、俺は釘を刺すように口を開いた。
「それも想定内だ。
"自分の都合に合わせるのは当たり前"だと思ってるのが貴族の大半だろ?
そこまで怒るようなことでもないし、交渉は夕方になるだろうと予想していた」
「そうですね。
それにルーナ、その格好はかえって目立つわよ」
「着替えてからお出かけするっす」
「こちらに向かう途中だったらどうするの」
「あんなノロマどもより先に戻ってくるっす」
「貴族の監視自体は知り合いのスカウトに任せてるんだろ。
ここから離れるリスクのほうが高いと俺は思うんだが。
後から俺たちと合流するのは不自然に思われるぞ」
「目にも留まらぬ速度で着替えるっす」
一度言い出したら聞かないタイプだろうか……。
彼女の言葉に大きくため息をついたテレーゼさんは、渋々承諾したようだ。
「……仕方ないわね。
絶対に見つからないことと、連中よりも先に戻ってくること。
この2点は遵守して頂戴」
「うっす!
わかったっす!」
「気をつけるの……よ」
テレーゼさんの言葉を最後まで聞かず、ルーナは退室した。
隣の部屋に着替えができるようにはなっているらしいが、そのあまりにも早い身のこなしに思わず心の声が出てしまった。
「……本当にいるんだな。
40秒で支度できるやつが……」
俺の言葉に首を傾げるテレーゼさんとデルフィーヌさんだった。
風のように去ったルーナを心配するふたりだが、あれほどの使い手をどうにかできるやつがいるとも思わない。
恐らく彼女も魔法による身体能力強化を自在に扱える人物のひとりだろう。
それに加えプロとしての教育を受けているなら心配しなくても問題ない。
「見に行っても余計イラつくことになると思うが……」
「そうでしょうね。
ルーナも分かっているはずだけど……」
「とても行動力があって、私はルーナさんを羨ましく思えますよ」
「……そんなポジティブな感情じゃなかったが、索敵もしてくれるだろうし悪い話でもないか」
周囲に警戒を張り巡らせているが、引っかかるようなやつは館内にはいない。
これで気配を感じさせないような連中だと厄介だが、レヴィアたちもいる。
今は大人ふたりに任せ、戦闘になったら駆けつければ間に合うはずだ。
できればリーゼルもカウンターにいてほしいが、受付業務の補佐をしながら貴族を連れてくる役目があるからな。
これは一般の職員には任せられない。
彼女はそのまま同室する予定となっている。
ルーナ、デルフィーヌ、リーゼルに加え俺もいるし、テレーゼさんもかつては名の知れた冒険者だったことが伺える気配を纏っている。
デルフィーヌ以外は単独で護衛をボコれる強さを持つ布陣で固めてあるだろうし、万が一に襲い掛かろうものならそのまま捕縛する手筈だ。
キルドで揉めればどうなるのかを理解していれば、そんなことにはならないが。
* *
交渉での再確認をしていると、ルーナが戻ってきた。
その足取りは重く、彼女の纏う気配はさらに重々しかった。
「……あいつ、寝てやがるっす……。
……今なら誰にも気づかれずに殺れると思うんすけど?」
腰に忍ばせていたダガーを光らせながら無表情で答えるルーナを、ため息交じりで咎めるテレーゼさんだった。




